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『秋月型駆逐艦』その2

記事内に広告が含まれています。
  1. 日本の防空艦構想と秋月型の誕生
  2. 高性能の長10cm砲 軽巡サイズの駆逐艦が備えた力とは
  3. 島風と秋月のハイブリット 夢の超秋月型計画
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高性能の長10cm砲 軽巡サイズの駆逐艦が備えた力とは

日本初の防空艦となった「乙型」ですが、まずはちょっと触れた魚雷から説明しましょう。
魚雷を搭載することになった「乙型」ですが、さすがに過去の駆逐艦のように2基3基と魚雷発射管を搭載するスペースはありません。
「乙型」には61cm四連装魚雷発射管1基と九三式魚雷を装備することになります。
しかし次発装填装置は搭載していて、この点からも本気で水上戦を考えていたことがわかります。
まぁ33ノットだと敵艦隊と遭遇した時は逃げきれなさそうですし、分からなくもないですが。
魚雷発射管は中央より少し後ろ側に、次発装填装置はその後ろ左舷側に斜めで搭載されました。
ただしこの魚雷の影響で艦型は大型化しており、前項のように役立ったのかと言われるとそうではないため、全く余計なことをしたものです。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

機関は「甲型」と変わっておらず、速度が落ちているのは排水量が増えていることからも当然とも言えます。
それに伴いタービンの回転数も「陽炎型」の毎分380回転から340回転に落とされています。
ただし配置については異なっています。
「乙型」では【島風】にも採用されているタービンの二室配置が採用されています。
これまで前部機械室に機関が左右軸とも集中して配置されていたため、被弾や浸水が起こると両方ともが使い物にならなくなり、航行不能に陥ってしまう危険性がありました。
これを前後で別々に区画にすることで、片方が使用不能になっても航行が可能になりました。

また、これまで3つの缶はそれぞれ1つの缶室に区画されていましたが、1番缶、2番缶を同室として2室に圧縮。
缶室は「甲型」より2.3mも短くなっています。
なので「乙型」もまた機関・缶に関してはオリジナルの区画配置となっています。
機関室・缶室スペースを抑制したことと、後述のように船首楼がかなり長くなったこと、さらに魚雷搭載スペースを確保するといった複数の理由により、煙突の距離が短縮されて駆逐艦唯一の誘導煙突を採用しています。

誘導煙突を持つ「乙型」はサイズも【夕張】並みではありますが、本当に軽巡にしてしまうと内部構造から運用から全部軽巡として扱わないといけなくなるので、ここまでのサイズになってもやはり臨機応変な活用と簡素な構造で済む駆逐艦としての建造が理に適っていたのです。
ちなみにこれまでの誘導煙突は2本のうち1本を曲げてくっつける形でしたが、「乙型」の煙突は3本の煙突をくっつけていますので、誘導煙突と言わずに集合煙突とも呼ばれます(むしろこっちのほうが正しいと思う)。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

出典:『高角砲と防空艦』 遠藤 昭

これまでの駆逐艦とは役割が一変することから、艦橋も内部配置の設計は全く新しいものとなりました。
実物大の艦橋模型を製造し、昭和15年/1940年4月から防空駆逐艦として4層式の最良の配置が検討されました。
羅針艦橋は今はもう閉鎖空間となっていますが、対空戦が主任務となると、上空の視界がほとんど遮られる羅針艦橋での指揮は非常に問題がありました。
なので、艦橋の上に露天の防空指揮所を設け、対空戦闘の際はここから指揮を執るということになっています。
ここまでの高さになると33ノットで移動している時に浴びる風速は60mにも達し、指揮の際に妨げとならないように、羅針艦橋と防空指揮所の間には【島風】と同じような遮風装置があります。

艦橋には他にも12cm高角双眼望遠鏡が3基、2m測距儀が2基装備されています。
高角双眼望遠鏡というのは一般的な望遠鏡とは異なり、覗き穴とレンズが水平ではありません。
角度はいくつか種類がありますが、水平に覗き込むとレンズは上に向くようになっています、つまりくの字のような形です。

また主砲が高角砲であることから、方位盤の位置にも駆逐艦としては最大サイズになる4.5m測距儀付きの九四式高射装置が配置されました。
九四式高射装置は前部艦橋と後部艦橋に1基ずつ搭載され、前部が1番、2番砲、後部が3番、4番砲を統制しています。
これにより2方向への正確な射撃が可能となりました。

しかしこの九四式高射装置の装備については、今もなお真実がボヤっとしています。
九四式高射装置は実際には【霜月】以降の艦では前部の1基のみ搭載され、後部は代わりに25mm三連装機銃が搭載されているのです。
さらに【霜月】以前の艦でも、【涼月】【新月】以外は後部高射装置を搭載していなかったという証言が多数残されており、恐らくは【涼月、新月】も同様で、実際に九四式高射装置を2基搭載した例はないのではないでしょうか。
【初月】の乗員によると「後部高射機は外観のみで内容は整備されていなかった」とのことで、計画では確かに2基だったが、それが実現しなかったということでしょう。

