起工日 | 大正10年/1921年4月16日 |
進水日 | 大正10年/1921年10月1日 |
竣工日 | 大正11年/1922年3月31日 |
退役日 (沈没) | 昭和20年/1945年2月20日 |
カムラン湾 | |
建 造 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 | 1,251t |
垂線間長 | 97.54m |
全 幅 | 8.92m |
最大速度 | 39.0ノット |
馬 力 | 38,500馬力 |
主 砲 | 45口径12cm単装砲 4基4門 |
魚 雷 | 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門 |
機 銃 | 6.5mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 4基 |
三菱パーソンス式ギアード・タービン 2基2軸 |
峯風型改め「野風型」とも呼ばれる、外洋知らずの野風
「峯風型」が順調に建造されていく1920年代。
39ノットという高速性に12cm単装砲4門、53.3cm連装魚雷発射管3基6門という強武装、世界各国の駆逐艦に比べると非常に秀でている性能でした。
しかしスペック上では強力であっても、運用してみるとある問題が発覚しました。
まず、「峯風型」の兵装配置を確認してみましょう。
砲の配置としては等間隔に近い距離で配置されているため、一見広範囲をカバーできそうでいいようにも見えます。
しかしこれほどすべての砲、魚雷の距離が離れていると、砲雷撃の連携が取れないし弾薬庫も4つ用意しないといけないし、魚雷運搬の距離も伸びるため被弾時に危険です。
せっかくの重武装もこれでは宝の持ち腐れになってしまいます。
このため「峯風型」はまだ建造中にもかかわらず、結構がっつり兵装配置を変更することになりました。
その「峯風改型」の一番艦となった【野風】では、以下のような配置となりました。
1番、2番砲を近づけるのは物理的に無理ですが、2番煙突を挟んで背中合わせとなっていた砲が、後檣を後ろに下げて2番、3番魚雷発射管を並べて配置。
そして後檣を挟んで3、4番砲が背中合わせという配置に変わりました。
これで3、4番砲の運用がスムーズとなり、現場からの反応も良いものだったため、のちの「神風型」「睦月型」でも採用されています。
そして以後の駆逐艦も、魚雷と砲はできるだけ連続して配置して運用されるようになりました。
【野風】は【沼風】【波風】さらに後継艦の【神風】とともに第一駆逐隊を編成し、千島・北海道の交通保護に従事します。
「日華事変」では華北・華中の沿岸作戦に参加。
太平洋戦争開戦後も拠点は変わらず、大湊や幌筵などを拠点として船団護衛と哨戒活動に勤しみました。
第一駆逐隊は船団護衛を数多く達成していましたが、【野風】は昭和17年/1942年10月6日より横須賀鎮守府附となり第一駆逐隊から離脱。
ここからは主に大湊や室蘭などと横須賀を結ぶ船団の護衛を黙々とこなしました。
昭和18年/1943年6月15日?から第一駆逐隊に復帰しましたが、このころはアッツ島・キスカ島の状況は風前の灯火で、すでに5月29日にアッツ島は守備隊が玉砕しており、キスカ島からの撤退が待ったなしというところでした。
幸い「キスカ島撤退作戦」が神がかった成功を達成したものの、これで北方海域でも前線は大きく下がってしまいました。
そして12月18日、ついに【沼風】が潜水艦の雷撃によって撃沈されてしまいます。
1隻を欠いた第一駆逐隊ですが、補充はなく3隻での活動を継続。
昭和19年/1944年5月3日は護衛中の【伏見丸】が突然爆発、沈没しました。
何事かと慌てますが、当然ですが潜水艦による攻撃を受けてしまったのです。
この時は霧が深く視界は最悪で、潜望鏡なんてそう簡単に発見できる状況ではありませんでした。
【伏見丸】を撃沈させたのは【米タンバー級潜水艦 トートグ】。
第二次世界大戦で最も多くの船を沈めた超武勲艦に花を添えることになってしまったのです。
9月18日、今度は【波風】がやはり魚雷を受けて大破してしまいました。
沈没はしませんでしたが、【神風】が【波風】を曳航して何とか小樽まで逃げ延びました。
この被害によって【波風】も第一駆逐隊から離脱し、【神風】との2隻体制となってしまいます。
しかしいよいよ昭和20年/1945年に入ると、【野風】にも危険極まりない南方に出てもらわざるを得なくなります。
要所という要所が悉く陥落し、シンガポールと台湾は何としても死守しなければならない最後の要でした。
前年末に装備の改装を受け、【野風】は正念場を迎えます。
この時の改装の内容は【神風】とほとんど一緒と考えられ、22号対水上電探改四も装備されています。
2月20日、【野風】は【神風】【昭南】とともに台湾を経由してシンガポールへ向かうヒ91船団を護衛していました。
ヒ91船団は出発の2日後である1月28日に台湾へ向かう途中で潜水艦に襲われており、ここで【讃岐丸】と護衛の【久米】が沈没。
命がいくつあっても足りない航海でした。
ヒ91船団の存在が明るみになった以上、このまますんなりと通してくれるはずがありません。
護衛も1隻仕留めた今、襲い掛かるには絶好の機会。
今度は先ほどの潜水艦とは別の【米ガトー級潜水艦 パーゴ】が4本の魚雷を発射しました。
魚雷はうち1本が【野風】の機関部に直撃。
当たり所が悪かった【野風】はこの一撃で大爆発を起こし、あっという間に横転沈没。
【野風】は太平洋戦争で米潜が沈めた最後の駆逐艦で、【神風】によって救助されたのはわずかに20名ほどで、209名もの人員がここで失われました。