由良【長良型軽巡洋艦 四番艦】

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①大正12年/1923年竣工時
②昭和9年/1934年(改装完了後)

起工日大正10年/1921年5月21日
進水日大正11年/1922年2月15日
竣工日大正12年/1923年3月20日
退役日
(沈没)
昭和17年/1942年10月25日
サンタイサベル島近海
建 造佐世保海軍工廠
① 常備排水量
② 公試排水量
① 5,570t
② 6,260t
全 長① 162.15m

水線下幅① 14.17m

最大速度① 36.0ノット
② 34.5ノット
航続距離① 14ノット:5,000海里

馬 力① 90,000馬力

装 備 一 覧

大正12年/1923年(竣工時)
主 砲50口径14cm単装砲 7基7門
備砲・機銃40口径7.6cm単装高角砲 2基2門
魚 雷61cm連装魚雷発射管 4基8門
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 混焼2基、重油10基
技本式ギアードタービン 4基4軸
その他
艦上偵察機 1機(滑走台)
昭和9年/1934年(改装時)
主 砲50口径14cm単装砲 7基7門
備砲・機銃13mm四連装機銃 1基4挺
13mm連装機銃 2基4挺
(⇒のち13mm連装機銃 2基4挺)
魚 雷61cm連装魚雷発射管 4基8門
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 混焼2基、重油10基
技本式ギアードタービン 4基4軸
その他
水上機 1機
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初の水上機搭載軽巡、そして初の喪失 由良

【由良】「長良型」の四番艦ですが、予算が通過したのは姉3隻の「八六艦隊計画」の時ではなく、その後改められた「八八艦隊計画」の時でした。
【由良】【鬼怒】【阿武隈】はこの「八八艦隊計画」組になります。

【由良】の「初」は、竣工から3年後に訪れます。
これまで滑走台は搭載されながらも搭載機は艦上偵察機で、水上偵察機を運用することがなかった「長良型」でしたが、1926年、【由良】が日本軽巡で初めて水上機を常時搭載しました。
ちなみに「球磨型」【木曾】を除いて水上機の搭載は可能でしたが、これはあくまで搭載可能というだけで、当時は水上機の能力やデリック運用の問題から実際に搭載することはありませんでした。
なので、初めて水上機搭載能力を有したのは「球磨型」ですが、初めて水上機を搭載したのは【由良】ということになります、ややこしい。

しかしその滑走台、そしてその次に考案された「萱場式艦発促進装置」から水上機が飛び立つことはなく、結局カタパルトが考案・搭載されるまで【由良】の水上機は運用の機会を得ることがありませんでした。
その「萱場式艦発促進装置」【五十鈴】で1ヶ月だけ実験された後に【由良】に移設され、そこから約4年間運用試験が続けられました。

水上機が搭載された1926年12月、【由良】はそれまでの第五戦隊から第一潜水戦隊へ異動となります。
しかし配属はたった半年だけで、そのあとしばらくは第三戦隊所属となりました。
この第三戦隊所属の時、1927年8月27日に【由良】「美保関事件」に巻き込まれます。
夜間の無灯火演習中に発生したこの連鎖衝突事故によって、【神通】【那珂】【葦】が大破。
そして【蕨】に至ってはボイラー付近に【神通】の艦首が直撃して爆発沈没。
帝国海軍史の大きな汚点として刻まれる事件に巻き込まれた【由良】は救助作業に尽力しています。

しかし【由良】は自分自身も演習中に衝突事故を起こしています。
煙幕に視界を遮られ、さらに台風の影響による高い波が操舵を困難にさせる中、突然右舷から現れた【夕張】【由良】にぶつかってしまうのです。
幸い【由良】はほぼ問題なく、【夕張】も艦首に損傷を負うもののその被害も軽微と、大事には至りませんでした。

さて、太平洋戦争が開戦すると、【由良】の日々もより濃密になっていきます。
第五潜水戦隊旗艦、第四水雷戦隊旗艦を歴任し、マレー沖の占領および通商破壊活動、「スマトラ・ジャワ攻略作戦」での敵砲艦や特務艦の撃沈や、陸上基地と輸送艦隊の破壊活動など、表舞台ではないもの、【由良】は着実に成果を残していきます。

ショートランド泊地へ移動した後の「ガダルカナル島の戦い」では、劣勢の中なんとか輸送任務の指揮を行い、【由良】は自分の果たすべき任務を全うします。
しかし泥沼の「ガダルカナル島の戦い」で【由良】は9月25日に空襲にあって至近弾3発、7番砲塔に直撃弾1発というヒヤヒヤものの被害を受けました。
幸い運用に大きな支障はなかったため、そのまま輸送任務を継続しています。
その後も、制空圏を奪われているため防空駆逐艦として名高い【秋月型駆逐艦 秋月】に四水戦の旗艦を譲りながら【由良】の奮闘は続きました。

