神風【神風型駆逐艦 一番艦】

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起工日大正10年/1921年12月15日
進水日大正11年/1922年9月25日
竣工日大正11年/1922年12月28日
退役日
(解体)
昭和22年/1947年10月31日
建 造三菱長崎造船所
基準排水量1,270t
垂線間長97.54m
全 幅9.16m
最大速度37.25ノット
馬 力38,500馬力
主 砲45口径12cm単装砲 4基4門
魚 雷53.3cm連装魚雷発射管 3基6門
機 銃6.5mm単装機銃 2基2挺
缶・主機ロ号艦本式缶 4基
三菱パーソンス式ギアード・タービン 2基2軸
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名前が足りなくなるほどの数が計画された神風型

【峯風】から建造が始まった「峯風型」は、【野風】の時点で兵装配置が一新され、【野風】【波風】【沼風】の3隻は「峯風改型・野風型」と呼ばれることもあります。
そしてこの砲、後檣の配置変更は功を奏し、今後の駆逐艦のベースとなりました。

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ
「峯風型」の生みの親となった「八四艦隊計画」「八六艦隊計画」、そして「八八艦隊計画」としてグレードアップし、その一環として次の建造が計画されたのが、この「神風型」です。
「神風型」「野風型」をさらに改良し、排水量が65t、全幅が0.2mだけ大きくなりました。
これは復原性や安定感を増大させるための措置です。
実際【沖風】以降の船が高速旋回すると傾斜が著しいという訴えがあり、それを反映させた形となります。

他にも故障が頻発したパーソンス式ギアード・タービンは最大出力を出すことで故障につながるため、回転数を下げるという処置が取られています。
この時出力が落ちるのはまずいため、タービンを少し大きくしています。
しかし残念ながらこのおかげで駆逐艦最大の武器とも言える速力が若干低下してしまいました(39ノット→37.25ノット)。

当時アメリカでは「金剛型」の27.5ノットをを7ノット近く上回る33ノットという速度を発揮する巡洋戦艦の建造を計画していました。
この巡洋戦艦の正体が何かというと、あの有名な巨大煙突を誇る「レキシントン級航空母艦」の改造前の青写真です。
33ノットに対して37.25ノットというのは決して満足いく速度差ではない、むしろ全然足りないのですが、いやまず戦場に出れないと意味ないでしょということで、航洋性を優先した結果です。

兵装に関しては前述の「野風型」とまったく同じです。
ですが搭載している魚雷発射管は六年式から一〇年式53.3cm連装魚雷発射管へと改良され、これまでは人力旋回だったところを1.5馬力の力で機力旋回ができるようになりました。
人力で旋回させることも可能ですが、人力よりも機力のほうが10秒ほど旋回速度が早かったようです。

「野風型」から外観で変わった個所というのはほとんどないため、「野風型」「神風型」を見分けるのはなかなか難しいです。
しいて言うなら煙突の傾斜具合だそうですが、改装後だと煙突の開口部が明らかに斜めになっているのですぐわかりますが、竣工時だと写真を並べても困難なぐらい差が小さいです。

「神風型」はこのようにほとんどが「野風型」のまま、しかし「峯風型」で問題となったタービンと凌波性の問題解消を中心に一部設計が改められた駆逐艦です。
新しい分類となっていますが、スペック面でみると「峯風型」と大差ありません。
つまり「神風型」はまだまだ発展途上の駆逐艦ということでした。
その証拠に、「神風型」【追風】以降の後期型4隻ではタービンであったり爆雷であったりとだいぶ変更点があります。

「神風型」で特筆すべきは、何と言っても計画された艦の数です。
その数、なんと27隻。
「八八艦隊計画」はもともとむちゃな計画でしたが、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を中心に構成される艦隊にはそれを護衛するための大量の船が必要で、駆逐艦の数が膨大になるのは当然でした。

