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霰【朝潮型駆逐艦 十番艦】

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起工日 昭和12年/1937年3月5日
進水日 昭和12年/1937年11月16日
竣工日 昭和14年/1939年4月15日
退役日
(沈没)
昭和17年/1942年7月5日
キスカ島沖
建 造 舞鶴海軍工廠
基準排水量 1,961t
垂線間長 111.00m
全 幅 10.35m
最大速度 35.0ノット
航続距離 18ノット:3,800海里
馬 力 50,000馬力
主 砲 50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 2基8門
次発装填装置
機 銃 25mm連装機銃 2基4挺
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 3基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸
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温情が生んだ悲劇 一時の暇が霰を沈めた

【霰】【霞】【陽炎】【不知火】とともに第十八駆逐隊を編制し、第二水雷戦隊に所属。
開戦前から「朝潮型」「陽炎型」の混合駆逐隊ですが、両者に航続距離以外で運用に支障が出る違いは少なかったため、大きな問題はなかったのでしょう。
「真珠湾攻撃」では二水戦から異動して第一航空艦隊所属の警戒隊として参加。
第十七駆逐隊、第十八駆逐隊と【秋雲】の計9隻だけが随伴できた名誉ある召集でした。
ただ先述の航続距離の問題があり、燃料不足に陥らないように艦内には燃料が入ったドラム缶が追加で搭載されていました。
第二航空戦隊ですら軍規違反をしてまで燃料を搭載して出撃していますし、どれだけハワイが遠かったかがうかがえます。

作戦終了後、本土に戻る中で油槽船団を護衛していた【霰】は道中で大嵐に遭遇してしまいます。
たまらず嵐から抜け出しますが、【霰】はあちこちに叩きつけられた波の影響で凹みが生じていて、「第四艦隊事件」を彷彿とさせる被害でした。
設計を見直された【霰】だからこそこの程度の被害で済んだのかもしれません。
船団ともはぐれていましたが、嵐を抜けた後は無事に全員無事で終結でき、日本に帰ることができました。

帰投後いったん修理に入り、翌月からも機動部隊を護衛して各方面に進出します。
2月から一連の作戦が終わるまでの2ヶ月ほど、第十八駆逐隊は連合艦隊所属となっています。
ラバウルやビスマルク諸島、ポートダーウィンを攻撃し、「セイロン沖海戦」にも参加。
島々の攻略やイギリス海軍の殲滅に大きく貢献し、ヨーロッパ勢力を大半は東アジアから駆逐することに成功します。

これで当面の敵はアメリカとオーストラリア、そしてニュージーランドに絞られました。
呉で整備を行っている間、次の大仕事のために新たな作戦が着々と、しかしザル状態で煮詰められていました。
もちろん「MI作戦」です。
二水戦はこの作戦では上陸部隊である一木支隊を乗せた攻略部隊護衛隊として参加。
しかしこれまで向かうところ敵なしであった日本の機動部隊が、「ミッドウェー海戦」で一瞬のうちに4隻を食われてしまう大敗北を喫します。
作戦遂行どころか海軍の再編が急務になるほどの喪失で、日本の未来は一夜にして曇天に覆われたのです。

この「MI作戦」の裏で、アリューシャン列島を攻略する「AL作戦」が実施されていました。
作戦は「MI作戦」の失敗により中断されましたが、それでもアッツ島、キスカ島の制圧ができており、北方からの侵略を防ぐためにも日本はこちら側の防衛も備える必要がありました。
そのために第十八駆逐隊は【千代田】【あるぜんちな丸】を護衛してキスカ島へ輸送を行うことになりました。
ただし【陽炎】だけは東京周辺で【山風】が行方不明になったことから、捜索と哨戒活動に従事することになったため、この輸送には参加していません。

6月28日に、5隻は横須賀を出港し、遥か北のキスカ島を目指します。
途中潜水艦に見つかることもなく、5隻は7月5日にキスカ島沖に到着。
来年にはこれに救われることになりますが、この時期のこの海域は霧がとんでもなく分厚く、視界は非常に悪い状態でした。
そこで【千代田】【あるぜんちな丸】だけに接岸揚陸をさせて、駆逐艦3隻は沖合で霧の中に紛れて仮泊を行うことになりました。
この判断の裏には、司令の宮坂義登大佐による乗員の連日の激務による疲労を少しでも和らげようという配慮がありました。
この思いやりが最悪の形で裏目に出ます。

まず、夜中のうちに少しずつ霧が晴れていきました。
そしてここまで潜水艦の被害はなかったですが、いないとは一言も言っていません。
【米ガトー級潜水艦 グロウラー】が、3隻を見つけて接近してきました。
相手の3隻は全く動く気配がない、こんなにいい獲物はありません。
【グロウラー】は狙いを定めて3隻に1~2本、計4本の魚雷を発射しました。

突然の爆音と噴火でも起こったのかというほどの衝撃。
それが【霰】を襲った瞬間、【霰】の命運は尽きました。
【霰】に命中した魚雷は衝撃で前部の魚雷発射管を吹き飛ばし、その次には【霞、不知火】にも魚雷が命中。
3/4の魚雷が完璧に駆逐艦のか弱い身体を食い破り、一気に破壊したのです。

【霰】はその混乱の中でも潜望鏡を発見、動く主砲で潜望鏡目掛けて砲撃を行いました。
しかし砲側照準では正確な射撃は難しく、また夜間でしかも相手はちょっとだけ潜望鏡が見えるだけです。
反撃を受けてすぐさま潜った【グロウラー】は、お返しとしてさらに1本を【霰】に発射。
これが命中したかどうかは実際のところ定かではないのですが、【霰】【グロウラー】を取り逃した後に船体が中央付近で断裂してついに沈没してしまいました。

【霞】【不知火】も被雷して相当な被害を負っているために【霰】の乗員の救助もままなりません。
【霰】は104名の戦死者を出してしまい、そして「朝潮型」初の喪失艦となってしまいました。
【霞】【不知火】は応急修理を行って【霞】後進、【不知火】前進で命からがらキスカ湾へ入港。
当日は【子日】も同じく北方のアガッツ島付近で【米タンバー級潜水艦 トライトン】の雷撃を受けて沈没しており、7月5日は「ミッドウェー海戦」に続く悲劇として海軍に衝撃を走らせました。
駆潜艇の被害もあったことから、これ以上の空母の喪失を避けるために海軍は空母群を引き上げさせています。