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朝霜【夕雲型駆逐艦 十六番艦】その2
Asashimo【Yugumo-class destroyer】

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「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

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レイテ輸送は生命線 開かれたオルモックの地獄門

「多号作戦」の序盤には【朝霜】は参加せず、被害もあまり大きくないままで輸送は成功していました。
ところが諦めの悪い日本を意気消沈させるために、拠点であったマニラへの空襲が激化します。
10月29日の空襲では【那智】が大破し、そして11月5日の空襲は【那智】が沈没、【曙】大破と、回を重ねるごとに被害が膨らんでいきました。
【朝霜】は5日の空襲で機銃掃射を受けて9名ほどの戦死者を出してしまいます。

この5日の空襲は「多号作戦」にも影響を与えました。
本来ならば数字通り第三次輸送部隊が6日に出発する予定だったのですが、メンバーの【曙】が大破したために【秋霜】に交代となったほか、作戦も第四次輸送部隊が先に行うことになりました。
この第四次輸送部隊に【朝霜】【長波】が含まれています。

8日に第四次輸送部隊はマニラを出撃。
運よく嵐の中を通過したために輸送中の空襲は回避することができたのですが、9日に入ると天候は回復し、部隊は空襲を受けます。
この空襲の被害は微少で、揚陸には問題がなかったためにそのまま全艦オルモックに突入します。

ですがオルモックにはあるべきものがほとんど見当たりませんでした。
兵士、物資の揚陸に欠かせない【大発動艇】が数えるほどしか残っていなかったのです。
実は【大発】は8日の台風で多くが破壊されてしまい、無事だったのは50隻中たった5隻でした。
さらに近隣のセブ島からも【大発】がやってくるはずだったのですがこれも未着、加えて9日の空襲で輸送船が搭載していた【大発】が損傷、デリックにも被害があり、揚陸の大きな妨げとなりました。

止むを得ず残された【大発】をフル活用するほか、吃水線が低い海防艦を使っての揚陸も行われました。
その間に駆逐艦は敵魚雷艇が奇襲を仕掛けてこないかと湾周辺で見張りを行っています。
【大発】の少なさから揚陸は遅々として進まず、特に野砲などの重装備の揚陸にはてこずりました。
これらはデリックを使って【大発】でしか運べないので、絶対数が少ないとなると当然遅れてしまったのです。

半日以上の時間をかけて揚陸を進めていましたが、10日午前10時30分をめどに、部隊はオルモックから撤退することになりました。
これでも粘ったほうで、早朝の空襲は護衛機が活躍してくれたものの、もはや限界でした。
結局人員の揚陸は全員完了しましたが、物資の揚陸はほとんどできず、恐らくは人間の手で運べるぐらいの弾薬や食糧ぐらいしか陸揚げできていなかったでしょう。
戦うために上陸した兵士たちは、戦う手段を持ちませんでした。

輸送の意味があったのかなかったのか、自問自答をしながら部隊はオルモックを出発します。
ところがやはり長居をしすぎたか、出発直後に部隊は再び空襲を受けてしまいます。
今度の空襲は耐えることができず、【高津丸】【香椎丸】が被弾炎上。
【高津丸】は揚陸できなかった弾薬に引火した瞬間に大爆発を起こし、そのまま沈んでしまいました。
【香椎丸】も轟沈ではないもののやはり火災がどんどん広がってしまい、やがて沈没し、他【第11号海防艦】も被弾により大破航行不能となってしまいました。

空襲が過ぎ去ると生存者の救助が始まり、また一方で生き抜いた【金華丸】【潮】【秋霜】【若月】【占守】【沖縄】が護衛して先に戦場を離脱しました。
救助は【朝霜】【霞】【長波、第13号海防艦】が行い、【第13号海防艦】は救助後に【第11号海防艦】を砲撃処分しています。
ただ轟沈だった【高津丸】からは生存者を発見すらできず、全員が戦死と判断。
【香椎丸】【第11号海防艦】の救助を終えると、4隻は【金華丸】達の後を追いました。

