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潮【綾波型駆逐艦 十番艦】その1

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起工日 昭和4年/1929年12月24日
進水日 昭和5年/1930年11月17日
竣工日 昭和6年/1931年11月14日
退役日
(解体)
昭和23年/1948年8月
建 造 浦賀船渠
基準排水量 1,680t
垂線間長 112.00m
全 幅 10.36m
最大速度 38.0ノット
馬 力 50,000馬力
主 砲 50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷 61cm三連装魚雷発射管 3基9門
機 銃 7.7mm単装機銃 2基2挺
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 4基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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ミッドウェーを脅かしてこい 駆逐艦2隻の開戦号砲

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

【潮】は竣工後に【朧】【曙】が所属している第七駆逐隊に編入されました。
出入りの激しい第七駆逐隊ですが、【潮】【曙】は解隊もしくは沈没まで第七駆逐隊に所属し続けています。

昭和16年/1941年7月18日、第七駆逐隊は第一航空戦隊所属となり、機動部隊の護衛任務に就くことになります。
9月1日に【朧】【漣】が第五航空戦隊に異動するものの、【漣】だけ25日にすぐに一航戦に戻ってきて、第七駆逐隊はこの3隻で太平洋戦争に挑みました。
しかし第七駆逐隊は一航戦ここにありと機動部隊の強さを知らしめた「真珠湾攻撃」に参加することができないという大きな壁に直面します。

かつては世界を驚かせた「特型駆逐艦」ではありますが、すでに【潮】も竣工から10年を迎えており、それより強力な「甲型駆逐艦」の誕生や、自身の改装などによる性能低下の影響で決して一級品の駆逐艦とは言えなくなっていました。
特に「真珠湾攻撃」に関しては航続距離が非常に重要で、第二航空戦隊ですら参加が危ぶまれるほどの長距離移動でした。
そのため一航戦の護衛には「甲型」が配置され、残念ながら第七駆逐隊は別任務を受けることになりました。
ところがその別任務もまた、なかなか驚きを隠せないものでした。

第一小隊である【潮】【漣】は、太平洋戦争開戦に合わせて、これまた遠いミッドウェー島に向かって艦砲射撃を行うという任務を受けます。
ハワイ同様アメリカの太平洋艦隊の拠点となっているミッドウェーは、「ワシントン海軍軍縮条約」失効後にアメリカは整備を進めていました。
「真珠湾攻撃」に成功したとしても、その帰り道にミッドウェーから反撃の機動部隊や艦載機が現れたら厄介だという考えと、叩けるのなら叩いておけという、ちょっと投げやりな考えもありました。
この考えが膨らんでいき、【潮、漣】の艦砲射撃だけでは収まらず、「真珠湾攻撃」後に五航戦や【霧島】も向かわせて攻撃しようというところまで膨らんでいきました。

ところが膨らむはいいものの具体的な作戦行動は立てられていません。
実際に草鹿龍之介第一航空艦隊参謀長(当時少将)は、この計画を大して綿密に練り上げるわけでもなく、帰りがけの駄賃だと言わんばかりに無暗に攻撃するのははなはだ不愉快だと残しており、作戦であるにもかかわらず非常に行き当たりばったりの目論見であったことがわかります。
結果的に悪天候や慎重派の南雲草鹿の判断により五航戦などの追加攻撃は実施されず、そしてその判断に対して命令を無視するのかと第二航空戦隊の山口多門少将がブチ切れるというお決まりのパターンが展開されました。
結果として艦砲射撃だけの戦果だけだったというだけで、最初から駆逐艦2隻による砲撃に全てを賭けていたわけではありません。

「真珠湾攻撃」に比べて軽く扱われたミッドウェー艦砲射撃ですが、しかしミッドウェーも補給なしで行ける距離ではありません(片道約4,200km)。
なので行き帰りともに【油槽船 尻矢】に補給を受けながら進むことになり、11月28日、こっそり2隻は館山を出港します。
【尻矢】は速度が遅いので、前日に先行して出撃しました。

しかし最初の補給を行う予定だった12月2日に、合流地点付近で【尻矢】を発見できないという問題が発生します。
補給がなければ、到着はできても帰ってくることができません。
みんな必死に何もない太平洋上に怪しい点がないかと探し回り、何とか合流を果たして事なきを得ました。

