エンジン、プロペラ
ここからは制式採用された機体として【零戦】を指す場合を除いて【十二試艦戦】と呼称します。
日本の技術力で世界の進化スピードについていくことができていなかったエンジン開発ですが、当然航空機だけでなく車輌に搭載するエンジンの性能も貧相なものでした。
この点は結局最後の最後まで解消されず、離昇2,000馬力の「誉」は安定感に欠け、「ハ43」は量産前に戦争が終結し、運用実績が豊富な高馬力エンジンは「金星六二型」の離昇1,500馬力が最大でした。
堀越技師は「ないものねだり」と口にはしましたが、彼が【十二試艦戦】を作り上げる上で最も重要だと考えたのはエンジンとプロペラでした。
つまり設計側ではなく搭載するマシンがこの機体の実現可能不可能を分けると考えていました。
ということは、超難関ではあるもののエンジンとプロペラがちゃんと揃えばこの要求は不可能なことではないという自信を持っていました。
さて、【九六式艦戦】は搭載エンジンが競合相手である中島の「寿」でしたが、最多生産となった四号に搭載されている「寿四一型」が650馬力でした。
一方でチラッと出てきた【F3F】は最新機が950馬力のエンジンを積んでいて、やはり性能の差がありました。
最大速度500km/hとなりますと、エンジンの出力は妥協する余地がありません。
とはいえ実はこの最大時速500km/hという数字、中島が辞退する前に280ノット(518km/h)で見積を出しています。
世界最高レベルのを速度をなんていわれたそれこそ無茶です、580km/hぐらいはいります、当時のエンジンじゃ絶対無理。
もちろん「栄」を搭載することが前提になっていますが、この500km/hという数字は、優先度は航続距離よりも高く簡単には届かないけど、ちゃんと実現可能な範囲の速度だったことがわかります。
当時の三菱には「瑞星」と「金星」があり、どちらのエンジンにするか検討したみたいな書かれ方の資料もありますが、すでに書きましたがちょっとこれは怪しい。
海軍の中では「瑞星」と「栄」の比較検討を行っていたので、選択権が三菱にあった可能性は低そうです。
ひとまず選択肢があったとして、最大出力は「瑞星」より「金星」のほうが上回っていました。
しかし「金星」はでかいという問題がありました。
三菱製の【九六式陸攻】には「金星」が使われていますが、これは当然機体がでかいから搭載できるのであって、艦上戦闘機という運用と求められた性質上、この「金星」を【十二試艦戦】に搭載するのは設計に大きな影響をもたらすことははっきりしていました。
空冷エンジンはエンジンを冷やすために直径を大きくせざるを得ませんが、そうなると機体のサイズも大きくなり、空気抵抗も重量も大きくなり、それを支える部材の数も増えるなど、エンジン本体の重量の何倍もの差が生まれます。
抵抗が大きすぎるとせっかくの馬力増も相殺されるので、本当に無駄にでかくなるだけになります。
「金星」を搭載したら機体の重量は3,000kg程度になると想定され、【九六式艦戦】の1,600kgに比べて倍近くなります。
これでは機体の運動性もパイロットの操作性も明らかに落ちてしまいます。
一方「瑞星」ですが、これはもともと戦闘機などの小型機の為に設計されたエンジンでしたから、【十二試艦戦】向けのエンジンとも言えます。
最大出力は当然「金星」には劣るものの、概算では「瑞星」搭載機の重量は2,300kgと、【九六式艦戦】と比較して700kg増、逆に「金星」搭載に比べても700kg減と、見事に中間になっています。
「金星」を搭載するよりもバランスに秀でるため、【十二試艦戦】の設計は「瑞星」を搭載することで決定しました。
馬力不足は設計で補うという決意の表れとも言えますが、この判断が成功だったか失敗だったかは今でも議論の種になっています。
「瑞星一三型」は離昇780馬力を発揮する一般的な空冷星型エンジンで、【九六式艦戦四号】の「寿四一型」が空冷星型9気筒に対し、「瑞星一三型」は複列星型14気筒と、シリンダーの数が多くなっています。
そして星が2列並ぶわけですから当然全長は単気筒のエンジンよりも長くなるわけです。
空冷エンジンは構造が単純で、乱暴に言えば気筒が増えれば増えるほど馬力が出ます。
二重から4列、14気筒や18気筒といった感じで星型エンジンは進化をしていきました。
