起工日 | 大正11年/1922年11月11日 |
進水日 | 大正14年/1925年3月23日 |
竣工日 | 大正14年/1925年12月21日 |
退役日 (沈没) | 昭和16年/1941年12月11日 |
ウェーク島の戦い | |
建 造 | 石川島造船所 |
基準排水量 | 1,270t |
垂線間長 | 97.54m |
全 幅 | 9.16m |
最大速度 | 37.25ノット |
馬 力 | 38,500馬力 |
主 砲 | 45口径12cm単装砲 4基4門 |
魚 雷 | 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門 |
機 銃 | 留式7.7mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 4基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
太平洋戦争初の喪失艦 陸からの砲撃で沈む疾風
【疾風】は当初は「第十三号駆逐艦」として建造され、昭和3年/1928年8月1日に【疾風】となります。
太平洋戦争開戦時、【疾風】は【追風】【朝凪】【夕凪】と共に第二十九駆逐隊を編成しており、開戦とほぼ同時に、事前に編成されていたウェーク島攻略部隊としてクェゼリンを出発しました。
ウェーク島への攻撃は「真珠湾攻撃」と同時で、午前5時ごろから【九六式陸上攻撃機】の爆撃が始まりました。
第一波は敵戦闘機のはるか下を飛行したために無抵抗で爆撃は成功しましたが、第二波では戦闘機が迎撃に現れてアメリカは1機撃墜を報告しています。
翌日の爆撃でも1機が確実に撃墜されており、当然ながら島からの対空砲火も凄まじいものになりました。
真珠湾と同じで攻撃を受けてからのアメリカの対処は早く、日本はウェーク島攻略をある程度楽観視していたのですが、アメリカはすぐに徹底抗戦の構えをとっていたのです。
報告では陸上砲台も無力化したとあったのですが、実際にはまだ使える砲台も多く、アメリカは残された砲台で身の程知らずのジャップに一泡吹かせてやろうと手ぐすねを引いて待っていました。
12月10日、本来ならこの日の夜に一気に上陸するつもりだったのですが、波が高い上に【大発動艇】も転覆したりと揚陸が困難となりました。
そのためまずは未明のうちに艦砲射撃を行って戦意を削ぎ、その後夜明けとともに一気に上陸させることにしました。
午前3時25分にまずは【夕張】【天龍】【龍田】が砲撃開始、そして43分から駆逐艦も砲撃に参加しました。
アメリカからの反撃はありません、それはそうです、砲台は破壊したのですから。
ですが先述の通りまだまだ砲台は複数健在で、無駄撃ちをせず目標が射程に入るまでじっと耐えていたのです。
砲台の口径は12.7cm砲、かつての戦艦の副砲を陸揚げしたものでした。
つまり陸上から駆逐艦と同等の砲撃ができるということです。
4時過ぎ(誤差あり)、いきなり静かな島から爆発音が響き渡り、次の瞬間には付近に水柱が次々と立ち始めました。
アメリカの反撃が始まったのです。
距離およそ6,300mとされ、至近距離からいきなり反撃を受けた【疾風】らは驚きます。
【夕張】は慌てて煙幕を炊いて撤退しますが、【疾風】は側面を晒してすべての主砲を島へ向けて全門砲撃の態勢に入りました。
しかしこの体勢は被弾面積が最大になるため、最も攻撃的でかつ最も危険でもあります。
そして【疾風】にとって、この位置取りが命取りとなったのです。
一発の砲弾が【疾風】の艦中央部あたりに見事に命中。
本来12.7cm砲でしたらさすがに一発で沈みはしないのですが、この時の【疾風】はとことん運がなく、この被弾だけで爆発し、真っ二つになって轟沈してしまったのです。
原因ははっきりしていませんが、魚雷の誘爆やボイラーの爆発などが状況からしても可能性が高そうです。
【疾風】沈没の瞬間を目の当たりにした艦隊は慌てて逃げていきますが、この機を逃す手はありません、アメリカは爆装させて待機させていた【F4F ワイルドキャット】4機を出撃させて艦隊を追撃します。
各艦機銃はお飾り程度にしか搭載していませんから、【零式艦上戦闘機】に翻弄されまくった【F4F ワイルドキャット】と言えども、水上艦相手なら存分に暴れることができます。
機銃掃射と爆撃を行って、一度引き返して弾薬と爆弾を補充して再び出撃と反復攻撃を行い、形勢は一気に逆転しました。
この攻撃でさらに【如月】に爆弾が命中しこれも撃沈。
あっさり白旗が上がると思われていたウェーク島攻略は、強烈な往復ビンタを受けて駆逐艦2隻を喪失するという最悪の結果に終わったのです。