起工日 | 昭和19年/1944年2月10日 |
進水日 | 昭和19年/1944年10月10日 |
竣工日 | 昭和19年/1944年12月26日 |
退役日 (処分) | 昭和23年/1948年2月3日 |
建 造 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 | 2,701t |
垂線間長 | 126.00m |
全 幅 | 11.60m |
最大速度 | 33.0ノット |
航続距離 | 18ノット:8,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 65口径10cm連装高角砲 4基8門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 1基4門 |
次発装填装置 | |
機 銃 | 25mm三連装機銃 4基12挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 |
艦本式ギアードタービン 2基2軸 |
秋月型最終艦 決戦前の大和に寄り添った花月
【花月】は【冬月】以降の「秋月型」よりも、さらに性能低下を受け入れ、より工程簡略化を徹底することになった艦です。
ただし通称「満月型」と言われるこの型ですが、実際に竣工したのは【花月】のみ、また資料によっては【花月】を含むか含まないか、更には「本改正は367号艦以降に実施す」とあることから「清月型」と表したり、謎が多いです。
【花月】は起工から10ヶ月半、進水から2ヶ月半で竣工というかなりのハイスピードで完成しています。
しかし竣工後には旗艦用設備が設けられることになり、また電探や機銃の増設など、竣工後も工事は行われていました。
3月15日、第三十一戦隊に配属された【花月】は、18日には当時旗艦の【竹】より将旗を預かり、新たに戦隊旗艦になりました。
【花月】は広島湾へ移動すると【大和】の直衛を努めます。
翌日には呉を狙った大空襲が発生し、350機の米航空隊に対して【花月】は防空駆逐艦として精一杯奮戦します。
【大和】に若干の損傷が発生し、【花月】も死傷者を出しますが船への被害はなく、この場はなんとか凌ぎ切りました。
21日から呉で修理を行いますが、それと同時に単装機銃も新たに10基増設。
26日には弾薬や酒保品を搭載し、【大和】は二水雷戦隊らとともに柱島泊地へ移動し、最後の決戦となる「坊ノ岬沖海戦」に備えます。
4月5日には【榧】【槇】とともに、「坊ノ岬沖海戦」へ挑む【大和】ら特攻隊へ燃料の補給を行うためにへ徳山へ向かいます。
そして6日の15時に特攻隊に1時間ほど同行したあと、【花月】らはもう二度と見ることのない大きな背中を見送りました。
「坊ノ岬沖海戦」終結後の4月8日、【花月】は第十一水雷戦隊に合流して訓練を行うことになります。
5月20日には、本土決戦に備えた特攻の準備のため、解体された第二水雷戦隊に変わる戦隊として海上挺進部隊が編成されました。
ただし積むのは魚雷ではなく、特攻らしく「回天」です。
【花月】は残念ながらこんな戦隊の旗艦も任されています。
第三十一戦隊が中心となって組織された海上挺進部隊でしたが、燃料不足は深刻で、結局【花月】たちは樹木で船を擬装されて繋留されたまま本土決戦までに損耗しないように守られました。
しかし本土決戦は2発の原爆の衝撃に心を折られた日本の降伏によりなくなります。
終戦後、復員船任務を終えた【花月】は、昭和22年/1947年8月29日にアメリカに引き渡され、調査をされたあと、昭和23年/1948年2月3日に処分されて歴史を閉じました。