【富嶽】の元となる【Z機】の設計案では空冷4列星型36気筒の「ハ五〇六型」というエンジンの計画も立っていますし、三菱も【富嶽】用として星型「ハ五〇」という二重星型22気筒というエンジンを実際に完成させています(現存)。
話が逸れましたが、エンジンの出力を無駄なく発揮させるために、プロペラには可変ピッチプロペラを採用するように海軍から指示がありました。
可変ピッチプロペラとは、車のギアシフト(マニュアル車の1速、2速など)と同じ役割を持つもので、速度に合わせてプロペラの角度の浅い深いを自動で調節する機能を持ったプロペラです。
これまでの固定ピッチプロペラだと、プロペラの角度は最大速度発揮時に合わせて作られているため、逆に言えば最大速度じゃないときのプロペラ設計とエンジン出力はかみ合いません。
それぞれの速度に合わせたプロペラ角度をつくり出すことでエネルギーの浪費や不足を防ぐための機能で、激しい運動や頻繁な速度の増減がある戦闘機にとっては必須と言ってもいいプロペラです。
手動で変更させることももちろんできますが、それは理論上可能なだけであって戦闘などコンマ何秒の戦いの中では全く現実的ではありません。
これはアメリカのハミルトン・スタンダード社製の製品を住友金属工業がライセンス生産したものです。
そしてすでに【九七式艦上攻撃機】でも採用されていた技術だったので、採用の障害もありません。
こうして設計陣の手が及ばないエンジンとプロペラにはちゃんと目途が立ちました。
ちなみにこの可変ピッチプロペラ、日本はこれで技術を学び、純粋な日本産プロペラを量産することができないまま終戦を迎えてしまいました。
フランスやドイツからの技術を取り入れたりしたものの、フランスのラチエ式プロペラが数例あるだけ、結局日本国として開発したプロペラは誕生せず、終戦後に住友金属工業がハミルトン社にライセンス料を払うと言ったら「1ドルでいいぜ」と請求書が届いた、なんて話もあります。
この1ドルについてはいろんな解釈がありますが、どちらにしてもプロペラ1つとってみても日本の海外技術依存度の高さがうかがえます。
軽量化
さて、そもそもなぜ軽量化するかですが、これは上昇力や高速性、運動性を高めるためです。
航続距離の延長はほとんど燃料に左右されるので、軽量化の恩恵を受ける比率としては低めです。
エンジンの開発が世界より遅れている以上、その差を他で補うには出力がかかる存在そのものが軽くなるしかありません。
上昇力というのは航続距離とは真逆で迎撃戦闘機として必須能力で、敵を発見するや否やすぐに空戦に持ち込めるように敵の高度まで到達しなければなりません。
掩護戦闘機としては逆に自分の高度で戦闘が始まるわけですから、戦闘中の急上昇急降下はあっても陸上から3,000mとか5,000mの高さまで云々のような能力はそこまで求められません。
掩護戦闘機と局地戦闘機の併用の難しさはこの上昇力にあると言ってもいいでしょう。
この日本が大好きな軽量化ですが、当たり前ですが生半可な取り組みではすべてが中途半端になってしまいます。
上記のエンジンのように、18kgの差が巡り巡って700kgという数字に跳ね返ってきてしまいますから、g単位での軽量化を徹底しなければ効果はありません。
しかしこのたゆまぬ努力の結果、【二一型】は7分27秒/6,000mを達成。
これは離昇馬力1,200で重量+700kgの【F4F ワイルドキャット】の10分18秒/6,096mを大きく突き放し、馬力ほぼ倍(重量もほぼ倍)の【F6F-3 ヘルキャット】の7分/6,096mに迫るものです。
つまり軽量化により馬力不足がしっかり補えていることがわかります。
このg単位の減量をするために掲げたのが、「機材全重量の10万分の1までは徹底的に管理する」というものでした。
ただ実際は表題よりもさらに10分の1、つまり100万分の1まで管理されていたと言います。
そのうえで、まずは各部品の強度の再チェックを行いました。
飛行機の強度には安全率というものが定められていましたが、これは部品、部材1つ1つにどれだけの衝撃が加わるのかについては考慮されていません。
規定上限が10の衝撃に対して、Aの部材は9の衝撃が伝わるけれどもBには最大5しか衝撃が伝わっていないとなりますと、Bは強度を弱めても機体の安全率を割ることはないのです。
