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夕霧【綾波型駆逐艦 四番艦】
Yugiri【Ayanami-class destroyer】

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起工日昭和4年/1929年4月1日
進水日昭和5年/1930年5月12日
竣工日昭和5年/1930年12月3日
退役日
(沈没)
昭和18年/1943年11月25日
セント・ジョージ岬沖海戦
建 造舞鶴海軍工廠
基準排水量1,680t
垂線間長112.00m
全 幅10.36m
最大速度38.0ノット
馬 力50,000馬力
主 砲50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷61cm三連装魚雷発射管 3基9門
機 銃7.7mm単装機銃 2基2挺
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 4基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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艦首を二度も失うが、果敢に戦った夕霧

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

【夕霧】【朝霧】【天霧】【狭霧】とともに第八駆逐隊を編成し、竣工からしばらく第二水雷戦隊に所属していました。
【夕霧】といえばやはり【初雪】と並んで大自然の力の前に艦首を失った「第四艦隊事件」最大の被害者であることを伝えなければなりません。
昭和10年/1935年9月26日、第四艦隊は三陸沖にて演習を行う計画だったのですが、そこに特大の台風が接近していました。
演習を中止するのが安全なのは言うまでもないのですが、困難上等、過酷な訓練を乗り越えてこそ敵に打ち勝てると、台風の最中でも演習を強行することになりました。

しかしこの台風の勢力は少なくとも造船研究の想定を上回る強さでした。
軍艦は軽量化も建造における重要なポイントですから、想定を上回る波浪や暴風を浴びれば当然被害を受けます。
さらに「特型駆逐艦」建造以降は「ロンドン海軍軍縮条約」の影響もあり、排水量制限の中でどれだけ強くするかという何台を突破するために排水量は絞りに絞っていました。
ここにまだ精度としては不十分な電気溶接も相まって、演習に参加した艦艇のほとんどが大小さまざま被害を受けてしまったのです。

構造物にしわが寄ったり波によって凹み歪みが生じたりした船が続出します。
第二水雷戦隊の駆逐艦は特に台風の中心に近い位置にいたことで被害はさらに大きく、【初雪】【夕霧】は波と波がぶつかってより大きな波となる三角波が艦首に直撃したことでなんと艦首が切断されてしまったのです。
【天霧】艦長の証言では、推定25mというとんでもない高さの三角波が【夕霧】に襲い掛かったと言います。
2隻とも艦橋のすぐ目の前で艦首を失い、多くの殉職者を出してしまいます。
【初雪】の艦首はしばらく浮遊していたのを【那智】の砲撃で意図的に沈めていますが、【夕霧】の艦首は波に飲み込まれて沈んでいきました。

「第四艦隊事件」で艦首を喪失した【夕霧】

【夕霧】は大湊まで【大井】に曳航されて帰投。
その後舞鶴で修理を受けますが、同時に全体の建造計画の変更が強いられ、建造中だった【海風】以降の「白露型」は建造が中断。
加えて「友鶴事件」以上に改修対象艦が多かったため、しばらく各造船所のドックは改修工事の為に大わらわとなっていました。
11月8日に【夕霧】は新しい艦首をつけてもらって修理を終えています。
ですが昭和16年/1941年1月19日、【夕霧】は軽微ですが夜間演習中に【北上】と衝突事故を起こしてしまい、事故癖が付いてしまったのかもしれません。

太平洋戦争が開戦する時、第八駆逐隊は第二十駆逐隊に改称されて第三水雷戦隊に所属しており、「マレー作戦」の支援を行うことと担っていました。
ばったばったと敵をなぎ倒していく第二十五軍でありましたが、その輸送支援をしていた第二十駆逐隊の中から【狭霧】が12月24日に【蘭K XVI級潜水艦 K XVI】の雷撃を受けて早くも沈没してしまいます。

