駆逐艦夕雲【夕雲型駆逐艦 一番艦】 「朝潮型」から「陽炎型」へと歴史は進みましたが、「陽炎型」でもやはり帝国海軍が目指す駆逐艦の有り様には至っていませんでした。 「陽炎型」で大きく犠牲となったのはその最高速度です。 大きく、そして重武装になるに連れて日本の駆逐艦の速度は落ちる一方で、「陽炎型」では36ノットを目指したものの航続距離を優先した結果35ノットで妥協。駆逐艦
駆逐艦浜風【陽炎型駆逐艦 十三番艦】 【浜風】は19隻いる「陽炎型」の中で、昭和19年/1944年まで1隻も欠くことなく活躍し続けた第一七駆逐隊の一員です。 「真珠湾攻撃」の際には一水戦の中で第一七駆逐隊だけが機動部隊護衛に選ばれ、旗艦【阿武隈】と第一八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。 続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と、様々な作戦に従事。駆逐艦
駆逐艦磯風【陽炎型駆逐艦 十二番艦】 【磯風】は「陽炎型」の中でも特に優秀な活躍を見せた第一七駆逐隊の一員です。 「真珠湾攻撃」の際には一水戦の中で第一七駆逐隊だけが機動部隊護衛に選ばれ、旗艦【阿武隈】と第一八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。 続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と多くの作戦に参加。 日本の力量を見誤っていた連合国軍を蹴散らします。駆逐艦
駆逐艦五月雨【白露型駆逐艦 六番艦】 【五月雨】は【村雨・夕立・春雨】と第二駆逐隊を編成し、彼女らは第四水雷戦隊の隷下にありました。 太平洋戦争では 「ビガン攻略作戦、バリクパパン攻略作戦、スラバヤ沖海戦」など、南方海域での作戦にいきなり投入されることになります。 昭和17年/1942年8月からは「ガダルカナル島の戦い」が始まりますが、【五月雨】は最初は護衛と輸送任務に携わり、戦闘に加わるのは「第三次ソロモン海戦」前になります。駆逐艦
駆逐艦時雨【白露型駆逐艦 二番艦】 太平洋戦争緒戦、【時雨】は主に護衛任務を行い、昭和17年/1942年4月には五航戦に所属し、【翔鶴・瑞鶴】の護衛を務めました。 5月は「珊瑚海海戦」に参加しますが、この戦いで【翔鶴】は沈没こそしなかったものの大破炎上。 【米レキシントン級航空母艦 レキシントン】を撃沈しますが、この【翔鶴】の大破は痛手となり、続く「ミッドウェー海戦」には【瑞鶴】とともに不参加を余儀なくされました。駆逐艦
駆逐艦漣【綾波型駆逐艦 九番艦】 起工日 昭和5年/1930年2月21日 進水日 昭和6年/1931年6月6日 竣工日 昭和7年/1932年5月19日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年1月14日 ヤップ島南東 建 造 舞鶴海軍工廠 基準排...駆逐艦
駆逐艦夕凪【神風型駆逐艦 九番艦】 起工日 大正12年/1923年9月1日 進水日 大正13年/1924年4月23日 竣工日 大正14年/1925年4月24日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年8月25日ルソン島沖 建 造 佐世保海軍工廠 基準排...駆逐艦
駆逐艦松風【神風型駆逐艦 四番艦】 起工日 大正11年/1922年12月2日 進水日 大正12年/1923年10月30日 竣工日 大正13年/1924年4月5日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年6月9日小笠原諸島近海 建 造 舞鶴海軍工廠 基準...駆逐艦