起工日 | 昭和11年/1936年8月5日 |
進水日 | 昭和12年/1937年4月19日 |
竣工日 | 昭和12年/1937年10月31日 |
退役日 (沈没) | 昭和18年/1943年2月21日 |
マヌス島沖 | |
建 造 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 | 1,961t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.35m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:3,800海里 |
馬 力 | 50,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 |
次発装填装置 | |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 3基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
太く、短く、鮮明に輝いた大潮
【大潮】は【朝潮】【満潮】【荒潮】とともに第二十五駆逐隊を編成し、最初は佐世保鎮守府に所属していました。
昭和14年/1939年11月に第二十五駆逐隊は横須賀鎮守府に異動となり、それに伴い駆逐隊も第八駆逐隊に改称されます。
ほぼ同時に第二水雷戦隊にも配属となり、第八駆逐隊はこの所属で太平洋戦争に臨みます。
【大潮】は開戦の合図となった「マレー作戦」に参加し、その後リンガエン湾上陸やアンボン攻略など、「蘭印作戦」の中核の作戦にも輸送などで支援。
一気呵成に責め立てる日本の勢いに連合軍は連戦連敗を喫し、あっという間にバリ島、さらにはジャワ島に危機が迫ってしまいます。
攻略の過程でバリ島の制圧と飛行場建設に利点を見出した日本は、ジャワ島に隣接するバリ島への侵攻を開始。
昭和17年/1942年2月18日未明、マカッサルから【大潮、朝潮、満潮】と【笹子丸、相模丸】が航空支援も伴って出撃。
のちに【荒潮】も加わって、翌日に日付が変わったころにバリ島への上陸を開始しました。
しかし上陸の最中に小規模ながらも空襲が散発し、この影響で【相模丸】が被弾、【笹子丸】も損傷をしてしまいます。
また【大潮】も潜水艦からと思われる魚雷を回避しており、大きな被害ではないものの一行は避難をすることになりました。
被弾した【相模丸】は【満潮、荒潮】とともに撤退を開始、【笹子丸】は【大潮、朝潮】とともにすぐ東のロンボク島との間にあるロンボク海峡まで一時退避、日が沈んでから再びバリ島へ入りました。
一方ABDA連合軍ですが、こちらもバリ島への日本上陸の報告を受けて進撃を開始します。
しかし各隊が分散されていたことから、集結しての反撃だと時間がないということで各個突撃という形を取らざるを得なくなります。
その第一陣として【大潮】らに戦いを挑んできたのが、【蘭軽巡洋艦 デ・ロイテル、ジャワ級軽巡洋艦 ジャワ】、【蘭アドミラーレン級駆逐艦 ピート・ハイン、米クレムソン級駆逐艦 ジョン・D・フォード、ポープ】の5隻でした。
2月20日に日付が変わってから、「バリ島沖海戦」が始まります。
数の上で劣る【大潮、朝潮】ですが、まずは【デ・ロイテル】と【ジャワ】との砲撃戦に発展します。
砲撃を受けたのは【朝潮】だけだったようで、この時距離2,000mという近距離での砲撃だったのですが、遭遇した時は低速だったことから2隻の軽巡が【朝潮】を追い抜いていく形になり、結局ほとんどお互い被害なく突発的な砲撃戦は終了しました。
ですが続いて南側に3隻の駆逐艦を発見します。
2隻は煙幕の中に見える【ピート・ハイン】を発見し、追いかけて砲雷撃を開始します。
この攻撃によって【ピート・ハイン】は大した反撃もできずに大破してしまいますが、この時はまだ沈没はしていませんでした。
続いて残り2隻にも攻撃を開始しますが、アメリカの駆逐艦はいずれも北側に逃走したため、反転、追撃を行います。
追いかけているところで2隻は再び目標を発見して砲撃を開始、そして逃走した2隻も無事に撃沈させ、これで2撃沈1大破と上々の戦果を挙げた、と思われました。
しかしここで砲撃を与えた相手というのは、実はすでに大破していた【ピート・ハイン】であって、逃げ出した2隻の駆逐艦ではありませんでした。