しかし先行組にはさらなる悲劇が待ち受けていました。
第二波が【金華丸】を襲い、また空襲を受けていたのです。
この空襲で【金華丸】は小破で済んだものの、艦首に直撃弾を受けた【秋霜】はその艦首を失ってしまいます。
意外と艦首喪失は何とかなるもので沈みはしなかったのですが、それでも痛々しい姿を晒しながら【秋霜】は自力で撤退を継続します。

輸送は中途半端、被害も大きくなってしまった第四次多号作戦。
一方で第四次輸送部隊とバトンタッチするはずだった後発の第三次輸送部隊ですが、第四次輸送部隊が戻る前、すなわち9日にはマニラを出撃していました。
これは第四次輸送部隊も遭遇した嵐を受けて、今後も天候が悪くなると予想されるから、今のうちに隠れて行っちまおうという判断があったからです。

この作戦変更に伴いメンバーの入れ替わりも道中で実施されることになりました。
すなわち、部隊がすれ違う際に第三次輸送部隊の【初春】【竹】と第四次輸送部隊の【朝霜、長波、若月】ら新しい船を交代させるというものでした。
【朝霜】【長波】の救助者を【霞】に詰め込んで、また一方では【若月】が先行組から離脱し、この3隻が第三次輸送部隊に組み込まれることになりました。
【秋霜】が無事であれば、【若月】の枠には【秋霜】が入る予定でした。

【初春、竹】が第四次輸送部隊に加わって来た道を帰り、【朝霜、長波、若月】はまた危険なオルモックに向かうことになります。
第三次輸送部隊には【島風】【浜波】がおり、メンバーは最新の船ばかりでした。
魚雷艇の攻撃を一蹴し、部隊は11日朝にオルモックに到着しました。

この時、別のエリアでは栗田艦隊がブルネイから本土への帰投を始めていました。
この行動を知ったアメリカは、目下大活躍中の第38任務部隊をこれに向かわせて、対空支援がない栗田艦隊を血祭りにあげてやるつもりでした。
実際に栗田艦隊側も基地航空隊の注意をこちらに向けて「多号作戦」を間接的に支援する目論見もあったのですが、狙いは外れて第38任務部隊は栗田艦隊を発見できませんでした。
この思いやりが、大きなお世話なんて生ぬるい、仲間を地獄のどん底に叩き落すことになるとは夢にも思わなかったでしょう。

空振りに終わった第38任務部隊、やれやれ戦果なしかと思っていたら、おやおや目の前に10隻の船団が見えるじゃないですか。
これは美味しい獲物だと、第三次輸送部隊に347機の大群が突っ込んできたのです。
ちょうど湾内に侵入していたところだったので、袋の鼠でした。

生き残るなんて絶対無理な状況なのは一目瞭然なので、輸送船は浜に突っ込もうと速度を上げます。
しかし鈍足の輸送船が航空機を振り切れるわけがなく、また駆逐艦の煙幕も間に合わず、4隻の輸送船はあっという間に爆撃の嵐で火を噴き沈んでいきました。

生かしちゃいけない輸送船の始末が済んだので、あとは罪人に銃撃を浴びせて死の舞踏を舞わせるだけです。

四方八方から狭いオルモック湾で踊る【朝霜】達を嘲るように、急降下しては銃撃と爆撃を浴びせ、その次の瞬間には側面から雷撃機が襲いかるという、息をする暇すらない怒涛の攻撃。
1秒前に怒声を発していた仲間からは事切れて血だらけであり、硬いはずの船には弾痕が無限に刻まれ、甲板は海水に混じって大量の血液で滑り、空薬莢が転がる音は攻防の機銃音でかき消されます。

【朝霜】は部隊の最後尾におり比較的煙幕に留まる時間が長かったのですが、もちろんずっと雲隠れできるわけではなく、舵輪が忙しなく右へ左へ回り、何とか直撃弾は回避できていました。
銃弾が船にめり込むたびに悲鳴のように金属音が鳴りますが、一方で反撃の機銃と主砲が敵機を襲います。
撃墜記録は不鮮明ですが、【朝霜】はこの舞踏会で倒れることなく立ち続けました。

