基準排水量 | 8,164t |
全 長 | 192.00m |
水線下幅 | 16.60m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:8,700海里 |
馬 力 | 110,000馬力 |
巨大な船体は偵察機のため 潜水艦隊旗艦大淀型
潜水艦。
太平洋戦争にて日本が煮え湯を飲まされた主要因でした。
その隠密性は世界各国が認めており、海戦では海に浮かんでいないものが強くなりつつありました。
日本も当然、その潜水艦の運用能力の向上に努めます。
しかし潜水艦最大の弱点は、その索敵能力。
潜望鏡だけで海上をくまなく見渡することもできませんし、加えて舞台は終わりの見えない太平洋です。
潜水艦で米艦隊の漸減を目論む帝国海軍としては、索敵能力の飛躍が欠かせませんでした。
潜水艦の目の役割を果たす兵器としては、やはり航空機が求められました。
当時はレーダーもないですから、高速の索敵機によって得られた情報を潜水艦に伝えて攻撃態勢を取るという連携が考えられたのです。
そこで計画されたのが、潜水艦隊を束ねる旗艦としての役割と、索敵機の搭載発着を行える艦の建造でした。
当時は【迅鯨】【長鯨】【大鯨】という3隻の潜水母艦が海軍には存在していました。
しかし【迅鯨、長鯨】はかなり古い上に「ワシントン海軍軍縮条約」の煽りを受けて小型、そして低速の船でした。
更には潜水艦の性能向上によって2隻のキャパシティでは潜水艦隊の統括ができなくなってきたこともあり、【迅鯨、長鯨】は小型の二等潜水艦と連携した活動しかできなくなってしまいます。
昭和8年/1933年から建造がスタートした【大鯨】はこの問題を踏まえて大型化し、また建造技術の向上を目指して電気溶接の多様化やディーゼルエンジンの搭載などが盛り込まれました。
しかしこの意欲的な挑戦は失敗に終わり、溶接は歪みを多発させ、またディーゼルエンジンも故障が続いて結局諸元通りの性能を発揮させることができませんでした。
更にはもともと計画の段階から【大鯨】は将来的な空母化構想があったため、有事の際に【大鯨】が潜水母艦である可能性は低かったのです。
となると、結局は潜水艦隊の旗艦は戦争になると存在しないことになり、潜水艦の目となる索敵機を潜水母艦から発艦させることすらできません。
このような理由で新たに巡洋艦を建造するに至り、「丙型巡洋艦」すなわち「大淀型軽巡洋艦」が誕生することになるのです
計画された「マル4計画」では、「乙型巡洋艦」である「阿賀野型」が4隻、「大淀型」が【大淀、仁淀】の2隻の建造が決定しています。
1隻で潜水戦隊2隊を統率する計画でした。
実は「大淀型」は完成した案の他に2つの建造案がありましたが、それは後述します。
「大淀型」は日本が建造した最後の大型巡洋艦です。
「利根型」も非常に特徴的な巡洋艦ではありますが、この「大淀型」も負けず劣らず、全部が強いを信条にしてきた海軍にとっては珍しく性能特化型の船となっています。
まずは「大淀型」のアイデンティティーと言ってもいい航空機関係です。
わざわざ「大淀型」のために海軍では専用の水上偵察機の開発に着手していました。
その名は【紫雲】、水上機最速のスピードで強行偵察するための機体でした。
索敵は隊列を組んで行うわけではないため、個々の機体の性能は重要です。
しかしも今回の偵察はどのような状況でも、つまり敵の制空権内にも飛び込んでいける性能が求められたため、ちょっとやそっとの速さではダメなのです。
敵に見つかっても逃げ切れる速度が何よりも重要でした。
【紫雲】 は川西航空機が開発を指示され、最大速度は468km/hと【零式水上偵察機】の385km/hに比べると80km/hも違います。
機体そのものはそれほど大きいわけではありませんが、重量も【零式水上偵察機】よりも500kgほど重くなりました。
機体の性能は【紫雲】 の項目に譲るとして、「大淀型」もこの【紫雲】 を迎え入れる環境を整えなければいけません。
