- 帝国海軍最大馬力 バランス重視で最高級ではなかった翔鶴型
- 初の空母戦で命を削る 対米戦争の分岐点
- 血の気の多い野武士艦長 餓島の苦戦を示す一戦
- 攻撃、攻撃、攻撃あるのみ! 死闘の南太平洋
- 絶対国防の一大決戦 火炎地獄の末路
血の気の多い野武士艦長 餓島の苦戦を示す一戦
「珊瑚海海戦」で受けた傷は深く、【翔鶴】は修復のために「ミッドウェー海戦」に参加することができませんでした。
相棒の【瑞鶴】も、船は無事でしたがパイロットと艦載機の犠牲は【翔鶴】と同様に深刻でした。
そこに加えて甘々な見通しだったことから【瑞鶴】も出撃することはなく、結果呉の地で先輩の一挙沈没の訃報を知らされます。
この時アメリカは「珊瑚海海戦」で中破した【ヨークタウン】を再度投入。
【ヨークタウン】は沈没しますが、海戦時の被害の処置が致命的ではなかったこともあり、万全でなくとも修理させながら出撃させ、見事にキーパーソンとなりました。
「ミッドウェー海戦」により一、二航戦を失った日本は、7月14日、新たに【翔鶴、瑞鶴】と【瑞鳳】で第三艦隊一航戦を編成します。
また「翔鶴型」以下残された空母が同じ轍を踏まないためにどうすべきかという対策が急いで検討されます。
ちなみに第三艦隊には幽霊が存在していました。
それすなわち【赤城】と【飛龍】を指します。
「ミッドウェー海戦」の被害を大本営は「空母一沈没、空母一大破、巡洋艦一大破」と報じ、これを埋め合わせるためにも2隻の空母には生き返ってもらわなければならなかったのです。
嘘を嘘で塗り固める、絶対やってはいけないパターンの奴です。
病人となった【翔鶴】ですが、まずハード面では、艦首部に機銃がないのは大問題であるということで増備が決まります。
また細長い「翔鶴型」は動揺が大きいことが最初から指摘されていましたが、やはり戦闘に陥るとその揺れはすさまじく、「珊瑚海海戦」では20度を記録してとても発着艦ができたものではないから、これの対策も急務となりました。[7-P17]
そして敵に奇襲を受けたことからも、電探を急いで装備して奇襲を受けないようにしなければならないと、こちらは結構まともな対策を取っています。[3-P121]
装備では対空砲火として25mm単装機銃をガンガン積み、また新兵器では【伊勢】で実用実験がなされた21号対空電探が優先的に装備されています。
電探はなにも艦艇を探すためだけではありません。
対空電探ですから、航空機ももちろんレーダーで探知することが可能です。
航空機は70kmの距離で探知することが実証されています。
特に迎撃用の戦闘機を飛ばす準備に影響するため、電探の優先的な装備は当然でしょう。
21号対空電探は実験で航空機を70kmの距離で探知することができたため、特に自艦が非常に脆い航空母艦はこの電探の情報を駆使して迎撃体制をできるだけ早く取ることがなによりも重要でした。
迎撃と言えば戦闘機であり、【翔鶴】はこれを機に艦攻と艦戦の搭載数を逆(18機と27機)にしています。
電探に関しては【瑞鶴】が搭載したのは昭和18年/1943年以降であり、【翔鶴】と比べるとずいぶん遅いです。
設備面では、誘爆防止装置の設置、揚爆弾筒や揚魚雷筒の防御強化、火災の防禦甲板からの進入阻止、塗料や家具をはじめとした可燃物の制限、不燃塗料への塗り替えなどが設けられました。
そして大規模な工事を要したのが消火装置の装備です。
泡沫消火装置は、被爆時に石鹸水タンクに貯めている石鹸水を噴射できるようにし、このパイプは飛行甲板全体に張り巡らされていました。
格納庫にも噴射ノズルを設置し、最大で格納庫全面に泡沫が降り注ぐようになっています。
消火ポンプが壊れると元も子もないので、消火ポンプは内部の防御区画に3ヶ所に分けて設置されました。[2-P190]
この他煙突の排煙に海水をかける装置を甲板での火災消火にも使えるように改良しています。
次にオペレーション面ですが、今回の被害は格納庫内の爆発と誘爆が最大の被害要因でした。
逆に【翔鶴】が逃げ帰ることができたのも、被弾時に格納庫が空っぽだったことが挙げられます(これは「ミッドウェー海戦」前に共有はされていたけど真剣に取り組まれはしなかった。)
これを避けるために、給油は全部格納庫を通さずに飛行甲板で行い、また魚雷や爆弾の搭載も全部飛行甲板で実施することとします(アメリカはもともとこの使い方。格納庫はあくまで保管するだけ)。[2-P189]
修理に3ヶ月を要した(防火等改装は修理後に実施)【翔鶴】は、「ミッドウェー海戦」だけでなく、猖獗を極めた「ガダルカナル島の戦い」が始まったときもまだ呉から出ることができませんでした。
