珊瑚海海戦

重巡洋艦

羽黒【妙高型重巡洋艦 四番艦】

「妙高型」の末っ子として誕生した【羽黒】は、もともと呉海軍工廠での建造が予定されていましたが、経営が苦しくなっていた三菱長崎造船所への補助を兼ねて同造船所で建造されることになった、という経緯があります。 ちょうど【客船 浅間丸】も建造していたため、その影響が内装に現れています。 4隻の中では最も居住性が高かったそうです。
重巡洋艦

妙高【妙高型重巡洋艦 一番艦】

「古鷹型」と「青葉型」を相次いで建造した日本ですが、もちろん米英が対抗して大型巡洋艦の建造に踏み切ることは予測していました。 なので、日本もこの4隻で満足せず、より強力で大型な巡洋艦の建造へと移ります。 そこで生み出されたのが、【妙高】をはじめとする「妙高型重巡洋艦」です。 【妙高】はなんといっても火力重視の重巡で、これまでの6門から一気に10門まで主砲数を増やしています。
重巡洋艦

加古【古鷹型重巡洋艦 二番艦】

日本では5,500t級の最終型である「川内型巡洋艦」の一番艦【川内】が大正11年/1922年2月に起工間近となっていました。 しかし「川内型」では依然アメリカの巡洋艦の力には及びませんでした。 そんな中で2月6日に「ワシントン海軍軍縮条約」が締結、これによって本来予定されていた四番艦【加古】の建造は艦隊計画の全見直しのために中止となってしまいました。
重巡洋艦

古鷹【古鷹型重巡洋艦 一番艦】

「ワシントン海軍軍縮条約」の締結によって新型巡洋艦の必要性は一気に戦艦級にまで高まります。 巡洋艦の制限は、基準排水量1万t以下、主砲口径5インチ以上8インチ以下。 これにより、主砲を最大の20cmとし、計画基準排水量7,100tで、海軍の理想とする巡洋艦「古鷹型(当時加古型)」の建造が11~12月に始まったのです。
航空母艦

祥鳳【祥鳳(瑞鳳)型航空母艦】

「ワシントン海軍軍縮条約」と「ロンドン海軍軍縮会議」によって、各国は空母の保有量が制限されてしまいます。 そこで日本は、その条約に抵触しないレベルで空母っぽい艤装をさせた船を建造しておき、いざ必要な時に3ヶ月程度で空母に改装できるようにしておくという計画を立てました。 その候補の1隻となったのが、【高速給油艦 剣埼】でした。
航空母艦

瑞鶴【翔鶴型航空母艦 二番艦】

【瑞鶴】は、【翔鶴】と同じく日本の空母の完成形として建造された空母です。 「めでたい」という意味の「瑞」と、長寿の象徴である「鶴」を名に持つ【瑞鶴】は、その名の通り非常に幸運な艦でした。 通常、艦艇の建造は大掛かりゆえ、どうしても死傷者が発生してしまうものでした。 しかしこの【瑞鶴】は3年余りの工期の間、工期を短縮したにも関わらず、ただの一人も殉職者を出すことなく竣工しており、建造当初から幸運の片鱗がありました
航空母艦

翔鶴【翔鶴型航空母艦 一番艦】

【翔鶴】は、これまでの空母とは違い、完全に軍縮条約の制約から解放された環境下で建造された空母です。 これまで建造してきた4隻の大型空母はそれぞれに長所、短所がありましたが、「翔鶴型」はそれらの経験を踏まえて建造できるはじめての本格的な空母。 帝国海軍の経験をすべて注ぎ込んだ、威信をかけた空母でした。
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