零式艦上戦闘機/三菱A6Mシリーズ 多数の派生型を一挙紹介 | 大日本帝国軍 主要兵器




零式艦上戦闘機/三菱 A6Mシリーズ制覇

広告
広告

広告



十二試艦上戦闘機

全 長8.79m
全 幅12.00m
全高(三点)3.49m
主翼面積22.438㎡
翼面荷重104.4kg/㎡
自 重1,652kg
正規全備重量2,343kg
航続距離
発動機/離昇馬力瑞星一三型/780馬力
上昇時間6分15秒/5,000m(推定)
最大速度約500km/h
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃一号二型 2挺/60発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M1
生産数(三菱のみ)試作1、2号機(以降実戦投入)
設 計三菱重工業
設計責任者堀越二郎

出典:
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

1.航続距離
2.速度
3.武装と戦闘能力
4.弱点
零式艦上戦闘機 一一型
零式艦上戦闘機 二一型
零式艦上戦闘機 三二型
零式艦上戦闘機 二二型
零式艦上戦闘機 四一型
零式艦上戦闘機 四二型
零式艦上戦闘機 五二型
零式艦上戦闘機 五二甲型
零式艦上戦闘機 五二乙型
零式艦上戦闘機 五三丙型
零式艦上戦闘機 五二丙型
零式艦上戦闘機 六二型・六三型
零式艦上戦闘機 五四型・六四型

多彩な零式艦上戦闘機の装備と性能

完成した「零戦」の評価は、本当に多種多様です。
手放しでほめさやすものもあれば、辛辣な意見も珍しくありません。

「零戦」は速度は確かに遅いほうでしたし、特に急降下性能は悲惨なものでしたが、この時代はまだドッグファイトが普通の戦い方とされていて、軽快で小回りをきかした格闘性能で相手を凌駕しようという考え方は別におかしくありません。
「零戦」「九七式戦闘機」「一式戦闘機『隼』」「二式戦闘機『鍾馗』」との陸海軍の性能コンテストでも、各スペックに劣る面があっても総合的には「零戦」に大きく分がある戦いができたと言われています。
またパイロットが操縦しやすいというのは重要な点で、これは数字ではなかなか表せません。
攻撃に全振りして防御意識の欠片もなかった「零戦」ですが、総合的な性能がよかったからこそ他国の戦闘機を翻弄し、そして「零戦」に勝つために一撃離脱戦法やサッチウィーブに発展したのです。

この時代はもう各分野の成長が著しく、万能機を造るというのは難しくなっていました。
速度を求めれば運動性能は落ちるし、頑丈性を求めればやはり運動性は落ちます。
運動性を求めればサイズの問題でエンジンにも支障が出るでしょうし、「零戦」のように極端な軽量化も止むを得ません。
陸軍では軽戦闘機と重戦闘機の区分け、また海軍でも新たに局地戦闘機という用途など、航空機の扱いや性能は万能から特化型に変わろうとしていました。
その最後の万能機「零戦」の特徴や派生型を紹介していきましょう。
ものすごい長いですので、一気見される場合はご注意ください。

航続距離

他国との比較が入る場合はできるだけ時代が合うようにしています。
また「零戦」において議論されがちな点については別ページにて公開予定です。

「零戦」はその戦闘力の高さも当然ですが、とにもかくにも単発戦闘機として破格の航続距離を持っている点が多分一番有名じゃないでしょうか。
ただ艦載機と言う性質上、実は長大な航続距離と言うより長滞空時間を誇る戦闘機と伝えるほうが本質的です。
「十二試艦上戦闘機計画要求書」では「高度3,000mで公称馬力で1.2乃至1.5時間」という「航続力」を要求されていて、決して最初から遥か彼方まで飛んでいける戦闘機を、と考えられていたわけではないのです。
ただ滞空時間が長いということはそれだけ遠くまで飛べるということで、結果的に遠距離遠征にバンバン使われることになります。

初めて制式採用された「零戦一一型(A6M2a)」は、燃料過積載(つまり最大搭載)時の航続距離が2,222km(燃料タンク525ℓ)、落下式増槽(330ℓ)の燃料を満タンにすれば3,502kmとなっています。
「二一型(A6M2b)」「一一型」のような明確な数値として記録されていませんが、燃料タンクも同じ、構造も空母運用の可否だけなので大差はないでしょう。
そう考えて他国の同時期の単発戦闘機(可能な範囲で初期型を選定)の航続距離と比較してみましょう。
ちなみに艦載機はアメリカのF型番だけです。

国/戦闘機航続距離
日本/零戦一一型、二一型2,222km・増槽込3,502km
アメリカ/P-401,529km
アメリカ他/F2A-31,553km
アメリカ/F4F-31,360km・増槽込2,285km
ドイツ/Fw190 A-3最大1,000km程度
(派生も多岐にわたるため正確なデータ不明)
イギリス/スピットファイア Mk.1A925km
イタリア/MC.200570km・増槽込870km
フランス/D.5201,240~1,540km

(ドイツのBf109は初期型が若干古いため除外。スピットファイアも古いがイギリスでスピットファイアを欠くわけにはいかない)

一目瞭然ですが、「零戦」独り勝ちです。
もちろんこの後各機種も派生により航続距離を伸ばしたり減ったりしていますが、増槽込み3,000km超えは圧倒的です。
ヨーロッパは地理的要因から3,000kmなんて無用の長物ですが、日本と同じく太平洋や島々での活動となるアメリカの戦闘機でもこの程度なので、「零戦」がどれだけ広範囲で活動できるかがわかりますが、いくらなんでも長すぎる。
アメリカの「F4F」も同じ艦載機ですが、これでも十分すぎるぐらいです。

艦上戦闘機として広い太平洋を拠点にする以上、やはり広範囲の制海権を取ることが非常に有利になるため、航続距離は長いに越したことがありません。
レーダーがない当時としては遠距離で敵を見つけるには行動範囲を広くするしかありませんでした。
同時に滞空時間が長ければしょっちゅう離発着する必要がなく防衛の空白時間を減らすことができます。

攻めだけでなく守りの面では、航続距離が短いと燃料切れで陸地や母艦にたどり着く前に墜落してしまう危険があります。
航続距離を伸ばすというのはパイロットの命を守るためでもありました。

増槽に関しては<機体の設計>でも述べていますが、機体の下部に落下式増槽を装着。
巡航時はここの燃料を使って飛行し、戦闘などの有事に入ると邪魔になるためにこいつを落下させて俊敏な動きを取れるようにするという方式でした。

ですが「零戦」の巡航速度(260~333kmとバラバラでわからん)から逆算すると、「零戦」はスペック上、連続10時間以上の飛行が「できてしまう」飛行機とも言えます。
つまり機体のスタミナが凄すぎて、パイロットが先にへばってしまうのです。

特にラバウルからガダルカナル島への遠距離爆撃を行う「一式陸上攻撃機」の護衛として出撃が目立った昭和17年/1942年後半は、なまじっか「零戦」が3,000km以上飛べてしまうために片道1,000km以上の戦場に無理矢理駆り出されました。
しかも帰りの燃料を考えると戦地で15分ぐらいしか戦えず、行きで消耗する体力、戦闘で消耗する体力、そして帰りで消耗する体力、加えて行き帰りの誘導機はないため、分隊以下の単位で自力で戻る航法の実施、これらを全て計算に入れた上での出撃をしなければならないという地獄を味わっています。

行きは進路を見失うと引き返すことができますが、最も体力や集中力が切れている帰りに風力なり風向きなり太陽の位置なりを全部確認しながら正確な方角を維持しなければならないので、その苦労ははかり知ることができません。
なので洋上航法の習得は自らの命を救うために必修の技術となりました。
このように強すぎる武器というのは分不相応な役割も与えてしまうというデメリットもありました。
そして「ガダルカナル島の戦い」はこの分不相応な手段でしか戦えないという最悪のケースに持ち込まれた上に、時期的に航続距離が足りない「三二型」の移行期とも重なってかなり苦難の時代でした。

速度

日本が世界の航空機に対して圧倒的に後れを取っていたのが、エンジン開発、すなわち高速化でした。
他に上昇力や燃費などにも影響してくるエンジンですが、「零戦」は高度4,000mで500km/h以上を超えることが求められ、当初は「瑞星一三型」、のち「栄一二型」に換装することでこの条件をクリア。
「一一型」では517.6km(高度4,300m)を記録しており、下記の通り当時の戦闘機の速度帯にはなんとか滑り込んでいます。

しかしエンジン性能が他国に比べて劣っているし、他の要求も窮屈だったため、エンジン以外の力でも速度アップを助けなければなりませんでした。
そのためにg単位の減量を徹底し、ひたすらに軽くすることで速度アップにつなげたのです。
場所によっては押し込むだけでベコベコいう機体で、逆にこんなにペラペラでも空気力学などに沿って設計されればアクロバット飛行もできるし敵にも撃ち勝てるんだというのが実感できる存在でもあります。

「零戦」の噛ませ犬になるのもかわいそうなので、先ほど航続距離で比較した各機体の最大速度も紹介しましょう。
計測高度や重量が各機体によって違いますのでそこはご理解ください。

国/戦闘機最大速度
日本/零戦一一型517.6km/h
アメリカ/P-40575km/h
アメリカ他/F2A-3516.6km/h
アメリカ/F4F-3531km/h
ドイツ/Fw190 A-3610~660km/h
イギリス/スピットファイア Mk.1A582km/h
イタリア/MC.200512km/h
フランス/D.520529km/h

こう見るとやはり決して優速ではありませんが、このタイミングで500km/h以上を記録していたのはギリギリセーフだと思います。
とりあえずこれだけあれば本来の獲物である爆撃機に振り切られることはありません。

また速度とは少し違いますが、「零戦」は速度は並以下の代わりに加速力が非常に高い利点がありました。
これがどう役立つかというと、まず戦闘中に背後を取られると旋回したり上昇急降下などで逃げようとしますが、この時に当然速度が落ちます。
速度が落ちれば「零戦」としてはこっちのものなのですが、その後もし敵が一直線に速度を上げて逃げ出そうとしても、加速力があれば「零戦」にとってはしばらくついていける上に、敵の激しい動きが減るので逆にチャンスになります。
「零戦」は格闘性能が高いため基本的には相手のフェイントなどにはちゃんと食らいつくことができる上、この加速力もあることでさらに格闘性能を高めているのです。
上昇力の高さと加速力の高さ、そして他国を圧倒する身軽な動きで、一度くらいつくと徹底的に執着することができます。

武装と戦闘能力

「零戦」はアメリカの機体が7.7mm機銃12.7mm機銃を武器にしている中、機首に7.7mm機銃、両翼には20mm機銃とかなり大きな機銃を搭載していました。
イギリスのヴィッカース社製のライセンス生産毘式七粍七固定機銃を国産化させた九九式七粍七固定機銃は1挺700発と十分な数弾数がありましたが、「零戦」開発が始まる1年前に実験の中で入射角が10度以下になると全金属の機体になるとほとんど貫通しないという問題に悩まされていて、別の口径の機銃搭載が必要とされていました。
そこで新たに採用された九九式二〇粍機銃は、スイスのエリコン社製の20mm機関砲のライセンス生産品で、海軍戦闘機の最もメジャーな武器になりました。
大口径というのはそれだけでも魅力の1つですが、こいつの魅力はそれ以外にも「軽い」ということがありました。
「F4F」などアメリカ戦闘機の主力機銃となったブローニングM2 12.7mm機関銃はまだ改良を加えられて現役という超優秀機銃ですが、この時の12.7mm機銃はベルト式給弾ということもあって約28kgもあります。
対して20mm機関砲は23kgと、大口径なのに12.7mm機銃より軽いというのは、後述の問題点を含めても当時の要求を満たす機銃としては申し分ありませんでした。
こればっかりは独断専行で導入をした海軍に先見の明があったと褒めざるを得ません。

しかし軽いには軽い理由があります。
この九九式二〇粍機銃ですが、初期の20mm機銃二型はドラム式の弾倉に60発しか入らず、両翼合わせて120発しか発射できませんでした。
こんな弾数だと迂闊にダーって撃ち続けるとすぐ撃ち止めになりますので、まさに下手な鉄砲では困ります。

他に初速の遅さ、すなわち精度の悪さも問題となったため改良が進み、やがてベルト式、初速が600m/sから750m/s、弾数も最大125発にまで増強されています。
このベルト式に改造できたのは九九式二〇粍機銃だけで、エリコン製の本家本元は結局ベルト式まで改良を進めていません。
他には超軽量の機体にさらにGがかかりながらの射撃になることから、予測弾道よりも機銃が下を向いているのではということから、あらかじめそれを補正するために銃身の角度を調整するなどの工夫で問題を解決しています(解決は昭和17年/1942年秋ごろに前線で行われたのでなかなか時間がかかっています)。

なぜ12.7mm機銃ではなく20mm機銃を採用したかですが、敵戦闘機はともかく大型の爆撃機などは7.7mm機銃ではなかなか落とすのが難しいし、相手も双発なり4発機だと速度も速いため、中途半端になりかねない中口径の機銃よりも高威力の機銃で一発で致命傷を与えることが求められたためです。
エースパイロットであった坂井三郎氏をはじめ、設計時や実戦投入後も20mm機銃採用に対する不満の声はありましたが、機銃の改良と、「グラマン鉄工所」とまで言われた「F4F」「F6F ヘルキャット」、大型の双発機などにも確実な致命傷を与えることができるため、20mm機銃によって「零戦」はずっと戦い続けることができたと言っていいでしょう。
「B-17」に対しても効果はありましたが、なにしろ「空の要塞」相手ですからこいつには20mm機銃であっても撃墜を狙うには接近戦を仕掛けるしかなく、かなり危険な任務でした。