なのでこれを洗い出して、基本的には安全率1.8、これが過剰な場所の安全率は1.6へと引き下げて、無駄にしている重量を削り取ることにしました。
そして強度に問題がない個所はどんどん肉抜き穴が開けられたり、ボルトが小さくなったりと、濡れたぞうきんを絞って乾かしてまた絞るというほどの強烈な作業が行われました。
ぞうきんの表現の通り、実際はやりすぎな面も多いですが、g単位での管理なので仕方ありません。
肉抜き穴1つで100g削れたら、10個空けるだけで1kg減です、執着してしまうのも止むを得ません。
また強度をできるだけ維持しつつも軽量化をするために、全体を通して今でも一般的なセミモノコック構造が取り入れられています。
セミモノコックについては調べてもらった方がわかりやすいと思いますが、超簡単に説明すると、外圧の力を分散してかつスッカスカにできる設計です。
g単位の削減は決して過剰な表現ではないのです。
ちなみに肉抜き穴というのは防弾性を損なうものではなく、強度計算上問題のない部分を削り落とす作業ですので、肉抜き穴のせいで防弾性が低下したというのは当てはまりません。
実際軽量化に肉抜きはよい手段で、手間はかかるのですがまさに贅肉、贅沢に使っている重量なので各国の機体でもジャンジャン取り入れられています。
防弾性と強度は似ているようで全く違います。
じゃあ防弾性があったのかと言われると笑って「ないよ」と言うしかありませんが。
念を押しておきますが、【零戦】の防弾性は確かに皆無でしたが、よその国の戦闘機も基本的にはかなり弱いです。
機体の造りが頑丈かどうかというのは、少なくともこの時期は防弾性を意識したものではありません。
ここまで軽量化を求めたせいで、通常主翼には人が立つことができますが、【十二試艦戦】の場合は主翼中央部の付け根しか立つことが許されません。
それ以外の部分に立つとへこんだり壊れてしまうほど、強度をギリギリまで絞っているのです。
逆に主翼のリブについては一般的な航空機よりも多い密度で構成されていましたから、強度に慎重だったこともうかがえます。
主翼中央部には各所の引込式持ち手やステップなどを使って乗り、そこからコックピットに入ります。
この持ち手やステップはコックピットからは収納できないので、乗り込んだ後に整備員などがしまい込みます。
他にはすでに「九七式戦闘機」で採用されていましたが、三菱でも取り組みが進んでいた、通し桁を用いて左右翼を一体製造とする案が採用されます。
部品同士を結合させるにはそのための別の部品が必要になりますから、1点ものになると余計なものがなくなるわけです。
またこの方法だと剛性も向上し、製造時の工数も減らすことができます。
そして主翼の軽量化にもう一つ大きく貢献したのが、住友金属工業が開発した超々ジュラルミンの採用です。
その名の通り超ジュラルミンを超えるジュラルミンで、鉄やステンレスよりも高い強度を誇り、それでいて超ジュラルミンと同じ強度で30~40%も軽量化することができました。
強度については、「真珠湾攻撃」時に撃墜された【零戦】を調べたアメリカ軍がまさかこれほど強度のあるジュラルミンを日本が生産できたとはと驚いたようです。
ただし溶接には不向きな材料のため、当時の技術では採用できる場所は主桁だけに限られていました。
この金属については海軍も注目していたところだったので、三菱が海軍にこの金属の使用許可を願い出てもすぐにOKがでました。
この超々ジュラルミンの採用により主翼の重さは30kgも軽減することができ、住友金属工業は【零戦】誕生の陰の立役者でもあります。
機体の設計
航続距離を伸ばすためにはガッツリ燃料を搭載するのは当然として、無駄なエネルギー消費を減らす必要がありますし、また空気抵抗がなくなれば運動性能も高くなります。
しかしもちろん航空力学との兼ね合いで設計する必要がありますから、適切な抵抗と適切な空気の流れを生み出す設計でなければなりません。
ただし前述の通り、空気抵抗を抑える設計をとことんまで追求すれば燃費は何十%もよくなるかとそんな甘い世界ではありません。
機体の設計はあくまでもエンジンと運動性にあわせて行うもので、その形を整えることで数%の燃費改善もさらについてくるというわけです。