駆逐艦の命名基準は、主に気象に関することでした。
そして「峯風型」「神風型」はもちろん「風」に関する言葉が選ばれます。
「峯風型」以降の名称の候補では、【大風、真風、旋風】などがあったようですが、しかしいくら日本語は言葉が豊富とはいえ、「海風型、浦風型、磯風型、江風型、峯風型」で使われた言葉を除いて(一部は旧式退役としたとしても)、これ以上「風」に関する言葉を探し出すことは大変困難でした。
何とか絞り出したとしても、もう古典文学などでしか目にかからないような、国民にとって全く馴染みのない名前になってもよくありません。

そこで帝国海軍は「風」の基準を排除し、非常にわかりやすい、「数字」を使うことにします。
よって「神風型」は、日本を窮地から救う「神風」という大変縁起のいい言葉を冠するにも関わらず、「第一駆逐艦、第三駆逐艦・・・」という素っ気ない命名となってしまいました。
ちなみに一等駆逐艦である「神風型」には奇数が、二等駆逐艦である「若竹型」には偶数番号が振られる予定でした。

ところが、愛着も湧きにくい付番呼びとなる予定だった「神風型」に転機が訪れます。
「ワシントン海軍軍縮条約」の締結によって各艦種の隻数が制限され、「八八艦隊計画」が消滅してしまったのです。
そもそも実現不可能な建艦計画であったために、この締結は日本の財政破綻の危機から救ってくれた側面があります。
しかし日本の戦艦の保有が米英に比べて5:3となってしまったことから、日本はこんなに駆逐艦いらないじゃんとなって、「峯風型」を遥かに凌ぐ27隻という大所帯となるはずだった「神風型」は、たったの9隻まで減らされます。
そして同時に、制限のなかった戦艦以外の船、すなわち駆逐艦や巡洋艦をを強化せざるを得なくなりました。

9隻になった「神風型」は、途端に余っていた「風」の言葉があてがわれていきました。
もちろんネームシップは【神風】です。
ちなみに当時から数字を船の名前にするということは不評だったようです。
昔から名前で船を呼ぶことは、愛着も湧くしかっこよかったのでしょう。

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

肉体衰えど気力は失せず 多忙を極める旧式艦

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ
【神風】は当初「第一駆逐艦」として、大正13年/1924年には「第一号駆逐艦」、さらに昭和3年/1928年8月1日にはれて【神風】となります。
【神風】は前述の通りほとんど「野風型」の微改良だったので、【野風、沼風、波風】とともに第一駆逐隊を編成しますが、運用上問題はなかったでしょう。
1年だけですが、昭和4年/1929年11月30日から【加賀】中心とした第一航空戦隊にも編入されています。

しかし「峯風型」同様、太平洋戦争時にはすでに艦齢20年、当然旧式です。
【神風】は船団護衛や哨戒活動を中心に行っていきました。
各海戦の要となる輸送任務を着実にこなした【神風】は、おもに北方海域で任務に従事しました。
アッツ島やキスカ島の占領や維持に関係するため第一駆逐隊の役割は重要です。

しかし北方海域でのアメリカ潜水艦との攻防は激しいものでした。
さらにここへ南方での戦況が均衡から不利へ移っていくと同時に、アッツ・キスカ両島にも危機が訪れます。
それに対抗するために輸送も高頻度で行われるわけですが、霧が多い上に時期によっては極寒の海域で、潜水艦の網を潜り抜けての輸送は常に緊張しっぱなしでした。

そんな苦労の甲斐もなく、昭和18年/1943年5月29日にはついにアッツ島守備隊は玉砕。
その後キスカ島は奇跡の撤退作戦が成功したものの、前線は千島列島にまで下がってしまいました。
10月10日に艦長に春日均少佐が就任。
彼が今後最期まで【神風】の手綱を握ることになります。
第一駆逐隊はその後も千島や北海道、大湊などを結ぶ船団護衛と哨戒任務に汗を流していましたが、12月18日、ついに【沼風】が潜水艦の雷撃によって撃沈されてしまいます。

1隻を欠いた第一駆逐隊ですが、補充はなく3隻での活動を継続。
しばらくは被害もなく任務を継続していましたが、主戦場では敗退の連続、そんな最中の昭和19年/1944年9月18日、今度は【波風】がやはり魚雷を受けて大破してしまいました。
沈没はしませんでしたが、【神風】【波風】を曳航して何とか小樽まで逃げ延びました。
この被害によって【波風】も第一駆逐隊から離脱し、【野風】との2隻体制となってしまいます。