いきなり1隻を欠いてしまった第二十駆逐隊でしたが、進軍そのものは快調で、昭和17年/1942年1月26日に第三水雷戦隊はエンドウに上陸する輸送船を守るために周辺を警戒していました。
そんな中、コソコソとやってきたのが【豪V級駆逐艦 ヴァンパイア】【英S級駆逐艦 サーネット】でした。
この2隻は深夜に人知れず接近して輸送船に魚雷を発射し、見つかる前に引き揚げる計画でシンガポールからここまでやってきたのです。

ところが日本の偵察機がこの2隻の出現をしっかり捉えます。
第三水雷戦隊は飛んで火にいる夏の虫、圧倒的な数で連合軍の駆逐艦(報告時は巡洋艦2隻)を仕留めてやるつもりででんと構えて待っていました。

日付が変わって27日、何も知らない2隻はまんまとエンドウ沖に差し掛かりました。
存在をはっきりと確認した【川内】からの命令により、第三水雷戦隊からの砲撃が始まります。
敵の出現によって【ヴァンパイア】【サーネット】は魚雷を発射してからすぐさま撤退を始めます。
魚雷は【川内】【白雪】に向けて一直線に向かってきましたがいずれも回避に成功し、【白雪】の探照灯に照らされた【ヴァンパイア】に砲撃が集まり始めました。

たまらず【ヴァンパイア】は煙幕を張って身を隠します。
この時【白雪】の探照灯も故障で点灯しなくなってしまい、【ヴァンパイア】を見失ってしまいました。
しかし【サーネット】は煙幕に入ることができなかったため、今度は【サーネット】に砲撃が集中していきます。
【白雪】の探照灯が回復し、【サーネット】を照らし出してから沈没するまでは幾許もありませんでした。

見事【サーネット】の撃沈に成功した第三水雷戦隊でしたが、結局一度見失った【ヴァンパイア】を捜索する動きはなかったため結局逃げられてしまいました。
この時駆逐艦だけでも6隻が待ち構えており、誰も【ヴァンパイア】を追跡しなかったことは問題でした。
他に探照灯の照射を再開した【白雪】に対して【初雪】【天霧】が砲撃したということもあり、冷静さを欠いた戦いとも言えるでしょう。

「マレー作戦」が予想を大幅に上回る速さで成功し、シンガポールはもちろんジャワ島やスマトラ島なども占領した日本は馬来部隊を引き揚げさせ、次の作戦の実行準備に入ります。
しかしトントン拍子過ぎて日本は具体的なビジョンを用意できておらず、ここから海軍と陸軍が方針の違いで衝突します。
海軍はハワイ占領を最終目標としてミッドウェー島の占領、陸軍は米豪遮断のためフィジーやサモアを占領することを主張し、最終的には「先にミッドウェー島を抑えてその後フィジー・サモアを潰す」ということになりました。

ところが作戦実行に際してまず邪魔な航空基地のあるポートモレスビーを攻略する「MO作戦」「珊瑚海海戦」の損害等によって頓挫し、加えて暗号流出などで日本の情報管理がザル状態のままで「ミッドウェー海戦」に敗北。
想定外の占領速度は自らを過信させ、「ミッドウェー海戦」で日本は現実を思い知らされたのです。
【夕霧】【伊勢】ら第一艦隊を護衛して「ミッドウェー海戦」に参加していましたが、空母とその護衛以外の艦艇はこの戦いに関与していません。

「ミッドウェー海戦」後、【夕霧】はインド洋方面での通商破壊作戦である「B作戦」に参加する予定でした。
ところがいきなり「ガダルカナル島の戦い」が始まったことで、「B作戦」は中止され、第三水雷戦隊もソロモン諸島に派遣されることになります。
【夕霧】はまずはトラック島へ向かうように言われます。

