起工日 | 昭和2年/1927年4月30日 |
進水日 | 昭和3年/1928年6月26日 |
竣工日 | 昭和4年/1929年6月29日 |
退役日 (沈没) | 昭和9年/1934年6月29日 |
済州島南 【電】と衝突 | |
建 造 | 浦賀船渠 |
基準排水量 | 1,680t |
垂線間長 | 112.00m |
全 幅 | 10.36m |
最大速度 | 38.0ノット |
馬 力 | 50,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm三連装魚雷発射管 3基9門 |
機 銃 | 7.7mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 4基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
戦争知らずの深雪 味方に沈められた特型駆逐艦
【深雪】は建造時は「第三十八号駆逐艦」とされ、昭和3年/1928年8月1日、建造途中に【深雪】と改称されます。
【深雪】は【吹雪】【白雪】【初雪】と4隻で第十一駆逐隊を編成することになるのですが、しかし【深雪】は可哀想に、戦争に参加していないにもかかわらず非常に短命に終わっています。
戦闘艦は大半が戦争などの作戦活動中の沈没か、旧式化による退役、解隊で寿命を迎えます。
しかし一部は事故による喪失もあり、日本海軍にとって記憶に新しいのは【河内型戦艦 河内】の火薬庫爆発による沈没でした。
すでに【日向】までの戦艦が竣工しており、弩級戦艦の出る幕がない時代でした。
喪失しても戦力ダウンが最小限で済んだのは、この爆発で唯一の救いでした。
しかし【深雪】は違います。
【深雪】は駆逐艦の先頭をひた走る、日本どころか世界に名を馳せるほどの「特型駆逐艦」。
1隻であっても、いるといないでは大違いです。
【深雪】には竣工直後から不幸が舞い込んできました。
昭和4年/1929年8月2日、【深雪】は夜間の射撃訓練に参加。
【深雪】は標的を引っ張る曳的艦の役割で走り回っていました。
ところが射撃を行った第一二駆逐艦からの砲撃が、標的ではなく【深雪】にも飛んできたのです。
2番砲塔付近に2発の砲弾が直撃し、この被害で【深雪】は小破し負傷者も発生しています。
夜間砲撃の為探照灯は照射されていたと思うのですが、それがずれて引っ張っている【深雪】を照らし出してしまったのでしょうか。
昭和6年/1931年10月から【深雪】は搭載缶の改修の為にドック入りします。
翌年7月8日に復帰した【深雪】は、第二水雷戦隊として引き続き駆逐艦の最高峰に位置していました。
昭和9年/1934年6月29日、済州島付近で甲軍、乙軍に分かれての大規模な演習が実施されました。
しかしこの海戦はまるで「第三次ソロモン海戦」のように、狭い海域に大量の艦船が入り乱れる危険な状態でした。
加えて天候が悪く、実戦的な訓練ですから隠匿のための煙幕も張られたようで、とにかく視界は悪いわすぐそばに船がいるわでものすごく危険な状況でした。
【深雪】は乙軍の一員として演習に参加しています。
揺れに揺れる【深雪】は、前方の甲軍に雷撃を行った後に煙幕を避け、前方を横切ろうとする乙軍の【衣笠】に追随しようと舵を切りました。
ところがその煙幕から突如味方の【電】【雷】が相次いで飛び出してきました。
ちょうど針路を横切るような形で現れた【電】に驚いた【深雪】でしたが、すでに舵を切っている状態だったので咄嗟な方向転換ができません。
結局【深雪】の前に【電】が躍り出ることになり、【深雪】の艦首が【電】の艦橋のすぐ前に直撃します。
この衝撃で【深雪】の艦首が吹き飛び、また【電】の艦首も艦橋の直前でもぎ取られます。
さらに【深雪】は【電】に引きずられるように左舷側が【電】にこすれていき、最後は艦尾で【電】を弾いて停止しました。
艦首を失った【深雪】には大量の海水が流れ込みます。
急いで【那珂】が横付けし、【愛宕】とともに排水支援を行いますが、切断面からは大量の海水が【深雪】を飲み込もうととめどなく押し寄せました。
やむを得ず【深雪】からは総員退去が決まり、続々と乗員が【那珂】へと移っていきました。
幸い沈み切る前に全員救助ができました。
しかしこの浸水はどこかで食い止めることができたはずだという評価があります。
前方の第一缶室は海水で満杯になりましたが、まだ第二缶室は十分な浮力を保っていました。
なのでちゃんと隔壁の補強をして浸水を防ぐことができれば、曳航することが可能だったはずだということです。
ところが当時はどこをどう補強すれば浸水を防いで浮力が維持できるかの教育が為されていなかったため、目についたところから補強していくという無計画な応急処置となってしまいました。
一方で艦首に関しては、【初雪】と【叢雲】が捜索します。
これに関しても曳航しようと準備をしていたのですが、深い濃霧と夜間だったことで作業は困難を極め、やがて見失ってしまいました。
夜明け後に駆逐艦や【鳥海】の水上偵察機が付近を捜索しましたが発見することはできず、この波の中で海に飲み込まれてしまったのだと判断されました。
翌日、沈没する恐れはなかった【電】の曳航が始まります。
無事【電】は7月1日に佐世保に入港しています。
殉職者3人、行方不明者3名と人的被害は最小限に止まったものの、【深雪】はその存在の理由である戦闘に全く参加することなく沈没してしまいました。
当時の「特型駆逐艦」1隻を欠くということは、同年に「初春型」が「友鶴事件」による大きな影響を受けていることからも大変大きな損失でした。
しかし以後応急処置についての教育が強化されたことで、多くの艦艇が大破しながらも沈没を回避して離脱することに繋がっています。