10月末、連合艦隊は「捷一号作戦」の大損害と利のない戦いによって風前の灯となります。
この影響でシンガポールの絶対死守が至上命題となり、そのために老齢の【神風、野風】をも召集されることになりました。
12月26日、第一駆逐隊は第三十一戦隊の指揮下に入り、訓練もそこそこに早速シンガポール・台湾・本土を結ぶ輸送に参加します。

恐らくこの召集の前ぐらいに、【神風】は改装を受けていると思われます。
4番砲と3番魚雷発射管が撤去され、代わりに25mm連装機銃4基、単装機銃2基、二号二型水上電探改四を装備。
また逆探ソナー40mm連装機銃が搭載されていることもわかっていますが、これらは搭載時期がこれよりも後の可能性もありそうです。
【神風】は艦橋の下にある海図羅針儀室を改装して電探室に改装。
小型とはいえ22号電探改四は1tを超える重さで、小柄の【神風】に搭載するとおばあちゃんが派手なリボンをしているようだと回想されています。

装備完了後、【神風】【野風】は電探の訓練と性能の確認を兼ねて【大和】【矢矧】を目標とした夜間訓練を実施します。
電探の感度は非常に良好で、見張員よりもずいぶん早く2隻を確認。
また逆探もちゃんと作動しているようで、【大和】からと思われる電波をしっかり受信していました。

この時期のシンガポール⇔本土の航路は日本にとっては生命線、連合軍にとっては絶対獲物が通るのがわかってる絶好の狩場でした。
船団は火中の栗を拾うしか生き永らえる道がないため、死の恐怖を押し殺して突き進むわけですが、それをたやすく踏みにじるのが潜水艦群です。
昭和20年/1945年1月28日、シンガポールへ向かっていたヒ91船団は【米バラオ級潜水艦 スペードフィッシュ】に襲われて【久米】【特設水上機母艦 讃岐丸】を失いました。

2月10日、台湾の馬港にいた第一駆逐隊は「北号作戦」で奇跡的な成果をもたらす寸前の完部隊の護衛を命じられます。
2隻は無事に合流を果たしますが、しかし折からの悪天候で旧型駆逐艦の2隻は転覆しないように航行するので必死でした。
艦隊は18ノット程度だったようですが、それの随伴すら困難な状況で、現在の福建省馬祖島まで付いていけたか途中で落伍したかがはっきりしていません。
翌日には【汐風】が護衛に就きましたが、やはり同様にはぐれてしまいました。

護衛を終えた2隻でしたが、シンガポールを死守するために彼女らの任務は終わることがありません。
一息ついたらシンガポールへと向かいました。
ところが20日、【野風】がカムラン湾で【米ガトー級潜水艦 パーゴ】の魚雷を受けてしまい、ついにここまで幾多の苦難を共に乗り越えてきた相方を失ってしまいました。
【野風】轟沈!」の声を聞かずとも、その一瞬の大爆発と、あっという間に転覆していく【野風】を見れば、誰の目にも救いようのない被害であることはわかりました。

失意の中、【神風】は爆雷を投下して潜水艦を牽制した後に救助活動を行います。
しかし救出できたのはたった20名余りで、300名近くが戦死してしまいました。

1隻となった第一駆逐隊。
実は2月15日付で【汐風、若竹型二等駆逐艦 朝顔】が第一駆逐隊に編入されていましたが、燃料がないので合流できず、結局そのまま4月1日に第一駆逐隊は解隊となりました。
【神風】はシンガポールに滞在する、今や唯一の希望である【足柄】【羽黒】を擁する第五戦隊に編入されました。

5月、日本はマレー半島やシンガポール防衛のための戦力を補強するため、インド洋のアマンダン諸島から兵士をシンガポールへ輸送しようと計画します
アマンダン諸島はイギリス軍が勢力を盛り返してから補給路が監視の目に晒されて補給が困難になり、「レイテ沖海戦」後はその補給すら完全に遮断されたことから、貯蔵食料を節約して消費しながらの自給自足を強いられていました。
そんな島に連合軍はもはや戦略的価値がないと判断し、無視してそのままマレー半島に乗り込んでくると考えたのです。

