ガダルカナル島撤収作戦 | 大日本帝国軍 主要兵器

ガダルカナル島撤収作戦

1943年

イサベル島沖海戦

イサベル島沖海戦 (正式名称なし) 戦闘参加戦力 大日本帝国 連合国 ○第一次ガ島撤収部隊(司令官:橋本信太郎少将) ...
1943年

レンネル島沖海戦/レンネル島海戦

レンネル島沖海戦 レンネル島海戦 戦闘参加戦力 大日本帝国 連合国 第一一航空艦隊(司令長官:草鹿任一中将) 護衛部隊 ...
駆逐艦

巻雲【夕雲型駆逐艦 二番艦】

起工日 昭和15年/1940年12月23日 進水日 昭和16年/1941年11月5日 竣工日 昭和17年/1942年3月14日 退役日(沈没) 昭和18年/1943年2月1日ケ号作戦 建 造 舞鶴海軍工廠 基準排水...
駆逐艦

夕雲【夕雲型駆逐艦 一番艦】

「朝潮型」から「陽炎型」へと歴史は進みましたが、「陽炎型」でもやはり帝国海軍が目指す駆逐艦の有り様には至っていませんでした。 「陽炎型」で大きく犠牲となったのはその最高速度です。 大きく、そして重武装になるに連れて日本の駆逐艦の速度は落ちる一方で、「陽炎型」では36ノットを目指したものの航続距離を優先した結果35ノットで妥協。
駆逐艦

秋雲【陽炎型駆逐艦 十九番艦】

起工日 昭和15年/1940年7月2日 進水日 昭和16年/1941年4月11日 竣工日 昭和16年/1941年9月27日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年4月11日モロ湾 建 造 浦賀船渠 基準排水量 2,...
駆逐艦

浜風【陽炎型駆逐艦 十三番艦】

【浜風】は19隻いる「陽炎型」の中で、昭和19年/1944年まで1隻も欠くことなく活躍し続けた第一七駆逐隊の一員です。 「真珠湾攻撃」の際には一水戦の中で第一七駆逐隊だけが機動部隊護衛に選ばれ、旗艦【阿武隈】と第一八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。 続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と、様々な作戦に従事。
駆逐艦

磯風【陽炎型駆逐艦 十二番艦】

【磯風】は「陽炎型」の中でも特に優秀な活躍を見せた第一七駆逐隊の一員です。 「真珠湾攻撃」の際には一水戦の中で第一七駆逐隊だけが機動部隊護衛に選ばれ、旗艦【阿武隈】と第一八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。 続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と多くの作戦に参加。 日本の力量を見誤っていた連合国軍を蹴散らします。
駆逐艦

浦風【陽炎型駆逐艦 十一番艦】

【浦風】は主力の「陽炎型」の中でもエリート集団となった第一七駆逐隊所属です。 【谷風・浜風・磯風】とともに編成し、第一水雷戦隊に所属していました。 太平洋戦争の号砲を鳴らした「真珠湾攻撃」に参加すると、続いて「ウェーク島の戦い」に合流。 これは先に侵攻していた【夕張・天龍】らが思いもよらぬ反撃を受け、結果【疾風・如月】が沈没するという予想外の事態に陥ったため、力で叩きのめすために二航戦を引っ張りだしたためです。
駆逐艦

時津風【陽炎型駆逐艦 十番艦】

起工日 昭和14年/1939年2月20日 進水日 昭和14年/1939年11月10日 竣工日 昭和15年/1940年12月15日 退役日(沈没) 昭和18年/1943年3月4日ビスマルク海海戦 建 造 浦賀船渠 基...
駆逐艦

雪風【陽炎型駆逐艦 八番艦】

駆逐艦の中では文句なし、帝国海軍艦艇全ての中でも五指に入るほど有名な【雪風】です。 主力駆逐艦であった「陽炎型」、それに準ずる戦力であった「朝潮型」、「陽炎型」とほぼ同等クラスの「夕雲型」。 主戦場に優先的に動員されたこれら合計48隻の中で、終戦まで生き残ったのはこの【雪風】のみ。 海戦に不参加だったわけでも、常に逃げ腰だったわけでもなく、他の駆逐艦と同様に必死に戦い続けていました。