艦船では戦時急造艦の「松型」や「橘型」が、建造を容易にするために燃費や速度が落ちることを覚悟で抵抗の多い角張った設計にしたものの、実際は速度にさしたる影響がなかったという例もあります。
空気抵抗の削減は空気に触れる面積を減らすのが最も手っ取り早いです。
複葉、単葉いずれのタイプでも、ある一例を除いて日本の航空機は固定脚でした。
つまり離着陸の時にしか使わないタイヤが出っぱなしなので、飛行中も常にここが抵抗を生んでしまうのです。
この問題を日本で初めて解決したのが、【九七式艦上攻撃機】です。
三菱、中島の両方の機体が制式採用された珍しい【九七式艦攻】ですが、油圧式の引込脚を取り入れることでこの空気抵抗が一切なくなったのです。
当然【十二試艦戦】にもこの機構が採用され、これで飛行中の抵抗は一定の削減が達成されました。
次に当時としては7.7mmに比べて当然大きい武装である20mm機銃の搭載についてです。
こいつを両翼1基ずつ搭載するため、翼はこの機銃の重さも加味した設計にしなければなりません。
重量23kgとこれに銃弾(60発分)が加わるので、超々ジュラルミンで軽量化された分はほぼ20mm機銃で相殺されると言っていいでしょう。
7.7mm機銃に比べて20mm機銃は当然反動が大きいため、【九六式艦戦】そのままの設計だと射撃のために機体がぐらついてしまいます。
なので【十二試艦戦】は【九六式艦戦】よりも衝撃を受ける空間を増やすために胴体が長くなっています。
さて、主翼には20mm機銃の他にも翼内燃料タンクが加わりますから、なんだかんだで翼は結構厚く重くなります。
そのため翼の形状や面積というのはエンジンに並んで非常に重要な構造です。
運動性能には翼面荷重(翼1㎡にかかる重量)が大きく影響し、そして一般的には翼面荷重が大きい(めっちゃわかりやすく言うと、ぱっと見小さい翼)場合は揚力を得にくいので離着陸距離が長くなり、反面空気抵抗が減って特に高速時に安定飛行することができます。
逆に翼面荷重が小さい(めっちゃわかりやすく言うと、ぱっと見大きい翼)場合は、揚力を得やすく低速で離着陸ができ、旋回性能(【零戦】の場合左は抜群、右は普通)も高いのですが、面積が大きい分重量は増えるし特に高速時の横回転の際には空気抵抗が大きくなるというデメリットもありました。
飛行機にとっての横回転は文字通り横に回転するだけでなく、降下するときもかなりの頻度で行うので、これが遅いというのは結構重要な問題でした。
これがよく言われるロール(横回転)の悪さです。
まさに一長一短なのですが、【十二試艦戦】の場合は馬力の小さな小型機が両翼に乗っかる20mm機銃と翼内燃料タンクを支えるという事情があります。
なので翼面荷重は105kg/㎡とかなり小さくなり、結構なサイズになっています。
ちなみに【隼】は102kg/㎡と【零戦】よりも重量に対する翼の面積が大きい機体です。
この翼面荷重は格闘性能を図るための簡単な指標になるので、他の機体の設計でも大きい小さいがこの数値を元に要求されたりします。
翼の形状は【九六式艦戦】の楕円形からテーパー翼に変更されています。
そして忘れてはいけないのが、【十二試艦戦】は艦上戦闘機だということです。
艦載機ということは滑走路の飛行甲板の長さに上限があります。
いくら合成風力で揚力を稼げると言っても離着陸距離はできるだけ短くする必要があります。
それに戦闘機は最も軽いため、甲板に並ぶ順番としては艦戦→艦爆→艦攻と一番前ですから実際の甲板の長さ以上に距離は短くなります。
なので性質上【十二試艦戦】は翼面荷重を小さくする構造にしなければ運用に大きな支障が出るのです。
戦前に【龍驤】の分隊長を務め、その後海軍航空技術廠飛行実験部に配属となった小福田租大尉(当時)は、【零戦】の低速から失速(揚力が失われる現象)に移る性能の良さを高く評価しています。
【零戦】は艦上戦闘機のため狭い範囲での着艦を強いられるので、できるだけ低速で安定して飛行したいです。
【零戦】は大きな主翼を活かしたこの低速帯での操縦が容易で、またもともとの広い視野(カウリングが小さく風防が高い)、そして十分な主脚幅も相まって着陸や着艦が非常に楽だったようです。
第二次世界大戦のアメリカ軍機の損耗割合は戦闘と事故が半々ぐらいで、事故の中では離着陸の時が最大ですから、ざっくり損耗の2~3割程度はこの加速減速が必要となる機会に起こっていることになります。
