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夏雲【朝潮型駆逐艦 七番艦】

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起工日 昭和11年/1936年7月1日
進水日 昭和12年/1937年5月26日
竣工日 昭和13年/1938年2月10日
退役日
(沈没)
昭和17年/1942年10月12日
サボ島沖海戦後の空襲
建 造 藤永田造船所
基準排水量 1,961t
垂線間長 111.00m
全 幅 10.35m
最大速度 35.0ノット
航続距離 18ノット:3,800海里
馬 力 50,000馬力
主 砲 50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 2基8門
次発装填装置
機 銃 25mm連装機銃 2基4挺
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 3基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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救助中は絶好の的 動かぬ夏雲は爆撃で散る

【夏雲】【朝雲】【山雲】【峯雲】と第四十一駆逐隊を編制して誕生しました。
翌年には第四十一駆逐隊は第九駆逐隊に改称され、またその後第四水雷戦隊に配属されました。
四水戦は太平洋戦争に備え、台湾に進出し、そして開戦と同時に【夏雲】「ビガン上陸作戦」の支援を開始。
その後リンガエンやバリクパパンといった主要な攻略戦に次々と参加し、攻略の最前線を支えました。
しかし12月31日に【山雲】が自軍が敷設した機雷に誤って接触してしまい戦闘不能となり、早々に離脱をしてしまいました。
やがて【山雲】は第九駆逐隊からも除籍となり、このあと【夏雲】が沈没するまで第九駆逐隊は3隻のままで活動をすることになります。

昭和17年/1942年1月21日、日本は貴重な油田があるバリクパパンの攻略のために船団を派遣し、四水戦はこれを護衛してしました。
23日未明には船団はオランダ軍の空襲を受け、この空襲で【南阿丸】が被弾。
この炎がガソリンに引火してしまったことで【南阿丸】は手の施しようがないほどの大炎上を起こしてしまい、結局放棄されることが決定します。
さらに掃海の必要もあるために沖合で船団が停泊していたところ、今度は【敦賀丸】【蘭K ⅩⅣ級潜水艦 K ⅩⅧ】の魚雷を受けて沈没してしまいました。
一筋縄ではいかないバリクパパン攻略ですが、それでも沖合から上陸用舟艇が放たれて兵員が続々と上陸を始めました。
また同時に潜水艦の警戒を行うため、四水戦や補助艇が四方に散らばって目を光らせます。

ところがその目は粗く、隙間を見事にすり抜けてやってくる一団がありました。
アメリカ第59駆逐隊【米クレムソン級駆逐艦 ジョン・D・フォード、ポープ、パロット、ポール・ジョーンズ】です。
炎上する【南阿丸】などの煙で視界は不良でしたが、逆光により煙の向こう側のシルエットははっきりと見えた第59駆逐隊は、次々と船団に攻撃を仕掛け始めました。
最終的に【須磨浦丸、呉竹丸、辰神丸】の3隻と、さらに【第37号哨戒艇】がすべて魚雷を受けて沈没。
いったいこの間日本は何をしていたのかというと、同じ4本煙突の旗艦【那珂】「クレムソン級駆逐艦」を見誤ったなどで情報が錯綜しており、敵か味方の判別がつかないうちに好き放題されてしまったのです。
上陸作戦そのものは概ね成功したものの、数は有利で包囲できる状況であったにもかかわらず、敵の損害は【球磨川丸】【ジョン・D・フォード】に砲撃を命中させたぐらいで、完全敗北でした。

次の戦いは「スラバヤ沖海戦」になります。
この海戦はそもそもジャワ島攻略のための船団を護衛していた第五戦隊機軸の艦隊が敵艦隊との砲撃戦を行ったものなのですが、実は船団がいるということでこれの護衛も必要でした。
【夏雲】【海風】とともにこの船団護衛を任されたため、海戦勃発前に艦隊と分離して戦いには参加をしていません。
「スラバヤ沖海戦」では【朝雲】が損傷をしており、その後本土での修理を行っています。

その後クリスマス島の攻略にも成功したのですが、島の守備隊が降伏した翌日の4月1日、哨戒活動中に【那珂】【米サーゴ級潜水艦 シーウルフ】の魚雷を1本受けてしまいます。
前日にも【シーウルフ】の魚雷が【那珂】【長良】に襲い掛かっていて、これは回避することができたのですが、残っていた最後の魚雷2本のうち1本が【那珂】の右舷機関室付近に命中したのです。
【那珂】は一時航行不能となりますが、【長良】に曳航されてバンタム湾へ向かっているところで機関が動き始めて自力航行を回復。
その後シンガポールまで移動し、そこで【朝日】により応急修理を受けることになりました。
また同時に四水戦旗艦が離脱したことにより、【由良】がその座につくまでの約1ヶ月半、【夏雲】が旗艦を務めあげています。

