起工日 | 昭和12年/1937年8月31日 |
進水日 | 昭和13年/1938年10月25日 |
竣工日 | 昭和15年/1940年1月27日 |
退役日 (沈没) | 昭和18年/1943年5月8日 |
ブラケット水道 | |
建 造 | 藤永田造船所 |
基準排水量 | 2,033t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 |
次発装填装置 | |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
輸送に明け暮れた艦隊型駆逐艦 黒潮
【黒潮】は竣工時には【初風】【雪風】と3隻で第十六駆逐隊を編成し、第二水雷戦隊に所属していました。
その後「陽炎型」の建造が進む中で【黒潮】は11月15日に第十五駆逐隊に異動。
ここには【親潮】【早潮】【夏潮】がいて、【黒潮】加入により4隻体制になっています。
昭和16年/1941年6月23日、【黒潮】は日向灘で連合艦隊の夜間訓練に参加していました。
訓練は無事に終了したのですが、その後演習魚雷回収中に【峯雲】が【夏雲】の側面に衝突するという事故が発生してしまいます。
慌てて【峯雲】は後進をかけますが、この時【峯雲】の後方には【黒潮】がおり、不注意のままバックしたことで今度は【黒潮】にも衝突。
3隻が絡む多重事故が起こってしまいました。
【黒潮】は【峯雲】の左舷後部にぶつかったことで艦首が屈曲。
工事は1ヶ月ほどで済みましたが、見た感じは結構痛々しいです。
太平洋戦争がはじまると、第十五駆逐隊はフィリピン攻略のためにダバオへの空襲を行った【龍驤】を支援。
この空襲で撃墜した敵機のパイロット1人を【黒潮】が救出しています。
その後アンボン、ケンダリー、マカッサルなど主要都市の攻略に邁進し、侵攻は順調に進んでいました。
しかし無傷というわけではなく、2月8日にはマカッサルへ向かう船団を護衛していたところで【米S級潜水艦 S-37】に襲われます。
この時天候が悪かったこともあって各艦は識別灯を点灯させており、潜水艦からすれば標的の位置を教えてくれているようなものでした。
この魚雷で【夏潮】が被雷し、【黒潮】は【夏潮】を曳航してケンダリーへ向かおうとしましたが、折からの悪天候により【夏潮】の浸水が急速に進行。
被害は甚大だったため、結局救出は断念されて【夏潮】は自沈処分されました。
その後も南下を続ける日本軍の手となり足となり戦い続けた【黒潮】ですが、3月15日、第十五駆逐隊は2月にパラオ沖で座礁した後も任務を続けていた【加賀】を本土に送り届ける役目を受けました。
3隻は【加賀】を護衛して佐世保に向かい、到着後に【黒潮】も呉へ戻って整備を受けました。
「蘭印作戦」もほぼほぼ決着しており、日本は開戦の勢いそのままに当初の計画を達成したのです。
4月17日、第十五駆逐隊は再びフィリピンへ向けて出港。
ところが出港翌日に本土はまさかの事態に合います。
「ドーリットル空襲」により、日本は空母からの空襲を受けてしまったのです。
海軍は狼狽し、各艦にどこにいるかわからない敵空母を探すように命令。
ただ第十五駆逐隊はこの後中国へ向かう【B-25】を捉え、対空射撃を敢行しています。
残念ながら戦果はありませんでしたが。
兜の緒を締めるきっかけになりそうなこの「ドーリットル空襲」でしたが、ここから日本の快進撃は食い止められるようになりだしました。
5月8日は「珊瑚海海戦」があり、ここでは【祥鳳】が沈没、【翔鶴】が大破。
フィリピンでの任務にあたっていた3隻は、この戦いで傷付いた【翔鶴】を本土まで護衛することになり、約1ヶ月で再び日本に戻ることになりました。
