②昭和15年/1940年(改装完了後)
起工日 | 大正13年/1924年1月23日 |
進水日 | 大正15年/1926年10月24日 |
竣工日 | 昭和2年/1927年9月30日 |
退役日 (沈没) | 昭和17年/1942年11月14日 |
(ニュージョージア島南方) | |
建 造 | 三菱長崎造船所 |
基準排水量 | ① 7,100t |
② 9,000t | |
全 長 | ① 185.17m |
垂線間幅 | ① 15.80m |
② 17.60m | |
最大速度 | ① 34.5ノット |
② 33.4ノット | |
航続距離 | ① 14ノット:7,000海里 |
② 14ノット:8,233海里 | |
馬 力 | ① 102,000馬力 |
② 104,200馬力 |
装 備 一 覧
昭和2年/1927年(竣工時) |
主 砲 | 50口径20cm連装砲 3基6門 |
備砲・機銃 | 45口径12cm単装高角砲 4基4門 |
魚 雷 | 61cm連装魚雷発射管 6基12門(水上) |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 混焼2基 重油10基 |
川崎ブラウン式ギアード・タービン 4基4軸 | |
その他 | 水上機 1機 |
昭和15年/1940年(改装) |
主 砲 | 50口径20.3cm連装砲 4基8門 |
備砲・機銃 | 45口径12cm単装高角砲 4基4門 |
25mm連装機銃 2基4挺 | |
13mm連装機銃 2基4挺 | |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門(水上) |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 重油10基 |
川崎ブラウン式タービン 4基4軸 | |
その他 | 水上機 2機 |
カタパルト初搭載 姉の留守を任されたが敗北
【衣笠】は、【青葉】と同じく「古鷹型」の改良版として建造されました。
もし「ワシントン海軍軍縮条約」がなく、「八八艦隊計画」が継続されていれば、【衣笠】は日本最初の大型巡洋艦として建造される予定でした。
5,500t級では米英の最新巡洋艦には大きさも主砲も敵わず、また当時の「八四艦隊計画」は、徐々に国の財政力を度外視した全く無謀な計画へと膨れ上がり、海軍は二重苦に喘いでいました。
そこに現れた救世主が平賀譲海軍造船大佐です。
彼は3,000tで5,500級の強さを誇る【夕張】を、そして7,000tでイギリスの「ホーキンス級巡洋艦」(19.1cm単装砲7基で常備排水量9,750t)を上回る最強の巡洋艦を建造できると訴えたのです。
しかし「八八艦隊計画」は頓挫し、「川内型」四番艦の予定だった【古鷹】が大型巡洋艦の第一号に移行、【衣笠】は三番艦になりました。
ところが「古鷹型」は二番艦で打ち止めとなり、単装砲・人力装填だった主砲を連装砲3基・機力装填のものへ改めた「青葉型」として三番艦、四番艦を建造することになりました。
そのまま行けば【衣笠】はネームシップになるのですが、今度は竣工が【青葉】より10日遅れてしまいます。
残念なことに、大正9年/1920年に改訂された「海軍特務艦艇類別標準」によって、番号は竣工順に割り振られることになりました。
そのため【衣笠】は二番艦となり、2回あったネームシップのチャンスを共に逃してしまったのです。
その代わりというわけではありませんが、【衣笠】にはちゃんと「初」が準備されていました。
昭和3年/1928年、【衣笠】に日本軍艦初のカタパルトが設置されることになりました。
【衣笠】搭載の前には【工作艦 朝日】(この時はまだ工作艦に改装されていません)で実験がされています。
このカタパルトは、飛行甲板がなければ発艦できない、もしくは停止して海上に偵察機を下ろしてから発艦するという問題を解消するために、日本ではずいぶん研究されていました。
しかし結局火薬式のものしか実用化できず、衝撃に耐えるためにどうしても航空機は大型化してしまったそうです。
昭和11年/1936年8月14日、早朝訓練終了後に【青葉】が6ノットに減速するという信号を【衣笠】が見落としてしまい、低速ではありましたが【衣笠】は【青葉】の艦尾に衝突してしまいます。