ですが【朝霜】のように戦い続けることができた仲間は他に誰も残っていませんでした。
対空特化の【若月】も、姉妹艦【長波、浜波】も、日本の最高峰駆逐艦になるはずだった【島風】も。
【若月】は黒煙を天高く噴き出して沈没し、【浜波】は艦首喪失と至近弾により航行不能、【長波】は主砲も機銃も撃ち尽くし、まだ動けるもののまな板の鯉、【島風】は爆撃を振り切ったものの無数の弾痕や至近弾からの浸水がじわじわと身体を蝕み、機関がオーバーヒートしてしまいました。

暴れ散らかしてきた敵も銃弾、爆弾には限りがあります。
空襲にもようやく空白が見え始めました。
【朝霜】は急いで旗艦【島風】を探します。
そこにはあの40ノットにも達しようかという韋駄天の面影はどこにもなく、波にゆらゆらと流される【島風】の姿がありました。

しかし沈んではいない、沈まなければ救助はできる。
【朝霜】は力を振り絞って【島風】に接近します。
ところが勢いが衰えたとはいえ敵機が去ったわけではなく、【朝霜】の行動を咎める銃撃が再三にわたって接近を妨害してきました。
それでも【朝霜】【島風】への横付けを諦めませんでした。

そのひたむきな行動を制したのは、【島風】乗艦の松原瀧三郎二水戦先任参謀(当時大佐)でした。
彼が【朝霜】に帰るように命令したため、【朝霜】【島風】の救助を断念。
【島風】はその後もしばらく浮き続けていましたが、突如爆沈して多くの生存者が戦死。
松原先任参謀ら7名しか助かりませんでした。

【島風】から離れた【朝霜】ですが、命は【島風】だけに残されていたわけではありません。
【朝霜】は次に【浜波】に接近し、こちらの救助を敢行します。
ちょうど援軍の戦闘機が現れたため(機数のばらつき多し、最大30機程度か)、この隙に【朝霜】【浜波】の乗員を一気に助け出します。
撃墜されていく味方機の名も知れぬ同志に感謝しながら、269名の【浜波】生存者を救助して、【朝霜】は今度こそオルモックから撤退していきました。
なお【長波】はその後の被弾などにより沈没してしまいましたが、【朝霜】がすでに満員だったこともあって救助にあたることができませんでした。
【長波】乗員はこの後も残された【浜波】の船体を使おうと奮闘しています。

第四次輸送部隊の苦労の上からべっとりと血を上塗りした第三次多号作戦。
これで「多号作戦」も当初の目論見が崩壊し、さらには13日のマニラ空襲で輸送船も軍属艦船も多数の被害を出します。
第四次輸送部隊で生き残った【金華丸】もこの空襲で沈んでしまいました。

弾薬は払底し、乗員の被害が著しい【朝霜】でしたが、この空襲では何とか致命傷を負わずに逃げることに成功。
しかし第三十一駆逐隊の仲間である【沖波】が犠牲となり、沈没こそしなかったものの構造物は大きく破壊された上に着底してしまいました。
【朝霜】【沖波】の消火活動を行っています。

マニラはもうだめだ。
そう進言したのは第五艦隊司令長官の志摩清英中将でした。
我が家同然だった【那智】が5日の空襲で沈み、さらには13日にもこれだけの被害を出したマニラ。
さらなる空襲は避けられない、一刻も早く離脱せねばたただた被害が膨らむだけだと、残った【朝霜、潮、霞、竹】【初霜】はその日の夜にマニラを脱出し、ブルネイに落ち延びました。
この躊躇のない撤退は正解で、翌14日にもマニラは空襲されて残された輸送船も全滅してしまいます。

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参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
東江戸川工廠
艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki
[1]第二水雷戦隊突入す 著:木俣滋郎 光人社