この20mm機銃を巡っては、初速不足による制度の悪さや、「小便弾」と言われた銃弾の減衰が目立つことが悪評として今も言われています。
7.7mm機銃で穴だらけにして撃墜するか、20mm機銃で強烈なストレートを叩き込んでKOするか、これはパイロットによりけりでしょう。
機銃の射程は200mほどが一般的で、装備された「九八式射撃照準器」も200mが収束点とされています。
もちろんそれ以上飛びますが、照準器を使って射撃をする以上200m以上先は狙って命中させることが極端に難しくなります。
この照準器を使って射撃をする際、銃弾の大きさ、照準器の使い方と2つの機銃の配置を考えると、20mm機銃のほうが弾道が下がって見えやすい、ということがわかります。

これを書き出すとまた長いので簡単にしますが、まず20mm機銃の銃口は7.7mm機銃よりも低い位置にあるので銃弾は若干上方に飛びます。
加えて命中しなかった弾(特に曳光弾)は上から下にヒューっと落ちていくように見えます。
200m先に到達する前に重力などで急激に減衰することはありませんが、500mとかそれ以上先になると7.7mm機銃よりも明らかに落下していくのがわかりますから、外れた銃弾が全部狙いより下に飛んでいっている、つまり銃弾が全部垂れていると錯覚してしまうのです。
7.7mm機銃は弾数が多いし曳光弾が遠くまで見えにくいので、どっちも外れていても20mm機銃のほうが命中率が悪いように見えるんですね。

他にもいろいろ説明や考えられることがありますが、目の錯覚である程度説明できるのは事実です。
こうなると二号以降も命中率はイマイチのままだった、ということになるのですが、どうなんでしょうね。

この機銃を用いた格闘性能が、「零戦」もう1つの持ち味です。
「ゼロとドッグファイトを行うな」「味方戦闘機3機の場合は戦ってよし」「積乱雲とゼロに遭遇した場合は退避せよ」
「零戦」の弱点を見つけるまで徹底されたアメリカの標語と言ってもいいでしょう。
格闘性能とは簡単に言えばどれだけ身のこなしが軽いか、どれだけ操縦桿がパイロットの要求に応えてくれるかです。
この点において、「零戦」はある条件を除けば天下無敵と言ってもいい働きを見せてくれました。

徹底した軽量化と「剛性低下方式」による安定した操作感により、少なくとも乗る側の評価は上々でした。
操縦桿の「剛性低下方式」のおかげでどのような動きでもしっかり要求に応えてくれますし、機体の安定性も抜群でした。
低速の操縦性と安定感においては右に出るものはおらず、まさにドックファイト向けの機体でした。

「零戦」は小型ですが爆弾も搭載可能です。
搭載時は両翼に特設爆弾架を取り付け、1基あたり30kgもしくは60kg爆弾を搭載可能でした。
爆弾の威力は大したことありませんが戦闘機に搭載する爆弾なんてこんなもんです、250kg爆弾とか搭載するのは戦闘機の役割が変わってからです。
またこれは武装というより装備品ですが、「零戦」には九六式空一号無線電話機が備わっていました。
無線機については門外漢もいい所ですし、証言とか評価もホントにバラバラなので腫れ物に触れる気分ですがちょっとだけ。
評価は使用環境も含めてばらっばらで、坂井三郎氏がまともに使えねぇから重いだけだし外した的なことを言っている一方で、特に空母運用の「零戦」などでは無線やクルシー、モールスなどメインの通信はちゃんと使えているようです。

製品の精度が悪いのもあるようですが、高温多湿に弱いというのは戦地を見てもわかるようにかなり大きかったようです。
他にも障害物が多いとダメなのか、いろいろ考えられますが、ちゃんといい環境だと役には立っていたようです。
まぁこういう類のマシンが戦地で使えるかどうかわからないのって致命的なんですけど。
九六式空一号無線電話機の受信方式はスーパーヘテロダイン式と再生検波式を両方取り入れているのですが、旧式になりつつあったこの再生検波式は単純構造で軽く作れる一方で、調整が難しいことや不安定などデメリットが多く、この点も環境の影響を大きく受けたと思われます。

弱点

「零戦」の弱点といえば、急降下速度が遅いとか、高速になるにつれて操縦桿がめっちゃ重くなってロールが悪くなり動きが緩慢になるとかが一般的に言われるものだと思います。
防御力は弱点ですらないです、あれは「無」です。

ただ、個別の弱点として語られがちなこの要素ですが、実は全部一連の動作に関連しています。

「零戦」を振り払う手っ取り早い方法が、最大速度で急降下することでした。
一撃離脱戦法というやつです。
これほんと「零戦」の弱点に刺さりまくってる攻撃方法です。
連合軍は「零戦」との戦いや鹵獲機のテストを経て、急降下に対して「零戦」が脆弱なこと、速度が上がれば上がるほどロール(横回転)が悪くなっていくことを知ります。
そしてこれを踏まえ、「零戦」とは1対1の戦いをせず、上空から槍のように高速で突っ込んで攻撃をし、背後が取れない場合はとにかく速度をあげることが徹底されました。

まず急降下についてですが、「零戦」は二度の飛行事故により当時の研究以上に急降下に対して脆弱であることが発覚し、また補助翼の動作を助けるバランスタブが廃止になったことで急降下制限速度が630km/hと決められていました(型式によって都度改善)。
急降下速度はあくまで指標の1つですが、当時の戦闘機の中ではかなり遅いほうであることに違いありません。
630km/hというのは「F4F」の772km/hと雲泥の差ですから(ただし総合的な性能においてアメリカは「F4F」「零戦」の急降下性能に大きな差はないと結論を出しているようです、ちょっと甘め?)、余計なことはせずに一目散に下に向かって突っ込めば「F4F」「零戦」に捕まることはありません。
また一撃離脱の場合、敵機は基本的にトップスピードで突っ込んできますが、「零戦」はもちろんそんなに高速で飛行していません。
攻撃をかわして追撃しようとしても、700km/hの速度を出している相手に300km/h前後(色んな意味で「零戦」はこの速度帯までが基本速度)から急降下して630km/hの限度速度で追いかけるわけです。
単純な速度差以外に加速も必要な「零戦」に追いつけるわけがありません。

続いてロールの悪さです。
主翼についている補助翼というのは、主翼を上下させるためのもので、フラップ、昇降舵、方向舵とともに機体を立体的に動かすために欠かせないものです。
しかし「零戦」は格闘性能や離着陸の距離の短さをかなり重視したことで、揚力を稼ぐ設計、つまり翼面荷重を小さくせざるを得ず、速度が上がれば上がるほどどうしても翼が抵抗を大きく受けてロール性能が悪くなってしまうのです。
これを改善するためにバランスタブが追加されたのですが、事故により取り外されたのは前述の通りです。
このため低速帯の軽快さは高速帯になると途端に消え失せ、強烈な抵抗を受けるため補助翼を動かす操縦桿が劇的に重くなるため、全く性質の異なる機体に様変わりしてしまいます。

そしてこのロールの悪さは急降下性能の悪化を併発します。
急降下という言葉だけだと、水平飛行から操縦桿を倒してそのまま真下にグーっと落ちていくと思われる方もいるかもしれません。
しかし実際の急降下はそんな単純な動きではなく、プラスG(上がるG)とマイナスG(下がるG)の機体強度とか、そのまま落下すると揚力が邪魔するけど背面飛行すれば逆に失速するのでそれを降下に利用するとか、いろんな合理的理由により横に1回転しながら落下していきます。
ですが「零戦」の場合は急降下制限速度の問題に加えて、この急降下に入るための初動であるロールの悪さがダブルでマイナス要素となっているため、単純な速度制限だけでなくまず急降下に入るまでに「どっこいしょ」が入ってしまうのです。

そしてようやく急降下に入ったとしても高速時の操縦桿の重さがまた影響してきます。
急降下というのはもちろん超高速で落下しますから、操縦桿は激重なわけで、つまり急降下中の方向転換がほとんどできません、イノシシ状態です。
だから例え敵をそこそこの距離で追いかけていたとしても、敵はスッと方向転換できますが、「零戦」の場合はまず機首を上げて機体を水平にして、そこから方向転換をする必要があるのです。
単車の二段階右折のような形ですかね。
もちろんそんなことをしている間に敵はまた上昇して次の一撃の準備に入っているでしょう。

つまり、
1.敵の上空からの攻撃をかわして追撃をしようにも、ロールが悪いため急降下の態勢に入るのに他国の機体よりもタイムラグがある。
2.急降下制限速度が敵機に劣るためまず絶対追いつけない。
3.高速急降下で舵がめちゃくちゃ重いため、方向転換のために「零戦」はまず水平飛行に移行する必要がある。
ということです。

よっわ!!

こう見ると「零戦」で一撃離脱戦法相手に追いかけまわしてもまーったく意味がないことがわかります。
主翼が11mに短くなりロールの改善が評価され、急降下制限速度も速くなった「三二型」「五二型」ではまだチャンスはあったでしょうが、「二一型」「二二型」はやるだけ無駄です。
「三二型」「五二型」含めて、カリカリせずにまた頭を狙うために上昇していく敵機に優れた上昇力で嚙みつきに行くのが恐らく有効な手段だったでしょう。
トータルでは「零戦」は中低速、中低空で強烈な強さを発揮し、高速すべてに弱い戦闘機だと言えます。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機一一型

全 長9.050m
全 幅12.000m
全高(三点)3.525m
主翼面積22.438㎡
翼面荷重104.2kg/㎡
自 重1,695.0kg
正規全備重量2,339.2kg
航続距離2,222km(正規)
3,502km(増槽)
発動機/離昇馬力栄一二型/940馬力
上昇時間7分27秒/6,000m
最大速度509km/h
急降下制限速度518km/h
燃 料胴体:62ℓ(正規)+83ℓ(過荷重)
翼内:190ℓ×2
増槽:330ℓ
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃一号二型 2挺/60発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M2a
連 コードネームZeke(ジーク)
生産数(三菱のみ)試作3号機から数えて計64機

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年


大前提として、型式の付番パターンを説明しておきます。
型式は2桁の数字で構成されますが、10の桁の数字が機体形状、1の桁の数字がエンジン型式を表します。
「三二型」の次が「二二型」になるのは、生産された順番ではなく、「二一型」の機体形状に「三二型」のエンジンが搭載されたためです。

ここからは「零戦」初実戦となる「一一型」は活躍を一部紹介しますが、その他は各タイプの性能をメインに紹介します。

「十二試艦戦」ですが、実験の結果次第では昭和15年/1940年3月末までには本格的な生産に入って、その間に試作機も使えそうなら戦地に送ってしまおうという考えが書面に残っています。
その中には「瑞星」搭載の試作1号、2号機も含まれていて、「栄」より性能が落ちようが使えるんなら何でも使うという、いかに新戦闘機が求められていたかが伺えます。
しかし奥山益美工手の事故死の影響で、当初目標としていた4月中の戦線投入はできておらず、中国に送られるのは7月中旬の予定に延びていました。
3号機から8号機の試作機による試験やそれによる問題点とその解消が急ピッチで行われ、並行して実戦投入用の機体の生産も始まっていました。
解消改良が頻繁に行われていたせいか各機体で細かな違いが結構あります。

そんなもんだから現地についても機銃が発射されなくなったり、高速時に増槽が落下しないとか、急旋回中に脚が勝手に飛び出るとか、激しい運動が長引くとエンジンのシリンダーの温度が高温になってエンジンが焼き切れてしまうとか、この時期になっても諸問題が残されていました。
また納入と前後して燃料気化現象(ベーパーロック)対策が急務となっていました。
燃料は高温になるとそれぞれの液体の沸点において気化しますが、特に夏場で常に燃料温度が高い中で一気に上昇すると、燃料が冷え切る前に気圧が低くなり、気化しやすい状態の上に燃料供給も難しくなってしまうという問題が発生。
最初は燃料の成分や配合を調整する案がとられましたが、毎回その燃料が供給できるかが問題視されたため、最終的には加圧をする電熱ポンプを追加することで対策としています。

制式採用がされる少し前の7月21日、「零戦」はまだ「十二試艦戦」のまま数回に分けて計40機が漢口基地の第十二航空隊に到着。
投入理由は昭和14年/1939年10月11日の「新型機多量生産ニ関スル本部長決済覚」「最近の敵機漢口(原文は「W」)基地空襲に基く支那方面艦隊の要望に応ずる為、局地戦闘機として三〇乃至四〇機を速やかに多量生産に着手す」とあります。
つまり投入目的は基地防空のためであり、決して遠距離爆撃の護衛ではありませんでした。
ともあれ7月24日、いよいよ「零戦」が公にデビューします。

皇紀2600年に採用されたことで本機は「零式一号艦上戦闘機一型」と名づけられ、ここから「零戦」の海千山千の戦いが始まりました。
「零式艦上戦闘機一一型」と呼び名が改められるのは昭和17年/1942年からで、なので「二一型」も当初は「二号一型」というのが正しい名前でした。

「一一型」ですが、実は艦上戦闘機と言いながら全く艦載機運用ができない設計でした。
そもそも「一一型」は、飛躍しすぎかもしれませんが誕生する予定もなかったと言ってもいいかもしれません。
試作機がちょこちょこと生産される中で、6号機は「二一型」の主翼折り畳みの起工が組み込まれていて、6号機が「二一型」のたまごと言えます。
ところが試作機が飛んでみるとえげつない性能を見せてしまうので、何でもいいからすぐ送れと漢口に即時投入されました。
だから試作機を飛ばしながら生産速度が徐々に上がっていて、9号機(量産1号機)以降が艦載機として使えないのに量産扱いになっているのだと思います。
このような理由から、艦載機運用ができないのが「一一型」というよりも、試作機を実用機にしたのが「一一型」と捉えたほうが真実に近い気がします。
前述の航空本部長の決済覚でも「局地戦闘機」の表記があり、実際に生産予定を組む中でも「局戦」と「艦戦」の2つの表記があることから、「二一型」ができる前に「一一型」として生産をして運用させるということがわかります。

