大鳳【航空母艦】

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起工日昭和16年/1941年7月10日
進水日昭和18年/1943年4月7日
竣工日昭和19年/1944年3月7日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年6月19日
(マリアナ沖海戦)
建 造川崎造船所
基準排水量29,300t
全 長260.60m
垂線間幅27.70m
最大速度33.3ノット
航続距離18ノット:10,000海里
馬 力160,000馬力

装 備 一 覧

昭和19年/1944年(竣工時)
搭載数艦上戦闘機/24機
艦上攻撃機/24機
艦上偵察機/4機
補用機/1機
格納庫/昇降機数格納庫:2ヶ所
昇降機:2機
備砲・機銃65口径10cm連装高角砲 6基12門
25mm三連装機銃 22基66挺
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 8基
艦本式ギアードタービン 4基4軸
飛行甲板
長257.5×幅30.0
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飛行甲板を守れ! 装甲強化空母 大鳳

太平洋戦争開戦前、日本は4隻の正規空母と2隻の軽空母を保有、さらに開戦直前には「翔鶴型」2隻を竣工させ、機動部隊の準備を整えていました。
しかし一方で空母は一度被弾すると途端に戦力がゼロとなる、非常に脆い構造が最大の弱点でした。
どれだけ速く動けても、どれだけ強力な艦載機を持っていても、空母は航空機が発着するための飛行甲板があってこその船です。
その飛行甲板が爆撃などで破壊されると、たとえ船体が無事でも空母としての役割はほとんど果たすことができません。
もちろん発艦はできませんし、逆に攻撃を終えて帰還する航空機の着艦もまた不可能です。

戦艦や巡洋艦が効果的な盾と多数の武器を持つことに対し、空母は遠方の弓兵です。
戦艦や巡洋艦はたとえ長剣を1つ失っても、残った短剣や槍などで戦いますし、自身の装甲が盾として機能している限りは戦い続けます。
しかし弓兵は、弓が折れればどれだけ矢が残っていても放つことはできません。

航空戦では急降下爆撃が主流となり、また航空機や爆弾がグレードアップするにつれて、一発の被弾で飛行甲板が使い物にならなくなるケースもありました。
もし飛行甲板を貫き、格納庫や機関室で爆発されると、もっと悲惨なことになってしまいます。
この問題点は日本のみならず各国が頭を抱える事案でした。

そこで日本は昭和14年/1939年、すでにイギリスでも建造されたことのある、飛行甲板を重厚にした「イラストリアス級装甲航空母艦」に着目しました。
先述の通り、飛行甲板を守ることは、空母だけではなく発艦した航空機の帰る場所を確保するという意味でも重要でした。

しかし、装甲空母は諸刃の剣でした。
高額になることは言うまでもなく、飛行甲板が必然的に分厚くなる以上、重心を下げて復元力を維持するという理由で格納庫等が狭くなります。
艦載機搭載数も減少するので、攻撃力低下も懸念されました。

一方で、艦艇数・艦載機数で米軍に打ち勝てるのかと言われるとそれはほぼ不可能で、結局は1隻・1機の生存率を挙げること、また優秀な1隻・1機を建造するということになり、ここに【装甲空母 大鳳】の誕生が決定します。

設計は「翔鶴型」に準拠し、甲板には甲鉄が張られました(全面装甲ではありません)。
これにより甲鉄が張られた場所の防御力は500kg爆弾の直撃に耐えうるもの、また機関室は800kg爆弾、弾薬庫は1,000kg爆弾から守ることを想定し、とにかく危険箇所を徹底的に強化していました。
エレベーターにも甲鉄を張りましたが、これによりエレベーターの重さは1基あたり100tにもなってしまい、「翔鶴型」のように3基搭載することは断念されています。
一方で懸念された格納庫面積ですが、こちらは従来通り二層を確保することができたため、結果的に52隻搭載することができています(【翔鶴】は72機)。
面積も「翔鶴型」より少し狭い程度だったようです。
また、思ったより艦内にスペースができたため、他の艦艇の補給用の燃料等を搭載することができました。

