起工日 | 昭和16年/1941年7月10日 |
進水日 | 昭和18年/1943年4月7日 |
竣工日 | 昭和19年/1944年3月7日 |
退役日 (沈没) | 昭和19年/1944年6月19日 |
(マリアナ沖海戦) | |
建 造 | 川崎造船所 |
基準排水量 | 29,300t |
公試排水量 | 34,200t |
全 長 | 260.60m |
水線長 | 253.00m |
水線幅 | 27.70m |
吃水~甲板高さ | ・公試:12.4m |
・満載:12.0m | |
最大速度 | 33.3ノット |
航続距離 | 18ノット:10,000海里 |
馬 力 | 160,000馬力 |
装 備 一 覧
昭和19年/1944年(竣工時) |
搭載数(計画)[4-P154] | 【烈風】/24機 |
【流星】/24機 | |
【彩雲】/4機 | |
格納庫・昇降機数 | 格納庫:2ヶ所 |
昇降機:2機 | |
備砲・機銃 | 65口径10cm連装高角砲 6基12門 |
25mm三連装機銃 17基51挺 | |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 8基 |
艦本式ギアード・タービン 4基4軸 | |
飛行甲板 | 長257.5×幅30.0 |
空母最大の弱点である飛行甲板ガチガチ計画
【W102】
これはとある新空母の秘匿名です。
昭和16年/1941年、日本は4隻の正規空母と2隻の軽空母を保有、さらに開戦直前には「翔鶴型」2隻を竣工させ、機動部隊の準備を整えていました。
しかし一方で空母は一度飛行甲板が破れると途端に攻撃力がゼロとなる、非常に脆い構造が露骨な弱点でした。
どれだけ速く動けても、どれだけ強力な艦載機を持っていても、空母は航空機が発着するための飛行甲板があってこその船です。
その飛行甲板が爆撃などで破壊されると、たとえ船体が無事でも空母としての役割はほとんど果たすことができません。
もちろん発艦はできませんし、逆に攻撃を終えて帰還する航空機の着艦もまた不可能です。
戦艦や巡洋艦が効果的な盾と多数の武器を持つことに対し、空母は遠方の弓兵です。
戦艦や巡洋艦はたとえ長剣を1つ失っても、残った短剣や槍などで戦いますし、自身の装甲が盾として機能している限りは戦い続けます。
しかし弓兵は、弓が折れればどれだけ矢が残っていても放つことはできません。
航空戦では急降下爆撃が主流となり、また航空機や爆弾が強力になるにつれて、一発の被弾で飛行甲板が使い物にならなくなる懸念も高まります。
もし飛行甲板を貫き、船内部や機関室で爆発されると、もっと悲惨なことになってしまいます。
この問題点は日本のみならず各国が頭を抱える事案でした。
そこで日本は昭和14年/1939年、すでにイギリスでも建造されたことのある、飛行甲板を重厚にした「イラストリアス級装甲航空母艦」に着目しました。
しかし、装甲空母は諸刃の剣でした。
高額になることは言うまでもなく、飛行甲板が必然的に分厚くなる以上、重心を下げて復原力を維持するという理由で格納庫等が狭くなります。
艦載機搭載数も減少するので、攻撃力低下が懸念されました。
それに敵爆撃機の攻撃力は今後も強くなっていくのは明白ですが、それに対抗して甲板の装甲を分厚くするのには限界があるという問題もあります。
1mの装甲を貫通する爆弾を投下する艦爆が生まれたとしても、1m以上の装甲をもった空母を造ってかつ艦隊運用はできないということです。
この長所と短所をどう考えるかですが、日本ではこの装甲空母を単なる機動部隊の一員にするのではなく、さらに機動部隊とは別れて前線(前衛)に出撃することで、艦載機を他艦のものでも収容し、またその補給用の燃料も備えることで、洋上の補給地としても使おうという案が浮上してきます。