フライングで漢口に送られた「零戦」ですが、この時点で到着した「零戦」は先述の問題含めてオールクリアな状態で納入されていないので、飛行訓練を行いながら現場でもあれこれ修理をしながら実用に足る状態まで引き上げられました。
ただ問題解決と訓練に全力を注ぎ、全然実戦に使わない第十二航空隊に対して司令部から臆病だの卑怯だの罵詈雑言を浴びる屈辱を負っています。

そして8月19日、ついに「零戦」が初めての作戦に参加しました。
ですが8月20日に着陸に失敗した1機が壊れてしまい、敵と戦う前に1機を失ってしまいました。
この作戦は「九六式陸上攻撃機」54機を護衛して重慶を爆撃するというものだったのですが、敵機は現れず、約1ヶ月「零戦」は敵を討つという最大の任務をこなすことはできませんでした。
ただ、この漢口→重慶は約800kmというとんでもない距離で、この時点で「九六式艦上戦闘機」にはできなかったことを「零戦」はこなすことができたのです。
重慶爆撃はいろんな意味で「支那事変(日中戦争)」でも有名な攻撃ですが、この爆撃で酷い被害を受けていた陸攻の護衛をこなすことができる戦闘機がついに現れたわけです。

そして9月13日、いよいよ「零戦」の武勇伝が始まります。
前日の偵察により、爆撃後陸攻が引き上げてからどこからともなく敵戦闘機が集まって、周辺をうろうろしていたことがわかりました。
敵は陸攻に護衛が就いていることに気付き、敢えて遭遇しないようにしていたのではないか。
そして我々が去った後に現れて、「敵を追い払ったぞ」と見せつけているのではないか。
しかし敵の魂胆が見えた以上、こちらがやることはただ一つ、帰ったと見せかけて引き返し、敵を打ちのめすのみ。

13日、思惑通り爆撃後に敵機が戻ってきました。
偵察機より報告を受けた「零戦」13機はすぐさま反転、すると案の定ソ連製の「I-15」「I-16」が合わせて33機、重慶上空を飛行していました。
いずれも古いタイプの戦闘機で、特に「I-15」は複葉機です。
それでも「九六式陸攻」はどんどん撃墜撃破されていたわけですから、「零戦」を1日でも早く投入したいという思いが強くなるのも無理はありません。

「零戦」が奇襲を仕掛けるや否や、次から次へと敵機が火を噴いて落下していきました。
これまでの戦闘機より速度が格段に速くなっているうえに、軽々ついてくるその身のこなし、戦おうにも常に「零戦」が優位な位置で追ってくるためチャンスが全く見出せません。
速すぎると感じたのは「零戦」パイロットも同じで、思いっきり加速するとあっという間に追いついてしまうので、逆に調整に戸惑ったようです。

加えて大火砲20mm機銃「I-15」「I-16」をひとたび貫けば致命傷です。
「I-16」「ノモンハン事件」で防弾板を備えて「九七式戦闘機」と交戦した張本人だったわけですが、7.7mm機銃は防げても(角度によっては13mmでも不貫通)20mm機銃を受ければパイロットも機体も無事ではすみません。
「零戦」は燃料不足に怯える心配もないため、逃げの一途に望みをかけた敵の希望も打ち砕き、本来なら何分も続かない空戦を30分もやってのけ、日本は27機を撃墜(中国側の記録は11撃墜、13撃破 こういうことがあるので日米双方のキルレシオはあてにしないほうがいいです)。
対して日本側は被弾4、喪失ゼロ(1機が帰還時引込脚の故障により大破)と圧倒的な勝利を見せつけました。
過去に20mm機銃不要を訴えた第十二航空隊ですが、この戦いで20mm機銃に一定の評価を持ったことでしょう。
ただ弾数の少なさと貫通力不足が解決されたわけではないのでこの後各バージョンによって随時改良されていきます。

当時の中国空軍は軍事顧問としてアメリカ人のクレア・リー・シェンノートの支援を受けていて、機体は古くともパイロットの腕までブリキというわけではありませんでした。
そして「支那事変」の戦況報告も相まって、アメリカは日本の航空戦力なんて赤子同然だと考えていました。
それがあにはからんや、27機が戦闘不能に陥って、さらには敵の損害ごく僅かというとんでもない事態になったわけです。
ジャップが怪物を繰り出してきた、そう感じたシェンノートは、その後の「零戦」の活躍も調査して連合国に報告をしました。
当然この時期は「零戦」のあれが弱点だこれが対策だというのはわかっていないので、シェンノートからしたらまさに極東の怪物が中国に乗り込んできたと焦りを感じたことでしょう。

が、これは「中国からへそでコーヒーが沸くジョークが聞こえてきたぜhahaha」と全く相手にされなかったようです。
それぐらい日本の航空機技術や環境はチープなものでした。
彼らからしてみれば、日本は草野球チームがメジャーリーガーのピッチングフォームやバッティングフォームを真似してるだけでメジャーを打倒するとか言ってる身の程知らずという評価だったわけです。
駐在イギリス武官も同様に本国に「零戦」の活躍を報告していますが、こちらの報告書もすぐにゴミ箱行きでした。
彼らが「零戦」の恐ろしさを身をもって体験するのはまだ1年以上先のことです。

この時の欧米人なんて黄色人種を猿並みにしか扱っておらず、「支那事変」ですら「イエローモンキーがイエローモンキーを殺している」と雑誌に掲載される時代です。
もちろんこれにはアメリカに対して反抗的な態度を見せている日本に対する卑下も含まれているでしょうが、あんなアホの人種に飛行機みたいな高等技術扱えるわけないって普通に思われていました。
ただ逆も然りで、日本だって腰抜け米英に大和魂が負けるわけがない(これは緒戦でボロ勝ちしてから顕著になった気がします)とか、鬼畜米英、生きて虜囚の辱めを受けずの類も人種的偏見の塊です。

「零戦」と戦っても馬鹿みたいに味方だけが墜落して、灰色の悪魔は嘲笑うようにバンクしながら帰っていく。
やがて中国軍は「零戦」が現れても迎撃の為に出撃することなく沈黙を貫き、「零戦」は徐々に用心棒から超強力なお守りみたいな役割になってしまい、戦果は減っていきました。
それでも被害も減るし戦わずして勝てるんですから、つまらないっちゃつまらないですけど一番楽で安全な任務です。
「支那事変」で空戦で撃墜された「零戦」はなんとゼロ、2機が地上からの対空砲火でやられただけです。
対して撃墜記録は117機前後と圧倒的で、そりゃ敵側も戦いを避けるわけです。
撃墜された「零戦」が数機でも存在していたことから、もしこのシェンノートらの報告を受けてしっかり「零戦」の調査を行っていたら、「零戦」はもっと早く陳腐化していたことも考えられます。
やがて鬼だの悪魔だの地獄のへ使者だの言われ続ける「零戦」が中国上空を我が物顔で飛び続け、制空権は完全に日本が手中に収めました。

かわって日本では、13日の大戦果を受けていきなり15日に機体設計を手掛けた三菱、エンジン開発の中島、そして20mm機銃を製造した大日本兵器が海軍から表彰までされています。
それほど「零戦」は当時の日本にとって救世主であったわけです。
しかしその影でパイロットからの防弾性の強化という要求は、性能低下を盾にされて却下されてしまいます。
こんだけ攻撃特化してるんだから防御力無くても戦えるでしょと言うことです。

海軍の星となった「零戦」を1機でも多く前線に投入するべく、「零戦」は三菱だけでなくライバルであった中島でも製造されることになります。
三菱はもちろん自社の設計図通りに「零戦」を製造しますが、中島では多少手を加えて作りやすいように勝手に変更しています。
そのおかげで量産が捗った面もありますが、幾分雑、幾分不良率が高いのも中島製だったようです。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機二一型

全 長9.050m
全 幅12.000m
全高(三点)3.525m
主翼面積22.438㎡
翼面荷重107.9kg/㎡
自 重1,754.0kg
正規全備重量2,422.2kg
航続距離全速30分+1,482km(正規)
全速30分+2,530km(増槽)
発動機/離昇馬力栄一二型/940馬力
上昇時間7分27秒/6,000m
最大速度533km/h(改修後)
急降下制限速度629km/h(改修後)
燃 料胴体:62ℓ(正規)+83ℓ(過荷重)
翼内:190ℓ×2
増槽:330ℓ
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃一号二型 2挺/60発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M2b
生産数三菱:740機
中島:2,821機

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年


思わぬ強さから急いで製造が始まった「一一型」は、陸上戦闘機としてしか使えませんでした。
空母に乗せようとしたところ先述の通り問題が多数あったため、あちこち手直しが始まります。

まずギリギリ乗るとはいえ斜めにしないとエレベーターに入りきらないのは問題でした。
なので両翼端をそれぞれ50cm上側に折れ曲がるように細工をしました。
ただ翼の先っぽだけちょっと折り曲げるというのは強度の問題があるので、このおかげで「二一型」の急降下制限速度は機体強度以上にかけられました。

続いてもちろん着艦フックです。
他にクルシー式を国産化した一式空三号無線帰投測定器が新たに搭載されました。
この測定器はアメリカのフェアチャイルド社のものを国産化した機械で、実はできたてほやほやの装置でした。

「二一型」の設計を固めている最中に下川大尉が亡くなった事故が発生しており、この影響でバランスタブやマスバランスの有無などの違いが発生しています。
そして彼が残したもう一つの遺産が、まさかの速度アップでした。
「一一型」の最大速度が510km/hほどなのですが、これが同じエンジンで大幅な改修もしていないのに533km/hにまでなっています。
この謎を解くカギが、二階堂中尉が目撃したという主翼で発生した大きなシワでした。

あのシワは設計時の想定を上回る風力を受けて発生したもので、あのシワのおかげでもちろん抵抗は増えるし気流も乱れます。
しかし主翼の強度を高めてシワが寄らないようになると、風の抵抗がなくなって速度が上がったのです。
強度と言うとどれぐらい厚くしたのかが気になりますが、僅か0.1mmです。
0.1mmというのは切手の厚みと同じです、これで効果あんのかよと思いますが飛んでビックリ25km/h増です。
重量はもちろん増えていますが、速度が落ちないための軽量化なので、速度が上がるんなら少々増えたところで何の問題もありません。

ちなみに最高速度がこんなに速くなったことが正式に記録として残されたのは昭和17年/1942年6月の「三二型」との競争の時ですから、改修するや否や海軍が「速度も上がった!」とは認識していなかったと思われます。
「二一型」と言えばもちろん昭和16年/1941年12月8日の「真珠湾攻撃」で艦載機として出撃。
同時に台湾からフィリピンへの長距離爆撃の護衛として連日登場します。
他国で知る者はほんとに一握りだった「零戦」の凄まじい強さが、この日を境に連合軍を震え上がらせることになります。
「一一型」「二一型」の違いは艦載機運用の改良と副次的な速度アップぐらいですので、暴れっぷりも「一一型」と同様。
スペック表の全速30分というのは空戦時間を想定されています。

開戦当時の生産速度はかなり遅く、月20機程度しか生産できない状態でした。
最終的に三菱の生産数は740機、対して中島では開戦直前の昭和16年/1941年11月から昭和19年/1944年5月までの間に計2,821機(差異あり)が製造され、「五二型」が現れるまで「零戦」の顔として戦い続けました。
中島製は生産ラインの関係から三菱の設計に若干の手が加えられていて、また塗装も使用塗料の違いなどから差がありました。
暗緑色に代わってからはかなり明確な違いがあり、胴体後部の灰色の面積が水平尾翼に向けて斜めに広くなっているのが中島、まっすぐのままなのが三菱です。
塗装の違い、その他にも各デザインはこちらのサイトで非常にわかりやすく説明がされております。
空のカケラ ライブラリ
※画像使用については規定を必ずご確認ください。

「二一型」は現地改造により複座・偵察機化した機体が存在します。
ラバウルの第二五三海軍航空隊が複数の破損した機体の部品を集めて複座化改造し、昭和20年/1945年1月までラバウルで活動していましたが撃墜され、その機体が昭和47年/1972年に引き上げられました。
その他「二一型」をベースとして「二式水上戦闘機」が登場しているのはご承知の通りです。
他にも「二一型」を教練用に複座化改修した「零式練習用戦闘機(A6M2-K)」も存在しています。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機三二型

「三二型」「二二型」も「A6M3」のため、性能がどちらのものか確実なことは言えません。

全 長9.060m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積21.538㎡
翼面荷重117.7kg/㎡
自 重1,807.1kg
正規全備重量2,536.0kg
航続距離全速30分+1,070km(正規)
全速30分+2,134km(増槽)
発動機/離昇馬力栄二一型/1,130馬力
上昇時間7分5秒/6,000m
最大速度544km/h
急降下制限速度667km/h
燃 料胴体:60ℓ
翼内:205ℓ×2
増槽:320ℓ
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃一号三型 2挺/100発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M3
連 コードネームHamp(ハンプ)
生産数三菱:343機