トラック島に到着すると、第三水雷戦隊は【佐渡丸、浅香丸】を護衛してガダルカナル島へ向かうように命令されました。
ガダルカナル島にあるヘンダーソン飛行場を奪い返さなければ、日本の他の基地を作り上げる邪魔もされるし、連合軍の拠点にされてしまうと特にソロモン諸島の東側の制空権は全部奪われたままになってしまいます。
日本はアメリカの準備が整う前に急いで奪還したかったのですが、すでに飛行場を防衛するには十分な兵員も兵器も配備されていたために最初に奪還に乗り込んだ一木支隊は瓦解してしまいます。

その後「第二次ソロモン海戦」において【龍驤】を失い、日本は輸送を潰されて敵は輸送を達成するという、いよいよ連合軍有利の状況が整ってしまいます。
この影響で日本はのんびり輸送船をガダルカナル島に送ることができなくなり、敵の傘の中でもある程度動き回れる駆逐艦だけで輸送をすることにします。
これが鼠輸送であり、【夕霧】らは途中で【佐渡丸、浅香丸】の乗員を全員駆逐艦に乗せ換えてガダルカナル島を目指しました。

ところが早速ヘンダーソン飛行場の猛威が第二十駆逐隊を襲います。
8月28日に【SBD ドーントレス】に発見された第二十駆逐隊は対抗する術がほとんどなく、【天霧】は無傷で切り抜けたのですが【朝霧】が2発の爆弾を受けて沈没。
【夕霧】は至近弾により缶室や構造物を激しく損傷、【白雲】も至近弾で機関室が浸水し航行不能となってしまい、初っ端の鼠輸送から大きな被害を出してしまいました。
【白雲】【天霧】に曳航され、3隻はショートランドまで引き返していきました。

10月1日に第二十駆逐隊は解隊され、【夕霧】は修理を受けることもあって呉鎮守府警備艦となります。
呉に戻った【夕霧】は昭和18年/1943年1月25日に復帰し、このまま「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」に参加するためにショートランドへ向かいます。
かつて挑んだ島での戦いで日本は疲弊して多くの損害を出し、【夕霧】が修理を受けている間に敗北してしまいました。
ちなみに出撃前に【夕霧】は第八艦隊直属となっています。

ところがショートランドでは日本の大増援(と誤認)に対してアメリカによる空襲が時々起こっており、2月2日に【夕霧】は空襲を受けた【慶洋丸】の救助を行っていました。
その最中かどうかは不明ですが、【夕霧】は同日にショートランド近隣で座礁してしまいます。
9日には【江風】が護衛中の【東運丸】と衝突して【夕霧】はこの救助にも向かっており、【江風】を曳航してショートランドへ帰投。
その後で【夕霧】は呉まで引き返しているようです(「ケ号作戦」に【夕霧】出撃の記録はなし)。

2月25日、【夕霧】【天霧】は第十一駆逐隊に編入されました。
しかしそのうち【白雪】「八十一号作戦」のラエ方面の輸送旗艦となり、3月3日の「ビスマルク海海戦」で沈没。
たった1週間ほどで第十一駆逐隊は3隻編成となってしまいます。

4月に入ると【夕霧】はラバウルに戻ってきまして、輸送任務を再開します。
ところが5月15日に【夕霧】【米タンバー級潜水艦 グレイバック】の雷撃を受け、8年前の悪夢再び、【夕霧】の艦首が吹き飛んでしまいました。
浸水はしっかり食い止めることができたため沈没はしませんでしたが、【天霧】に曳航されて【夕霧】はラバウルへ、そこからトラックを経由して呉に戻ってきました。

呉に到着してから約2ヶ月間修理を受けた【夕霧】は、11月9日に呉を出撃。
ラバウルに到着してからはすぐにブカ島への輸送に加わりました。
すでにすぐ南にあるブーゲンビル島で「ブーゲンビル島の戦い」が始まっており、ブカ島はブーゲンビル島への輸送を急ぐ必要があったのです。
21日に【夕霧】【天霧】【卯月】と警戒艦で編成された第一次ブカ輸送隊はラバウルを出撃し、当日夜にはブカに到着。
妨害も一切なく、無事に輸送は達成されて【夕霧】らはラバウルへと引き揚げていきました。