アマンダン諸島はこれから終戦までの数ヶ月で様々な悲劇が起こってしまうのですが、その悲劇を少しでも食い止めることができたかもしれないのが、【神風】【羽黒】でした。
2隻はアマンダン諸島へ弾薬や食料をありったけ積んで、現地への補給とそこから兵士の輸送を行う任務を受けました。
とにかく輸送量を1kgでも多くするため、【羽黒】からは魚雷発射管が撤去されており、弾薬も通常の半分ぐらいしか搭載されませんでした。
それどころか【神風】からも魚雷発射管が撤去され、もし水上艦と遭遇した時、【神風】は3基しかない12cm砲で戦うことを強いられます。
なりふり構わない姿勢が鮮明に読み取れます。
同時に機銃も増設されていて、遅くても40mm連装機銃はこの段階では搭載されているでしょう。

出撃日がはっきりしませんが、9日頃にシンガポールを出撃。
12日には実際に潜水艦からの雷撃を回避しており、恐怖が助長されます。
偽装航路や避難・待機をして敵をやり過ごしつつ、着実にアマンダン諸島へと接近しました。

しかし15日に2隻はアメリカの「B-24」に発見されてしまい、さらに陸軍の偵察機からも水上艦がこちらへ向かっているという報告が入ります。
このままでは到着前に蜂合わせてしまうことは間違いなく、やむを得ず2隻はペナン島まで南下退避することにしました。

ですがこの水上艦は高速の駆逐艦で、さらにこの5隻の第26駆逐隊もまたすでに2隻の存在の報告を受けていました。
1隻が巡洋艦であることがわかっていた第26駆逐隊は、ここで無理に追撃するのではなく、北回りで漆黒に紛れてレーダー射撃で確実に仕留める夜戦を選択します。
残念ながら【羽黒】はスクリューシャフトの損傷が修理されずにいて、また【神風】もかつての快速は遠に失われていますから、戦中に登場している最新鋭の「S級駆逐艦」「V級駆逐艦」から逃れることはできませんでした。

16日未明、ついに2隻に第26駆逐隊が襲い掛かりました。
「ペナン沖海戦」が始まったのです。
2隻とも電探を装備していたので完全に不意を突かれたわけではありませんが、それでも十分な戦闘態勢に入る余裕はありません。
グイグイ接近してくる5隻を前にして、【羽黒】はいよいよ逃げ切れないとなると腹をくくり、迎え撃つことになりました。
すでにレーダーで視認されている今、探照灯を照射したところでリスクは変わりません。

しかし【羽黒】は2番砲塔が損傷したまま放置されており作動せず、また甲板は山積みになった物資が砲塔の旋回を邪魔して砲撃が非常に困難な状態でした。
恐らく背負い式の4番砲塔だけはまだちゃんと動かせたでしょうが、それ以外は張子の虎、迂闊な方向に飛び出さない限りは何の怖さもありません。

一方でレーダーの性能が高いイギリス駆逐艦は12cm砲とはいえ確実に砲弾を浴びせてきます。
そして可燃物そのものである甲板の物資にひとたび火が付けば、【羽黒】はメラメラと燃え始めました。
【神風】も同じ12cm砲で応戦しましたが、相手は砲塔、こちらは盾があるだけ、12cm砲も脅威ですが速射性のあるボフォース40mm機関砲はそれ以上に怖いです。
実際にこの機関砲によって【神風】は27名の戦死者を出してします。
魚雷のない【神風】に戦える力はなく、【羽黒】の周辺に煙幕を炊いて援護するのが精一杯でした。

【羽黒】は死に物狂いで操艦し、取り回しの機銃を撃ちまくりながら【英S級駆逐艦 ソーマレス】20.3cm砲を一発命中させます。
しかし【羽黒】には魚雷が接近しており、そのうち1本が艦前部に命中。
【神風】はその雷跡を目で追うばかり、自身が放つべき53cm魚雷は今やシンガポールの丘の上です。