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

A6M3トA6M2トノ比較
A6M2ヨリ改造シタル主要部分
部 分改造要領記 事
胴 体
1.防火壁ヲ185粍後退ス發動機部重量增加セルヲ以テ重心ヲ合セルタメ
2.遮風板前方上方部胴體線圖變更發動機換装シタルタメノ視界ヲヨクスルタメ
3.發動機架取付金具及之ニ續ク大縦通材變更發動機部重量增加ニ伴ヒ强度ヲ增スタメ
主 翼
1.翼端ヲ約500短縮シ折疊装置ヲ廢ス工作簡易化ノタメ
2.20粍機銃彈倉収納部ヲ100發彈倉装備可能ナラシム彈倉要領ヲ增スタメ
3.翼内タンク懸吊部小骨及ビ翼内タンク蓋ノ骨ノ高サヲ低クス燃料タンク容量ヲ增大スルタメ
4.主桁縁材ヲ補强ス機體重量增加ニ伴ヒ强度ヲ增スタメ
主 脚
1.引込懸吊鈎ヲA6M2第1號機型トス作動ヲ確實ナラシムタメ
2.胴體側車輪覆及其機構ヲ變更ス作動ヲ圓滑ナラシムタメ
兵装艤装
1.20粍機銃彈倉ヲ100發入リニ變更ス
2.残彈指數器新設12號機ヨリ
計器關係
1.排氣溫度計新設ス12號機ヨリ
2.混合比計廢止ス
3.吸氣溫度計廢止ス
發動機關係
1.發動機榮二一型ヲ搭載ス
2.發動機換装ニヨリ防火壁前方大部分形状ノ變更
3.翼内タンク僅カ大トナル約210立
4.胴體内タンク小トナル約60立
5.潤滑油タンク僅カ大トナル約54立
6.油冷却器ヲ增大ス徑250φトナル
7.發動機架發動機換装ノタメ强度ヲ增ス
8.發動機管制装置二速過給器追加
9.電動燃料ポンプヲ翼内燃料槽ニ装備 
プロペラ1.Dシャンク装備
備考:發動機ニ關スル性能表、取扱法ハ發動機製作所發行ノ取扱説明書ニヨル

出典:零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
(旧字含め可能な限り原文)

「三二型(A6M3)」は昭和16年/1941年7月から試験飛行、昭和17年/1942年4月ぐらいから量産が始まった、開戦前に(ここ大事)検討が始まり、「二一型」のグレードアップを狙った「零戦」の新タイプです。
大きな違いは搭載エンジンと主翼の改良です。

まずエンジンは2速過給機が取り付けられた「栄二一型」を搭載。
馬力は2速で離昇1,130馬力にパワーアップし、これでさらに速度や高高度での出力アップを達成します。
海軍が「瑞星」ではなく「栄」を選んだ理由には、「栄一二型」だけでなく近いうちに「栄二一型」が誕生することも知っていたという点も挙げられます。
なので海軍が思い描いていた「零戦」の最終形態はこの「三二型」だったかもしれません。

翼端は「二一型」でエレベーター対応の為に上に折り曲げている50cmずつが綺麗にバッサリ切られています。
「三二型」の外見の特徴は何と言ってもこの翼端で、「零戦」で唯一翼端が角張っています。
これは整形の手間を省くための形でしたが、捻り下げとの相性が悪く空気力学上適しない形だったことから、同じく翼を短くした「五二型」では丸くなっています。

この翼端カットについては「二一型」445号機を改造して比較試験が行われています。
上記の改善点やずっと問題として指摘があった高速時の舵の重さはかなり解消されましたが、上昇力や上昇限度は若干低下。
またこれは二律背反なので仕方ないのですが、翼面荷重が大きくなったことで特に低速時の旋回性能も低下します。
しかしそれは「栄二一型」を搭載することで回復できるため、エンジン換装と翼端カットをセットで行えばメリットが大きくなります。

特にロールについては想像以上によくなっているようで、2つの文書を見てみましょう。
大分航空隊の「零式艦上戦闘機取扱参考資料」「操縦性能-二号戦、一号戦ヲ比較シタ性能」によれば、「イ、高速時の舵の動き軽し(利点)。一号戦にては高速時、舵を動かすに両手で持って力一杯を要したが二号戦にては舵の動きが非常に軽く、操舵が容易である。」とあり、高速時の欠点であったロールの悪さが解消されているようです。
続いて小福田租少佐(当時)も、少し先の資料ですが昭和18年5月3日の「戦訓ニヨル戦闘機用法ノ研究」において、「二号零戦(注 三二型のこと)は特に高速時横転操作軽快なる為空戦上極めて有利なり。将来戦闘機計画に当り、格闘性能検討に際しては、速力、上昇力、翼面荷重、馬力荷重の外、横操作の軽快性(慣性能率、補助翼の利き及び重さ)に関しても考慮の要あるものと認む」と評価していますので、相当大きな変化だったと思われます。
「零戦」最大級の弱点だったロールの悪さは、主翼を11mにした「三二型」「五二型」などでは、米軍機に比べて圧倒的に弱いというものから、米軍機に比べて劣る、ぐらいまでは良くなったわけです。

50cm短くした理由は速度アップを求めたものとかロールの悪さを改善するためのものではなく、後述する弾倉の拡大に伴うこぶの抵抗を相殺するためとも言われます。
他にも最初の計画では「三二型」の翼端はカットされなかったが、下川大尉死亡の事件後の補強なりなんなりでこの方法が浮上してきたとも言われたり。
たぶん何かの目的と言うより、メリットデメリットがこういう要素で軽減、増幅されるという総合的な判断で採用された形状でしょう。
翼端の折り曲げ機構がなくなったことで急降下速度制限も緩和され、667km/hとなりました。
また重量の調整により補助翼が短く、逆にフラップが長くなっています。
ロールがよくなったのは補助翼の短縮も寄与しています。

武装については20mm機銃の弾数が60発と少ない問題が100発に増やされたことも注目ポイントです。
弾数が増えれば空っぽになってから豆鉄砲で悔し紛れに撃ちまくるという悔しさも減ります。
ただしドラム式の弾倉増加ということはドラムが大きくなるというデメリットが常に付きまとうため、「三二型」はこのため翼の弾倉部分にちょっと膨らみが発生しています。
翼端を切ったのはこの膨らみで3ノットは落ちるだろうからその分を取り返すための処置でもあります。

エンジンの換装に伴いカウリングも再設計され、若干大きく、また前方が丸みを帯びるようになりました。
これに伴い気化器空気取入口も下部にあったものが上部に移動しました。
7.7mm機銃はこれまで弾条溝と言われる溝があって、そこから銃弾が通過していましたが、「三二型」からシンプルに穴が空いてその奥にある銃口から弾が飛び出るようになっています。
また速度アップにつなげるためプロペラの直径も15cm大きくなりました。

主翼の変更とエンジン換装により、「三二型」は速度アップと高速時のロールの悪さの改善、急降下速度の向上、過給機により高高度での速度も良好。
さらに武器の弾数も増えてと、デメリットなしの純粋強化、に見える「三二型」
しかし「零戦」はもともと余分なものが一切ない設計だったので、強化する場合は絶対に何かを捨てています。
それは、「零戦」最大の武器である航続距離でした。

台湾から飛び立ってフィリピンに攻撃して帰っていき、「どこかに空母がいるはずだ!」と混乱させるぐらいの航続距離を誇っていた「零戦」でしたが、これは燃料タンクの大きさが最たる理由です。
しかし空冷エンジンは基本的には出力が上がれば大型化しています。
これはエンジンだけに限りませんが、ほとんどの場合は性能向上が先行し、そのあと小型化やコストカット型が生まれます。
1,000馬力を超えた「栄二一型」も例外ではなく、全長が15cm、重量は約90kg増えています。
このあおりは必ずどこかで受けるわけで、そして割を食ったのが燃料タンクでした。

エンジンが重くなったことで同じ位置に配置すると頭に重心が傾くため、エンジンを従来より後方に下げるしかありませんでした。
これにより胴体内の潤滑油タンクは58ℓから54ℓに、そして燃料タンクは145ℓがとんでもないことに62ℓ(60ℓ?)にまでなっています。
実は「二一型」、正規の胴体燃料タンクには62ℓしか入りませんから、これは「三二型」と同じです。
しかし現実は過積載分の+83ℓを搭載し、最大145ℓで飛行することが可能でした。
そして実戦で「二一型」はゴリゴリに過積載して飛行していましたから、「三二型」は過積載ができなくなったので、事実上「二一型」の半分以下しか燃料が積めなくなってしまいます。
代わりに肋材の位置を調整して翼内タンクが380ℓから410ℓ(タンクを広くではなく深くした)に増やされましたが、激減です。
おかげで全速30分+2,530km(増槽込)の「二一型」に対して「三二型」の航続距離は全速30分+2,134km(増槽込)と短縮。
燃料が減ったこともそうですが、「栄二一型」になったことで全速時の燃費がかなり悪化したのも大きな原因でした(これは最初気づかなかったらしい)。

「三二型」が4月から量産が始まり、戦地に投入され始めたのは夏も終わろうとしているころ。
この頃の太平洋戦争と言えば、もちろん「ガダルカナル島の戦い」の最中です。
何に苦労したかはお判りでしょう、基地にするはずだった場所が奪われたため、日本はガダルカナル島から1,000km超も離れたガダルカナル島まで「零戦」を飛ばして攻撃しなければならないという綱渡りの戦いを強いられたのです。
「二一型」は過積載をすることで距離を何とか往復できるのですが、「三二型」の航続距離ではカツカツもいいところで、とても派遣できたものじゃありませんでした。
カタログスペックだけ見ていれば「二一型」「三二型」の正規全備重量だと航続距離に大差はありませんから、現場のことを全く知らずに新しい戦闘機がポンポン送られてきたわけです。
この過積載の最大航続距離が見過ごされていたため、こんな短距離しか飛べねぇ局戦いらねぇんだよと第十一航空艦隊から抗議が飛んできて、航空本部長が進退伺いを提出するほどの事態となったこの出来事は「二号零戦問題」とまで呼ばれています。
その後飛行場がブインなどに新たに造成されてからは「三二型」もそこを起点に活動ができましたが、「三二型」そのものの延命には繋がりませんでした。

他にもまさかの事態が「三二型」を襲います。
最低でも550km/h以上を目指したのに、試験では「二一型」よりも10km/hぐらい544km/hとなってしまい、思ったほど速度が上がりませんでした。
「三二型」の改良が進んでいる時は実は「二一型」の公式最大速度はまだ510km/hのままで、主翼強度アップによる533km/hは成っていませんでした。
なので本来なら544km/hでも十分な速度アップなのですが、「三二型」試験機と競争させた結果「二一型」がいつの間にか速くなったものですから、恩恵が小さくなってしまったのです。
加えて初期の「栄二一型」は調子もよくなくトラブルに悩まされ、燃費も「栄一二型」より悪化。
ただ「栄二一型」をちゃんと扱えるようになってからは速度は上がったので、「栄二一型」が慢性的な問題を抱えた欠陥品というわけではありません。
それでも、「三二型」は大半の性能がよくなっているのに当時の戦況から航続距離が短くなったデメリットばかりが目立つ存在になってしまいました。

航続距離をちょっとでも改善するために、「三二型」の段階から翼内タンクが片側217ℓ、さらに220ℓとちょっとずつ増えて製造された機体もあります。
翼端の形状違いから連合軍からは「Zeke」とは別の機体の「Hamp」と呼ばれた「三二型」は同年12月までに343機が生産されて終了。
急遽航続距離を伸ばすために「二二型」の設計が始まりました。

ちなみに「三二型」は排気タービン搭載型の試作機が1機だけ誕生しているようですが、「三二型」の歴史が閉じてしまったのでもちろんこちらもこれっきりです。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機二二型・二二型甲

「三二型」「二二型」も「A6M3」のため、性能がどちらのものか確実なことは言えません。
「二二甲型」九九式20mm機銃二号三型への換装に伴う重量増等は加味されていません。

全 長9.060m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積22.438㎡
翼面荷重119.4kg/㎡
自 重1,863.0kg
正規全備重量2,678.6kg
航続距離全速30分+1,482km(正規)
全速30分+2,560km(増槽)
発動機/離昇馬力栄二一型/1,130馬力
上昇時間7分19秒/6,000m
最大速度541km/h
急降下制限速度629km/h
燃 料胴体:60ℓ
翼内:215ℓ×2+40ℓ+2
増槽:320ℓ
武装/1挺あたり弾数二二型:
九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃一号三型 2挺/100発
二二甲型:
九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃二号三型 2挺/100発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号二二型:A6M3
二二甲型:A6M3a
生産数三菱:二二型、二二甲型合わせて560機

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

「二二型(A6M3)」は符号は「三二型」と同じ「A6M3」で、「三二型」のマイナーチェンジ扱いになっています。
「三二型」の悪いところを「二一型」に置き換えたという扱いですが、最初は「三二型」を改良するってだけで「二二型」として分類するつもりではありませんでした。
符号も「A6M3」のままで、「三二型」の生産344号機からの区別として「二二型」と呼ばれるようになりました。
「二二型」は昭和17年/1942年年末ごろから三菱のみで生産が始まりました。

エンジンは「栄二一型」なのでカウリングや胴体の形状は「三二型」ですが、翼は50cmずつ再延長された上でエレベーター対応のために折れ曲がる形に戻りました。
そして減らされた燃料を増やすために、何と恐ろしいことか、翼内タンクを外側にもう1つ追加しました。
胴体の60ℓ、翼内の430ℓ(410ℓ?440ℓ?)、そして増槽の320ℓが「三二型」ですが、翼内タンクの横に20mm機銃がありますが、そのさらに外側に40ℓ(45ℓ?)ずつの小さめの翼内タンクが追加。
合計で890ℓという「二一型」以上の燃料を搭載し、「栄二一型」で悪くなった燃費を加味しても「二一型」よりもちょっとだけ長い全速30分+2,560kmとなっています。
しかしこの時は自動防漏タンクにもなっていないので、めっちゃ燃えそう、怖い。

速度は「三二型」とほぼ一緒ですが、翼端の機構の影響で急降下制限速度が落ちています。
「二一型」と同じ翼ですから高速時のロールも元通りになっていまうので、下川大尉の事故死のあとに廃止されたバランスタブが再研究の末に復活(これは「三二型」の時からかもしれません)。
これで「二一型」よりはちょっとマシになりました。