相手が油断していたのかどうかはわかりませんが、2隻は哨戒機、哨戒艦に見つかることなく無事にミッドウェー島まで3kmの地点に到着。
18時31分から【潮、漣】の砲撃が始まりました。
目につく航空施設やアンテナを攻撃し、ミッドウェー島は次々に火の手が上がり始めました。
消火活動をする傍ら反撃してくる者もありましたが、こちら側への被害はなく、1時間やりたい放題したところで引き上げます。

一方的に砲撃を行った【漣】【潮】は、約1時間後に攻撃を切り上げて反転、一路日本を目指しました。
実はこの砲撃の際に2隻は【米潜水艦 アルゴノート】に発見されているのですが、2隻は気づかずに素通りしています。
【アルゴノート】は機雷敷設潜水艦であったことから積極的な攻撃行動をとらなかったため、2隻は幸運にも被雷の危機を突破しました。

日本に戻ってきた後、【潮】は土佐湾沖で哨戒活動を行っていました。
30日、【潮】は豊後水道沖に米潜水艦発見との報告を受けて急遽出撃するのですが、その際に誤って機雷を1つ落としてしまいます。
その機雷は爆発することなく、回収もできなかったためやむなくそのまま放置されていました。
そして1年半後、ここである事件が発生します。
【陸奥】の謎の爆沈です。
後年、【潮】に乗船していた通信士はこの爆沈の原因を、誤って投下した機雷ではないのかと語っていましたが、現在では【陸奥】の爆発の原因は船体内にあることがわかっており、この説は否定されています。

その後輸送支援を行っていた第七駆逐隊ですが、昭和17年/1942年2月27日、ジャワ島攻略のための大規模な輸送船団を護衛しているところに現れたABDA連合軍との衝突により「スラバヤ沖海戦」が勃発します。
ジャワ島の防衛はすでに連合軍は諦観しており、司令部も続々と撤退していたのですが、海軍戦力はまだ数が多少そろっていました。
しかしシンガポールを失ったことで艦艇の安寧の地はなくなっており、しかもスラバヤに入港しようとしたときに日本船団の発見の報告を受けたことで、疲労が蓄積した中での出撃となりました。

一方日本側は【那智】の偵察機がABDA連合軍の動きをしっかり把握しており、こちらは万全の態勢で敵を迎え撃つことができました。
ただ、迎え撃つことはできても3日間に渡る(28日は海戦なし)この海戦は終始遠距離砲撃戦となり、接近戦となったのは突入した第9駆逐隊の攻撃のみ。
海戦では勝利を収めましたが、消費砲弾、魚雷と戦果のバランスが非常に悪く、随分課題が残った海戦でした。
【潮、漣】も海戦ではほとんど力を発揮することができず、燃料不足の影響で第二次昼戦を終えたところで離脱することになりました。

彼女らの活躍はむしろこの後で、海戦で撃沈した【英ヨーク級重巡洋艦 エクセター】の生存者と哨戒活動を行っていた2隻は、浮上している潜水艦を発見します。
【米ポーパス級潜水艦 パーチ】はジャワ島に上陸する日本船団を攻撃するために付近を行動していたのですが、そこを発見されたのです。

慌てて潜航する【パーチ】を逃すまいと【潮、漣】は爆雷を次々に投下。
この攻撃で大きく浸水した【パーチ】に対し、2隻はじっと我慢して浮上するのを待ち構えていました。
そして10時ぐらいに現れた【パーチ】を発見すると、再び砲撃を開始します。
この追撃によって【パーチ】は燃料が漏れ出した上、気泡も漏れ出したことで2隻は【パーチ】を撃沈したと判断しました。

一方【パーチ】はこの攻撃を受けてもギリギリ踏ん張っていました。
ですがいろいろ試してみてももうこれ以上潜航することはできず、エンジンも1基しか動かないので、次に見つかるともう沈むほかない状態でした。
そして3日、【潮】ら数隻の艦艇が浮上している【パーチ】を発見。
【潮】からの砲撃を受けた【パーチ】は自沈処分を決定し、【パーチ】乗員は捕虜として【潮】に救出されました。
この捕虜たちは、つい先日拿捕されたばかりの【蘭病院船 オプテンノール】に移されています。