浸水が始まり速度はさらに低下した【羽黒】を見て、【神風】はやむを得ず離脱を決意します。
【羽黒】は前部の沈下が始まっていましたが、諦めるということは決してありません。
【神風】はスコールに突入した後、レーダーで捉えたペナン島を目指して全速力、その間【羽黒】は最期の瞬間まで砲撃を続け、敵の集中砲火を一身に受けることで【神風】を助けたのです。
計3本の魚雷、数えきれない被弾によって【羽黒】は沈没します。

ペナン島で揚陸を行った後、【神風】はすぐさま【羽黒】救出に向かいます。
生存者の救出も殺戮もなかったようで、海上には多くの生存者が必死に死に抗い続けていました。
【神風】【駆潜艇57号】と共に約320名を救出し、シンガポールへと戻っていきました。

任務は失敗、アマンダン諸島はこれで完全に孤立し、シンガポールの補強も叶っていません。
このままシンガポールの戦力が不足したままなら陥落は間違いないため、次の一手を打たなければなりません。
そこで今度はジャカルタの兵士をシンガポールへ輸送することになりました。
もやは最後の最後、軍艦として行動できる唯一の存在となった【足柄】に全てが託されました。
この【足柄】と共に、【神風】も輸送に参加します。

【神風、足柄】は6月4日にシンガポールを出港。
5日に無事ジャカルタに到着し、2隻は合わせて1600名ほどの陸軍兵と物資を搭載。
7日にシンガポールに向けて出発しました。

しかし当然ながらこの2隻を捉える潜望鏡が存在しました。
【英T級潜水艦 トレンチャント】【英S級潜水艦 スティジアン】です。
報告を受けていた2隻はこの日本艦を仕留めようと張り込んでいました。

(以下 「駆逐艦『神風』」電探戦記 編:「丸」編集部 を参照)
(注 【足柄】とは道中で合流とされています。一緒にジャカルタを出港しているのが真実なら以下の内容は当てはまりませんが、証言者が乗員なので果たして何を信じるべきか。)

8日未明から夜明けにかけて、【神風】は仮泊の為に浅瀬に向けて進んでいました
日中でも怖いですが、夜間の潜水艦の襲撃はその比ではありません。
そういうわけで、潜水艦が入りづらい浅瀬で日が昇るのを待とうとしていたその時。

なんと両舷にその2隻の姿が現れたのです。
2隻とも浮上した状態で、向こうも全くこちらの動きを把握していなかったようです。
【神風】は慌てて両舷に主砲と機銃を撃ち込みますが、余りにも唐突な出来事で大きな有効打を与えることができませんでした。
逆に敵側もただひたすら潜航するしかなく、数分後には、今の出来事がまるで夢だったかのような静けさに包まれました。
(参照終わり)

夜が明けて、2隻はひたすらシンガポールを目指して進んでいました。
【神風】は特に潜水艦の襲撃を警戒しながら進んでいましたが、電探は潜航中の潜水艦にはほとんど効果はありません。
ソナーだけが頼りですが、ソナーそのものが制限多く頼りないため、【神風】はひたすらに海面を見張りながら航行します。

そんな不利な状況でも、早朝には【トレンチャント】の雷撃を回避し、また日が昇ってからの【スティジアン】の雷撃に対しても回避、更に爆雷による攻撃も実施しています。

ですが、そこを食い破ってあらぬ方向から6本、そしてさらに2本の雷跡がぐんぐん迫ってきました。
【トレンチャント】が絶好の位置から魚雷を発射したのです。
完全に側面を捉えられた【足柄】は5本(4本?)もの魚雷を一気に浴びせられます(【神風】【足柄】合流説の場合は、合流の直前、【神風】【足柄】の前部砲塔を海上で視認したぐらいの距離で被雷か)。

それでもなんと【足柄】は即沈没をすることなく、徐々に傾斜していきながらもある程度踏みとどまっていました。
艦首が吹き飛んだ状態でも潜望鏡を捉えた【足柄】は高角砲を指向してすぐさま砲撃。撃。
命中弾はなかったものの、【羽黒】同様ただでは転ばず、最後の最後まで戦意をむき出しにしていました。

