起工日 | 昭和3年/1928年12月12日 |
進水日 | 昭和4年/1929年11月18日 |
竣工日 | 昭和5年/1930年6月30日 |
退役日 (沈没) | 昭和17年/1942年8月28日 |
サンタイサベル島東 | |
建 造 | 佐世保海軍工廠 |
基準排水量 | 1,680t |
垂線間長 | 112.00m |
全 幅 | 10.36m |
最大速度 | 38.0ノット |
馬 力 | 50,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm三連装魚雷発射管 3基9門 |
機 銃 | 7.7mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 4基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
鼠輸送最初の犠牲者 ガダルカナルへの苦難の始まり
【朝霧】は【夕霧】【天霧】【狭霧】とともに第八駆逐隊を編成し、まずは第二水雷戦隊に所属していました。
「日華事変」では上海や杭州での上陸作戦に参加し、北部仏印進駐にも参加しています。
この最中に第八駆逐隊は第二十駆逐隊へと改称しており(【狭霧】が第十駆逐隊に転出していたためこの時は3隻)、昭和15年/1940年5月1日に新編された第三水雷戦隊に所属となりました。
その年の8月に【狭霧】が戻ってきて、第二十駆逐隊は再び4隻編成となります。
太平洋戦争では第二十駆逐隊は「マレー作戦」に参加し、東洋のジブラルタルとも呼ばれたシンガポールを占領するために大規模な人員と資材が投入されました。
ですが昭和16年/1941年12月24日、ボルネオ島のクチンで揚陸作業中の船団を護衛するため、周辺を経過していた【狭霧】が【蘭K XVI級潜水艦 K XVI】の雷撃を受けて沈没。
いきなり僚艦の1隻を失ってしまいます。
【朝霧】らはカムラン湾を行き来する船団の護衛を行っていましたが、昭和17年/1942年1月27日に第三水雷戦隊はエンドウへ向かう船団を護衛していました。
そこにこれを妨害するために現れた【豪V級駆逐艦 ヴァンパイア】と【英S級駆逐艦 サーネット】が、日本海軍に返り討ちにあったのが「エンドウ沖海戦」です。
2隻は真夜中に輸送船に魚雷を放とうと考えていたのですが、偵察機が2隻を発見していたため、日本はしっかり迎撃態勢に入っていました。
【第4号哨戒艇】と【吹雪】が相次いで2隻を発見し、【白雪】の探照灯が合図となって攻撃が始まります。
待ち伏せを受けていたと知った【ヴァンパイア】と【サーネット】はすぐさま撤退を開始しますが、煙幕に隠れることができた【ヴァンパイア】に対して、そこに飛び込めなかった【サーネット】には砲撃が集中しました。
もちろん【朝霧】も砲撃に参加するのですが、見えなくなった【ヴァンパイア】を追撃するものはおらず、【サーネット】の撃沈には成功しましたが【ヴァンパイア】は取り逃がしてしまいました。
その後も陸軍の南下に合わせて第三水雷戦隊も船団護衛を行いながら南下。
港湾施設の艦船などを撃沈させつつ輸送支援を行い、スマトラ島やジャワ島、アマンダン諸島など、次々と上陸作戦を成功させていきました。
異常な速度で次々と連合軍を蹴散らしていき、2月にシンガポールを落としたほか、その後も周辺の島々にも日の丸が掲げられ、4月に概ね作戦は終了しました。
それに伴い第三水雷戦隊や馬来部隊はいったん日本に引き揚げていきました(3月に【白雲】が第二十駆逐隊に加わっています)。
日本は次のステップに進むことになりますが、このステップで大きく足を踏み外すことになります。
言わずもがな、「ミッドウェー海戦」での敗北です。
【朝霧】は【扶桑】ら第一艦隊の護衛として出撃していましたが、戦艦に出番があるわけもなく、日本は戦争の主役となった空母4隻を海に還して撤退していきました。
そしてここからガダルカナル島を中心に激闘が始まります。
インド洋方面の通商破壊を行う「B作戦」に参加するためにメルギーにいた【朝霧】は、ガダルカナル島に造成中のルンガ飛行場が奪われたことで急遽ガダルカナル島奪還に動員されます。
「B作戦」は中止となり、元気な駆逐艦は軒並みソロモン諸島を駆け回ることになりました。
【朝霧】らがトラック島へ向かっている間に、日本は「第一次ソロモン海戦」で大勝したものの輸送を妨害できず、そして「第二次ソロモン海戦」では【龍驤】を失い、今度は輸送を妨害されてしまいました。
周辺海域の制空権がない中での輸送船の航行は危険だということから、ここから輸送量を減らしても速度や軽快さに長ける駆逐艦だけの輸送、いわゆる鼠輸送が始まったのです。
【朝霧】はこの最初の鼠輸送に参加することになりました。
この時【川内】と第二十駆逐隊は、【佐渡丸、浅香丸】を護衛してトラック島からガダルカナル島を目指しているところでした。
しかしその道中で鼠輸送が行われることになったので、2隻の輸送船に乗っていた川口支隊の約600名が第二十駆逐隊に乗り移ることになります。
2隻の輸送船は【川内】が護衛してラバウルへ引き返し、第二十駆逐隊は輸送を再開します。
この時第二十駆逐隊は途中でショートランドからやってくる【海風】【江風】【磯風】と合流する予定でした。
ところが8月28日、合流前に第二十駆逐隊は憎きヘンダーソン飛行場からやってきた【SBD ドーントレス】に襲われてしまいます。
輸送船はいなくなりましたが、防空装備は別に充実していませんし航空支援もありません。
恐れていたことが目の前で繰り広げられ、【朝霧】は速度を上げて爆撃を回避するために右へ左へと大きく動きます。
しかし奮闘むなしく、【朝霧】の右舷中央部に爆弾が命中。
この衝撃で缶室が爆発し、さらにすぐそばの魚雷発射管付近にも爆弾が直撃します。
魚雷の誘爆の衝撃で【朝霧】の身体は分断され、【朝霧】は何もできずにあっという間に沈んでしまいました。
【夕霧】【白雲】も空襲の被害を受けており、初の鼠輸送は根本的な解決には程遠い、苦肉の策にすぎないことをまざまざと日本海軍に見せつけたのです。