
起工日 | 昭和16年/1941年11月15日 |
進水日 | 昭和17年/1942年8月13日 |
竣工日 | 昭和17年/1942年12月29日 |
退役日 (沈没) | 昭和18年/1943年11月25日 セント・ジョージ岬沖海戦 |
建 造 | 藤永田造船所 |
基準排水量 | 2,077t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 次発装填装置 |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
名艦長を迎え入れるも、最新鋭レーダーに為す術なく敗北
【大波】の竣工は六番艦【高波】から4ヶ月もあとであり、すでに激戦の連続であった「ガダルカナル島の戦い」での雌雄も決しようというところでした。
彼女の艦長には、かつて【大潮】の艦長として「バリ島沖海戦」で日本駆逐艦の強さを見せつけ、「第三次ソロモン海戦」で電光石火の活躍を見せた【夕立】の舵もとった吉川潔艦長が就きます。
昭和18年/1943年1月、「ルンガ沖夜戦」で【高波】が沈没し、2隻編成となった第三一駆逐隊に配属。
【愛宕】を護衛し、【大波】はトラック島へ向かいます。
すでにソロモン海での勝敗はついており、【大波】は戦いではなく撤退による輸送作戦や対潜哨戒に就きました。
2月には【清波】が新たな仲間として加わり、第三一駆逐隊は定数4隻を確保します
5月に雷撃を受けて損傷した【春雨】を途中までですが護衛しています。
しかし7月に【清波】は輸送任務中に空襲の被害を受けて沈没。
第三一駆逐隊はたった半年で3隻へと戻ってしまいます。
8月に【大鷹】を護衛しながら横須賀へ向かいます。
道中【大鷹】は【米ポーパス級潜水艦 パイク】の攻撃を受けますが、幸いにも不発。
こちらの反撃も【パイク】には届かず、双方大した被害なくこの邂逅を突破しました。
帰投後【大波】も舞鶴へ回航されて修理を受けています。
9月に復帰後も【大波】はやはり輸送任務に就くことが目立ち、吉川艦長の辣腕が振るわれることはありません。
11月には米軍の狙いがブカ島であると踏み、日本は同島へ物資の輸送を開始します。
【大波】もその一員に選ばれました。
警戒隊を【巻波】とともに務めた【大波】は、無事はじめの輸送任務を滞り無く達成。
2回目の輸送も、揚陸、そしてラバウルへ戻るパイロットの回収も予定通り行い、あとは戻るだけでした。
しかし、その行く手に立ち塞がるのは最新鋭のレーダーを搭載した5隻の駆逐艦隊でした。
この駆逐艦5隻【チャールズ・オースバーン、ダイソン、クラクストン、スペンス、コンヴァース】はすべて「フレッチャー級駆逐艦」で、たった3年で175隻も建造された大型駆逐艦級です。
当然装備も最新で、当時唯一と言ってもいい日本の夜戦の優位性をもひっくり返すことになるのが、この「セント・ジョージ岬沖海戦」です。
「ルンガ沖夜戦」では失敗したレーダーを利用した奇襲攻撃ですが、この海戦では見事にはまり、【大波】たち5隻の駆逐艦は一方的な攻撃を受けることになります。
一斉に魚雷が【大波】たちに襲いかかり、大海原で最も活躍した駆逐艦を操った吉川艦長もこの時ばかりは運に見放されます。
【大波】は魚雷を受けて轟沈。
魚雷によって乱れが生じた日本に向けて今度は砲撃が行われ、さらに【巻波・夕霧】も撃沈。
水雷戦のお手本のような戦い方をされた帝国海軍は、この海戦によって全てが米国に劣るという現実を突きつけられました。