これなら装甲空母にした利点をより活かせますし、他の空母が損傷して帰還できない艦載機も収容する可能性を加味した運用ができます。
こういうコンセプトだったため、【W102】の骨組みが検討され始めたころは【W102】そのものが敵艦船との砲撃戦に巻き込まれる可能性がありました。
なので【W102】には15.5cm砲6門という対抗手段が含まれています。
ちなみに排水量は実際の【大鳳】よりもやや少なく28,500tであり、速度は35ノット、65口径10cm高角砲16門となっています。
ただしこの運用構想はあくまで当初案であり、最終的にはこのような使い方は「前提」とはなりませんでした。
確かに装甲空母としての使い道としてはありなのですが、機動部隊そのものの攻撃力が大きく損なわれますし、中継運用するための船も組織せねばならず、艦隊も非常に大きくなります。
今後建造する空母はすべて装甲空母にするべきだと考えていて、中継地点運用の設計だと将来全部の装甲空母が中継地点運用になってしまうので、必ず支障が出るのです。
なので【大鳳】は単純に一般空母の弱点である装甲を強化した攻撃型空母となりました。[7-P99]
その空母の攻撃力である艦載機搭載数ですが、計画が立てられた段階では81機とか84機の搭載が求められましたが、実際には少なくとも格納庫の中だけでこれだけ収納することはできません。
これは格納庫の大きさだけでなく、艦載機そのものの大型化も影響しています。
なのでだいたいは露天繋止まで含めての搭載機数です。
【W102】は計画番号の【G13】、仮称【第130号艦】を経て、やがて命名式にて【大鳳】の名を授かります。[6-P86]
【大鳳】の建造が正式に計画されたのは、昭和14年度より19年度までの6ヶ年建艦計画であるマル4計画でした。
マル4計画は【阿賀野型】や甲乙丙型駆逐艦など、戦時建造艦が多くいる建艦計画です。
【大鳳】はこの計画では1隻の建造予算が組まれています。
この手の新機軸艦は大半が1番艦は海軍工廠で建造されましたが、【大鳳】の建造は他の造船所が大戦艦建造に合わせて埋まっていたので、【瑞鶴】に続いて川崎造船所に任されています。
その後の計画でも装甲空母の建造は予定されていましたが、開戦と「ミッドウェー海戦」の敗北から、金も時間もかかる装甲空母の建造は優先度が下がってき、やがて空母は「雲龍型」一本に絞られることになります。
艤装大体図の時点、つまり【大鳳】の原案での数値や図面は以下の内容で公開されています。
計画公試排水量 | 33,600t |
水線長 | 250.00m |
水線幅 | 27.70m |
吃 水 | 9.59m |
速 力 | 33.4ノット |
馬 力 | 160,000馬力 |
航続距離 | 18ノット:10,000海里 |
計画公試排水量 | 33,600t |
搭載数 | 【九六式艦上戦闘機】/18+3機 |
【九六式艦上爆撃機】/18+3機 | |
【九七式艦上攻撃機】/21+1機 | |
【九六式艦上爆撃機】(露天繋止)/7機 | |
【九七式艦上攻撃機】(露天繋止)/5機 | |
備砲・機銃 | 65口径10cm連装高角砲 6基12門 |
25mm三連装機銃 8基24挺 |
飛行甲板
さて早速装甲を要した飛行甲板について触れていきますが、まずはどの程度の攻撃を想定するかです。
「ミッドウェー海戦」の惨状でもわかる通り、爆弾は甲板を貫いた場合、格納庫やさらに深部の機関部などで爆発します。
そしてたとえ貫かなくても、甲板が衝突の衝撃や爆発などで損傷を負うと、発着ができなくなります。
装甲甲板はこの問題を解決するためのものです。
