
起工日 | 昭和14年/1939年10月18日 |
進水日 | 昭和15年/1940年11月1日 |
竣工日 | 昭和16年/1941年4月25日 |
退役日 (沈没) | 昭和19年/1944年6月9日 タウイタウイ湾近海 |
建 造 | 藤永田造船所 |
基準排水量 | 2,033t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 次発装填装置 |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
駆逐艦の武器である俊敏性を堂々発揮 谷風
【谷風】は【浦風・磯風・浜風】とともに、戦争末期まで奮闘した第十七駆逐隊を構成。
第一水雷戦隊に所属していました。
戦争後期にその活躍が目立つ第十七駆逐隊の面々ですが、この【谷風】は戦争初期の時点で名を馳せる大立ち回りをやってのけています。
「真珠湾攻撃」の出撃部隊に組み込まれた第十七駆逐隊は、一水戦唯一の抜擢とあり、当初から期待がかけられていたことが伺えます。
【谷風】は一水戦旗艦【阿武隈】と第十八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。
続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と多くの作戦に参加。
帝国海軍の実力を諸外国に見せつける活躍を続けます。
5月には第十戦隊に移籍、そして6月には「ミッドウェー海戦」がはじまります。
しかし自軍の機動部隊の強さにあぐらをかいていた帝国海軍は、米軍の機動部隊の襲撃への対応が後手に回った結果、一航戦、二航戦を失う大敗北を喫します。
唯一最初の襲撃の中で攻撃を耐えぬいた【飛龍】も、体制を建て直して反撃を試みますが、航空機の損耗が激しかったために米軍の空襲を抑えきれずに炎上。
最後は【巻雲】の魚雷によって雷撃処分されることになります。
ところが翌日の6月6日、【鳳翔】から発艦した【九六式艦上攻撃機】が未だ洋上を彷徨う【飛龍】を発見。
そしてその飛行甲板には大きく手を振る生存者が多数いることが確認されました。
乗員の救助、そして【飛龍】を確実に沈めるために派遣されたのが、【谷風】でした。
制空権が完全に制圧された海上を単艦で航行するのは非常に危険ではありましたが、【谷風】は期待に応えます。
同じく【飛龍】を捜索していた米軍は、【谷風】を発見、狙いを【谷風】に変更し、襲いかかりました。
その数、艦載機37機、次に【B-17】が12機。
2度にわたって【谷風】は襲撃を受けることになります。
しかし【谷風】の勝見基艦長(中佐)はここで神業を披露し、137発もの爆撃を全て回避。
代わりに敵機4機を撃墜しています。
至近弾が1発あり、その影響で6人の死者が発生したものの、ついに仕留めることができなかった米軍は撤退。
【谷風】は圧倒的不利な戦況を類まれなる操舵能力で脱し、【飛龍】の元へと急ぎました。
しかし、その空襲に時間を食われた結果、指定された海上にはすでに【飛龍】の姿はなく、生存者らしき姿も発見することはできませんでした。
ですが、時間稼ぎをしたのは【谷風】も同じでした。
標的が【谷風】に集中したため、それほど遠くに離れていない日本の攻撃部隊への空襲が食い止められたのです。
当時連合艦隊は、駆逐艦に救助された大勢の空母船員を戦艦に移乗しているところであり、もしこの瞬間を狙われていたら再び多数の死傷者が発生していたことでしょう。
【飛龍】を救うことはできませんでしたが、間接的に仲間の窮地を救っていたのです。
陸海共に日本の優勢で進んでいた太平洋戦争は一転、この海戦の敗北によって特に海軍軍事力が急激に低下します。
そして8月に入ると、完全に勢力が拮抗、やがて連合国側へと傾いていく「ガダルカナル島の戦い」が始まりました。
【谷風】は多くの戦いが発生したこの「ガダルカナル島の戦い」では「南太平洋海戦」に参戦したぐらいで、ほとんどを輸送任務・護衛任務ですごします。
しかしその間、【照月】の沈没や【卯月・有明】の損傷など、仲間たちが傷つく姿を間近で見てきました。
年が明けた昭和18年/1943年も、「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」のために兵員輸送に引き続き就くことになります。
しかしこの中で勝見艦長が戦死してしまいます。
また【磯風・舞風】ら姉妹艦も損傷しますが、「ガダルカナル島撤収作戦」は予想よりも多くの兵員の撤退に成功しました。
ガダルカナル島から引き上げたあとも、【谷風】はトラック泊地を拠点に南方海域で活動します。
7月には「クラ湾夜戦」に巻き込まれますが、【涼風】とともに【米セントルイス級軽巡洋艦 ヘレナ】を撃沈させました。
しかし同時に三水戦司令部と旗艦【新月】が沈没。
その後も輸送中に【隼鷹】が雷撃を受けるなど、被害は増大する一方でした。
12月には護衛中の【大和】が【米バラオ級潜水艦 スケート】が放った魚雷を受けて小破。
【大和】の頑丈さを身を持って知ることにはなりましたが、残念ながらトラック入港からしばらくもしないうちに呉へと回航されています。
昭和19年/1944年に入ると、いよいよ戦況は厳しくなってきます。
2月には「トラック島空襲」が発生し、【阿賀野・舞風】らが沈没。
その影響もあって駆逐隊の再編成が行われることになりますが、そこで異例の事態が発生します。
通常駆逐隊は4隻で編成することがもっとも均整がとれるとされ、基本は4隻、欠損などによって3隻で編成されることがほとんどでした。
そして2隻、1隻となった駆逐隊は解散・統合によって新たな駆逐隊を編成するのです。
第十六駆逐隊は、当初【初風・雪風・天津風・時津風】で編成されていましたが、【初風・時津風】沈没、【天津風】修理による戦線離脱のため、【雪風】1隻だけが余っている状態となっていました。
もちろん【雪風】をどこか別の編成に組み込むことになるのですが、その先は未だ4隻編成を保っている第十七駆逐隊でした。
少ないはあっても、多いはなかった駆逐隊です。
5隻編成には第十七駆逐隊も戸惑いがあったようです。
しかも新たにやってくるのは、「幸運艦」とも「死神」とも謳われる【雪風】です。
【谷風】の乗員は、「【雪風】は一六駆で僚艦を全部食い尽くした」と、【雪風】の編入を快く思わない声も少なくなかったようです。
果たして【雪風】は死神だったのか。
6月、【谷風】は、タウイタウイ泊地に頻繁に出没する潜水艦を駆逐するため、【磯風・早霜・島風】とともに対潜掃討活動を行います。
しかしその探し求める【米ガトー級潜水艦 ハーダー】は、先手を打ちます。
1kmにも満たない距離から【ハーダー】は【谷風】に向けて4発の魚雷を発射。
うち2発が艦首・艦橋真下に直撃し、【谷風】は凄まじい衝撃に襲われます。
当たりどころが悪く、【谷風】は大爆発を起こして轟沈。
海中でも爆発が発生し、その目もくらむ閃光は【ハーダー】の潜望鏡を覆い、また爆発の衝撃で【ハーダー】自身も大きく揺れたといいます。
【谷風】は、死闘をくぐり抜けてきた第十七駆逐隊初の喪失艦となってしまいました。