起工日 | 昭和19年/1944年6月10日 |
進水日 | 昭和19年/1944年10月12日 |
竣工日 | 昭和19年/1944年11月26日 |
退役日 (解体) | 昭和23年/1948年7月 |
建 造 | 藤永田造船所 |
基準排水量 | 1,262t |
垂線間長 | 92.15m |
全 幅 | 9.35m |
最大速度 | 27.8ノット |
航続距離 | 18ノット:3,500海里 |
馬 力 | 19,000馬力 |
主 砲 | 40口径12.7cm連装高角砲 1基2門 |
40口径12.7cm単装高角砲 1基1門 | |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 1基4門 |
機 銃 | 25mm三連装機銃 4基12挺 |
25mm単装機銃 8基8挺 | |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 2基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
ツキに見放され、戦後の活躍も阻まれた楢
【楢】は先代の「楢型駆逐艦」のネームシップであり、大正7年/1918年4月に竣工しています。
先代の【楢】は、種別を変えながら20年以上働き続けましたが、この二代目【楢】の歴史は残念ながら非常に短いのです。
竣工は昭和19年/1944年11月16日で、この時は「レイテ沖海戦」も終わり、帝国海軍は「多号作戦」に全力を注いでいるところでした。
タイミング的には翌日の17日が第六次多号作戦で、「多号作戦」は後半戦に突入していました。
【楢】は一刻も早くこの「多号作戦」に参加するべく、第十一水雷戦隊で日々汗を流します。
しかししばらくもしないうちに「多号作戦」は中止となり、戦いは次のフェーズに移ります。
そして訓練を続けていた【楢】ですが、昭和20年/1945年1月5日、【楢】の復水器に不具合が発生。
原因はシンプルだったので3日ほどで解消されましたが、別にこの不具合があろうがなかろうが、【楢】の出番は、いや海軍の出番はもう数少ないものでした。
3月1日、【楢】は【欅】とともに第一海上護衛隊の指揮下に入ることになり(編入ではない)、3日には初めての任務となる船団護衛が控えていました。
護衛するのはヒ99船団で、【楢】の他に【欅】と【朝顔】、そして海防艦として【宇久、新南】がおりました。
これに対して輸送船は【第五山水丸】たった1隻。
【第五山水丸】は1ヶ月前に完成したばかりの貴重(当時はこの1隻だけ?)な高速タンカーではありましたので、いくら二等駆逐艦が含まれているとは言え、速度と装備に大きな問題はない、普通の対潜警戒船団ではあります。
しかしこの船団、12日に六連を出港したものの、居金島で待機中に作戦中止が言い渡され、【楢】の初任務は道半ばで閉ざされてしまいました。
ちなみにヒ99船団ですが、この次は3桁になるのではなく01船団に戻り、2周目のヒ03船団が最後のヒ船団となりました。
護衛中の15日に【楢】は【欅】【櫻】【椿】【柳】【橘】と第五十三駆逐隊を編成しています。
その後佐世保、呉へと移動した【楢】でしたが、ついに作戦らしい作戦を実行することはありませんでした。
ただ作戦はなくとも被害は受けていて、6月30日、関門海峡付近を航行中に【楢】は機雷に接触し、艦尾屈曲及び浸水、2番砲使用不能という大損害をおってしまいます。
こんな時期にこんな被害をだった船が修理されるわけもなく、【楢】はこの状態で門司に係留され、終戦の時を待ち続けることになります。
終戦後も航海ができない【楢】に出番はなく、各艦が復員船としてせわしなく働く中でも門司港に留まっており、昭和23年/1948年5月に解体、ひっそりと3年の生涯を閉じました。