起工日 | 昭和13年/1938年2月5日 |
進水日 | 昭和13年/1938年12月9日 |
竣工日 | 昭和14年/1939年5月31日 |
退役日 (解体) | 昭和23年/1948年1月31日 |
建 造 | 三菱長崎造船所 |
基準排水量 | 13,600t |
全 長 | 166.55m |
垂線間幅 | 21.90m |
最大速度 | 23.0ノット |
航続距離 | 18ノット:7,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
装 備 一 覧
昭和18年/1943年(改造時) |
搭載数 | 艦上戦闘機/18機 |
艦上攻撃機/6機 | |
格納庫・昇降機数 | 格納庫:1ヶ所 |
昇降機:2機 | |
備砲・機銃 | 40口径12.7cm連装高角砲 4基8門 |
25mm三連装機銃 8基24挺 | |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 2基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 | |
飛行甲板 | 長160.0×幅23.0 |
大阪の商船は最も小さな改装空母に 海鷹
民間の客船が軍事転用されたのは、日本郵船所属の客船ばかりではありません。
この【海鷹】は、大阪商船所属の【あるぜんちな丸】が「優秀船舶建造助成施設」制度に基づいて帝国海軍に徴用された商船です。
【あるぜんちな丸】は神戸から南米を結ぶ航路用に建造された、大阪商船最大の豪華客船でした。
しかしこの航路で働けたのはわずか1年3ヶ月で、戦況悪化によって大連と神戸を結ぶ航路へ変更、その後は特設運送艦を2ヶ月間だけ名乗った後、「ミッドウェー海戦」敗戦を受けて空母へと改装されました。
また、同じく【ぶら志゛る丸】という商船が空母へ改装されることになっていましたが、こちらは改装のために本土へ向かっている最中に米潜水艦の魚雷の被害を受け、改装されることなく撃沈されています。
機関はディーゼルタービンから「陽炎型」で使用されていた艦本式ボイラータービンに換装されましたが、それでも最高速度は23ノットと遅く、更に空母としては非常に小さかったため、日本商船出身の【大鷹】【雲鷹】【冲鷹】と同じように輸送任務につくことになりました。
が、それはすぐに解除され、逆に輸送船の護衛に回ることになりました。
昭和19年/1944年5月 あ号作戦直前の対空兵装比較 |
高角砲 | 40口径12.7cm連装高角砲 4基8門 |
機 銃 | 25mm三連装機銃 8基24挺 |
電 探 | 21号対空電探 1基 |
出典:[海軍艦艇史]3 航空母艦 水上機母艦 水雷・潜水母艦 著:福井静夫 KKベストセラーズ 1982年
そして昭和20年/1945年になると、もう輸送できる燃料すらなくなってしまい、次の仕事は訓練標的艦となりました。
しかしまたしても長くは続かず、アメリカ軍が設置した機雷に触雷した【海鷹】は航行不能に陥ってしまいます。
別府湾まで曳航はされたものの、4日後の空襲によって浸水が増大、もはや使い物にならなくなった【海鷹】は船体放棄され、そのまま3週間後の終戦を迎えました。
客船として竣工してから非常に慌ただしく任務が変更された【海鷹】でしたが、彼女は輸送型の商船改装空母の中では唯一の生き残りでした。