輸送任務の継続により陸軍の補給は断絶こそしなかったものの、しかし制空権を奪われている中の鼠輸送、蟻輸送が危険な任務であることに変わりはありません。
このままではジリ貧となるため、日本は陸軍とともに一気にヘンダーソン飛行場の破壊へと踏み切りました。
10月13日夜、まずは輸送の妨げとなるヘンダーソン飛行場を一時的にでも無力化するために、【金剛】【榛名】を基幹とした第二次挺身攻撃隊が全弾消費するまで砲撃を続けます。
【由良】はこの時水上機だけが支援に向かい、自身は同日に発生した「サボ島沖海戦」で被害を受けている日進輸送隊の護衛に向かっています。

この機に一気に輸送を進めるために、【由良】は14日に自身の四水戦と離れて三水戦の【川内】とともにガダルカナル島のエスペランス岬への揚陸作戦に参加。
四水戦は翌15日に駆逐艦だけで輸送船を護衛し、同じくエスペランス岬へと向かいましたが、しかしここで四水戦は思わぬ事態に巻き込まれます。
飛行場の機能停止によりとても離陸できるはずのない航空機が、上空に現れたのです。

慌てて対空射撃を行うも、まだまだ対空兵装が乏しい時期に加えて輸送船6隻は空襲にとても弱いため、6隻中3隻が炎上座礁。
揚陸はなんとか一定量が成功しましたが、その物資も空襲や後の艦砲射撃によってほとんどが焼失してしまいます。

ヘンダーソン飛行場への砲撃は14日、15日も重巡を中心に行われていました。
しかし特に滑走路の重機による修繕力が凄まじく、また日本が造成した滑走路以外にもアメリカが新たに作り上げた滑走路に被害がなかったため、ヘンダーソン飛行場の能力はほとんど落ちていなかったのです。
特に新滑走路の存在に気づいていないのが日本にとっては大きな誤算でした。

反撃はあったものの基地破壊の効果がないわけではないと、日本は事態を重くは受け止めませんでした。
しかし猶予がないことは確実で、10月16日の出撃が最後の輸送とし、その後陸海共同でヘンダーソン飛行場奪還作戦を実施することが決定します。
この最後の輸送を完遂し、帰投中の【由良】【米タンバー級潜水艦 グランパス】が放った1発の魚雷が命中しましたが、幸い不発に終わっています。

10月24日、出撃の1日延期を経て【由良】ら第二次攻撃隊はショートランドからガダルカナル島へ向けて出発。
当日夜に突撃隊からの「陸軍がヘンダーソン飛行場を占領」という報告を受け、第二次攻撃隊もアメリカ艦隊との戦いを覚悟して前進を続けました。
しかしその報を受けてから6時間後、「先のヘンダーソン飛行場の占拠は誤報」という不穏な報告が飛んでくることになりました。

この時不幸にも第二次攻撃隊と駆逐艦3隻の突撃隊は敵の制空圏内にありました。
圏外であれば逃げようもありますが、圏内となると話は180度変わってきます。
急ぎ反転、撤退をするのですが、すぐに「ルンガ泊地付近に軽巡はじめ数隻の米艦隊あり」との報告が入り、突撃隊には本来の任務である艦隊攻撃が命令されました。
第二次攻撃隊はこの命令を受けていませんが、しかし支援のために再反転、計画は修正され、突撃隊と協力してこの艦隊を殲滅に向かいます。
この時第二次攻撃隊と突撃隊はずいぶん距離がありました。

これは、敵制空圏内で航空支援なく丸腰で敵艦隊に突っ込むという、無茶苦茶な決定でした。
ともに出撃していた【隼鷹】は予定通りガダルカナル島の攻撃に参加していたため、こちらは上を見ながら攻撃をするしかなかったのです。
加えて突撃隊・第二次攻撃隊には対空装備の豊富な重巡すらおらず、強いて言うなら旗艦になったばかりの【秋月】のみが戦力。
空の敵を相手にするにはあまりにも不利でした。

やがて恐れていた事態が到来します。
25日10時50分、破壊できていないヘンダーソン飛行場から、「SBD ドーントレス」「F4F ワイルドキャット」が襲来したのです。
【由良】には2発の爆弾が直撃し、左舷後部には大穴、そして船体からは大きな炎があがりました。
なんとか退避をしようと試みるものの、浸水の速度が非常に早くて速力はどんどん低下します。
ついに機関室にも海水が流れ込んでしまいます。

しかし敵は次々と新しい航空機が第二次攻撃隊に迫ってきてヒットアンドアウェイを繰り返し、波状攻撃はとどまるところを知りません。
ついに「B-17」の爆撃によって、【由良】はさらに1発の爆弾を受けて航行不能。
この時ようやく火の勢いは治まり、このままなら消火に成功するというところだったのですが、再びの被弾はその望みを文字通り燃やし尽くしました。

再びの大炎上と、船体に亀裂が入る被害、そして完全に停止して浸水も止まらない。
嵐のような攻撃の最中、また爆発の危険も伴う中、【夕立】が懸命に乗員を救助し、最期はその【夕立】の魚雷によって【由良】は雷撃処分されました。

航空支援なく敵制空圏に突入する艦隊の未来は漆黒の闇です。
【由良】は日本の軽巡洋艦で初めて沈んでしまった艦でした。

2019年6月2日 加筆・修正

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