「栄二一型」については「三二型」の試作時代からトラブルがあるという問題もありましたが、この時期になるとその扱いにも慣れてきたようです。
とは言え速度は確かに上がったけど540km/hと大した強化ではなく、逆に翼内タンクの増加により被弾の弱さは増してしまいました。
弾数は減るけど重くないし翼内タンクが「三二型」より小さくエンジントラブルの可能性も少ない「二一型」のほうがいいんじゃないと個人的には思いますが、逆に被弾に弱いのは元からだと割り切れば、強化されているのは事実です。
攻撃性能だけで見れば「二二型」、特に後述する「二二甲型」は過去最高の「零戦」なので、「二二型」は地味ながら評価が割れる存在です。
実際に「二一型」じゃなくて「二二型」をくれと言っている部隊もあります。

どっちかに統一してもいいのではと思いますが、「三二型」「二二型」も三菱のみでの生産で、しかも三菱は「三二型」生産と同時に「二一型」生産を終えていますので、そういう意味では三菱は「二二型」一本に絞っています。
じゃあ中島はどうだったかと言うと、ここまでずっと「二一型」を生産してきた中島ですが(最終的に昭和19年/1944年2月まで生産)、昭和18年/1943年から「二一型」だけでなく「二二型」生産の内示もでています。
この意図がよくわからないですね、三菱は「二二型」、中島は「二一型」に一本化させた方がいいと思いますけど。

さらにちゃぶ台返しになりますが、「二二型」が生産されたころにはすでにブインに飛行場ができていて、「三二型」の航続距離でもガダルカナル島に飛ぶことができました。
数ある遠距離攻撃でもラバウル⇔ガダルカナルが最も長距離なので、この飛行がなくなれば航続距離が多少短くなっても、はっきり言えば「二二型」じゃなくても大して問題なかったのです。
結局三菱は「雷電」への切り替えのために昭和18年/1943年8月で生産終了(もちろん取り消し)、中島には「二一型」のほうに追加生産指示が入り、「三二型」「二二型」が短命に終わることが確定します。
「二一型」でも事足りるし、「三二型」でも大丈夫な戦況になったりと、「二二型」「三二型」に続いてタイミング悪いときに現れた可哀想な飛行機と言えます。

「二二甲型(A6M3a)」についてですが、こちらは武装が強化されています。
20mm機銃九九式二〇粍二号機銃三型にバージョンアップされ、100発の弾倉に加えて初速が600m/sから750m/sに増加。
銃身が伸びたこともあって重量は10kgほど増えましたが、当初から不満があった精度や貫通力不足の問題も一定の解消が見られました。
これに伴って主翼も補強されています。
弾数はすでに100発に増えていますから、かつての絶対王者のような活躍はできていなかったこの時期の「零戦」の武器としてはありがたい強化でした。

この他「一二型」と呼ばれる機体が若干数あったとも言われていますが、詳細不明です。
型式から察するに「二二型」から艦載機用機構を外し、陸上運用しかさせないものと思われますが、公式文書にも数点「一二型」の表記が残るのみで、これが実在したと断言できる要素も乏しいです。

「二二型」は昭和18年/1943年1月29日に制式採用されましたが、なんと「三二型」も同日に制式化。
あの子たち、制式化される前に生産されて、制式化される前に生産終了しちゃってます。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機四一型

※すべて推定値です

全 長9.050m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積22.438㎡
翼面荷重
自 重 
正規全備重量
航続距離
発動機/離昇馬力栄一二型/940馬力
上昇時間
最大速度
急降下制限速度629km/h
燃 料
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃一号もしくは二号四型 2挺/125発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号
生産数計画のみ

出典:
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年

歴史的には表舞台に出ることがなかった「四一型」および「四二型」
表舞台どころ存在すらあやふやなこの2機種ですが、結局存在したのでしょうか、またそれはどのようなものだったのでしょうか。

まず「四一型」がどこから現れたかと言うと、元になるのは「二一型」です。
「零戦」20mm機銃はドラム×60発からベルト×125発まで段階的にグレードアップしていきましたが、「四一型」「二一型」にベルト式給弾100~150発の20mm機銃(現実だと九九式二〇粍一号もしくは二号機銃四型に相当)を搭載した場合の仮称でした。
ベルト式が実際に搭載されたのは昭和19年/1944年3月から生産が始まった「五二甲型」からですが、この「四一型」が検討されたのは前年4月とほぼ1年前です。
「四一型」「二一型」に専念していた中島だけに発注する予定だったようで、このことからも「二一型」の純粋後継機扱いを考えていたタイプであることがわかります。

また同時に、「二二型」20mm機銃をベルト式にし、さらに翼端を「三二型」のように再び50cm短くするタイプとして「五二型」の仮称が与えられた案が登場しています。
つまり昭和18年/1943年時点で「零戦」には「二一型」「四一型」「二二型」「五二型」の2パターンに分類されることになったわけです。
「五一型」ではなく「五二型」なのは付番の法則からもわかります。

ですが「四一型」九九式二〇粍二号機銃四型の開発が遅れてしまい、開発は中止。
書類上の存在で終わってしまいました。
「五二乙型」などがあるのでこれも「二二乙型」でもいいんじゃないかという疑問については、そもそも「乙」以下を型式名称に取り入れることが決まったのが昭和19年/1944年10月の「航空機名称付与様式」の改定後からとのことですので、「四一型」の時には当てはまらないようです。
じゃあ「五二乙型」は間に合ったのかと言うと、生産開始は昭和19年/1944年6月からですが制式採用が10月なので、「乙」表記のために改訂されたものだと考えていいでしょう。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機四二型

「四二型」についても「四一型」「五二型」の歴史と大きく絡んできます。
「四一型」のほうでは「五二型」と表記していましたが、この「五二型」が実は「四二型」からの派生ではないかという可能性があります。
「四一型」はかなり信憑性がありますが、「四二型」はまだ確実な結論が出ていません。
またここで取り上げるのは「四二型」と呼称されたであろう機体であって、「A6M4」を取り上げているわけではありません。
「A6M4」はこれはこれで色んな説があり、ごっちゃにすると大変なことになります(こっちについてはまたどこかで)。

「四二型」の話題の中心は現時点では三菱3525号機です、言わずもがな三菱製第3525番目の「零戦」です。
この3525号機は昭和18年2月に「二二型」として納入されました。
しかしその後改修を受けて3月末に再納入されましたが、この時の記録が「四二型」となっているのです。
もちろん「四二型」そのものの姿がまだぼんやりしているので、「二二型」のどこが変わったのかはわかりませんが、まず「二二型」「四二型」の繋がりがわかります。

ですがこの3525号機は6月以降の書類では「五二型」となっていて、ん?となります。
つまり「五二型」「四二型」の表記が確認できた僅か数ヶ月後に同じ機体を指す型式として登場したわけです。
「四」と「五」の違いがある以上、基本的には何らかの違いがあってしかるべきなので、「四二型」はさらに改修を受けて「五二型」となったのでしょうか。
「四二型」の姿がはっきりしない以上、この説ではここが限界です。
なのでこの穴を埋めるために、「42は忌み数で縁起が悪いから52に改番した」という説がなるほどわからんでもないという形で浸透したのでしょう。

他には、現実では「四二型」「四一型」も誕生することはなく、「二二型」の改良版として「五二型」が登場しますが、「五一型」が登場していないということは「二一型」ルートの改良は結果的には不要だったということがわかります。
ということは「四一型」の必要性もいずれ減少し、「四二型」だけが生き残ることになったが、「四一型」があっての「四二型」ならまだしも兄弟がいないのに「四二型」ってのはさすがに嫌われるだろうという思考が働くことも考えられます。
この仮説でも結局忌み数が原因になりますが、それぐらい説明がつく物証が乏しいということの証左でもあります。

ただ陸軍の「キ42(試作重爆撃機 計画のみ)」「キ49(呑龍)」はそのまま使ってますから、忌み数という理由だけでそんな簡単に、しかも最初からではなく後から数字を飛ばすことができるのかどうかはわかりません
「四一型」の項でも紹介していますが、4月の時点で「二二型」の改良案は「五二型」となっています。
なぜ書類上では「四一型」が存在するのに同じ書類で「四二型」ではなく「五二型」なのか、それだけ両者の機体設計には違いがあったのか。
なぜ3月再納入時は「四二型」で、6月の書類では「五二型」なのか。
そもそも「四二型」「五二型」を同じ機体として認識していいのか。
謎はいっぱいです。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機五二型

全 長9.121m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積21.338㎡
翼面荷重128.0kg/㎡
自 重1,876.0kg
正規全備重量2,733.5kg
航続距離1,920km(正規)
全速30分+2,560km(増槽)
発動機/離昇馬力栄二一型他/1,130馬力
上昇時間約7分1秒/6,000m
最大速度約565km/h
急降下制限速度667km/h
燃 料胴体:60ℓ
翼内:215ℓ×2+40ℓ+2
増槽:320ℓ
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃二号三型 2挺/100発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M5
生産数三菱:747機
中島:不明

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

A6M5トA6M3トノ比較
A6M3ヨリ改造シタル主要部分
部 分改造要領記 事
主 翼
1.翼端ヲ500粍短縮シ丸型トス第3904號機以降
2.自動消火装置装備ノタメ左舷ハ中部肋材右1番及7番間、11番及16番間ヲ右舷ハ1番及7番間、11番及16番間ヲ氣密トス
卽チ中部肋材1番(右ノミ)及16番(左右共)ヲ改修、其ノ他ノ肋材ハ從來通リトス
第4274號機以降
3.補助翼ヲ12番肋材ヨリ外方トシ外方細クナル(M3ハ11番肋材ヨリ)
修正「タブ」ヲ廢シ修正片ヲ附ス
第3904號機以降
4.「フラツプ翼」ヲ12番肋材マデ延長ス(M3ハ11番肋材マデ)第3904號機以降
5.彈倉(約125發入リ×2)ヲ中部肋材7番及9番間前桁直後ニ作リ付ケトシ外鈑ハ後縁外鈑ヲ除ク全部ヲ0.2mm宛增厚ス空技廠式ニヨリ第4651號機以降實施
三菱式ニヨリ4734,35號及4766號機以降實施
(但シ空技廠式ハ外鈑增厚セズ)
動力艤装關係
6.集合排出管ヲ排シ「ロケツト」排出管トス第3904號機以降
7.排出管變更ニ伴ヒカウルフラツプ後縁ヲ切缺ク第3904號機以降
兵装關係
8.九六式無線電話機ヲ廢シ三式空一號無線電話機ヲ装備ス第4354號機以降
9.九九式20粍2號固定機銃四型(試製給弾装置付)トシ彈藥約125發×2ヲ装備ス
手動装塡、電氣發射トス
第4651號機以降
保安装置
10.發動機周リ消火装置ヲ廢止ス第3904號機以降
11.自動消火装置ヲ装備ス(翼内及外翼燃料槽用)第4274號機以降
飛行制限
12.急降下制限速度ヲ計器速度360節ニ改ム(翼端ヲ500粍短縮セル結果)第3904號機以降
13.急降下制限速度ヲ計器速度 節トス(但シ試製給彈装置付機体)第4651號機以降
重量及重心
14.相當翼弦ヲ4.ノ通リ改ム
15.5.記載ノ通リニシテ自重約13kg增加ス。其ノ内譯下記ノ如シ

 イ.消火装置廢止ノタメ***-7kg

 ロ.自動消火装置装備ノタメ***+20kg

 ハ.翼端***-3kg

 ニ.「ロケツト」排氣管ニ改造ノタメ***+3kg

 計 +13kg
16.試製給彈装置付機体ハ自重約18kg增加ス。其ノ内譯下記ノ如シ

 イ.外鈑增厚ニヨリ***+15kg

 ロ.肋材7~10間小骨及機銃彈倉關係改修ニヨリ***+3kg

 ハ.空氣装塡系統廢止***-6kg

 ニ.手動装塡装備ニヨリ***+6kg

 計 +18kg

出典:零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
(旧字含め可能な限り原文 A6M3は「二二型」を指す)

「零戦」のイメージとして最も有名なのはこの「五二型(A6M5)」でしょう。
生産数も当然最大で、かつ兄弟も多い「五二型」「零戦」の顔と言っていいと思います。
「五二型」「三二型」を急遽改良した「二二型」をさらに念入りに再設計したようなもので、「三二型」「二二型」のいいとこ取りをして今度こそ純粋なブラッシュアップタイプとなりました。
「仮称二二型改」として計画がスタートしていることからもそのことがわかります。
ただ、タイミング的にはここいらで新戦闘機が登場していないほうがまずいので、「五二型」そのものの性能とは別に明らかに開発状況は悪いです。
長くなるのでここでは書きませんが、「雷電」のあれやこれやがあって結局「零戦」「二二型」で誤魔化すことができず、このように「五二型」として登場せざるをえなかったのです。
また以下の各改修の研究は昭和17年後半から続々と成果として挙がっていたのですが、「ガダルカナル島の戦い」の「二一型」「二二型」でてんやわんやしたことで早期に改良型として誕生することができなかったのではないかという見方もあります。

主翼は「三二型」と同じく翼端50cmずつが短くなりましたが、今度は翼端の形状は角張らずに円形になっています。
角張った形状はあまりよろしくないことが「三二型」で判明していたため、「五二型」では改善されたわけです。
円形なので「三二型」よりも手間がかかりそうですが、内部構造は簡略化されているようです。
この影響でフラップや補助翼、マスバランスなどの位置や大きさなども改良されています。
また補助翼が翼端まで伸びたことでバランスタブはなくなりました。
この主翼の変更により急降下制限速度が667km/hに達し、ロール性能と共に「三二型」相当に改善された一方で、水平の旋回性能はやはり低下してしまいました。
それでも「五二型」「二一型」を評価を二分するほどの操縦性を発揮し、この両者は性能ではなく好みで評価が分かれているようです。