そして完全に勢いを失った「ミッドウェー海戦」では、【黒潮】は攻略部隊護衛隊として参加。
ミッドウェー島に上陸する部隊の船団を護衛する仕事だったわけですが、悲惨な結果となったことで彼らがミッドウェーに上陸することはありませんでした。
その後第十五駆逐隊はペナン沖へ派遣されて対潜哨戒任務を負うことになりました。
また7月には1隻沈没2隻大破という憂き目にあった第十八駆逐隊から【陽炎】が編入されることになり、再び第十五駆逐隊は4隻体制となっています。
8月に入ると、またもや急転直下の出来事が日本を揺るがします。
完成間近のルンガ飛行場が奪われて、敵の反撃拠点となってしまったのです。
ここから「ガダルカナル島の戦い」が始まり、駆逐艦の酷使が始まるのです。
例に漏れず【黒潮】も鼠輸送に駆り出され、ショートランドやラバウルから何度も何度もガダルカナルを中心に各島を線で結びました。
さらに「南太平洋海戦」でも第二艦隊の一員として参加、「第三次ソロモン海戦」にも【黒潮】は出撃していますが、両海戦とも【黒潮】は戦闘に陥った部隊ではない所属であったため、戦果はありません。
この2つの海戦はいずれも敵に手痛い一撃は与えたものの日本が最も欲した結果はすべて妨げられました。
第十五駆逐隊から離れてラエへの輸送を【磯波】らと行っていた【早潮】は、11月24日に空襲を受けて沈没し、第十五駆逐隊にとっても苦々しい経験となりました。
「ガダルカナル島の戦い」の敗北は決定的ではありました。
しかしガダルカナルに残る兵士たちは明日の命どころか数分後の命を手繰るのが精一杯の状況で、どれだけ厳しい状況でも輸送だけは途絶えさせるわけにはいきませんでした。
11月30日、二水戦は【長波】を旗艦に据え、ガダルカナルへ向けて再び鼠輸送が開始されました。
アメリカ側は当日朝に触接により東京急行が発車したことを確認。
もちろん迎撃部隊が用意され、【米ニューオーリンズ級重巡洋艦 ミネアポリス】を旗艦とした第67任務部隊がルンガ岬沖で網を張っていました。
一方で触接に気付いた二水戦も、戦闘になったら戦闘を優先し、固定できないドラム缶は投棄するように命令を下しています。
輸送物資を捨てるのかといわれるかもしれませんが、戦闘中に固縛できないドラム缶なんて駆逐艦の激しい動きの中で簡単に転がり回りますから、逆に乗員たちの邪魔になってしまいます。
もともと無理矢理積んでいるので捨てるものが発生してもやむを得ないのです。
21時6分、アメリカ側はレーダーで二水戦を発見、一方警戒隊として二水戦の先頭にいた【高波】も数分遅れで敵艦隊を捕捉します。
敵艦隊はこちらに向かってきていることからやり過ごすことはできず、そして「ルンガ沖夜戦」が勃発しました。
先頭の【高波】はすでに引き返すことができないぐらいに敵艦隊に接近していて、砲撃が集中します。
【高波】も砲撃で敵艦隊に複数の命中弾を浴びせ、自身と敵艦の火災から狙うべき場所がくっきりと浮かび上がりました。
この隙に輸送隊は魚雷を燃え盛る炎へ向けて次々と発射。
【黒潮】は【親潮】とともに射点をずらし、敵左舷後方にまわってから魚雷をそれぞれ8本ずつ発射しています。
意気揚々と【高波】に砲撃を行っていた第67任務部隊でしたが、その後地獄が待ち構えていました。
四方から飛び込んでくる魚雷が次々に命中し、最終的には重巡1隻沈没、3隻大破という、まさに駆逐艦らしく魚雷で大物を喰うという戦果を挙げることができました。
こちら側の喪失は【高波】だけで、【黒潮】は【親潮】とともに【高波】の救助に向かったのですが、【米ペンサコーラ級重巡洋艦 ペンサコーラ】と推定される巡洋艦が接近したことで救出を諦めて離脱しています。