「大淀型」は【紫雲】 搭載を前提とした設計であり、煙突より後ろは全部航空設備です。
日本の水上艦は水上機を露天繋止させるのが一般的でしたが、「大淀型」は【紫雲】 を最大6機搭載させるために大型の格納庫も搭載しました。
横から見ればひときわ目立ちます。
格納庫には5機収容し、1機はカタパルト上に繋止されていました。
【紫雲】 そのものが特注であると同時に、【紫雲】 を射出するカタパルトもまた特注でした。
これまでいくつかの種類のカタパルトが搭載されてきましたが、開戦時の巡洋艦の標準装備だった呉式2号5型の全長19.4mに対して、【紫雲】 専用カタパルトである2式1号10型は全長が44mという凄い長さを誇ります。
これは「大淀型」全体の1/4近くを占める長さです(全長192m)。
更に射出時の速度を高めるために射出重量も4tから5tへ増し、射出速度は150km/hという優れものでした。
【紫雲】 は高速単フロートであることもあって低速での安定性がよくないため、この射出速度も重要な要目でした。
さらには4分間隔で次の【紫雲】 を発射させることも可能だったため、索敵が開始されれば即座に対応できるのもいいところでした。
収容用のクレーンも【紫雲】 の自重3,100kgに対応可能なタイプとなっています。
艦後部については全部航空設備で埋まっていますから、当然主砲は搭載できません。
「大淀型」は当初は索敵能力と旗艦≒通信設備をできるだけ充実させたいという思惑で建造が始まっていますが、計画の中では主砲すら載せないという案もありました(第一案 後述)。
ですがさすがに主砲なしは自衛ができませんし、また「最上型」の20.3cm連装砲への換装によって惜しまれつつも降ろされた15.5cm三連装砲があったことから、「大淀型」には艦橋前にオーソドックスな背負い式で2基搭載されることになりました。
つまり、艦後方への砲撃方法は艦をある程度傾けなければできない仕様です。
これは「利根型」と共通していますが、「利根型」は4砲塔8門で、「大淀型」よりかは後方砲撃はしやすい配置でした。
兵装軽減といえば、「大淀型」には魚雷が搭載されていません。
これまででしたら無理やりにでも魚雷は搭載してきましたが、「大淀型」はどう考えても運用計画上雷撃戦を行う可能性は低く、また艦内空間も旗艦、通信設備や後部の航空兵装でかなり場所をとっていることから魚雷は搭載しないことになったのです。
その代わり初期から爆雷(たった)6個と投下台2基が搭載されています。
対空兵装は巡洋艦の歴史でもトップクラスで、まず当時は15.5cm三連装砲がある程度対空砲としての役割も担わせる想定でした(最大仰角55度)。
15.5cm三連装砲は12秒ごとに射撃が可能でしたが、まぁ高角砲としてはかなり遅いです。
結局先行して採用されている「最上型」では対空砲として運用することは断念されており、「大淀型」もこれに対空射撃を大きく依存するつもりはなかったと思います。
さらに「秋月型」の主砲となった長10cm連装高角砲を砲架化したA型改一を4基8門、25mm三連装機銃が6基とかなり充実していました。
その対空火力は重巡をも凌ぎ、かつて構想された防空巡洋艦を彷彿とさせるものでした。
また、「翔鶴型」で採用された高温高圧缶を6基搭載し、最大速度は35ノットに達します。
39ノットほどの速度を出すことも可能という記述もありますが、これはさすがにちょっと過剰な気がします。
機関の能力はかなり優秀だったようで、航続距離は公試成績では10,200~10,300海里ほどを発揮し、また舵も非常にスムーズで旋回半径は600mほどと小回りもききました。
通信設備も艦隊旗艦として非常に充実していて、また竣工直後から21号対空電探が搭載されています。
通信設備に関しては対比できる資料がないためあまり意味がないかもしれませんが、発信機9組、受信機27組、無線電話8組を備えていました。
防御面に関してはさすがに対重巡を想定していた「最上型、利根型」とは違って普段通り搭載砲相当の砲撃に耐えうるものとなっています。