【大鳳】は最大の特徴である装甲甲板だけでなく、「翔鶴型」同様、艦首の底に球状の突起をつけた「バルバス・バウ」を採用しています。
それ以外にも、【大鳳】は甲板と艦首がくっついていて、それこそ空母ではなく巡洋艦のような艦首形状でした。
写真を見ていただければわかりますが、ほとんどの日本の空母は甲板と艦首が離れています。
これは巡洋艦と同じ役目、つまり造波を外に打ち出す効果を狙っていて、「ハリケーン・バウ」と呼ばれる構造です。
艦内スペースの確保の要因の一つは、この「ハリケーン・バウ」にあります。

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ

他にも日本空母としては初めて大型艦橋を伴っているのも大きな相違点です。
艦橋が大きくなるとそれだけ重心は高くなります。
日本には「友鶴事件」「第四艦隊事件」という苦い記憶が染み付いています。
そのため重心が高い構造はとにかく忌避されてきたのです。

しかしすでに「ロンドン海軍軍縮条約」から脱退していることから、無理な設計をすることはもうありません。
最も適した構造と、それに必要な排水量を用意すればいいのです。

空母の役割は日を追うごとに増しており、艦橋がないと施設が圧迫されて任務に支障をきたすようになってきました。
加えて【大鳳】は装甲空母でありますから、より他艦との連携が必要になります。
他の空母がやられた場合の着艦先としての臨時の役割(本来の役割ではありません)も【大鳳】がいるわけですから、連携が取れないとなんの意味もありません。
そのため、【大鳳】には21号電探が2基搭載されていて、旗艦や連携拠点として情報を集約させるために多くの最新装備を保有しています。

最後に、写真が大変少ない船のため実際に確認することは難しいですが、煙突は実は直立ではなく、少し外側に傾いています。
これまでのように煙突を横向きに出す方法だと、甲板が低い【大鳳】だと傾斜時にそこから海水が逆流する恐れがありました。
それを回避するために、すでに【飛鷹】【隼鷹】などで実験されていた外側傾斜煙突が採用されたのです。


よく見れば煙突が傾斜しているのがわかる


写真は同構造の【隼鷹】の煙突

対空砲については「秋月型」で有名な65口径10cm連装高角砲を搭載。
日本海軍の傑作と言われる長10cm砲は重量の関係から12門と決して多くありませんが、速射性の高さを買われて「秋月型」以外で搭載している数少ない船の1つです。
機銃は25mm三連装機銃が17基と、計画時の8基から大幅に増強されています。

ところで、【大鳳】について依然として決着のついていない議論が1つあります。
甲板の表面です。
基本的には木甲板であったという主張が資料の多さから有力ではありますが、装甲空母で燃えやすい木を採用することはないだろうという意見や、戦後に【大鳳】を建造した川崎造船所が作った【大鳳】の模型がラテックス仕上げだったことが、完全終結しない要因です。
ですので今日発売されている【大鳳】の模型もまた、木甲板仕様とラテックス仕様の2種類が発売されています。

想定外の事態で沈没 耐えられた魚雷で沈んだ大鳳

昭和19年/1944年5月 あ号作戦直前と竣工時の対空兵装比較
高角砲65口径10cm連装高角砲 6基12門(±0)
機 銃25mm三連装機銃 18基54挺(-4基)
25mm単装機銃 25基25挺(すべて橇式 +25基)
電 探21号対空電探 2基(±0)

このように堅牢強固な空母として、昼夜のない工事の結果誕生した【大鳳】は、【翔鶴】より第一航空艦隊旗艦の座を引き継ぎ、訓練に励みます。
しかし訓練場となったタウイタウイ泊地は米潜水艦がうようよいたため、満足な訓練ができずにいました(駆逐艦が5隻も沈められています)。