実現しなかった理由として、故障が頻発した、納入が遅れたという事が挙げられていました。
しかし故障に関しては多くの乗員が否定しているようで、納入遅れのほうが真実味が高そうです。
軍艦や駆逐艦の装備は民間企業も多くかかわっていますが、九四式高射装置はできるだけ多くの艦に搭載したい光学装置で、当時の能力で量産ができる装備ではありませんでした。
ちなみに九四式高射装置はじめ当時の光学兵器の生産の中心にいたのは日本光学工業株式会社、現在のニコンです。
装備できる艦を増やすために、2基搭載する予定だった「乙型」に折れてもらうしかなかったのでしょう。
公式の写図でも後部高射装置は実線ではなく一点鎖線で描かれています。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

艦橋の高さは「甲型」に比べて2mほど高くなっています。
これは艦首にこれまでにはない2基の高角砲が搭載されたためで、背負式となったことから視界確保のために高さを増すことになりました。
また同様の理由で艦首スペースを確保する必要があるために船首楼も47.3mにまで延長されました。
これは艦全体の35%までになる計算です。

どうしてこのような配置になったかというと、やはり4基8門をどのように配置するかと検討した結果、全方向に最大火力を発揮するには中心線に並べるしかなかったからです。
特に「秋月型」の場合は敵が上空なので、3次元の指向性が非常に大切です。
艦橋と煙突以外に干渉せず、できるだけ射撃の際の障害物をなくすとなると、中心線で、かつ限られたスペースに収めるには背負式にならざるを得ませんでした。

他にも「秋月型」の排水量に対する燃料搭載量は、公試時に比して24%。
これは他の駆逐艦の15~16%と比べるとかなり高い数字です。
ということは、燃料を消費すればするほど重心は上がっていくので、どんどん不安定になってしまいます。

このように「乙型」「初春型」のようなトップヘビーが懸念され、船首楼は艦首に向かうにつれて重心が下がる、斜め型の特殊な低船首楼型を採用し、各兵装の高角砲の高さを可能な限り下げるほか、重油タンクの配置など緻密な設計で何とか復原性は十分維持することに成功しています。

前檣は甲板では四脚、中央部の探照灯管制器が置かれる台座からは三脚檣というちょっと変わった形ですが、やがて竣工時から21号対空電探を搭載する艦が出てくると、マストの形が21号対空電探に到底収まらなくなります。
そのためにマストが途中で分離され、21号対空電探をトップに置く枝とその後ろから信号線や見張台などを設ける枝に分かれました。
マストは九四式高射装置との干渉を避けるために少し後方に反らされています。
後檣も電探装備前後ではその電探を支える必要のありなしで形状が変わっています。

「乙型」は対空だけでなく対潜装備も機動部隊防衛のために比較的充実していました。
艦尾には「天龍型」の改装案にもあった爆雷投射機と爆雷装填台が2基(投射機はいずれも九四式)、手動投下台が両舷3基ずつ、また九五式爆雷は54個搭載しています。
54個という数字は「甲型」がたった18個(パラベーンを搭載しない場合は36個)と考えると3倍の数ですから、発見するための兵器は九三式水中探信儀と依然乏しいものの、攻撃力としては格段にアップしました。

機銃に関してはこの時点でも当初案と同じく2基のままです。
煙突後方に設けられた、左右につながる形の機銃台に25mm連装機銃が1基ずつとかなり貧相でした。
当然ながら竣工が遅い船ほど増備された状態で誕生し、また竣工済みの艦にも逐次増備されていきます。
増備の内容は各艦全く異なります。

意外なのは電探もでしょう。
【秋月】【照月】は竣工時に電探を装備しておらず、竣工時から電探を装備していたのは4番艦の【初月】からです。
【照月】に至っては沈没が早かったこともあって、ついに電探を装備することなく生涯を閉じてしまいました。
【初月】以降は21号対空電探を搭載しますが、大型のために戦争末期の残存艦は小型の13号対空電探と22号対水上電探に置き換えられていきます。
【霜月】は21号対空電探も22号対水上電探も装備していたようです。

いよいよ「乙型」の代名詞である65口径九八式10cm連装高角砲について紹介していきましょう。
言わずと知れた長10cm砲で、長とはもちろん長い砲身を指しています。
長砲身が初速・射程に影響することは「最上型」の60口径15.5cm三連装砲でも述べていますが、ちょうどフランスからの技術導入によって長砲身の生産が可能となったことから、日本では長砲身高角砲の研究が行われていました。

そして昭和13年/1938年に制式化された長10cm砲は、日本最強の高角砲であるどころか、世界随一の性能を誇る超優秀な高角砲でした。
それまでの日本の高角砲の代表だったのは40口径八九式12.7cm連装高角砲でした。
両者の性能を比較してみましょう。

項目/種類 40口径12.7cm連装高角砲 65口径10cm連装高角砲
初 速
720m/秒
1,000m/秒
膅 圧
25.0kg/㎠
30.0kg/㎠
発射速度
14発/分(1門)
19発/分(1門)
最大射程
14,600m/14,000m[2-P68]
18,700m/19,500m[2-P68]
最大高度
9,700m/9,400m[2-P68]
13,300m/14,700m[2-P68]
砲身寿命
1,000発
350発
旋回速度
6度/秒
10.6度/秒
俯仰速度
12度/秒
16度/秒
弾丸重量
約23kg[2-P68]
約28kg[2-P68]