黙々と確実な輸送が成功したことで、第二次ブカ輸送もすぐに出撃が決定。
24日に同じメンツがラバウルを出撃し、ここも同じように輸送は問題なく達成。
魚雷艇が現れましたがこれは警戒艦の【大波】【巻波】が追い払いました。

しかし、21日と異なる点が1つありました。
今回の輸送は、アメリカに察知されていたのです。

日本の輸送が完了していたため、十分な余裕があっての出撃でなかったことは確かです。
しかしレーダーを備えた5隻の「フレッチャー級駆逐艦」は、引き揚げていく輸送隊を発見し、攻撃のチャンスを伺っていました。
この時の司令アーレイ・バーク少佐は、アメリカの駆逐艦の夜戦での戦い方に一石を投じた人物で、駆逐隊を2つに分け、片方は静かに魚雷を発射して撤退、命中したら(もしくは隊列が乱れたら)魚雷の飛んできた方向とは全く関係ない方向から砲撃を行うというものでした。
それに対応している間に魚雷を放った駆逐艦も戦場に現れれば、確実に主導権を握れると考えたのです。

8月6日の「ベラ湾夜戦」は別の部隊がこの戦法を駆使して大勝利を収めていたことから、バーク少佐は今回の襲撃でも必ずこの戦法で夜戦に勝利できると確信していました。
そしてレーダーで【大波、巻波】を発見し、第45駆逐群が魚雷を発射。
日付が変わった直後、予測した針路から全く外れることなく航行していた【大波、巻波】は相次いで魚雷を受け、【大波】は沈没、【巻波】はその後に飛び込んできた第46駆逐群の砲撃の嵐に飲み込まれてこちらも沈んでしまいました。

慌てたのは輸送隊の3隻です。
警戒隊の2隻は視界からは外れていたのですが、突然前方で炎が発生したことで急いで針路を変更、炎から離れるようにショートランドを目指します。
ですが魚雷を放った後の第45駆逐群はその動きを逃しません。
レーダーで3隻を捕まえてすぐさま追跡を開始しました。

徐々に距離が縮まり、第45駆逐群からの砲撃が始まりました。
こちらが逃げているのに射程に入ったということは、敵の速度がこちらを上回っているに他なりません。
つまり、味方の援護がない限りはいずれ追いつかれます。
火力的には12.7cm砲を構える【夕霧】【天霧】が劣ることはありませんが、しかしレーダーの有無は挽回のしようがありません。
さらに【卯月】は速度が最も遅いため、このままだと【卯月】が最も危険なのは誰が見ても明らかでした。

砲撃が飛んできたところで、【卯月】は煙幕を展開します。
レーダーを持つ「フレッチャー級」に対してどこまで効果があるかはわかりませんが、できることは何でもやらなければ沈んでしまいます。
ただ、そのできることを最も思い切った手段で行ったのが【夕霧】でした。
【夕霧】は踵を返し、まだはっきりしない敵影に向かって突入していったのです。
恐らく敵の数すらわかっていない中での決死の判断でした。

【夕霧】は発砲による光を頼りに魚雷を発射しますが、直進してくる相手に対して正面から発射する魚雷は、敵がはっきり見えていても簡単には当たりません。
9本全ての魚雷を放ちましたが命中せず、レーダーで接近してくる駆逐艦を捉えている【チャールズ・オースバーン、ダイソン、クラクストン】にとっては魚雷さえあたらなければ脅威となりません。
次々と砲弾が【夕霧】に命中し、やがて【夕霧】は沈没してしまいます。
ですが【天霧】【卯月】はこの間に逃げ切ることに成功し、【夕霧】は身を賭して2隻を守り抜いたのです。
こうして3隻の駆逐艦を失った「セント・ジョージ岬沖海戦」は終わりを告げ、そしてブカ島への輸送も同時に中止となり、「ブーゲンビル島の戦い」はより苦しいものへとなっていきました。