外見ではっきりわかるのは翼端以外にもエンジンのカウリングがあり、カウリングの付け根に右側6本、左側5本の管が確認できます。
これは推力単排気管と呼ばれるもので、これまでエンジンを通して発生していた排気は下からまとめて吐き出していましたが、これをまとめずに気筒の数だけカウリングの外に管を出して排気をするという方法です。
「推力」という言葉で惑わされがちですが、効果ゼロとは言いませんがこの単排気管のロケット効果(噴出力)だけで速度がぐあーっと上がるわけではありません。
排気がカウリングから胴体に向けての空気の膜のようなものを展開することになるので、機体に発生していた摩擦をこの膜が防いでくれます。
これにより摩擦抵抗がなくなり、疑似的な出力アップに繋がるわけです。
「三二型」と同じエンジンで、燃料タンクの拡大や機銃換装などにより重量も増えている「五二型」ですが、このおかげで速度は565km/hまで増加しました。

ただ、この時の三菱が推力単排気管に求めたのはロケット効果なので、摩擦がなくなるという効力があると知っていたかどうかは疑問です。
この推力単排気管は「五二型」のかなり最初の機体(8月の3904号機から10月中旬ごろの生産分まで)は導入が間に合っておらず、従来の集合排気管で妥協しているようです。
データをいろいろ照らし合わせると、集合排気管の「五二型」は545~550km/hだと想定されていて「三二型」とほぼ同じ。
ただ「三二型」より重量が増えたのに速度がトントンなのはちょっとおかしいですね。
たぶん「三二型」の数値は「栄二一型」の扱いをマスターできていないときの数字なので、「三二型」は実際はもう少し速かったんだと思います。

各排気管から発せられる熱は相当なもので、運用が始まってから排気管の近くの構造物を傷めるという問題が発生。
タイヤに近い最下部の排気管は長さが短くなり、それ以外の場所も排気管の出口付近は耐熱板を貼り付けて対処しました。

とは言えエンジンの馬力は「栄一二型」の離昇940馬力が「栄二一型」で1,130馬力に上がったきり。
「F4F」が14気筒離昇1,200馬力に対して、「五二型」生産と前後して登場した「F4U」「F6F」は18気筒離昇2,000馬力と格段に出力が上がっています。
そして「F6F」に対してはこの速度でも対抗するには遅く、旋回性能が「二一型」「二二型」より落ちたことで「五二型」を嫌うパイロットも発生しました。
やっぱり重たいというのは長年戦闘機を操ってきたベテランにとっては苦痛だったのでしょう。
「F4F」「F6F」が完全新作(と言ってもシンプルな設計思想ですが)で世代交代が進みましたが、「五二型」の場合はドーピングみたいなものなのですから分が悪いのも当然です。
「五二型」の総合的な能力が上がったのは事実ですが、当時は中島も「誉」に移行している中で「零戦」のためだけに「栄」も延命させている有様でした。
じゃあ同じ14気筒でも「金星」積もうぜという計画も、「金星」版「零戦」飛べるのしばらく先でしょ、「金星」燃費悪いでしょ、「雷電」もうすぐ揃うでしょ(この時はそういう計画)と実用性に欠け、「五二型」そのものが「F6F」には敵わないまでも現地からも喜ばれる程度には良改良だった一方で、裏側ではかなりごちゃごちゃしていました。

「五二型」の初期はこのような改良でしたが、371号機からはさらにようやく、ようやく翼内タンクに自動消火装置が途中から取り付けられて防弾性にも若干の改善が見られます。
それでも防弾タンクは開発や供給に時間がかかっていて、搭載には至らないんですよね。

さらに451号機からは無線機が新型の三式空一号無線電話機に換装。
三式空一号無線電話機はそのものの性能はアメリカも認めたものの、設置位置が悪くてノイズが通信の邪魔をしていました。
機械の性能は高くてもそれを発揮させる環境がわかっておらず、終戦間近に鹵獲した米軍機を調べてからようやくまともな性能を安定して発揮。
アース処理などにも問題があったようで、解決すると東京から九州(900km前後)でも通じるようになったようです。
なので機械の性能を全然発揮させることができていなかったわけですね。
終戦後にメーカー担当者とパイロットの会話の中で、担当者が「空一号はよかったでしょう」と軽く言ってくるもんですから、相当現場に至るまでに問題があったのでしょう。

おなじみの航続距離も、登場時期にはすでにこんなに要らなくなってますのでもったいないのですが相変わらずです。
これらの改修により機体全備重量が「二二型」の2,679kgから「五二型」は2,733kgに増えるため、本来なら航続距離も多少減るはずですがなぜか増槽込みの要目上は同じです。
50kgぐらいなら推力単排気管の影響でカバーできるんでしょうかね、素人にはわからない。
燃料タンクはおおよその配置・容量ともに「二二型」と同じで最大890ℓです。

初期はこの設計でしたが、のちに金属不足が本格化し始めたこともあり、増槽の材質が木製及び竹製となっています。
またそれと同時に増槽の容量は320ℓから300ℓへと減少していて機体の新しい古いで若干の差がありました。

生産は「四二型」で出てきた三菱3525機が試作1号機(3月末)で、そこから8月に量産開始、さらに中島が「二一型」から「五二型」と並行して12月から生産をスタートさせました。
「二一型」が生産を終えるのは昭和19年/1944年5月なので、まだ半年ほど「二一型」は生産されることになります。

また「五二型」「五二甲型・乙型」とともに「六二型・六三型」の紹介で登場する「栄三一甲型」を搭載した機体が多数存在します。
「栄三一甲型」については「五三丙型」でもう少し詳しく説明しますが、「栄三一甲型」は「栄三一型」から水メタノール噴射装置を外したものなので、中島としては「二一型」が終わるのであればエンジンは「栄三一型」に集中させたいという考えがあったのでしょう。
幸い「栄三一甲型」は「栄二一型」とほとんど違いがないので取り換えが可能でした。
記録では昭和19年/1944年3月以降の中島製「五二型」系列は全部「栄三一甲型」のようです。
ただし離昇馬力が若干少ない関係からか、試験では10km/hほど遅い速度が記録されています、後で回復したでしょうが結構落ちる。

一方三菱は石川島航空工業から「栄二一型」の供給を受け続けたので「栄二一型」のままでした。
しかしちょっとだけ「栄三一乙型」を搭載した「五二型」系列を生産しているようです。

変わり種としては「五二型」のコックピット後部左側に20mm斜銃を搭載した、通称「零夜戦」と呼ばれる改造機が少数存在しています。
改造機ながら「A6M5d-S」の符号を与えられていて、夜間戦闘機として運用されました。
「零戦」は単座ですがこの運用をするには当然複数人の搭乗が必要なので、複座に改造されています。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機五二甲型

全 長9.121m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積21.338㎡
翼面荷重128.6kg/㎡
自 重1,894.0kg
正規全備重量2,743.4kg
航続距離(暫定)1,920km(正規)
全速30分+2,560km(増槽)
発動機/離昇馬力栄二一型/1,130馬力
上昇時間7分1秒/6,000m
最大速度559km/h
急降下制限速度740km/h
燃 料胴体:60ℓ
翼内:215ℓ×2+40ℓ+2
増槽:320ℓ
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃二号四型 2挺/125発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M5a
生産数三菱:391機
中島:不明

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

続いて「五二甲型(A6M5a)」ですが、これまでドラム式だった20mm機銃の弾倉がベルト式の九九式二〇粍二号機銃四型に換装されたタイプです。
「四一型」でも述べましたがこいつの改良になかなか時間がかかってしまい、「四一型」はおろか「五二型」でも間に合わなかったためこのように「五二甲型」として登場することになりました。
オリジナルのエリコン社製がドラム式だったのですが、翼内に機銃を埋め込むのであれば場所を取るドラム式よりもベルト式のほうが断然有利なので、改良が進められていたのですが、ようやく花開いたのがこの四型です。
この給弾方式には空技廠式と三菱式の2種類があったようですが、すぐに三菱式に一本化されました。
おかげで翼内スペースが広がり、弾数も125発に増加、また薬莢排出孔などの変更と、「三二型」から発生したドラム式弾倉による小さなこぶの除去に伴う主翼の小修整が施されています。
さらに主翼の厚みを0.2mm増やしたことで長らく懸念材料だった急降下制限速度も740km/hまで改善されました。

しかし機銃の強化は嬉しいものでしたが、防御に関しては焼け石に水でした。
「F6F-3」の急降下制限速度は770km/hほどある(実は「F6F」は機体強度と遷音速の関係で急降下が苦手)のでこの点はかなり迫ることができたのですが、これに加えて数の利というものが出てきますから、攻めに関しては苦手な急降下をある程度克服できたものの、受け身になると相当苦しいのは変わりませんでした。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機五二乙型

全 長9.121m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積21.338㎡
翼面荷重129.4kg/㎡
自 重1,872kg
※ガラス等重量増要素あり
正規全備重量2,763.6kg以上
※7.7mm機銃+弾薬重量をマイナスし、13mm機銃+弾薬重量をプラスした場合の推定値
航続距離1,920km(正規)
全速30分+2,560km(増槽)
発動機/離昇馬力栄二一型/1,130馬力
上昇時間
最大速度約550km/h
急降下制限速度740km/h
燃 料胴体:60ℓ
翼内:215ℓ×2+40ℓ+2
増槽:300~320ℓ
武装/1挺あたり弾数九七式7.7mm機銃 1挺/700発
三式13mm機銃 1挺/230発
九九式20mm機銃二号四型 2挺/125発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M5b
生産数三菱:470機
中島:不明

出典:
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

「五二乙型(A6M5b)」「五二甲型」の武装と防御をさらに強化したタイプになります。
20mm機銃は変わらず四型ですが、ついに機首に内蔵されていた7.7mm機銃が1挺13.2mmの三式十三粍固定機銃に換装されました。
すでに力不足だった7.7mm機銃の換装は遅きに失した感じはありますが、これで「五二乙型」は7.7mm、13.2mm、20mmと3種類の機銃が撃てるかわった戦闘機となりました。
2挺とも、もしくは1挺にするにはちょっと時間がなさすぎるということで、片方だけの更新となっています。
それでもごちゃごちゃと細かい変更を行っていて、特に全長が長くなることで前はカウリングの中にまで飛び出し、後ろは操縦席まで飛び出しとえらい強引な搭載をしています。

この三式十三粍固定機銃は「支那事変」の際にありがたく頂戴したアメリカのブローニング製M2重機関銃をパクったもので、艦艇用としてはもう使うことが少なくなった13mm機銃の弾薬を使えるように改造されました。
M2機関銃はこの三式のコピーより陸軍コピーのホ103としてのほうが圧倒的に知名度が高いと思いますが、こっちのほうが威力はあります 。
すでに戦場には「F6F」がわんさかいた頃なので、7.7mm機銃で撃ち落とすにはほんとに比喩でもなく穴だらけにして、パイロットに命中するまで撃ち続けるしかありませんでした。

逆に防御に関しては「五二型」でも「五二甲型」でも上がっていますがほとんど効果がなく、まともに防御が向上したのは「五二乙型」からと認識しても差し支えないと思います。
「五二乙型」では前部風防に45mmの防弾ガラス(1枚モノじゃなくて15mmガラス3枚のガラスの張り合わせ)、また背面には8mm防弾板(12.7mm機銃で貫通するんですがそれは・・・)が搭載されました。
加えて胴体内の燃料タンクにも自動消火装置が備え付けられました。

増槽については胴体下の増槽と懸架が陸海軍で共用するために統一増槽三型用のものに更新され、他にも両翼にやや小型の統一型増槽が取り付けられるように改造されました。
この統一増槽三型は250kg爆弾を搭載することも可能でしたが、機体自体は「六二型」のように急降下向けには改修されていないので、水平爆撃しかできません。
両翼の増槽については「五二乙型」の標準的な装備ではないようで、後日改造機が登場したという経緯のようです。
第二二一海軍航空隊や第三航空戦隊が使用した記録がありますが、第三航空戦隊からは空気抵抗で常に振動があるという報告があります。
片方150ℓもしくは200ℓの2種類があるようです。

「五二乙型」は本来であれば「雷電」の量産に伴い中島だけで生産する予定だったのですが、肝心の「雷電」の使い勝手が酷いので結局三菱も量産に参加。
最終的に昭和19年/1944年8月からは両社とも「五二乙型」のみの生産に集中しています。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機五三丙型

全 長9.121m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積21.338㎡
翼面荷重147.4kg/㎡
自 重2,150.0kg
正規全備重量3,145.0kg
航続距離
発動機/離昇馬力栄三一型/1,300馬力
上昇時間 
最大速度583km/h
急降下制限速度740km/h
燃 料胴体:140ℓ
翼内:155ℓ×2+25ℓ+2
増槽:300ℓ
武装/1挺あたり弾数三式13mm機銃(機首) 1挺/230発
三式13mm機銃(翼内) 2挺/230発
九九式20mm機銃二号四型 2挺/125発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号A6M6
生産数三菱:試作機1機

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

A6M5トA6M5~A6M7ノ主要ナル相違點
部 分改造要領記 事
主翼關係翼内ニ13mm機銃增設及搭載爆彈增加ノタメ次ノ改造ヲ施セリ

 1.肋材12~17間ノ前縁部ニ交換彈倉格納部ヲ設ケ串蝶番バネ止ピン式ノ蓋ヲ有スル コノタメ主翼外鈑ノ厚サヲ0.2~0.4mm增セリ

 2.肋材11ヲ50mm内方ニ移シ(但シ後桁ヨリ前方ノミ)肋材11~12間ニ13mm機銃ヲ装備ス之ニ伴ヒ前桁壁鈑ニ孔ヲアケ前後面ヨリ當鈑ニヨリ補强シ中部肋材12ヲ氣密トセリ

