起工日 | 昭和9年/1934年12月3日 |
進水日 | 昭和10年/1935年6月1日 |
竣工日 | 昭和14年/1939年1月15日 |
退役日 (沈没) | 昭和17年/1942年5月7日 |
(珊瑚海海戦) | |
建 造 | 横須賀海軍工廠 |
基準排水量 | 11,200t |
全 長 | 205.50m |
垂線間幅 | 18.00m |
最大速度 | 28.0ノット |
航続距離 | 18ノット:7,800海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
装 備 一 覧
改造時(昭和17年/1942年) |
搭載数 | 艦上戦闘機/21機 |
艦上攻撃機/6機 | |
補用機/3機 | |
格納庫・昇降機数 | 格納庫:2ヶ所 |
昇降機:2機 | |
備砲・機銃 | 40口径12.7cm連装高角砲 4基8門 |
25mm連装機銃 4基8挺 | |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 4基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 | |
飛行甲板 | 長180.0×幅23.0 |
給油艦から空母へ 最初の撃沈空母 祥鳳
「ワシントン海軍軍縮条約」と「ロンドン海軍軍縮会議」によって、各国は空母の保有量が制限されてしまいます。
日本にとってその枠はかなりギリギリで、計画に上がっていた【蒼龍】【飛龍】以外の空母を建造することはできませんでした。
そこで日本は、その条約に抵触しないレベルで空母っぽい艤装をさせた船を建造しておき、いざ必要な時に3ヶ月程度で空母に改装できるようにしておくという計画を立てました。
その候補の1隻となったのが、【剣埼型高速給油艦 剣埼】でした。
他の2隻は、同じく高速給油艦の【高崎】と、【潜水母艦 大鯨】です。
【剣埼】と【高崎】は、現場では「剣高」と呼ばれていたそうです。
【剣埼】はもちろん最初は高速給油艦としての建造がスタートするのですが、しばらくもしないうちに「第四艦隊事件」とが発生。
建造年の3月には「友鶴事件」も発生していて、改造前提の船体の設計は果たして大丈夫なのか、という不安が出てきました。
それに加え、「ワシントン海軍軍縮条約」からの脱退の準備も進んでいたことから、それを見越した新規軍艦建造も盛んとなり、【剣埼】の建造はほとんど停滞することになります。
そして同時に、高速給油艦よりも【大鯨】のような潜水母艦のほうが今後は役に立つという議論も沸き起こります。
決定づけた出来事は昭和12年/1937年勃発の「日華事変」でした。
これにより【剣崎】は高速給油艦になることなく、潜水母艦へと建造計画が変更となりました。
もちろん最終的に空母になる設計に変更はありません。
【剣埼】は空母になるための装備が備わっていたため(広い格納庫、エレベーターなど)、潜水母艦としては非常に居心地のいい船だったようです。
しかし【潜水母艦 剣埼】は2年間だけ、昭和15年/1940年11月からはいよいよ空母への改造が始まりました。
ところが思わぬ誤算がありました。
予め空母用に採用していたディーゼルタービンが絶不調で、修理と故障の繰り返しとなり、結局蒸気タービンに換装することになりました。
同時に主機も駆逐艦用の艦本式ボイラーへ変更となったため、3ヶ月という予定は完全に崩壊し、【祥鳳】が竣工したのはおよそ1年後となってしまいました。
その間に妹だった【高崎】改め【瑞鳳】は、潜水母艦になる前から改造が始まっていたことからすでに竣工しており、誕生は姉妹が逆転しています。
この2隻は同じような境遇の【千歳】【千代田】【大鯨】と外見はかなり似ていました。
さて、ようやく竣工した【祥鳳】が最初に任された作戦は重要なものでした。
「珊瑚海海戦」、オーストラリアの北上路線を分断するために行われたこの作戦に派遣されたのは【翔鶴】【瑞鶴】【祥鳳】でした。
しかしその中で【祥鳳】は単艦で本部隊、何故か【翔鶴、瑞鶴】は支援用の別部隊となっており、明らかに戦力の配分が間違っていました。
索敵による敵艦隊の誤認(双方)もあり、結局【翔鶴、瑞鶴】の支援は来ず、【祥鳳】は【レキシントン級空母 レキシントン、ヨークタウン級空母 ヨークタウン】をまとめて相手にすることになってしまいました。
【祥鳳】19機、米空母合わせて92機、絶望的な差です。
そしてこれは、史上初の空母同士の戦いでもありました。
そしてこれは、史上初の、互いの艦船が全く視認されることなく行われた海戦でした。
爆弾直撃が13発、魚雷合わせて7発の大ダメージを受けた【祥鳳】は為す術もなく敗北、アメリカは全力で【祥鳳】を叩きのめしたため、その後の攻撃ができないほどでした。
アメリカはここまで連戦連敗、勝てる勝負で圧倒的勝利を収めたかったのでしょう。
【祥鳳】は帝国海軍が初めて失った空母で、初陣で散っていった彼女は最後まで海軍に振り回された一生でした。