(数値は追記がない限り以下資料を参照)
出典:[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.23]秋月型駆逐艦 学習研究社

一目瞭然、砲身寿命以外全てが上回っています。
当然1発の威力というのは1:2.05とほぼ半分なのですが、それに比べて被害半径は1:1.27とそこまで大差がないこともあり、総合力で見るととんでもない性能を持った高角砲だったのです。
実際は15発/分ぐらいが現実的な数字でしたが、それを言い出すと他の兵器も実際の数値は多少落ちますから同じです。
最大高度も最大射程も10km以上であり、高高度飛行を行う【B-29】に対しても命中させることができます(空気抵抗でどこまで威力が落ちるかわかりませんが)。

揚弾機構は二段式の半自動装填で、まず弾庫から自動で揚弾されたあと、装填架までは人力で装填され、そのあとは自動で砲に回されるという形でした。
毎分19発という速度はだいたい3秒に1斉射となりますが、これは砲塔内の予備弾20発を撃ち尽くすまでは何とか可能だったようです。
しかし弾庫からの揚弾が必要になると、どれだけ頑張っても4秒に1斉射が限界だったと言います。
とは言え12.7cm連装砲で対空射撃をするのと比べると天と地の差でした。

砲塔の重量はかなり重く、これまでの12.7cm連装砲の32t前後に対して33.4tとなります。
さらには砲の数が3基から4基になっていますから、魚雷発射管が1基減っているとはいえ相当な重量になります。
そして艦首に2基並ぶわけですから、復原性に苦慮するのもうなずけます。
長10cm砲は砲塔版だけでなく砲架版も製造され、これが【大鳳】【大淀】(と計画では【信濃】)に搭載されました。

砲身寿命が短いのは構造上やむを得ないのですが、とにかく長砲身になると砲身を支えるために重量を重くするか、軽量にして寿命を短くするしかないのです。
そして重くするとそりゃもうめちゃくちゃ重くなるので、まず船そのものも重くなりますし、俯仰速度が遅くなりますし、デメリットが大きかったのです。
そのため軽量短寿命の砲身としたのですが、その代わり内筒の交換が艦の中でも可能な設計がされていた、と言われています。
が、実際に交換した実績どころか、交換用の予備砲身を積んだ実績もなく、可能かどうかは別として実際にはドックなどで交換をしていました。
他にも機構の複雑さが招いているのか、長時間発射し続けると揚弾装置も故障する事が増えてきたようで、その場合は全部人力で行うことになりますから一気に速射性が失われたでしょう。

その複雑な機構故量産に向かず、「乙型」建造打ち切りの原因ではないかと言われていますが、「歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦」によれば終戦時にはおよそ60門の長10cm砲が余っている計算になるようです。
単純計算7隻分ほどの主砲が余っていたわけですから、建造打ち切りに直結するほどの遅さとは思えません。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

このように多少の弱点はあるものの、10,000m前後の範囲にわたって対応が可能。
被弾しても耐えきれる可能性がある25mm機銃弾よりも、命中すればほぼ確実に大ダメージとなる100mm弾を遠方からそれなりの頻度で攻撃されるほうがよっぽど危険です。
特にアメリカの後期型の航空機は25mm機1発の被弾では耐えきってしまうようになりますから、なおさら長10cm砲を多く備える「乙型」の重要度は増していきました。
ただし、アメリカは確かに長10cm砲を搭載する「乙型」(アメリカは戦後でも「照月型」として認識していました)を脅威としていましたが、あくまで他の奴らとは違うという認識で、決して絶対的な壁として存在していたわけではありません。

「秋月型」は特に初期型においては長10cm砲に完全に特化した防空艦でした。
そこから機銃と電探の増備を行い、警戒と空襲時の防空力を強化し、その長い足を活かして多くの場面で大活躍をし、有志に名を残していきます。

なお、「改秋月型」となる「冬月型」「改冬月型(改改秋月型)」となる「満月型」の計画についてはそれぞれ各項にて紹介する予定です。
例えば艦首形状は後期型になるほど直線が増え、はっきり統一されていませんが喫水線から折れている艦(【花月】か?)、末端で少し折れている艦(【満月】)、完全に一直線の艦(修理後の【冬月】)などのバリエーションがあります。
その他多くの箇所で相違点があるのですが、なんとか文字だけで伝わるように頑張りたいです。
(どこで改・超と使い分けるかは個人によると思いますが、当HPでは「高角砲と防空艦 著:遠藤昭」に沿って表しております。)

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

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参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1][歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.23]秋月型駆逐艦 学習研究社
[2]軍艦開発物語2 著:福田啓二 他 光人社

駆逐艦
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※1 当HPは全て敬称略としております。

※2 各項に表記している参考文献は当方が把握しているものに限ります。
参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
勝手ながら本HPの参考文献、引用文献はすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。