ラバウル空襲

軽巡洋艦

阿賀野【阿賀野型軽巡洋艦 一番艦】

「川内型」の3隻が建造されたあと、四番艦として予定されていた【加古】は重巡へと姿を変えました。 以後、帝国海軍は重巡の徹底増備を行っていたため、次々と新しい重巡洋艦が建造されていきました。 一方、重巡よりも軽兵装の軽巡には目も向けられず、【那珂】以後は1隻も建造されることがなく、そのまま15年もの年月が流れてしまいました。
軽巡洋艦

夕張【軽巡洋艦】

軽い、安い、強い、頑丈。 軍艦を造る上で非常に重要な要素です。 世界各国はいかにしてこの要素をバランスよく配分した船を建造するかが常に課題でした。 軽すぎると脆い、安すぎると弱い、強すぎると高い、頑丈すぎると重い・高い。 過ぎたるは猶及ばざるが如し、です。
軽巡洋艦

長良【長良型軽巡洋艦 一番艦】

日本海軍は大正6年/1917年に、嚮導艦として建造した「天龍型」を超越する強力な巡洋艦の建造計画を「八四艦隊計画」に盛り込み、そこでいわゆる5,500t級と言われる分類の中の「球磨型」の建造が決定します。 そして同時に、続く「長良型」の前半3隻、【長良、五十鈴、名取】の建造も合わせて決まりました。
重巡洋艦

最上【最上型重巡洋艦 一番艦】

昭和5年/1930年になると、日本は軽巡洋艦の老朽化に伴う代替艦の建造を計画していました。 「天龍型」は竣工してから10年になり、しかも3,500t級の小型設計。 「球磨型」の【球磨・多摩】も5,000t級ではあるものの大正9年/1920年、21年竣工でした。 軍縮の流れがあるとはいえ、このままでは国家を守る軍備が滞ってしまいます。
重巡洋艦

摩耶【高雄型重巡洋艦 三番艦】

【高雄・愛宕】は太平洋戦争を目前にして改装を行っていますが、【摩耶・鳥海】はその改装が行われる前に開戦してしまったため、姉2隻よりは劣った状態で戦争に参加することになりました。 それがのちに【摩耶】が対空特化の重巡に変身することにつながります。
広告