大勝利に終わった「ルンガ沖夜戦」ではありますが、しかし輸送という最大の目的は全く果たせていません。
結局この後も日本は鼠輸送を続けるしかなく、しかもアメリカは重巡のような大型艦ではなく空襲と魚雷艇による妨害に切り替えてきたことで、例え未達でも敵に手痛いダメージを与えるということもできなくなりました。
その後の輸送実績や被害の見通しなどもあり、ついに年末にガダルカナルからの完全撤退が決定。
翌年からは救助のための輸送が始まりました。
この「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」は見事に連合軍を騙してみせて、地獄のほうがまだ平和と思われるほどの凄惨なガダルカナルから逃げ出しました。
【黒潮】は3回の「ケ号作戦」すべてに参加していますが、2回目の輸送の際に空襲で至近弾を受けて若干の被害を受けています。
その後ショートランドからラバウルへ向かう輸送船を護衛していた【江風】が、その輸送船の中の【東運丸】と衝突したことで引き返しており、その【江風】をラバウルまで曳航しました。
ガダルカナルからの撤退は完了しましたが、駆逐艦の疲労はピークを遠にすぎていて、いくらトラックの【明石】の整備を多少受けていたとはいえ本土での本格的な整備は必須でした。
そのため多くの駆逐艦が本土へ帰ることになり、【黒潮】も【陽炎、親潮】とともに【隼鷹】を護衛してトラックを出発。
この時陸上に展開していた艦載機の収容が悪天候のためにできなかったため、他の艦が2月15日に出港する中この4隻だけは出港が1日遅れています。
呉に戻ってきた【黒潮】は激戦の疲れを癒し、4月4日に【黒潮、親潮】【漣】【響】の4隻で【鳥海】【大鷹】【冲鷹】を護衛してトラックへ向けて横須賀を出港。
その後はコロンバンガラへの輸送任務が行われ、この輸送に第十五駆逐隊も参加することになります。
第十五駆逐隊はまず4月29日の1回目の輸送、そして5月3日の2回目の輸送を実施。
いずれも被害がなく、かつてのガダルカナルで味わった常にナイフが喉元とにあるような怖さはありませんでした。
しかしこれは嵐の前の静けさというやつで、連合軍が何も考えずに関所の門を開けっぱなしにしていたわけではありません。
この輸送は毎回同じコースを往復していたため、5月6日、アメリカは夜な夜な航路に機雷を敷設。
のこのこやってくるくそったれを一網打尽にしてやろうと準備をしていたのです。
その被害に遭ったのが第十五駆逐隊でした。
翌5月7日、3隻は今日も何事もなく輸送を達成。
揚陸も順調に済ませ、翌日午前3時頃にコロンバンガラを発ちました。
しかしアメリカが張った罠は、その帰路にバッチリ存在していました。
3時49分、【親潮】から突然大爆発音が轟きました。
明らかに攻撃によるもので、【黒潮】と【陽炎】は潜水艦による魚雷だと判断して爆雷を投下。
また止まっていると危険なので、周辺を警戒しながら低速で動いていましたが、これが実は機雷でしたから逆効果でした。
続いて【陽炎】、さらには【黒潮】も触雷し、特に【黒潮】に至っては魚雷の誘爆もあって轟沈したと言われています。
沈まずに耐え続けていた【陽炎、親潮】も、まんまと罠にかかったという見張り員の報告を受けて止めを刺すために航空機が到来します。
【親潮】はこの空襲で命中弾1発、【陽炎】は至近弾や機銃掃射による被害もあったものの、2隻ともこの空襲で沈むことはありませんでした。
しかし2隻とも浸水を抑え込むことができず、また航行もできなかったのでやがて沈没。
一瞬にして第十五駆逐隊は壊滅してしまいました。
なお、【黒潮】は太平洋戦争における第二水雷戦隊所属期間が【陽炎】と並んで歴代第二位です。