いわんや空母をや、有効距離は100m前後で足場は波に煽られて常に揺れていますし、着艦速度を稼ぐために空母は走っています。
そんな状態で着艦フックに引掛けるために尾部を下げて機首を上げて状態で三点着陸をする、しかもこの時は減速をしているのでちょっとでも誤ると墜落します。
駆逐艦の任務にトンボ釣りというのがありますが、あのような任務があるぐらいには着艦失敗は無視できない事故なのです。
綺麗に落下できればいいですが、どこかにぶつかったり、機首から墜落するとパイロットが助かる確率は激減します。
昭和16年は200人の艦載機パイロットが事故で殉職しています、それぐらい艦載機乗りは常に死と隣り合わせだということです。
それだけにこの点が優れているというのは【零戦】の隠れた評価ポイントと言えるでしょう。
速度の優先度を高くして主翼を小さくすると、この動作の危険度が増しますから、艦載機は低速の安定感を無視することができません。
翼の設計では【九六式艦戦】で大成功を収めた捩り下げが引き続き採用。
翼端が付け根に対して細くなるタイプの翼だと、高速での飛行や急激な上昇時に翼端失速というものが発生する可能性がありますが、迎え角を翼端に向かうにつれて浅くすることで翼端失速の危険性が解消されたのです。
気流の流れが設計とかみ合わなくなると発生する失速は、どれだけエンジンをフル稼働させても飛ばなくなる、そして落下してしまうめちゃくちゃ危険な現象で、翼端失速は一部の揚力がなくなりますから不安定にはなります。
なので戦闘機のように激しい運動をする機体にとっては失速対策は特に重要でした。
他にも主翼の大型化に伴い水平尾翼、垂直尾翼も大きくなり、500km/hという最大速度の要求に対して、これをさらに引き延ばすというよりも全体的には運動性を重視した設計になっていることが随所に見て取れます。
翼以外には、【九六式艦戦】で使われた枕頭鋲も、ほんのちょっとのでっぱりで生まれる空気抵抗でg単位の減量はあっさり覆されますから当然採用されています。
似たような意味合いで突起物も徹底的に埋没するようにしています。
空気抵抗を抑えるための流麗な設計とも相まって、表現するならばツルッツルな機体と言えるでしょう。
逆に空気抵抗を受ける設計もあります。
それは風防です。
【九六式艦戦】は解放型(風除けのためのガラスが全面にあるだけ)で、これを密閉にしようとしてファストバック式にしてみたものの視界が遮られるという反発がありました。
この反省を受けて、【十二試艦戦】はコックピット全体を風防で覆い、機体の上に風防がボコっと飛び出る水滴型、密閉型に変更しました。
空気は正面から受ける抵抗だけでなくぶつかった後の空気の流れも抵抗になります。
解放型だと弾かれた空気がコックピット内に入り込んで暴れるため、小さな抵抗を生んでいましたから、流線型の胴体に合うように密閉型の風防を採用して、抵抗があっても気流の流れをスムーズにすることで最小限にとどめようと設計されています。
この風防のおかげで【十二試艦戦】は後方にも非常に広い視界を手に入れることができました。
覆っているガラスは全部5~6mmです。
他には航続距離を伸ばすために【九六式艦戦】でも導入されている落下式増槽が採用されています。
航続距離を伸ばすには燃費のいいエンジンと十分な燃料を搭載することが不可欠です。
機体にはすでに十分な燃料タンクを搭載しましたが、それでも目標には到達しないため、その対策として機体の下に切り離すことができる燃料タンクを取り付けて、いざ戦闘が始まると邪魔になるタンクを捨てちゃうという方法を取ったのです。
こうすれば巡航時は増槽の燃料を使って飛び、戦闘になると増槽を捨てた後も胴体や翼内タンクの燃料で飛ぶことができます。
【九六式艦戦】の落下式増槽は【九四式艦上爆撃機】の爆弾投下機構をそのまま流用して抵抗が大きかったため、今回は空気抵抗なども考慮して再設計されています。
増槽の容量は330ℓですが、これはもちろん適当に算出したわけでなく、胴体内、翼内タンクの燃料と要求された航続時間を計算し、往路丸々増槽容量として算出されました。
つまり翼内タンクと胴体内タンクで全速30分+復路を賄うということです。