【那珂】をシンガポールに残して【夏雲】【峯雲】は本土へ帰還し、その後整備を受けました。
戻っている最中に「ドーリットル空襲」があったため、空母を探すように急な命令が下ったわけですが、広い大海原でいきなり空母2隻を見つけろと言われても無理な話、結局命令は取り消されています。

整備後に四水戦は「MI作戦」実施に伴い攻略部隊(第二艦隊)に配属されます。
第二艦隊は【愛宕】を旗艦としていますが、今更語るまでもなく「ミッドウェー海戦」は歴史的大敗北。
その帰り道に敵の追撃を逸らすために第九駆逐隊と【妙高】【羽黒】【玄洋丸】がわざわざウェーク島に向かい、そこで偽電を交信しましたが、これは取り越し苦労で結局【三隈】を除いて撤退中の艦船に被害はありませんでした。
ですがその面々はそのまま北のアリューシャン列島への派遣が決定され、2島だけですが占領できた北方のアメリカ領土を奪い返しに来るかもしれない敵機動部隊に備えました。
しかしこれまた空振りに終わり、結局危惧された機動部隊の到来もなく、1ヶ月ほど哨戒活動を行ってから本土に戻ってきました。

「ミッドウェー海戦」でコテンパンにされたとはいえ、日本は大東亜共栄圏の東の入り口になるであろうガダルカナル島の整備を行い連合軍を抑え込もうとしていました。
ポートモレスビーの攻略に失敗している以上、オーストラリアの支援にやってくるアメリカ軍の通過地点になるガダルカナル島は重要な島でした。
が、そんな島の飛行場が一夜にして連合軍の手に落ちてしまったからさあ大変、「ガダルカナル島の戦い」が始まります。

四水戦は急遽横須賀からの出港が決定し、【愛宕】らとともに急いでトラック島を目指しました。
17日にトラック島に到着後、24日には第二艦隊は機動部隊を含めた第三艦隊とともに「第二次ソロモン海戦」に参加します。
ところが第二艦隊は無線封止の影響もあってほどんど何もできず、海戦も戦略的敗北を喫します。
ヘンダーソン飛行場の奪還も甘っちょろく考えていましたが一木支隊が崩壊し、戦況はいよいよまずくなってきました。

9月26日、第九駆逐隊と【秋月】が外南洋部隊に編入され、本格的に「ガダルカナル島の戦い」に参戦します。
と言っても同然ドンパチではなく、鼠輸送に代表される輸送任務のオンパレードです。
10月5日にはガダルカナル島へ向けて輸送を行っているところで空襲を受け、【夏雲】は無事でしたが【峯雲】【村雨】が至近弾を浴びて損傷し、【夏雲】【峯雲】を護衛してショートランド泊地へ引き返していきました。
【村雨】も単艦で撤退しています。

その後損傷した2隻は修理のためにトラックにまで戻っていて、第九駆逐隊は【朝雲、夏雲】の2隻だけとなりました。
ここまで駆逐隊から離脱したことがないのは【夏雲】だけです。
しかし【夏雲】が第九駆逐隊から離脱するのは、そう遠くない未来の出来事でした。

10月11日、【日進】【千歳】を中心としてガダルカナル島への輸送が実施され、また並行して第六戦隊がガダルカナル島への艦砲射撃を行う計画でした。
【夏雲】はこの日進隊の一員として輸送に参加していましたが、一方で第六戦隊には異変が起こっていました。
先頭の【青葉】が前方に見える艦影に向かって発光信号を放つや否や、何発もの砲弾が飛び込んできて「サボ島沖海戦」が勃発していたのです。
この戦いで【青葉】大破、【古鷹】【吹雪】が沈没し、この報告を受けて日進隊は救援のために【白雪】【叢雲】を派遣、一方で【夏雲、朝雲】には無事である【衣笠】と合流して戦闘の加勢に入るように命令されました。

ところが海戦の被害はこの4隻の出動によってさらに広がってしまします。
まず【白雪】【叢雲】が夜が明けたことでヘンダーソン飛行場から飛び立った航空機に蹂躙され、【叢雲】が艦尾など複数の直撃弾を受けて航行不能となってしまいます。
第六戦隊側にいた【初雪】【叢雲】の乗員の救助を行いましたが、一方で水上戦はすでに終了していたことから【夏雲、朝雲】【叢雲】や海戦の生存者救助に丸ことになりました。
ところが【叢雲】の次にターゲットにされたのが【夏雲、朝雲】で、飛行場との往復でやってくる空襲に【夏雲】の体力はどんどん削られていきました。

複数の至近弾により浸水が激化し、また証言によっては直撃弾も受けた【夏雲】は自身の体を支えることができなくなってしまいます。
【叢雲】がまだ踏ん張っている中で【夏雲】はついに沈没、生存者は【朝雲】に救出されました。
さらにここまで耐え続けた【叢雲】も火災が酷くなったほか艦尾も脱落したことで自沈処分が決定。
「サボ島沖海戦」に関わる喪失艦は4隻にも上り、ここまでの「ガダルカナル島の戦い」に関連する海戦で最大の被害を被ったのです。