損傷は大きくなかったのですが、実はこの時にちょっとバランスが崩れたのか、修理後も他の3隻に比べて造波が大きくなってしまったそうです。
そして翌昭和12年/1937年からは3年もの歳月をかけた大改装が行われました。
この時に主砲は20cm連装砲から20.3cm連装砲へと、口径を3mmだけ削られています。
また石炭混焼缶が2基搭載されていたものを全て専焼缶へと換装しています。
太平洋戦争開戦後、【衣笠】は「古鷹型」と【青葉】の4隻で第六戦隊を編成します。
最初はグアム島やウェーク島の攻略支援に参加、海戦はしばらくお預けでした。
最初の海戦となったのは「珊瑚海海戦」です。
【衣笠】は第六戦隊で【祥鳳】の護衛につきますが、初の航空戦、かつ対空装備も満足ではない【衣笠】達は護衛は失敗、【祥鳳】はあえなく撃沈されてしまいます。
しかし【衣笠】はその後【翔鶴】と合流し、【翔鶴】が大破するギリギリの戦いでしたが、【米レキシントン級航空母艦 レキシントン】を沈めることに成功し、紙一重の勝利を手にします。
続く「第一次ソロモン海戦」では、打って変わって第六戦隊が大暴れします。
連合軍の重巡4隻と駆逐艦1隻を沈め、さらに重巡1隻を大破に追い込む活躍ぶり。
すでに「高雄型」などの高性能重巡があった中、第六戦隊は元祖重巡の力を存分に発揮しました。
しかし【古鷹】が帰路で撃沈させられたり、本来の揚陸妨害を空襲を恐れて中止させたりと、大勝利ばかりを喜べる戦いではありませんでした。
【青葉】が敵味方不明の艦影に対して発光信号を送った直後に発生した「サボ島沖海戦」では、【青葉】が滅多打ちにされる中、【古鷹】が身代わりとなってその後沈没してしまいます。
唐突に始まったこの海戦ですが、【衣笠】はこの戦いで【初雪】とともに冷静な判断に則って反撃に出ています。
【衣笠】はこの戦いで【米ブルックリン級軽巡洋艦 ボイシ】を大破、【米ペンサコーラ級重巡洋艦 ソルトレイクシティ】を小破に追い込み、なんとか被害を抑えて撤退しています。
【衣笠】はこの荒れた戦況にあって、若干の損害だけで帰投しています。
連合艦隊参謀長宇垣纒少将は、「戦藻録」の中で「第六戦隊司令部は警戒心が無さすぎ、この戦いは【衣笠】1隻で戦ったようなものだ」という内容の記述を残しています。
「第一次ソロモン海戦」は日本の勝利、「第二次」はアメリカ軍の勝利、よって「第三次」は、双方の勝敗を決定づける非常に重要な局面でした。
【青葉】が大破修復に入っているため、第六戦隊では【衣笠】が唯一の出撃、「第三次ソロモン海戦」へ挑みました。
10月13日は【金剛】【榛名】のヘンダーソン飛行機艦砲射撃の支援、そして14日・15日は【鳥海】とともに自ら艦砲射撃を行います。
その1ヶ月後の11月13日にも攻撃を加えて復旧を妨害するのですが、しかし日本は重要な事に気づいていませんでした。
ヘンダーソン飛行場の滑走路は、1本だけではなかったのです。
翌14日、無傷で日本の目から逃れていた滑走路から多くの航空機が飛び立ちます。
戦場には【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】も現れ、壊滅させたつもりだった敵に加えて空母の支援もあってはたまりません。
前日深夜には「第三次ソロモン海戦」で【比叡】を沈め、その勢いのまま突っ込んできたアメリカ軍の攻撃は強烈でした。
各艦大小様々な被害を被る中、特に【衣笠】は攻撃が集中しました。
まずヘンダーソン飛行場からの【TBF アヴェンジャー】からの魚雷を4発も受けてしまいます。
航空魚雷は艦船の魚雷より威力は弱いとはいえ、4発の被害は沈没させるには十分な威力です。
さらに浸水で傾斜し、足が遅くなったところに【SBD ドーントレス】による急降下爆撃がしつこく【衣笠】を襲います。
この爆撃で1発が命中、1発が至近弾となり、【衣笠】はボロボロになってしまいました。
それでも乗員の必至の復旧作業により、火災鎮火、注水による傾斜回復を果たした【衣笠】は、低速ではありましたがなんと航行がまだ可能でした。
しかしその息の根を止めに来たのが、【エンタープライズ】の艦載機です。
再びの急降下爆撃によって【衣笠】はさらに浸水、舵も機関もやられた【衣笠】は、【夕雲】【風雲】が見守る中、徐々に沈没してしまいました。
第六戦隊は11月10日の段階で解散されていましたが、開戦から1年も経たないうちに、3隻の所属艦が沈没してしまいました。