ですがさすがにこれだけの魚雷を一方向にまとめて受けては、沈没は避けられません。
被害の割に沈没には時間がかかったため、【足柄】の乗員約850名と陸軍兵約400名の救出に成功しています(乗員は大半救助されたが、陸軍兵は1200名輸送していたとされるので3分の2が戦死か?)。
【羽黒】沈没時よりもはるかに多い救助者のため、【神風】は重すぎて少し傾斜したままシンガポールに入港しました。

【神風】は助かりましたが、これで【足柄、羽黒】を失ってシンガポールは小柄な【神風】を中心に、更に小柄な駆潜艇などの補助艦艇で切り盛りせざるを得なくなりました。
それに反比例して輸送の必要性は増える一方ですから、この被害にもめげずに【神風】は護衛任務に励みます。
ですが【神風】がいくら必死に戦っても限度というものがあり、15日には空襲で【タンカー 東邦丸】が炎上沈没し【神風】も至近弾を受けました。

終戦まであと2ヶ月、【神風】はいよいよ最後の大一番を迎えることになります。

潜水艦vs神風 海軍の宿敵との一騎打ち

シンガポールを巡る航行の中心となった【神風】
連合軍としてもたかがボロい駆逐艦1隻なのですが、過去の報告からそう侮れる相手でもないことがわかっており、通商破壊をより安全に確実に行うためにも、この【神風】を排除することが優先されました。
何しろ【神風】は開戦以来膨大な数の船団護衛をこなしており、連合軍の戦果を抑え込んできた張本人なのです。

7月15日(17日)、【神風】は輸送船3隻を特設掃海艇3隻ととも護衛してシンガポールを出撃。
一行はベトナムとカンボジアの国境の港であるハッチェンを目指します。
18日の昼過ぎ、船団はプロテンゴール沖に差し掛かります。
とにかく陸沿いに進むことが潜水艦対策として重要なので、輸送船はマレー半島へ向かい、【神風】は之字運動を繰り返しながら周辺の警戒を続けました。
【神風】はこの輸送に関して、唯一の邪魔者である自分をまず狙ってくると確信していました。

その船団をはっきりと捉えている存在があります。
【米バラオ級潜水艦 ホークビル】です。
潜望鏡でもソナーでも【神風】の姿は筒抜けでした。
普通はこの【神風】をやり過ごし、掃海艇しか護衛にいない輸送船を襲うところなのですが、連合軍としては輸送船3隻よりも【神風】撃沈のほうがより重要な戦果だと判断しており、【ホークビル】艦長のワース・スキャンランド少佐【神風】を沈めるように下命します。

【ホークビル】は一瞬戸惑います。
通商破壊に出ている潜水艦が、護衛の薄い輸送船ではなく駆逐艦を沈めるように命令されたのです。
しかし相手はあの【神風】、すでに周辺海域ではその名が行き届いていて、相当な邪魔者扱いされていたようです。
【ホークビル】は去り行く輸送船ではなく狙いを【神風】に定め、之字運動を続ける【神風】の動きを粘り強く捉え続け、攻撃のチャンスを伺いました。

一方【神風】も潜水艦が現れるとすればこの辺りであることは予測しており、ソナーの感知がよくなる10ノット前後の速度で丁寧に哨戒を続けます。
確証はないもののソナーにも探があり、目という目が白い雷跡と潜望鏡を追い続けていました。
来るぞ、抜かるな、【神風】は張り詰めた空気で充満していました。

【ホークビル】はなかなか隙を見せない【神風】に対し、放射状に魚雷を放つことでとにかく命中させることにします。
回避先にも魚雷が飛んできていれば、旋回中に命中するかもしれません。
午後4時ごろ、【ホークビル】は6本の魚雷を放射状に発射します。

それ見たことか、まだ半分ほどしか距離を詰めていないのに【神風】は見事にその雷跡のうち3本を捉えます。
右舷から迫りくる魚雷に対して【神風】は華麗な舵捌きでそれらを全て回避、そのまま速度を上げてソナーの捉える前方1500m付近に突っ込んでいきます。

