マリアナ沖海戦 | 大日本帝国軍 主要兵器

マリアナ沖海戦

戦 艦

世界最大の「大和型」戦艦を解剖する

昭和9年/1934年、日本は米英との海軍戦力差を埋めることを阻害している「ロンドン海軍軍縮会議」が昭和12年/1937年に失効されることから、その後米英がそれに合わせて更に強力な戦艦を建造することは間違いないとし、それに対抗すべく最大級の戦艦の建造を計画しました。 それが、今や国民の誰もが知る、世界最大の戦艦【大和】です。 日本は当時最新の「長門型」を除くと、のきなみ艦齢が20年を超えている戦艦ばかりでした。
駆逐艦

秋月【秋月型駆逐艦 一番艦】

マル4計画では「甲型駆逐艦」である「陽炎型・夕雲型」、「丙型駆逐艦」である【島風】の建造が決定されましたが、もう1つ、両者とは全く役割の異なる駆逐艦の建造も計画されました。 それが「乙型駆逐艦・秋月型」です。 「秋月型」は「防空駆逐艦」とも呼ばれ、敵艦隊への攻撃が求められたこれまでの駆逐艦や「甲・丙型」と違い、空中を飛び回りながら攻撃を仕掛けてくる航空機から艦隊を守るために計画されました。
駆逐艦

卯月【睦月型駆逐艦 四番艦】

起工日 大正13年/1924年1月11日 進水日 大正14年/1925年10月15日 竣工日 大正15年/1926年9月14日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年12月12日第九次多号作...
駆逐艦

夕凪【神風型駆逐艦 九番艦】

起工日 大正12年/1923年9月1日 進水日 大正13年/1924年4月23日 竣工日 大正14年/1925年4月24日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年8月25日ルソン島沖 ...
軽巡洋艦

矢矧【阿賀野型軽巡洋艦 三番艦】

【矢矧】は不遇の「阿賀野型」の中では最も戦闘に参加した軽巡でした。 竣工からわずか2ヶ月後に【阿賀野】は撃沈、【能代】とともに【矢矧】は敗北の続く帝国海軍を支えるべく奮闘します。 【矢矧】は竣工早々、第十戦隊の旗艦に就任し、昭和19年/1944年6月には「マリアナ沖海戦」へと挑みます。
軽巡洋艦

能代【阿賀野型軽巡洋艦 二番艦】

【能代】が竣工したのは【阿賀野】から8ヶ月後。 【阿賀野】ですら「ミッドウェー海戦」後の登場でしたが、【能代】は同じく非常に重要な戦いであった「ガダルカナル島での戦い」すら知らず、山本五十六連合艦隊司令長官が殉職してからの竣工でした。 「阿賀野型」が時代遅れであることは【阿賀野】の項でも述べていますが、その中でも【能代】は意地を見せています。
軽巡洋艦

大淀【大淀型軽巡洋艦 一番艦】

潜水艦。太平洋戦争にて日本が煮え湯を飲まされた主要因でした。 その隠密性は世界各国が認めており、海戦では海に浮かんでいないものが強くなりつつありました。 日本も当然、その潜水艦の運用能力の向上に努めます。 しかし潜水艦最大の弱点は、その索敵能力。 潜望鏡だけで海上をくまなく見渡することもできませんし、加えて舞台は終わりの見えない太平洋です。
重巡洋艦

筑摩【利根型重巡洋艦 二番艦】

「改鈴谷型重巡洋艦」とも言える「伊吹型重巡洋艦」の1番艦【伊吹】の建造が始まるのですが、戦況の変化により【伊吹】は空母へ改装されることになり(しかし空母にも改装されず建造途中で解体)、【筑摩】は帝国海軍最後の重巡洋艦となりました。 書類上の分類では【高雄型重巡洋艦 鳥海】が最後ですが、【筑摩】は【利根】同様、書類上以外の全ては重巡そのものでした。
重巡洋艦

利根【利根型重巡洋艦 一番艦】

主砲は船体の前後に配備されるものでしたが、その主砲を前部へ集中させ、後部は水上機の配備・発射用の設備を整えるというものに変更。 その代わり3番、4番砲塔は最初から後ろ向きにしておきました(当然前方へ向けることもできます)。 主砲は20.3cm連装砲4基と、「最上型」より1基減りますが、その代わり水上機搭載数は6機と、「最上型」の倍(【最上】竣工時と比較)。
重巡洋艦

熊野【最上型重巡洋艦 四番艦】

5月には、「最上型」4隻をはじめとする第七戦隊に所属して「ミッドウェー海戦」へ出撃します。 ところが「ミッドウェー海戦」はまさかの大敗北。 主力の航空母艦4隻をたった一日で失った連合艦隊ですが、司令部はこのまま戻ってなるものかと、夜に乗じて当初の作戦通りミッドウェー島を砲撃するつもりでした。 しかしやっぱり止めだと命令は撤回、第二艦隊は撤退することになります。
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