そして昭和19年/1944年6月、【大鳳】【翔鶴・瑞鶴】とともに「マリアナ沖海戦」へ臨みます。
初陣です。
そして、最期の時です。

順調に第一次攻撃隊42機の発艦が完了したその時、【米ガトー級潜水艦 アルバコア】【大鳳】に忍び寄っていました。
機器の故障により【アルバコア】は危険を承知で潜望鏡を海面から出し、【大鳳】へ向けて6本の魚雷を発射しました。
【アルバコア】の存在に、【大鳳】も護衛艦も誰も気づかず、雷跡を見て初めて各艦行動に移ります。

しかしそのうちの1発が【大鳳】の右舷に直撃、一時速度が落ちたものの損傷は大きくなく、注水作業により傾斜はすぐに回復され、航行は続行。
【大鳳】「翔鶴型」同様水雷防御はかなり強化されていました。
問題のない対応かと思われましたが、一部で【大鳳】の命を着々と削る事態が発生していました。

被雷によってガソリンタンクが損傷し、中からガソリンが漏れだしました。
一方で、閉鎖式格納庫から飛行甲板へ航空機を運ぶエレベーターが到達まであと1mというところで停止してしまい、そこでできた隙間を塩害等から守るために乗務員は机やマットで封鎖します。
エレベーターの修理が総出で行われたのですが、先ほど漏れだしたガソリンが気化しはじめ、艦内に充満していきました。
当然有毒ですし、そもそも少しでも火の気があればすぐに大爆発です、換気しても全く追いつかず、作業は遅々として進みませんでした。

一方で、【赤城】ら亡き後日本の機動部隊を牽引してきた【翔鶴】【米ガトー級潜水艦 カヴァラ】の雷撃によって炎上します。
こんな最中に聞きたくなかった悲報に続き、今度は我が艦から発艦した第一次攻撃隊が帰ってきました。
4機だけ。

【大鳳】から発艦した攻撃隊は総数42機でした。
そのうち帰還できたのはたったの4機だけでした。
アメリカの艦隊の上では「マリアナの七面鳥撃ち」が開催されており、練度の低いパイロットを豊富な対空機銃と迎撃機、さらには超秘密兵器とも言える「VT信管(近接信管)」も登場し、日本の機動部隊はズタボロにされていたのです。

その後も第三次から第六次まで攻撃隊は発艦していますが、しかし結局米軍に到達できたのは第一次、第二次のみ。
残りは全て針路を誤るなどで攻撃目標を見つけることができず、逆に迎撃されたり不時着したりと、こちらも戦果は残せていません。

死と隣合わせの空間で奮闘する【大鳳、翔鶴】でしたが、ついに14時10分に【翔鶴】は怨嗟の叫びを上げて乗員を飲み込みながら沈没。
そして死神はすぐにその鋭い鎌を【大鳳】の首へと向けるのです。

【翔鶴】沈没から20分後、着艦失敗機が飛行甲板へ突入。
爆発はまさにその瞬間だったと言われています(爆発の直接的な原因は諸説あります)。

重厚な飛行甲板はドロドロに溶けだし、換気が行き届いていなかった艦内では連続して爆発が発生。
艦内爆発を軽減するために爆風が側面から吹き出るような構造になっていた【大鳳】は、炎の槍に串刺しにされたように両側から火柱が発生。
後方で護衛をしていた【羽黒】からは、その火柱とともに乗員や艦載機が吹き飛ばされる姿が目撃されています。
みるみるうちに火達磨になった【大鳳】は、最初の大爆発から中小の爆発が繰り返し起こり、被雷から8時間後、ついに沈没してしまいました。

【大鳳】は、建造時に見込まれた危機からは耐えることができたものの、それによって発生する副次的な事態への対応が悪かったため、竣工からたった103日で運悪く沈んでしまいました。
換気を妨げていたエレベーターの開口部を塞がなければ、タンクの修理を先にしていれば、そしてそもそも、乗員の練度が高ければ(泊地で訓練が進まなかった弊害はここでもありました)など、様々な負の連鎖が【大鳳】の命運を決めてしまったのです。

2018年8月11日 加筆・訂正

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