【ホークビル】はたちまち命の危機に直面します。
もちろん想定していたことですが、あまりにも迅速な対応だったため全速力で逃げるしかありません。
この海域は浅瀬なので【ホークビル】も潜航できる深さに限度があり、潜望鏡深度で航行することになります。
しかし全没している状態だとフルスロットルでも10ノット程度が限界なので、逃げ切れるわけありませんでした。

一方【神風】は前述のようにソナーの性能をより高めるため、30ノットに迫るような速度は出せません。
しかし【ホークビル】を逃してしまっては元も子もないので、15~16ノット程度の速度で、ゆっくりと着実に探知している目標に向けて接近していきました。

【神風】の経験は【ホークビル】をじわりじわりと追い詰めていきました。
【ホークビル】の潜望鏡から見える【神風】の姿はみるみる大きくなります。
ついに【ホークビル】は7~800mまで接近され、潜望鏡を格納しながら次の一手を取るべく全力で動いていました。
三十六計逃げるに如かずとだんまりを決め込んでいたわけですが、ここまで追いつめられると反撃するしかありません。
しかし追尾魚雷は近すぎて信管のセットができず、後部魚雷を3本一気に発射します。

【神風】にはその雷跡が見えましたが、高速で進む【神風】が生み出した波のおかげかうち1本の魚雷の進路が傾きました。
【神風】はその隙間を逃さず、寸分のずれもなく魚雷を回避し、【ホークビル】の必死の攻撃も無効化します。
かわした魚雷との距離は目測2mほどだったと言われています。
【神風】はゆっくり沈んでいく潜望鏡を右舷に捉えながら爆雷をどんどん投下しました。
そして【ホークビル】の直上を通過し、やがて水柱がドーン、ドーンと【神風】の後方で発生しました。

この距離で魚雷を回避された【ホークビル】ですが、そんなショックに心揺さぶられる暇すらありません。
爆雷の衝撃によって激しい振動を受け、注水装置の故障によって持ち上げられた【ホークビル】が、後方2~300mの距離で鯨のように艦首を上げて突如海面に飛び出しました。
ついに敵艦の姿を露わにした【神風】は、ソナーを引き上げ【ホークビル】に向けて艦尾の40mm機銃をぶっ放します。
40mm機銃程度では撃沈には至りませんが、潜水艦の主砲は甲板に上がらなければ撃てませんから、砲撃戦となればその砲撃手などを仕留めることにもなりますし、穴をあければ上手くいけば浸水にも繋がります。
近距離で海上に浮かぶ潜水艦はまな板の鯉同然なので、【神風】は爆雷・砲撃の準備を進める一方で機銃掃射を続けました。

【ホークビル】ではもはや刺し違えるしかないという逸った空気が垂れ込めます。
「バラオ級」12.7cm砲を搭載していますから、砲撃で【神風】に打撃を与えることも十分可能です。
しかし当たり前ですが砲撃戦で水上艦に適うわけがありません。
諦めるのはまだ早い、ベント開放によって急速注水に成功し、今度は艦尾から海中に引きずり込まれるようにどんどん沈んでいきました。
この指示が艦長のものか、副長のものか、航海長のものかよくわかりませんが、とにかく【ホークビル】はやけくそにならず助かる最善の手段を取りました。

とは言うものの、依然【神風】の有利は変わりません。
沈んだ場所はわかっていますから、舵を返して執拗に爆雷を投下。
ぐるぐる回り、ソナーを確認して投下を繰り返し、息の根を止めたと確信が持てるまで数時間もそこに留まり攻撃を続けました。

【ホークビル】はひたすら沈黙を貫き、この攻撃を耐え忍ぶしかありません。
【ホークビル】は海底30mに着底しており、ここ以上の安全な場所もなかったのです。
幸い爆雷による浸水はなかったため、【ホークビル】は浸水しないことを神に祈りつつ、断続的に起こる爆発音を聞いていました。
日が沈めば駆逐艦といえども視認しづらい潜水艦との戦いを続けることはしないだろうし、船団の護衛任務もあることから必ず立ち去る。
それまでの辛抱でした。

