島風と秋月のハイブリット 夢の超秋月型計画
ここからは一種の架空艦の世界となりますが、もし開戦が遅れていたら、駆逐艦は「乙型」と「丙型」の2本、そして最終的には次の1本に絞り込まれたのではないかと思われる駆逐艦案が存在します。
それが「超秋月型」です。
そもそも「甲型」はこれまでの駆逐艦の歴史の王道ではありますが、時代の変化はかつて日本が目論んだ水雷戦隊による砲雷撃戦から機動部隊を主力とした艦隊戦に変わろうとしていました。
戦い方の変化により、「甲型」は優秀ではあっても戦況にそぐわなくなる可能性があったのです。
同じ事は「丙型」にも言えました。
「丙型」は日本がこれまで長く課題としていた低速から脱却し、また雷撃力をとことん突き詰めた、駆逐艦の意義を徹底追及したような存在でした。
言うなれば「甲型」の未来の姿のようなもので、「甲型」は予算が許せばやがて「丙型」に切り替わっていくことになったでしょう。
一方で「乙型」は、まさに時代の変化に対応するために新しく生まれた存在です。
基礎となる防空艦は対艦戦闘はほぼ想定しない、対空と対潜に絞り込まれた存在で、しかもそれを艦隊防衛のために役立てるという、従来の海軍思想からは全く縁遠い存在でした。
ところが防空艦から防空駆逐艦となり、さらには「甲型」を削減して「乙型」を新規建造したなどの理由から魚雷を搭載するようになり、対空力の高い駆逐艦へと変容していきます。
そしていずれは、「甲型」を削減したことからもわかるように苦しい台所事情から「乙型」と「丙型」の両立は難しくなったはずです。
なにせ「大和型」を上回る「超大和型」や【大鳳】、「雲龍型」を建造する計画だった「マル5計画」、そしてその次段となる「マル6計画」はかつての「八八艦隊計画」を遥かに凌ぐ無謀な計画でしたから、破綻覚悟でやるつもりなら2種類の駆逐艦を別々に建造する余裕なんて到底ないわけです。
なのでいずれは「丙型」に長10cm砲が搭載された形か、「乙型」に「丙型」を混ぜ込むかのどちらかの道を進んだと想定されます。
現実には太平洋戦争の開戦と「ミッドウェー海戦」によって「改マル5計画」が誕生し、「丙型」は歴史を閉ざし、「乙型」は「甲型」8隻を削減して7隻が追加建造という流れ、さらには「丁型」の緊急建造により追加7隻も中止となっています。
2つのifパターン、すなわち開戦が遅れる場合、また「改マル5計画」が生き続けた場合のいずれでも誕生の可能性があったのが、艦型番号「V7」を与えられた「超秋月型」と言われる存在です。
もともと「乙型」は速度が遅いのは止むを得ないと諦めた駆逐艦でしたが、これは「甲型」でも同様で、これを解消した最強の駆逐艦が「丙型」でした。
なので実際に【天津風】による実験が好評だったことから、「乙型」にも新しい機関を搭載させようという流れは全く自然なものでした。
「改マル5計画」では追加の7隻からが「超秋月型」となっています。
以下は特に「高角砲と防空艦 著:遠藤 昭」の内容に沿ったもので、氏の綿密な取材に加えて推定も含まれていますのでご注意ください。
「超秋月型」の「改マル5計画」の計画案は次の通りです。
基準排水量 | 約3,100t |
水線長 | 136.2m |
全 幅 | 12.00m |
最大速度 | 35.5ノット~36.7ノット |
航続距離 | 18ノット:8,000海里 |
馬 力 | 75,000馬力 |
主 砲 | 65口径九八式10cm連装高角砲 4基8門 |
魚 雷 | 61cm六連装魚雷発射管 1基 |
機 銃 | 25mm三連装機銃 4基12挺 |
「超秋月型」の一番艦ですが、「マル5・マル6計画」の延長だった場合は【山月】、「改マル5計画」から誕生した場合は【北風】になっただろうと言われています。
機関は当然「丙型」に搭載された新型の高温高圧缶(ホ号艦本式ボイラー?)です。
馬力は52,000馬力から75,000馬力に激増し、基準排水量は300tと約1割増えている中でも最大速度は35.5ノットは出せるだろうと考えられました。
これでも高温高圧缶の燃費向上で搭載燃料を減らすことができたので、実は公試排水量としては3,470tから3,580tと100t程度の増で抑えることができました。
機関配置は、もう一度載せますがこちらの資料の「丙型」のような3缶全て独立させた形で、どうしても全長は伸びてしまいました。
基準排水量300t増もこの影響が大きいです。
※スペースの関係で煙突は「乙型」同様集合煙突だったと推定されています。
出典:『高角砲と防空艦』 遠藤 昭
魚雷は新開発の61cm六連装魚雷発射管1基。
「丙型」同様次発装填装置は搭載しません、さすがに載せると重すぎます。
六連装魚雷発射管は恐らく「丙型」の七連装案が却下された後も計画が進んでいたでしょうから、それを実現させるつもりだったのでしょう。
それらを踏まえておおよその外観として遠藤はこのような推定図を同書に載せています。
出典:『高角砲と防空艦』 遠藤 昭
時期が時期だけに、「乙型」から大幅な変更はなかったでしょう。
ただし並行して電探の開発が進んでいましたから、電探の装備に合わせた細かな修正は想定されます。
「超秋月型」の概要はこのような形です。
「秋月型」の順当な進化型と言えますが、しかしあとはどれだけ建造費を抑え、量産性を高めることができたかが問題になるでしょう。
まだ量産のめどはたっていない高温高圧缶と、誕生すらしていない六連装魚雷発射管、「超秋月型」の最大の特徴が「超秋月型」誕生に大きくかかわるので、計画が生きていてもいつごろ完成したかは見当がつきません。
しかし時代として「超秋月型」か「乙型」を量産しなければならないのは間違いないはずなので、例え「超秋月型」とはならずとも、「乙型」の進化は止まらなかったでしょう。
参照資料(把握しているものに限る)
Wikipedia
[1][歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.23]秋月型駆逐艦 学習研究社
[2]軍艦開発物語2 著:福田啓二 他 光人社