5月7日にはポートモレスビー攻略の為に編制されたMO部隊が敵機動部隊と衝突。
初めての空母同士の海戦となった「珊瑚海海戦」が勃発します。
【漣】はこの時【祥鳳】の護衛に就いていましたが、【祥鳳】【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】【レキシントン】の2隻の大型空母の攻撃に晒され沈没してしまいました。

翌8日、五航戦の【翔鶴】【瑞鶴】【ヨークタウン、レキシントン】と真っ向から殴り合いを始めます。
この激しい空襲の中で、スコールに身を隠した【瑞鶴】は敵からの攻撃を回避することができましたが、日に照らされた【翔鶴】は一身に敵の攻撃を受けてしまいます。
【翔鶴】には次々と爆弾が襲い掛かり、甲板が穴だらけとなって戦力として計算できなくなります。
魚雷の命中がなかったのは幸いで、どす黒い煙を濛々とあげながら【翔鶴】は全速力で戦場から離脱しました。

この時の速度が【潮】を追い抜いて40ノットは出ていたという伝説があったりしますが、現実問題として34~35ノットがせいぜいだと思われます。
そもそも【潮】の当時の最高速度が設計時より遅いのは確実なので、【潮】を追い抜いたら40ノットというのは言いすぎです。
状況が状況だけに大げさに表現してしまったのでしょう。
【潮】【翔鶴】護衛の為に必死についていきますが、いかんせん対空兵装が乏しいため大した援護もできず、大炎上する【翔鶴】を見上げて追走するほかありませんでした。

「珊瑚海海戦」【レキシントン】の撃沈に成功し、ギリギリ勝利を得ることができました(アメリカも自国勝利という評価)。
しかし【翔鶴】の被害は凄まじく、しばらくドックにこもらざるを得ませんでした。
5月20日に第七駆逐隊は北方部隊に転属となり、今度は【龍驤】【隼鷹】らとともにアリューシャン方面での活動となりました。
この流れで「AL作戦」にも従事しましたが、「ミッドウェー海戦」の歴史的敗北によって途中で中止。
アッツ島とキスカ島の占領に留まりました。

この一大事を受けて、第七駆逐隊は今度は連合艦隊直属となります。
最初の任務は【春日丸】をウルシーに護送することで、その後8月17日にはあの【大和】を護衛して【春日丸】とともにトラック泊地へ向けて柱島を出撃しています。
27日にはラバウルへ急ぐことになった【春日丸】【曙】が離脱するのですが、その翌日にトラック島まであと少しというところで【大和】【米ガトー級潜水艦 フライングフィッシュ】の雷撃を受けます。
いずれも回避または命中する前に爆発するなどして【大和】に被害はなかったのですが、その後【零式艦上戦闘機】【潮、漣】の猛烈な攻撃を受けて【フライングフィッシュ】は一目散に潜航して逃げていきました。

その後第七駆逐隊はラバウルへ進出し、他の駆逐艦同様ひたすら鼠輸送を行うほか、時々ガダルカナル島への艦砲射撃も行うなど、敵の目を盗んで行動する日々が続きました。
9月28日には護衛していた【大鷹】【米タンバー級潜水艦 トラウト】の雷撃を艦尾に受けてしまい、支援しながらトラック島にまで逃げ延びています。
しかし戦況は着実にアメリカ有利に傾いており、輸送が成功したとしても小規模なものですから、せっせと輸送が進むアメリカ相手にはどうしても敵いません。
「第三次ソロモン海戦」により、これまで多少なりとも成果を上げ続けた戦艦による艦砲射撃が半減したことで日本の反撃の芽はついに全て摘まれてしまいました。

また一方では北方海域でキスカ島への輸送に向かっていた【朧】が10月17日に空襲を受けて沈没。
第七駆逐隊の中で唯一常に別行動をとっていた【朧】は、最後まで太平洋戦争で他3隻と行動を共にすることがありませんでした。

翌年から日本はガダルカナル島からの撤退を開始します。
しかしすでに第七駆逐隊はこの血みどろの鉄底海峡から離脱しており、ここから先【潮】はしばらく哨戒任務や輸送空母の護衛が続くことになり、表舞台からは姿を消します(【漣】だけ少し動きがあります)。
昭和18年/1943年9月からの修理では、同時に2番砲塔の撤去や機銃の増備があり、また小型の22号対水上電探と逆探も装備されています。

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