最初は250kgの爆弾を想定したものでしたが、まもなく艦上爆撃機の500kg急降下爆撃が標準となることは容易に想像できたため、(【九九式艦上爆撃機】は250kgまでしか急降下爆撃できない)、これを弾き返すほどの装甲が求められました。
なので装甲に求められる性能は、高度700mからの500kg爆弾で貫通されないものとされます。
理想は高度1,300mからの800kg爆弾急降下爆撃で貫通されない装甲を備えるというものでした。
もっと欲を言えば、装甲を以下の計95mmにさらに27mm上乗せすることで高度4,000mからの500kg爆弾水平爆撃にも耐えられるという計算が立っていましたが、いずれも同じ排水量で実現させることは不可能でした。[7-P99]
飛行甲板は257.5m、最大幅は30mあります。
しかしこの甲板全面に装甲を張るとあまりに重すぎるしコストもかかるし安全性もなくなるし、まぁ無理な話でした。
装甲は発着に最低限必要だと計算されたエレベーター間の150m×18mに張られることになりました。[1-P44]
当初は装甲範囲は四角ではなく、エレベーターの端から楕円を描くような形で検討されていて、この場合は艦の中央部、一番装甲幅が広い箇所だと幅25mとなり、この部分だけ見れば実際の装甲よりも広くなっています。[7-P99]
この装甲は日本製鉄室蘭工場製で、厚さはCNC鋼(銅含有非浸炭装甲)が75mm、さらにその下には20mmDS鋼(デュコール・スチール)が張られています。[1-P34]
この装甲がどれだけのものかと言いますと、「翔鶴型」の機関部が65mmのCNC鋼+25mmDS鋼でしたから、なんと空母の機関を守る装甲よりも分厚い装甲が飛行甲板となるのです。
ちなみに「イラストリアス級」の甲板の厚みは76mmだったので、ほぼ20mmDS鋼分【大鳳】のほうが分厚いことになります。
装甲空母を名乗るだけある防御力でしたが、この75mmも最初は60~65mmで足りるだろうと思われていて、実験の結果さらに10mm上乗せされたものです。
アメリカでは1,000ポンド(約450kg)爆弾に対して63.5mmの装甲が必要だという実証結果が出ていて、これを見ると日本の装甲の質がアメリカに劣っていたのがわかります。[6-P154]
またこれは装甲ではありませんが、飛行甲板の裏側の梁の下には断片防御用の10mmDS鋼も張られています。[4-P154]
飛行甲板の下は格納庫のため、支柱で支えることはできず、梁のビームやそれをつなぐ桁のガーダーに頼るしかありません。
10mmDS鋼は上から下へのダメージではなく、800kgとか1t爆弾を被弾して甲板が貫通された時、逆に格納庫の被害が飛行甲板に及ばないようにする最低限のものです。
他にも装甲を張らないとまずい場所があります。
それはエレベーターでした。
エレベーターは発着に必要なエリアに存在する守るべき設備なので、もちろん上に上がりきっているときは爆弾を弾き返してもらわないと困ります。
しかしただでさえ重たいエレベーターに装甲を張るとなると、全面装甲を諦めているのと同じように、重すぎてバランスが崩れます。
エレベーターの装甲問題はなかなか深刻で、結局3基は欲しいエレベーターを2基にするぐらいには妥協を強いられました。
また装甲の厚さもDS鋼板25mmを2枚重ねにする50mmにしかできず、ここだけ若干厚み不足でした。
それでもエレベーター1基の重さは100tを超えています。
エレベーターのサイズは前部の戦闘機用が縦14×横13.6m、後部のその他用が縦横ともに14mとなっています。
これでも【彩雲】サイズだと斜めにしてギリギリ通過できるサイズで、艦載機の大型化は常に空母を苦しめる問題でした。
【彩雲】は【信濃】ではエレベーターサイズをオーバーしてしまい露天繋止前提であり、【大鳳】も一つの記録によると同じく露天繋止での運用とされていました。
