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【橘型駆逐艦 菫】
Sumire【Tachibana-class destroyer】

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起工日 昭和19年/1944年10月21日
進水日 昭和19年/1944年12月17日
竣工日 昭和20年/1945年3月26日
退役日
(処分)
昭和22年/1947年8月20日以降
建 造 舞鶴海軍工廠
基準排水量 1,289t
垂線間長 92.15m
全 幅 9.35m
最大速度 27.3ノット
航続距離 18ノット:3,500海里
馬 力 19,000馬力
主 砲 40口径12.7cm連装高角砲 1基2門
40口径12.7cm単装高角砲 1基1門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 1基4門
機 銃 25mm三連装機銃 4基12挺
25mm単装機銃 12基12挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 2基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

【菫】は他の艦同様、竣工後に第十一水雷戦隊に所属するのですが、竣工時に二番高角砲に不具合が発生していたため、修理をした上で横須賀から瀬戸内海と向かい、訓練を積むことになります(この頃竣工前後で故障修理する船多い)。
しかし瀬戸内海は呉が存在していたため、空襲や爆雷投下の危険性が増してきていました。
実際に3月19日は呉軍港空襲、そしてその後「飢餓作戦」により機雷が空からどんどん落とされていました。
そこで第十一水雷戦隊の面々は5月15日、日本海側の舞鶴へと避難することにしました。

この行動は間違ってはいなかったのですが、一足遅く、航行中に【櫻】が磁気機雷の爆撃に巻き込まれてしまいます。
このまま舞鶴に迎えるわけもなく、護衛の【欅】とともに【櫻】は門司に避難した後呉に引き返していきました。

ところが17日、舞鶴に到着するもなんと舞鶴からは門前払いをされてしまいます。
舞鶴も海軍の要衝ですが、多くの艦がいると自分の家にも被害が出るから近寄らないでくれと、舞鶴への入港を拒否したのです。
仕方なく一行は福井の小浜湾へと移動し、そこで待機することになりました。

舞鶴の懸念は的中していて、日本海側でも港への攻撃が始まりました。
そして軍港でも何でもなかった小浜湾も、【菫】達がいることで攻撃対象になってしまい、6月26日と30日に空襲を受けてしまいます。
【菫】に被害はなかったようですが、この少し前に機雷も敷設されていて、【榎】が大破するなど穏やかな漁港は一日で生死を分ける海になってしまいました。

燃料も砂漠の水の如く貴重な存在となり、ほとんど訓練も行えなかった【菫】
7月15日、第十一水雷戦隊が解隊されたことで【菫】は舞鶴鎮守府の特殊警備艦となり、舞鶴へ戻りました。
舞鶴が所属艦を追い払うことはなかったのですが、29日と30日は舞鶴付近でも空襲があり、しかも【菫】達には戦うための燃料もありません。
被害はありませんでしたが、あとは浮き砲台として空襲を警戒するしかできなくなってしまいます。

そして終戦を迎えた【菫】は、復員船として活躍。
昭和22年/1947年8月20日に賠償艦としてイギリスに引き渡され、そして同年中にシンガポール沖で標的艦として海没処分されました。

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