機械室は60mmのCNC鋼で守られていました。
艦首には「阿賀野型」同様わずかなバルバス・バウが採用されています。
こうして「大淀型」は、【紫雲】 で偵察し、その結果を潜水艦に伝えて襲撃をサポート、また15.5cm三連装砲を含めた充実した対空火力を持ち、最大速度35.5ノットという快速性を発揮する基準排水量8,100tの新型軽巡洋艦として建造が始まります。
ちらっとほのめかした「大淀型」の別の姿ですが、まず軍令部が最初に「大淀型」に求めた姿はこの姿とは全く似ても似つかないものでした。
なにせ基準排水量はたった5,000t(のち6,600t)しかありません。
主砲はゼロ、12.7cm高角砲8門だけ。
機銃は25mm機銃18挺と防空巡洋艦構想や「松型」などに近い兵装です。
【紫雲】 6機は現実と同じですが、カタパルトは2基搭載するという思惑があったようです。
5,000t~6,600級に44mのカタパルト2基搭載、さらに4機収容可能な格納庫を搭載するわけですから、艦橋、高角砲は艦首側にかなり寄ることになると思います。
ですがこの案はカタパルト2基が使いこなせないという問題で断念されます。
カタパルト2基は普通両舷に1基ずつ搭載されます。
しかし44mもの長さになると、2基を同時運用しようとして旋回させると接触してしまいかねません。
接触を避けるとなるとかなり旋回範囲を狭める必要があり、危険だと同時運用を避けると何のための2基搭載かわかりません。
また12.7cm高角砲だけでは駆逐艦に抵抗するのが精一杯で、こっちは駆逐艦の砲撃は耐え切れますが向こうもそう簡単には致命傷を負いませんから、接近されて魚雷を放たれると一大事です。
駆逐艦はまず近寄らせないことが大切ですが、追い払う威力が12.7cm高角砲にはないのです。
そして当然ながら巡洋艦と遭遇すると逃げるしかありません。
もう1つの案は、航空巡洋艦化構想でした。
これも【紫雲】 をどれだけ有効に活用するという思案の元で誕生した考え方です。
ですが「利根型」や【最上】のような水上機を多数運用するための巡洋艦ではなく、【紫雲】 を車輪付きの艦載機へ変更するという、巡洋艦の航空機運用ではなく巡洋艦の空母化を狙った本格的なものでした。
射出は当然カタパルトからですが、船はフラッシュデッキ型として艦橋は甲板の下に潜るという構造でした。
飛行甲板は全長の3/4ほどになる150mとされ、その先に2基の主砲を搭載するというものでした。
まるで黎明期の空母設計案を見ているかのようです。
排水量は16,000t、主砲と対空兵装は実際のものと同じとされました。
搭載機は【紫雲】 16機の他に、【九七式艦上偵察機】(未成)17機、【九六式艦上戦闘機】16機ということも考えられていました。
ただ【紫雲】 全幅14.0m、【九七式艦偵】全幅13.95m、【九六式艦戦】全幅11.0mなのにこの搭載数となるのは謎です。
あと2つの艦載機の搭載予定があったのであれば、少し速度が落ちるもののわざわざ「大淀型」のために【紫雲】 を造るのではなく、435km/hの【九六式艦戦】を水上機に改造するほうがよっぽど効率的な気がします。
なお計画は途中で飛行甲板の長さが170mになり、艦載機搭載数もいずれでも20機になるように改められています。
ちなみに混載の予定はありませんでした。
ですがこの航空巡洋艦案も、空母としてはかなり実験要素も多いし、【鳳翔】ほどの飛行甲板での運用効果、艦載機の大型に対応できない将来性の低さ、一方で巡洋艦以下の防御力などの性能不足があったため、専門性を高めた第二案、つまり実際の「大淀型」の設計が採用されたわけです。
このような経緯もあって【大淀】は歴史通りの姿となるわけですが、当時は太平洋戦争開戦直前。
この時はまだ対米戦争の戦い方がどのようなものになるのか、日本はもアメリカもまだ知らなかったのです。
そして【大淀】の生涯は波乱の一言に尽きるのです。