基準排水量 | 29,990t |
全 長 | 208.18m |
水線下幅 | 28.6m |
最大速度 | 23.0ノット |
航続距離 | 14ノット:9,680海里 |
馬 力 | 45,000馬力 |
扶桑型4隻はゴメンだ 新設計により新たに伊勢型登場
もともと【伊勢、日向】は、「扶桑型」の三番艦・四番艦として建造される予定でした。
ところが、予算がなかったため工期の延期、さらに「扶桑型」から見つかった数々の欠陥から、急遽設計段階からの計画変更を行い、「伊勢型」として再スタートしました。
「伊勢型」の設計には建艦競争が活発な欧米の最新の設計を多数見習っているところがあります。
「扶桑型」からの脱却として、まずは主砲の配置変更。
「扶桑型」の主砲は被弾危険箇所や爆風等、様々な問題を生み出す配置となっていたため、爆風よけの壁を設置したり、背負式配置にするなどして主砲の使い勝手を向上させました。
主砲の改善点は他にもあり、仰角は30度だったものをあえて25度に抑えています。
これは結局仰角をあげて射程を伸ばしても、当たらないんなら意味ないじゃんという判断でした。
当時は射撃管制装置もなく、最大射程での精度が全く信用できなかったのです。
ただ、この仰角は大正10年/1921年に30度まで伸ばされています。
同時に測距儀も8mのものへ拡大され、方位盤照準装置も装備されたことから長距離射撃精度が向上したためです。
出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ
また、「金剛型」では採用されていた5~20度の半自由装填を採用し、5度での固定装填だった「扶桑型」から改善されました。
なぜ「扶桑型」では固定装填だったのでしょうか。
主砲だけでなく副砲にも変化が見られます。
「金剛型、扶桑型」の副砲は15.2cm砲でしたが、「伊勢型」ではこれを14cm砲へとグレードダウンしています。
なぜなら、日本人の体格ではこの世界の標準だった15.2cm砲は大きく、装填が人力だったことから速射性に疑問があったのです。
14cm砲はフランスで採用されていた口径で、日本は副砲用の砲弾を2種類製造する面倒さに目をつむってこれを採用しました。
ただ欧米人なら15cmでも十分対応できるのか、と言われると別にそうでもなく、取り扱いの困難な重量であったことは変わらないようです。
口径が落ちる分は、「扶桑型」16門に対して20門へ増やすことで補っています。
ただ、置く場所がない結果、なんと主砲の前や露天砲塔だったりした砲もあったそうです、怖すぎます。
そして「扶桑型」で最も問題視された防御面ですが、上記の配置変更や装甲の厚さ、防御甲板の構造、船体の長さなどで改善は見られるものの、実はそれほどいいものとは言えないようです。
これは建造当時としてはまだ許される範囲だったのですが、「ユトランド沖海戦」によって求められる防御力が向上したものの、その水準からは離れていたという問題でした。
【伊勢】で最も問題とされたのが、その劣悪な居住性と操舵の難しさです。
スペースが全体的に小さくなった弊害はすべて人が通る場所に現れ、とにかく狭く、使いづらい環境だったようです。
居住区は狭くなり、しかし乗員は増える。
「伊勢型」の定員は次の「長門型」より多かったため、狭いことこの上なかったことでしょう。
また操舵性は、舵をきることではなく、逆に直進するのが難しかったと言われています。
そのかわり、舵を切るのはとても簡単だったそうです。
出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集 第一巻解説』潮書房