戦 艦世界最大の「大和型」戦艦を解剖する 昭和9年/1934年、日本は米英との海軍戦力差を埋めることを阻害している「ロンドン海軍軍縮会議」が昭和12年/1937年に失効されることから、その後米英がそれに合わせて更に強力な戦艦を建造することは間違いないとし、それに対抗すべく最大級の戦艦の建造を計画しました。 それが、今や国民の誰もが知る、世界最大の戦艦【大和】です。 日本は当時最新の「長門型」を除くと、のきなみ艦齢が20年を超えている戦艦ばかりでした。戦 艦
駆逐艦早霜【夕雲型駆逐艦 十七番艦】 起工日 昭和18年/1943年1月20日 進水日 昭和18年/1943年10月20日 竣工日 昭和19年/1944年2月20日 退役日(座礁放棄) 昭和19年/1944年10月26日サマール...駆逐艦
駆逐艦藤波【夕雲型駆逐艦 十一番艦】 起工日 昭和17年/1942年8月25日 進水日 昭和18年/1943年4月20日 竣工日 昭和18年/1943年7月31日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年10月27日サマール沖海戦...駆逐艦
駆逐艦野分【陽炎型駆逐艦 十五番艦】 起工日 昭和14年/1939年11月8日 進水日 昭和15年/1940年9月17日 竣工日 昭和16年/1941年4月28日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年10月25日サマール沖海戦...駆逐艦
駆逐艦磯風【陽炎型駆逐艦 十二番艦】 【磯風】は「陽炎型」の中でも特に優秀な活躍を見せた第一七駆逐隊の一員です。 「真珠湾攻撃」の際には一水戦の中で第一七駆逐隊だけが機動部隊護衛に選ばれ、旗艦【阿武隈】と第一八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。 続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と多くの作戦に参加。 日本の力量を見誤っていた連合国軍を蹴散らします。駆逐艦
駆逐艦浦風【陽炎型駆逐艦 十一番艦】 【浦風】は主力の「陽炎型」の中でもエリート集団となった第一七駆逐隊所属です。 【谷風・浜風・磯風】とともに編成し、第一水雷戦隊に所属していました。 太平洋戦争の号砲を鳴らした「真珠湾攻撃」に参加すると、続いて「ウェーク島の戦い」に合流。 これは先に侵攻していた【夕張・天龍】らが思いもよらぬ反撃を受け、結果【疾風・如月】が沈没するという予想外の事態に陥ったため、力で叩きのめすために二航戦を引っ張りだしたためです。駆逐艦
駆逐艦雪風【陽炎型駆逐艦 八番艦】 駆逐艦の中では文句なし、帝国海軍艦艇全ての中でも五指に入るほど有名な【雪風】です。 主力駆逐艦であった「陽炎型」、それに準ずる戦力であった「朝潮型」、「陽炎型」とほぼ同等クラスの「夕雲型」。 主戦場に優先的に動員されたこれら合計48隻の中で、終戦まで生き残ったのはこの【雪風】のみ。 海戦に不参加だったわけでも、常に逃げ腰だったわけでもなく、他の駆逐艦と同様に必死に戦い続けていました。駆逐艦
軽巡洋艦矢矧【阿賀野型軽巡洋艦 三番艦】 【矢矧】は不遇の「阿賀野型」の中では最も戦闘に参加した軽巡でした。 竣工からわずか2ヶ月後に【阿賀野】は撃沈、【能代】とともに【矢矧】は敗北の続く帝国海軍を支えるべく奮闘します。 【矢矧】は竣工早々、第十戦隊の旗艦に就任し、昭和19年/1944年6月には「マリアナ沖海戦」へと挑みます。軽巡洋艦