祈りは通じました。
幸運にも【神風】の爆雷はなぜか直撃には至らず、衝撃はあっても【ホークビル】の沈没につながるような致命傷はついに与えることがなかったのです。
浮上してきた木片や油膜を見て、【神風】は撃沈成功と判断。
やはり船団護衛の任務が残っていることから、【神風】は戦域を離脱していきました。
ここにいるのは【ホークビル】ですが、この先に潜水艦がいない保証はどこにもないのです。

爆発もスクリュー音もなくなってきたので、恐る恐る、【ホークビル】は浮上を開始します。
すでに5時間以上海底に留まっていて、酸素も少ないし塩素ガスも充満しつつあり、このままでは窒息してしまいます。
日付は変わって19日となっていました。

ザパッと小さな波をたて、【ホークビル】の司令塔が海面に現れました。
それを見る者は誰もいません。
【ホークビル】は九死に一生を得たのです。
ジャイロや減速機、無線装置など多くの損傷がありましたが、奇跡的にいずれも大きな損害ではなく、このまま再び船団の脅威となることすら可能でした。
【ホークビル】は応急処置を終えると、今度こそ【神風】を仕留めるために船団を追い始めました。

しかし【ホークビル】は船団を発見した時に、同時に上空に飛び交う哨戒機も目にします。
船団の護衛が強化されている中、すでに手負いの状態で攻撃を強行すべきか迷いましたが、結局【ホークビル】は攻撃を諦め、修理の為にスービック湾へと向かいました。

その後、船団にはもともと張り付いていた上に【ホークビル】から報告を受けていた5隻の潜水艦が襲い掛かりました。
19日から20日にかけて何度も襲撃を受け、特に【ホークビル】同様第一の標的となっていた【神風】には幾度となく魚雷が襲い掛かりました。
しかし【神風】はこれらも全て回避し、遂に被害を全く追わずに輸送を終えたのです。
ですが船団そのものが無事だったわけではなく、アメリカは意地で【タンカー 第三共栄丸】を沈めています。

そして8月15日、日本は終戦を迎えました。
太平洋戦争でひたすら護衛を続けてきた【神風】でしたが、その甲斐空しく日本に神風を吹かすには至りませんでした。

それでも【神風】はまだお役御免とはなりません。
武装を解かれた【神風】はまだまだ復員船として働いてもらう必要があったのです。
戦場を駆けずり回った【神風】は、今や気を張って南シナ海を後悔する必要はありません。
こちらを沈めようと接近する敵はいなくなったのですから。

しかし敵というのは戦う相手だけではありません。
船にとっての敵は、いつも天候であり障害物です。
昭和21年/1946年6月4日、御前崎付近で同じく復員輸送に従事していた【国後】が座礁してしまったのです。
その救助に【神風】が向かったのですが、何と作業中に【神風】もまた座礁してしまいました。

賢明に離礁作業が続けられたのですが、潮の流れとかねてからの酷使による老朽化がそれを拒みます。
やがて【神風】【国後】も傾斜が激しくなり、救助は極めて困難となりました。
八方手を尽くしたものの、遂に救助活動は打ち切り、開戦から終戦まで絶え間なく働き続けた【神風】の最期としては、あまりに非情な結末でした。
2隻は放棄が決定され、終戦後も指揮を執り続けた春日艦長もその職を降りることになってしまいました。
そして昭和22年/1947年10月31日、【神風】の解体が完了します。

昭和28年/1953年11月、春日元艦長の元に1通の手紙が届きました。
びっしりと書かれた英語、差出人は誰か。
読めばあの時【神風】がてっきり沈めたと思っていた【ホークビル】の艦長、スキャンランド氏からの手紙でした。
そこには7月18日の一部始終が書かれており、ぜひ【神風】からみたあの時の戦いの詳細を知りたい、またアメリカ海軍ではあなたのことを最も熟練した駆逐艦長であると賞賛されていると結ばれていました。

春日元艦長はのち「私はてっきり沈めたと思っていましたが、無事だと知って本当に嬉しく思いました。本当に、沈めなくてよかったと、つくづく思いましたよ」
と述べ、その後2人は文通で交流が続けられました。

2021年02月07日 加筆修正