 3.肋材12~13、13~14間前縁部ニ爆彈懸吊装置ヲ設ケ後縁部ニ6番27號(又ハ1番28號)用懸簗取付金具ヲ装備セリ
A6M5Cヨリ
尾翼關係急降下制限速度增大ノタメ次ノ補强ヲ行ヘリ

 1.水平安定板前後桁ノ鈑厚1.4ヲ1.6トセリ

 2.胴體トノ結合金具ヲ鋼鈑製トシ結合ボルトノ徑10φ及12φヲ夫々12φ及14φニ增大セリ
A6M7ヨリ
胴體關係
1.引起シ時ノ皺發生著シキタメ坐席側方ノ外鈑ノ厚サ0.5ヲ0.8ニ增加(第5404號機以降)
2.急降下制限速度增大ノタメ

 胴體隔壁5~7間下面外鈑ノ厚サ0.5ヲ0.8及0.6トシ

 胴體隔壁5~7間下面中央縦通材ノ板厚0.8ヲ1.2トシ

 胴體隔壁7~13間下面中央縦通材ノ板厚0.8ヲ1.0トシ

 胴體隔壁13及15ノ水平安定板桁管ノ材質並ニ寸度ヲ變更シ隔壁ノ板厚0.8ヲ1.0トセリ
A6M7ヨリ
3.降着時尾輪荷重ニ對スル强度增大ノタメ隔壁16ヲ補强ス第5604號機以降
降着装置
1.主脚廻轉軸ヲ軸部肉厚6.5粍ヲ8粍ニ增加補强ス第 號機以降
2.尾輪架構ノ材質「リ501」ヲ「チ504」トシ機體側及オレオ取付部耳金ノ厚サヲ增シ胴部厚サ4粍ヲ5粍トス第5604號機以降
操縦装置翼内13mm機銃ノ油壓装塡装置ヲ新設シタA6M5Cヨリ
動力装置
1.發動機ヲ榮21型ヨリ榮31型ニ取換ヘ水メタ噴射装置トス、之ニ伴ヒ胴體内燃料タンクハ水タンクトナルA6M6ヨリ
2.翼内タンクヲ(内外方共)内袋式防彈タンクトスA6M5C 第 號機ヨリ
3.胴體内ニ内袋式防彈タンク新設シ不時放出弁ヲ設クA6M5C 第 號機ヨリ
兵装關係
1.13mm機銃ヲ翼内(肋材11~12間)ニ装備シ交換彈倉ヲ肋材12~17間ノ前縁部ニ格納ス(彈數240發×2)A6M5Cヨリ
2.胴體内左舷7.7mm機銃を廢止スA6M5Cヨリ
3.翼前縁部下面ニ爆彈懸吊装置各舷2組ヲ装着シ3番3號各2個、6番爆彈各1個又ハ1番28號爆彈各5個ヲ懸吊可能トシ投下操作ハ索ニヨラズ電氣式トスA6M5Cヨリ
4.胴體下面に25番爆彈搭載装置ヲ設クA6M7ヨリ
艤装關係
1.操縦席後方ニ防彈硝子並ニ防彈鋼鈑ヲ装備スA6M5C 第 號機ヨリ
2.電池ヲ21型ヨリ22型ニ積換ヘリA6M5Cヨリ
3.其ノ他酸素瓶、無電機、電池、防氷液タンク等ノ位置ヲ變更スA6M5C 第 號機ヨリ
飛行制限急降下制限速度ヲ計器速度 節トスA6M7ヨリ

出典:零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
(旧字含め可能な限り原文 A6M6は「五三丙型」相当)

まず、本機は少なくとも実戦投入は1機もされておらず、また完成した機体の数にもバラつきがあります。
「五三丙型(A6M6c)」はこの次に紹介する「五二丙型」に「栄三一型」を搭載しようとした機体です。
この「五三丙型」のエンジンを「栄二一型」や「栄三一甲型」などに換装した「五二丙型」と言うのを次に紹介しますが、計画の順番として先に「五三丙型」を持ってきました。

肝は何と言っても「栄三一型」です。
「五三丙型」はこのエンジンに関することで区切っておいて、他の「五二型」とどう違うかについては「五二丙型」で説明いたします。

「栄」サイズでのやりくりから抜け出すタイミングを見失いここまで使い続けることになってしまったので、今度は二速過給機羽根車の増速比を増し、水メタノール噴射装置を装備した「栄三一型」が登場します(「隼三型」もこれと兄弟の「ハ115-Ⅱ」を搭載しています)。
このエンジンを搭載する代わりに武装も防弾性も強化させるという狙いだったのですが・・・。
水メタノール噴射装置は名前のまんまなのですが、まずエタノールは高高度で水が氷るのを防ぐために混ぜています。
そして何で噴射するかというと、めっちゃ簡単に言えばエンジンルームの熱気に液体をぶっかけて冷やすためです。

エンジンは適切な冷却を行わなければノッキングなどのトラブルが起こり燃焼効率が下がります。
空冷と液冷(水冷)はいずれもエンジン冷却をどのように行うかの違いであって、空冷は飛行中に飛び込んでくる空気でエンジンを冷やし、液冷は冷却水を使ってエンジンを冷やします。
空冷は構造が簡単ですが大型化しがち、液冷は直径は絞れますが奥行きが必要で、構造が複雑かつ冷却装置のラジエーターとのセットが必須となるため意外と重たいです。
液冷エンジンは川崎航空機が何年も何年も開発に尽力したのですが、ついに安定した性能を発揮する液冷エンジンは現れませんでした。

水メタノール噴射装置は、いわば空冷エンジンに液冷の力もちょっと借りようぜという装置です。
もちろん水メタノールを追加で搭載しないといけないので、胴体タンクが丸々水メタノールタンクに置き換えられています。
なので「五三丙型」は単純に燃料が減っているので、重量増とは別の理由でも航続距離が減っているのは間違いありません。

そしてこの効果というのは出力を底上げするのではなく、エンジンの環境をよくすることで今まで発揮できていなかった力が出せるようにするものでした。
なので水メタノール噴射装置を取り付けない「栄三一型」自体の出力は1,100馬力と、若干ですが「栄二一型」よりも落ちています。
ですが噴射装置が付くと離昇1,300馬力を発揮できると見込まれました。
カタログスペックが100に対してこれまでだと環境によっては80の力しか出ていなかったけど、水メタノール噴射装置を使ってできるだけ常に100に近づけよう、というわけです。
またガソリンの質が悪くても水メタノール噴射装置で強引に過給圧を上げることができましたので、オクタン価の低い燃料を使っていた日本にはこの点も都合がよかったのです。

ですがこの水メタノール噴射装置の性能が安定せず、ちょっと時間がかかったようです。
しかし「隼三型」にも「ハ115-Ⅱ」が搭載されて次々飛んでいるので、実は巷で言われるほどのトラブルはなかったと思われます。
実際にコントロールできるほどの問題だったらしく、これが本当なら明らかな風評被害です。
諸元の583km/hも実験機性能表に記録されている高度6,000mでの速度です。

ところが同時期に「五二型」のプロペラが壊れるという事故が多発し、原因がエンジンの遊星歯車にあることが発覚。
これだけなら対処すればいいじゃんで済むのですが、その対処をするメンツがなんと「栄三一型」審査担当者であったことから、肝心の「栄三一型」の審査や問題のチェック、改善が全部停滞してしまいます。
その上時期が時期だけに「五三丙型」投入が急がれ、急場をしのぐために「栄二一型」とかを搭載した「五二丙型」が登場。
「五三丙型」の開発は一時頓挫、その後「栄三一型」の取り組みは再開されたものの結局試作機1機が確実に存在した以外はどのような状態で終戦を迎えたのかは不鮮明です。
ちなみに「五三丙型」「五二丙型」の胴体内燃料タンクに取り入れられるはずだった内袋式防弾タンクが翼内タンクでも採用されるはずでした。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機五二丙型

全 長9.121m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積21.338㎡
翼面荷重138.5kg/㎡
自 重1,970.0kg
正規全備重量2,955.0kg
航続距離
発動機/離昇馬力栄二一型(栄三一甲型、栄三一乙型)/1,130馬力(1,100馬力)
上昇時間5分40秒/5,000m
6,000mまで8分前後か
最大速度540km/h
急降下制限速度740km/h
燃 料胴体:60ℓ
翼内:215ℓ×2+40ℓ+2
増槽:300ℓ
武装/1挺あたり弾数三式13mm機銃(機首) 1挺/230発
三式13mm機銃(翼内) 2挺/230発
九九式20mm機銃二号四型 2挺/125発
搭載可能爆弾いずれか1種類
60kg爆弾 2発
250kg爆弾 1発
三式一番二八号爆弾 10発
六番二七号爆弾 2発
九九式三番三号爆弾 4発
符 号A6M5c
生産数三菱:93機+五三丙型発注分のスライドで推定341機
中島:推定1,100機

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

「五二丙型(A6M5c)」は最も防御が厚い「零戦」タイプで、加えて武装も強化されている、「五二型」系統最終形態です。
「五三丙型」で説明の通り、「栄三一型」を搭載する余裕がなかったために「栄二一型」や「栄三一甲型」を搭載することになりました。
昭和19年/1944年7月からの開発で、10月には生産スタートと急ピッチです。
「五二乙型」は機首の7.7mm機銃13.2mm機銃に換装されましたが、「五二丙型」の場合は7.7mm機銃がついに廃止、そして両翼に13.2mm機銃が1挺ずつ組み込まれました。
なので武装としては翼内機銃が13.2mm機銃2挺、20mm機銃2挺、機首に13.2mm機銃1挺となり、「零戦」どころか稼働中の戦闘機全体を見渡しても最大級の火力となりました。
まるで局地戦闘機のような重武装ですが、実際この時はもう局地戦闘機のような戦いしかできなかったので仕方ありません。

他には従来の30kg、60kg爆弾の他に、三式一番二八号爆弾や六番二七号爆弾などのロケット弾、クラスター爆弾の九九式三番三号爆弾が最大4発搭載するための懸吊架が両翼に搭載されました。
九九式三番三号爆弾は本来対地用の爆弾でしたが、「零戦」には対爆撃機、特に「B-17」「B-26」対策として搭載されます。
ただし上から降らせないと意味がないので必然的に爆撃機よりも高い位置を飛ばないといけないんですが、爆撃機よりも上となるとさすがにかなり高い高度なので、「零戦」にとってそんな簡単な仕事ではありませんでした。

防御については、「五二乙型」では強化されていなかった風防の後部、パイロットの頭上の延長線上にある部分がさらに55mm防弾ガラスとなりました。
本来なら他に胴体内の燃料タンクも内袋式防弾タンクという、タンク内部をゴムや樹脂などで覆う防弾タンクに更新されるはずでしたが、肝心の合成繊維であるビニロン(当時はカネビアン)の供給不足により、搭載することができませんでした。
「天山」に多少搭載されたらしいですが、いずれにしても全体的にごく少数に終わっています。
結局こういう経緯から自動防漏タンクが「零戦」に装備された例が果たしてどれだけあるかはわかりませんでした。

それでも前部の45mm、後部の55mm、そして背面の8mm防弾板と、かつてない防御力を得た「五二丙型」
しかし得るものがあればやはり失うものがあります。
振り返ってみれば「十二試艦戦」のころから本機はいろんな理由で超軽量設計でした。
それゆえに防弾性はすっからかんでしたが、防弾性が増すということは機体は当然重くなります。
「五二丙型」はこれらの増強により正規全備重量が2,955kgにまで増加、しかもエンジンは「栄三一型」が搭載できなくなり、「栄二一型」相当の出力となりましたから、速度低下もさることながら運動性も損なわれました。
※正規全備重量には実際に搭載されなかった防弾タンク32.4kgが含まれているので、より現実に近づけるのなら2,923kg。

「零戦」は格闘性能の高さでたとえ劣勢でも敵機とやり合ってきましたが、これを捨てて攻撃力と防御力を上げた機体はまたパイロットによる好みが分かれてしまいます、しかも今回はよりはっきりと。
なんたって「二一型」の人が「五二丙型」に乗ると500kgも違ってきますから、そりゃあ重いでしょう。
あまりに重いので背面の防弾板や13mm機銃(1挺28kg+弾薬等の重量があります)を外して少しでも軽くしようとするパイロットもいたほどです。
しかし13mm機銃は新しかったから供給が間に合わなかった機体もあったのでは、とも言われていますから、13mm機銃がない機体=降ろされたと断言はできなさそうです。

防御力に万全を求めるのは酷ですが、翼内タンクは自動消火装置はあっても防漏タンクではないし、燃えないだけで燃料はずーっと漏れたまま、装備した防弾ガラスや防弾板が20mm機銃は言わずもがな、12.7mm機銃を完全無力化してくれるわけでもありません。
長い間軽業師のような動きで戦ってきたベテランのパイロットには「五二丙型」が馴染まないのも当然です。

しかし当時は新人に毛が生えたようなパイロットが圧倒的に多いため、動きが重かろうがまず落ちにくい飛行機、もっと言えば負けない飛行機が欲しいというのもまた事実。
そして武装は強力ですから、違った見方をすればアメリカ機のような戦いができる戦闘機でもあります。
足は確かに540km/hと遅いんです、でも急降下制限速度は「五二甲型」の時点で740km/hでしたから、「五二丙型」はもうちょっと速くなってもおかしくありません。
そして「F6F-3」の急降下制限速度は770km/hなので、全く敵わない範囲ではないのです。
むしろ敵と同じ戦法がとれる新しい強みができたとも言えます、20mm機銃では「F6F」を貫けるのです。