5月25日に艦長には城島高次大佐から有馬正文大佐が就任し、修理が終わったら早速訓練が始まったのですが、状況が状況だっただけに不満足な状態でも出撃せざるを得ませんでした。
修理と同時に、戦訓から指摘された、前方からやってくる敵機に対する攻撃力として艦首の先端に機銃台を新設し、そこに25mm三連装機銃が2基配備、そしてこれを制御する射撃指揮装置が加わっています。[5-P16]
計画ではほかに甲板上にも計6基の三連装機銃が増備されることになっていましたが、これがいつ実施されたかはわかっていないようです。[6-P111]
就任期間は1年未満であるにもかかわらず、【翔鶴】艦長としては最も有名であろう有馬艦長ですが、その戦闘性格は苛烈で、侍のような死生観を持っていました。
就任後、運用長の福地周夫中佐に対して有馬艦長はこう述べています。
「いったん本艦が出撃すれば、私は生還を期していない。はじめて舷門をのぼったとき、あたしはここを死場所にすると心に決めた。本艦が奮戦ののち、沈没するような場合には艦長は艦と運命をともにする。そのさい、私は乗組員にたいしても「総員退艦」などの命令はかけないつもりだ。乗員全員が艦と運命をともにする覚悟で戦うのだ。」
とにかく敵に背を向けることを最初から考えない、常に一歩後ろは死、全ての行動が敵を討つものであるというものです。
退艦命令も出さないのはさすがに振り切りすぎだと思いますが。
そんな強固な覚悟だったからか、有馬艦長はとにかく動き回る。
艦橋にいないことはしばしばで、逆に副長の亀田寛見中佐が艦橋で毅然としていることから、「亀田艦長、有馬副長」と呼ばれるようになりました。[7-P188]
準備不足は機動部隊全体の運用も同じで、到着即海戦となった「第二次ソロモン海戦」は、【龍驤】と【翔鶴、瑞鶴】の二手に分かれるという急ピッチで仕立てた作戦でした。
前衛の【龍驤】が「ガダルカナル島の奪還を狙う一木支隊を支援する」という名目で、敵の標的となることも覚悟して先陣を切り、【翔鶴、瑞鶴】の艦載機が敵機動部隊を安全な場所からぶん殴るという、肉を切らせて骨を断つ作戦です。
空母4隻を失った後、みすみす空母を差し出す作戦はいかがなものかと思いますが、獲物が大きくなければ食いついてくれないので、急を要することからもこの作戦が採用されました。
ですが爆撃可能な飛行機は【九七式艦上攻撃機】がたった9機しか搭載できず、攻撃と言ってもどれだけの効果があったのか(【龍驤】は他に【零戦】24機の計33機しか積んでいないし、艦攻だから急降下爆撃もできない)。
ちなみに前衛は【龍驤】【利根】【時津風】【天津風】だけです。
【龍驤】は敵に見つかる前にヘンダーソン飛行場への攻撃に成功しましたが、その後囮としての役割もまた果たしてしまうことになります。
13時50分ごろから【米レキシントン級航空母艦 サラトガ】の攻撃が【龍驤】に集中しましたが、その少し前、一航戦にも同じような危険が迫っていたようです。
これは塚本朋一郎航海長(当時中佐)の回想ですが、索敵機の報告により【龍驤】を追っていた【サラトガ】と【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】の攻撃隊が、【龍驤】ではなく先に一航戦のそばまで迫っていたのです。
距離にしておよそ40,000m先に黒点がポツポツと見え始めた時、【翔鶴】の甲板にはまだ第一次攻撃隊の艦載機が発艦待ちをしている状態。
こんなところを爆撃されると「ミッドウェー海戦」の再現で、艦橋や甲板は大騒ぎになりました。
ところが敵機はこちらに気付かなかったようで、【龍驤】を探して雲の中に消えていきました。[7-P248]
【龍驤】はこんな形で味方の危機を救っていたのですね。
一難は去りましたが、第一次攻撃隊発艦後、【翔鶴】にも偵察に現れた【SBD】が爆弾を投下しています。
爆撃は15時10分の出来事で、早速新設のレーダーが敵機到着前にこれを発見していたのですが、艦橋にこの情報は伝わっておらず、命中しなかったのはただただ幸運でした。[7-P242]
ですがこの時甲板には第二次攻撃隊の発艦準備が進んでいて、急な回頭で固定されていない【零戦】が1機滑り落ちてしまいます。
そしてそれを落とすまいとしがみついた6人の整備兵が、そのまま巻き込まれて落下してしまうのを福地運用長は艦橋から目撃しています。[7-P243]
守りが貧弱な【龍驤】は【サラトガ】の艦載機の攻撃をもろに受けて沈没。