【ピート・ハイン】は沈みゆく身体でも反撃を行いましたが沈没し、結局【大潮、朝潮】があげた戦果というのは巡洋艦1隻撃沈というものでした。
しかしこれで海戦が終わったわけではありません。
ABDA連合軍は大きく2陣に分かれていて、続いて【蘭トロンプ級軽巡洋艦 トロンプ】と4隻のアメリカ駆逐艦がバリ島に迫っていたのです。
先ほどは勝利を収めた2隻ですが、この5隻相手に勝ち目はあるのか。
第一次開戦は深夜1時ごろに終結をしていましたが、この第二次開戦は3時ごろから始まりました。
砲戦の中で【米クレムソン級駆逐艦 スチュアート】が被弾して、敵駆逐隊は一時撤退、続いて2隻は【トロンプ】との砲撃戦に移りました。
この戦いで【大潮】も被弾していますが、そんな中に日本に助っ人が現れました。
海戦の報告を受けて、撤退していた【荒潮、満潮】が戻ってきてくれたのです。
【トロンプ】を挟撃体制に陥れ、これで【トロンプ】の最期も近い、かと思われました。
しかし挟撃をしていたのは日本だけではなく、ABDA連合軍のほうも助っ人の【荒潮、満潮】を挟撃していたのです。
敵駆逐艦と【トロンプ】、さらに【トロンプ】の後方には戦闘前に一時戦隊から離れてしまった【米クレムソン級駆逐艦 ピルズバリー】も加わったことで、【荒潮、満潮】は2隻と3隻に挟まれるという大ピンチに陥ってしまいます。
この挟撃により【満潮】に砲撃が集中し、【満潮】は死傷者64名という大きな被害を受けて漂流、沈没こそしなかったもののかなりの人的被害を出してしまいました。
【トロンプ】を中破させたところで海戦は終了。
バリ島の上陸も達成し、【満潮】の被害がありながらも敵艦1隻の撃沈と、「バリ島沖海戦」は無事勝利となりました。
ところが夜が明けると空襲も再開されます。
海戦の報告を受けて護衛のために【長良】らがやってきますが、空襲の至近弾で【大潮】と【満潮】に浸水が発生。
気の抜けない戦いとなり、【大潮】もこの被害のために任務従事を断念することになり、いったんマカッサルで応急修理を行った後で横須賀で修理を行うことになりました。
「バリ島沖海戦」で活躍を見せた【大潮】でしたが、この至近弾による浸水の被害はかなり重傷で、当時は10ノットぐらいしか発揮できない状態でした。
このためここからの日本の快進撃や凋落といったジェットコースターのような戦況の変化を全く実感することはなく、12月29日、「ガダルカナル島の戦い」の終焉に向けての最後の作戦が迫る中でようやく戦列に復帰します。
この修理の間に【大潮】には大発動艇が搭載できる装置が新たに追加されています。
昭和18年/1943年1月9日、【大潮】はショートランド泊地へ入港。
彼女にとっては初めてのソロモン諸島ですが、仲間たちはいよいよここからおさらばだと胸をなでおろしていたことでしょう。
残存の駆逐艦は「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」のためのドラム缶輸送を実施しており、【大潮】もこれに参加。
そして2月1日からついに大撤退作戦が始まります。
3回にわたって行われたこの「ケ号作戦」で、【大潮】は3回すべてに参加。
喪失艦は機雷接触の【巻雲】だけと、想定を劇的に下回る被害で撤退作戦は無事成功。
その後の反撃の準備のため、3回目の撤退を終えてから6日後の13日に【大潮】は【荒潮】とともに輸送船を護衛してラバウルからウェワクへと輸送を行いました。
しかし輸送を終えて帰投中、付近で張り込んでいた【米ガトー級潜水艦 アルバコア】が4隻を発見します。
前年に【天龍】を沈めていた【アルバコア】は、次にこの4隻の船団を仕留めようと魚雷6本を発射、うち1本が【大潮】の右舷前部機関室付近に命中、瞬く間に浸水が発生しました。
【アルバコア】はこのあとにも魚雷3本を発射しますが命中せず、被害はこの1本だけでしたが、【大潮】はこの被雷によって航行不能となってしまいます。
まだ沈みはしなかったため、【荒潮】による曳航が始まりました。
しかし翌日には被雷による衝撃と浸水に船体が耐え切れず、やがて船体が切断されてしまい、【大潮】は沈没。
被雷後にある程度の避難が完了していたのか、被雷時の被害を含めても戦死者は8名と記録されていてかなり人的被害は少なめです。
ですが【大潮】は「バリ島沖海戦」と「ケ号作戦」のいずれの出来事でもその後の被害が甚大なもので、活躍の機会に恵まれなかったのは不憫でした。