ただ「五二丙型」の良し悪しの評価、「F6F」と対抗できるか否かは別として、「五二丙型」が生産され始めたのは昭和19年/1944年10月とお先真っ暗な状況でした。
どれだけ「五二丙型」が頑丈になっても数の暴力に振り回されるといずれやられてしまいます。
「零戦」初期からこれぐらいの防弾で重いのもやむなしと覚悟を決めていたら「五二丙型」のような機体がもっと早く誕生していたかもしれませんが、現実の「五二丙型」は出てくるのがあまりに遅すぎました。
残念ながら「五二丙型」はここまで無理矢理改良をして使い続けてきた「零戦」のアイデンティティを放棄したことで、「零戦」の限界を示した機体とも言えるでしょう。
それと同時に、最も戦争に必要だった性能を持った「零戦」とも言えます。

プチネタですが、昭和19年/1944年7月から三菱と空技廠で「五三型(A6M5c)」という型式付番で研究が進められていたことがわかっています。
型式通り「五二型」に「栄三一型」を搭載しようとしたものですが、「五二丙型、五三丙型」の変遷の中に埋もれていったのだと思います。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機六二型・六三型

全 長9.121m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積21.338㎡
翼面荷重147.6kg/㎡
自 重2,155.0kg
正規全備重量3,090.0kg
航続距離1,520km(正規)
全速30分+2,190km(増槽)
発動機/離昇馬力栄三一甲型/1,130馬力
上昇時間7分58秒/6,000m
最大速度543km/h
急降下制限速度740km/h以上
燃 料胴体:140ℓ
翼内:155ℓ×2+25ℓ+2
増槽:300ℓ(末期生産分に限り150ℓもしくは200ℓ×2も可能)
武装/1挺あたり弾数三式13mm機銃(機首) 1挺/230発(末期のみ撤去)
三式13mm機銃(翼内) 2挺/230発
九九式20mm機銃二号四型 2挺/125発
搭載可能爆弾いずれか1種類
60kg爆弾 2発
250kg爆弾 1発
500kg爆弾 1発(のち可能)
三式一番二八号爆弾 10発
六番二七号爆弾 2発
九九式三番三号爆弾 4発
符 号A6M7
生産数(六二型)三菱:158機
中島:不明

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

「六二型(A6M7)」「六三型(A6M7)」はいずれもこれまでの最大60kgという軽量爆弾を搭載するのではなく、「五二丙型」をベースに最大250kgという完全に対艦爆撃用の爆弾を搭載できるタイプでした。
「零戦」はもはや旧式ですが、同じく旧式の鈍足「九九式艦上爆撃機」ではもう敵空母などへの接近は全く期待できませんでした。
それに伴い、昭和19年/1944年4月に「二一型」に爆弾を搭載させるという改造が行われています。
「九九式艦爆」よりよっぽどマシなので、じゃあ数々の改良をしてここまで働いてもらった「零戦」にもう一肌脱いでもらおうということで、ついに「零戦」は爆撃機にもなってしまいました、それも本格的な。

落下式増槽との択一になりますが埋め込み式の懸吊架が付けられていて、しかも内部構造や水平安定板、主翼の強度を高めて急降下爆撃が可能となっています。
このため「六二型、六三型」は爆撃戦闘機もしくは戦闘爆撃機と呼ばれ、急降下爆撃もできちゃう戦闘機として誕生しました。
しかしその裏には、「九九式艦爆」「彗星」のいずれの爆撃機も特攻に使われ始めたため、「零戦」も爆撃機と同じ250kg爆弾が搭載できれば、通常攻撃はもちろん特攻でも使えるという闇の思惑も含まれていました。
この搭載爆弾の重量はやがて500kg爆弾にも対応できるように更新されています。
ただし爆弾投下機能は持っておかないと、もし何らかの理由で敵艦に到達できない場合、帰還するときに爆弾を投棄できない問題があります。
「桜花」みたいに人間が操縦する誘導弾みたいなのであればまだしも、「六二型、六三型」は特攻機ではないのでちゃんとこういう機能がないと、パイロットの命はもちろん、爆弾を抱えて基地に戻って来られる側も危険です。

当然機体は重くなりますからかつての軽やかな「零戦」の面影は見る影もありませんし、爆弾投下後も「五二丙型」相当なのでやっぱりかつての「零戦」の姿には及びません。
さらに取り付けられるはずだった内袋式防弾タンクが「五二丙型」同様に採用されず、急降下爆撃や特攻に使われるのに被弾に弱いままの性能となってしまいます。
また爆弾搭載時は胴体下の増槽が取り付けられないので、5月生産分からは両翼に小型の統一型増槽(「五二乙型」改造と違うタイプ?)が取り付けられるようにもなっています。

さて、ここでちょっとややこしいお話で、「五二型」からすでに3種類のエンジンが現れています。
1つは「栄三一型」、1つは「栄三一甲型」、1つは「栄三一乙型」です。
「栄三一型」は「五三丙型」でも紹介していますが、「『栄二一型』の二速過給機羽根車の増速比が増えて、かつ水メタノール噴射装置を搭載した」エンジンです。
続いて「栄三一甲型」は、「完成した『栄三一型』から水メタノール噴射装置を外した」エンジンです。
最後に「栄三一乙型」は、「『栄三一型』の水メタノール噴射装置を最初から搭載せず、また二速過給機羽根車の増速比を『栄二一型』と同じにした」エンジンです。
「栄三一乙型」と「栄二一型」はもう性能はほぼ一緒です、分解しないと違いは分かりません。
とりあえずこの3種類のエンジンがあって、「栄三一甲」ないし「乙型」、さらには従来の「栄二一型」を搭載した「五二型」の爆戦が「六二型」で、「栄三一型」を搭載した「五三丙型」の爆戦が「六三型」らしいです。
さらには「『栄三一乙型』に水メタノール噴射装置を取り付けた」エンジンである「栄三一丙型」も存在するようです、もうなんやねん。

そして少なくとも「六三型」の生産はゼロ~僅かな数に留まり、「六二型」が昭和20年/1945年2月から三菱で158機、中島は4月ごろから生産を開始して最大で700機程度が生産されたのではないかと言われています。
また爆戦として制式に扱われてはいませんが、「二一型」「五二型」が現場判断で改造されて特設爆弾架を備え、250kg爆弾の搭載が可能となった機体も一定数存在します。

ちなみに終戦ほんとにギリギリの生産分で、「六二型」のカウリングからは次に紹介する「六四型」と同様に機首の機銃が外されているようです。
「六二型」単独では外す理由はないのですが、これには「六二型」にもエンジンの生産状況によっては「金星六二型」を搭載させるつもりだったのではないか、という考察があります。
ただ機銃を撤去するだけでは「金星六二型」は入らないので、このギリギリ生産分のカウリングが大型化していたかどうかで、この考察の信憑性は変わってくるのではないでしょうか。
単に機首に機銃を搭載させる工程を省くための簡略化の可能性も十分あります、実際末期生産型は射撃回路の簡略化により全機銃斉射しかできなくなりました。
しかしいい加減「栄」はいろんな意味で引退させるべきでもあったので、「金星」搭載=「栄」減産という構図は「五二型」に搭載を検討したときと同様のものだと思われます。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二型
五二甲型
五二乙型
五三丙型
五二丙型
六二型
五四型

零式艦上戦闘機五四型・六四型

全 長9.237m
全 幅11.000m
全高(三点)
主翼面積21.338㎡
翼面荷重147.6kg/㎡
自 重2,150.0kg?
正規全備重量3,150.0kg
航続距離全速30分+820km(正規)
2,620km(増槽)
発動機/離昇馬力金星六二型/1,500馬力
上昇時間6分50秒/6,000m
最大速度572km/h
急降下制限速度740km/h前後
燃 料胴体+翼内合わせて650ℓ
増槽:200ℓ×2
武装/1挺あたり弾数三式13mm機銃 2挺/230発
九九式20mm機銃二号四型 2挺/125発
搭載可能爆弾いずれか1種類
250kg爆弾 1発
500kg爆弾 1発(のち可能)
三式一番二八号爆弾 10発
六番二七号爆弾 2発
九九式三番三号爆弾 4発
符 号A6M8
生産数三菱:試作機2機

出典:
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

「五四型(A6M8)」はここにきてようやく自社製の「金星六二型」を搭載することになった機体です。
対象となったのは重武装でぼちぼち頑丈になったのにベテランパイロットには敬遠され、「栄三一型」周辺で発生したゴタゴタの末に誕生した「五二丙型」でした。
改造に使われた機体は「五二丙型」ですが、量産のベースになったのは「六二型」なので、試作時は「五四型」、量産時は「六四型」となった、と言われています。
「栄」のサイズのエンジンは限界に達していること、そして「栄三一型」の審査が遅れ、かつ本調子になるのを待つ暇もない。
さらに中島に「零戦」「隼」もまだこれですが)のためだけに「栄」を作らせるのもいい加減まずい状態でした。
中島は「誉」生産にかなりの労力を割いていて、「栄」の生産量がどんどん低下、ついにエンジン待ちの「零戦」が出てくるようになったのです。
急いで減産計画を立てないとということで、いろんな理由から「金星」に白羽の矢が立ったのです。

馬力だけで見れば中島の18気筒離昇2,000馬力エンジン「誉」が有力でしたが、なかなか手懐けるのが難しい「誉」に中島も海軍も手を焼いていて、ここまで多くの航空機が「誉」の気まぐれな好不調に頭を抱えてきました。
その「誉」が昭和17年/1942年末から生産が始まっているのと同じように、「金星六〇型」も同年には完成しているので、タイミングだけで見れば「五二型」の時に「金星六〇型」を突っ込むこともできたはずですが、いろいろ嚙み合わずここまで実現できずにいました。
「金星六〇番台」は離昇1,500馬力と、「誉」にはもちろん劣りますが同じ14気筒の「栄」から比べれば断然パワーアップ、さらに「栄三一型」同様に水メタノール噴射装置、さらに直接燃料噴射装置が備わっています。
直接燃料噴射装置も文字通りなのですが、こうすることで従来キャブレターが気圧や温度変化に振り回されていた問題が解消され、安定的な燃料燃焼が可能になります。

この「金星六〇番台」ですが、「誉」よりはまだ問題を起こさないエンジンだったようで、馬力が落ちても様々な機体に救いの手を差し伸べています(あくまで「金星」のほうがマシというだけ)。
まず陸軍の「一〇〇式司令部偵察機三型」に「ハ112-Ⅱ(金星六二型)」搭載されて帝国軍最速の軍用機となっています。
その後水冷エンジンの不調に苦しんでいた「彗星」の「熱田」が「金星六二型」を搭載した「彗星三三型」に、そして「三式戦闘機『飛燕』」の「ハ40」が「金星六二型」を搭載して「五式戦闘機」へと変貌。
「彗星」「飛燕」はともに元が液冷エンジンですので「金星」に変えることで形状が大きく変更されています。
しかし「零戦」はもとが空冷エンジンなので、「金星六二型」の直径103mmに合わせた多少の大型化はありましたが、「零戦」のイメージを損なう変化はほぼありません。
ただ「金星六二型」そのものが約670kgとかなり重いので、この辺りの強度バランスが内外で発生しています。

「五四型」の図面は発見されたようですが、出回っている写真については真偽のほどが定かではないようです。
初期の「二一型」などと比べると圧倒的にエンジン回りの直径は大きくなっていることがわかりますし、また気化器空気取入口が上に移動したのも外見の大きな特徴です。
重心の関係から機首にある13.2mm機銃は廃止となり、プロペラは直径は+10cmの3.15mへ大型化、プロペラ軸のスピナーは「彗星三三型」と同じタイプに変更となっています。
また「五四型」は翼内の内袋式防弾タンクがなくなっていて、自動消火装置だけとなっているようです。
内袋式防弾タンクが全然作れなかったから諦めたのだと思います。

さて肝心の性能ですが、昭和19年/1944年11月から開発が始まり、昭和20年/1945年4月に試作1号機が初飛行。
戦争末期にこの短期間での試作機完成はすごいですが、三菱は社内で「金星」搭載型「零戦」の研究を行っていたらしく、その成果が出ているのかもしれません。
結果、最大速度が572km/h、上昇力も6,000mに7分を切って到達するなど、「五二丙型」より大きく落ちていたパワーが改善。
武装強化や防弾性などが加わってかなりの重量となっていた「五二丙型」が、「五二型」同様のパワーで飛行できるというのはありがたい成果でした。
旋回性能などの使い勝手については「五二型」相当なのかがわかりませんでしたが、それなりには改善されているでしょう。
言うまでもなく航続距離は落ちていますが、もう本土防衛なので何の問題もありません。

いずれにしても「零戦」のメインとなっていた「五二型」の完全強化タイプがようやく誕生したわけです。
海軍はすぐさま「五二丙型」「五四型」への改造を指示し、また当時すでに生産の主流は「六二型」に移行していたこともあり、量産機は型番を新たに「六四型」とすることを決めました。
「零戦」最後の量産機です。

ところがすでに日本は本土爆撃を受ける有様で、ありとあらゆる軍需工場がターゲットにされていました。
「金星六二型」の生産は窮状の中でも比較的安定していたようですので、本土空襲が始まってから搭載が急ピッチで進むというのはほんとタイミングが悪いです。
結局「六四型」としては1機も完成することがなく、日本の、そして「零戦」の戦争は「五四型」の試作機2機によって幕をおろしました。

ちなみに完成したら善戦できたかと言われると、戦争という枠内なら絶対無理。
「六四型」の性能でも「F6F」に及びませんし、頑丈にはなりましたが、この時はアメリカの戦法だけでなく圧倒的な物量を薙ぎ払うぐらいのマンパワーがなければいけませんでした。
1機で10機倒しても足りないぐらいの時代です、全然、もう全然無理。