一方【翔鶴、瑞鶴】は艦爆艦戦で構成された第一次攻撃隊を発艦させ、【サラトガ】と【エンタープライズ】に爆撃を開始。
距離は【龍驤】と【翔鶴、瑞鶴】ほどではないものの、アメリカ空母も【エンタープライズ】が前に出て【サラトガ】が後方で攻撃に集中する布陣でした。
それを守るのは54機もの【F4F】で、いくら【零戦】と言えども【九九式艦爆】を守り切ることはできず、次々撃墜されながらもその屍を超えて急降下爆撃が【エンタープライズ】を襲いました。[7-P250]
結果【翔鶴】の攻撃隊は【エンタープライズ】に3発の爆弾を命中させていますが、【瑞鶴】攻撃隊は数が少なかったこともあり【サラトガ】に全く被害を与えることができませんでした。
3発命中、さらに至近弾2発もあれば【エンタープライズ】も相当苦しかろうと思われるのですが、アメリカ空母は数で被害を語ってはいけません。
3発中1発は飛行甲板を貫通して居住区で爆発、1発は飛行甲板上で炸裂、もう1発も爆発力が低かったもののこれも飛行甲板を破壊しています。
ところが【エンタープライズ】は火災も破孔も1時間足らずで直してしまったのです。
至近弾は舷側を破壊して浸水を引き起こしましたが、これも3度止まりですぐさま回復しています。
しかし操舵室に有毒性ガスが流れ込んだために操舵室が全滅し、舵が20度のまま操れなくなってしまいました。[7-P274]
一抹の問題を抱えた【エンタープライズ】を目指す第二次攻撃隊ですが、行けども行けども敵影は見えません。
皆四周を見渡し少しの手掛かりも逃すまいとしますが、第一次攻撃隊からの報告も含めて一切の情報がありません。
索敵をしていた【利根】の偵察機との通信が途絶えてしまったのも大きなダメージでした。
結局第二次攻撃隊は、距離僅か50海里、【エンタープライズ】ではレーダーで第二次攻撃隊を捉えるまでに迫ったのですが、ついに発見することができなかったのです。
【龍驤】を狙った攻撃隊が【翔鶴】に至らなかった幸運は、この取り逃がしによってチャラになったわけです。
そして第二次攻撃隊は燃料ギリギリ一杯まで捜索を続けましたが、帰還を決めたのは18時30分、帰還時は日が暮れてしまったためにいつの間にかはぐれてしまった数機が未帰還となってしまいました。[7-P280]
また第一次攻撃隊も54機中41機が未帰還となり、艦載機の被害は大変大きいものでした。
各攻撃隊の帰還が遅い中、18時から【翔鶴】と【瑞鶴】は少しでも彼らとの距離を縮めるために南下を開始。
加えて2隻とも敵に見つかるのを覚悟の上で探照灯まで照射しています。[3-P181][7-P287]
機動部隊司令部は被害の大きさから第三次攻撃隊による夜間雷撃を断念。
有馬艦長は敵空母は間違いなく被害を負っているのだから止めを刺さなければならないと猛反対しますが、そもそも夜間出撃の夜間索敵、夜間攻撃、夜間着艦なんてレーダーもない中では神業です。
弱腰とも言えますが、第一次攻撃隊の被害を見た上で第三次攻撃隊の出撃は、実際のところ超リスキーでした。
結局「第二次ソロモン海戦」は【龍驤】を喪失し、敵は応急修理が現地で完了できる程度の【エンタープライズ】の被害だけで、艦載機の喪失も9機だけ。
まぁぼちぼちはやれただろうと追撃をしなかった日本はこの戦いに敗北し、制空権を敵に奪われた中で被害を覚悟して輸送を行わなければならなくなりました。
そしてその輸送は、2日後に【睦月】と【金龍丸】が早速沈められる有様で、ここから「ガダルカナル島の戦い」がより一層地獄に変貌していくのです。
翔鶴の写真を見る
参考資料
Wikipedia
近代~現代艦艇要目集
[1]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[2]艦船ノート 著:牧野茂 出版共同社
[3]翔鶴型空母 帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦「翔鶴」「瑞鶴」のすべて 歴史群像太平洋戦史シリーズ13 学習研究社
[4]日本の航空母艦パーフェクトガイド 歴史群像太平洋戦史シリーズ特別編集 学習研究社
[5]日本空母物語 福井静夫著作集第7巻 編:阿部安雄 戸高一成 光人社
[6]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[7]極秘 日本海軍艦艇図面全集 第五巻解説 潮書房
[8]空母瑞鶴の南太平洋海戦 軍艦瑞鶴の生涯【戦雲編】 著:森史朗 潮書房光人社