着艦制動装置は三式十型説と空技廠式三型説が入り混じっていて正直よくわかりません。
どっちの論でもそこにもう一方の可能性をにおわせるものがなく、しいて言うなら「三式の予定だったけど空技廠式三型になった」、ぐらいです。[8-P73]
少なくとも三式十型は昭和17年/1942年製なのでこちらの方が新しく、また5~6tになる【流星】を運用するには三式でなければなりませんから、三式の方が現実感はあります。
あとあくまで体感ですが、空技廠説はちょっと古い資料で多いように感じました。
滑走制止装置に関しては空技廠式三型で間違いなさそうです。
ところで、【大鳳】について決着のついていない議論が2つあります。
1つ目が飛行甲板の表面です。
基本的には木甲板であったという主張が資料の多さから有力ではありますが、装甲空母で燃えやすい木を採用することはないだろうという意見や、戦後に【大鳳】を建造した川崎造船所が作った【大鳳】の模型がラテックス仕上げだったことが、完全終結しない要因です。
ですので今日発売されている【大鳳】の模型もまた、木甲板仕様とラテックス仕様の2種類が発売されています。
もう1つが迷彩塗装です。
「あ号作戦」時の【大鳳】は迷彩が施されたことがわかっているのですが、肝心の内容が一切わかっていません。
確実なのが飛行甲板の前端が白く塗られていることぐらいですが、これは艦首波を誤認させるものか緊急の艦首着艦のためのものかと言われています。[6-P20][7-P34]
【大鳳】の艦首着艦はかなり真面目に考えられていて、艦首左舷側にも着艦指導燈があったという考察もあります。[6-P31]
ガソリンタンク
沈没の直接的な原因となったガソリン流出は、最後にまとめて説明をいたします(移動する)。
その他の防御
バイタルパートである機関室と弾薬庫も特に防御を固めねばならず、機関室はガソリン庫同様高度3,000mからの800kg爆弾、距離12,000~20,000mからの6インチ砲弾に耐えること、弾薬庫や爆薬庫は同1,000kg爆弾、同8インチ砲弾が対象で、底は三重底としてとにかく外部との距離を取る構造になっています。
ちなみに3,000m以上の高度からの爆撃だと、急降下爆撃よりも破壊力があるのでこのような基準となっています。[1-P46]
上部防御に関してはすでに装甲が張られていますから、そこに16mmの高張鋼と32mmのCNC鋼が水平防御としてプラスされています。
一方で側面は装甲がないので、他の軍艦のようにCNC鋼板が上から185mm、末端で70mmの厚みの傾斜甲鈑となっています。[1-P45]
防弾性に問題がないかは、実際に使われるものと同じ装甲や構造物を設置し、亀ヶ首発射場で爆撃ではなく砲撃で試験を行っています。
またこのほかの個所も基本的には500kgの水平爆撃に耐えうる防御力を誇っており、ちゃちな爆撃で【大鳳】が大怪我をすることは考えられませんでした。
それでも火災は何がきっかけで発生するかわかりませんから、泡沫消火装置などの消火設備も歴代の空母よりはるかに充実させました。
舷側はこの他に水雷防御も必要です。
【大鳳】の見えない特徴として液層防御を採用している点が挙げられます。
しかも【大鳳】は空層と液層を併用した最新式の防御方式を取っていました。
空層と液層を交互に2セット並べ、さらにこのセットの中間に22mmDS鋼を充てることで、破壊により飛び散るスプリンターを液層で受け止める構造です。
「大和型」の項でも少し述べていますが、日本は軍縮時の実験により水中弾の想定外の威力に驚き、水中弾防御を基本とした上で水雷防御も固める方式でした。
なので貫通弾の衝撃などから、舷側は基本的には空っぽにして、少々の浸水は甘んじて受け入れるいう考えがありました。
しかし【大鳳】は水上艦の砲撃よりも魚雷を意識した防御にしなければなりませんし、ちょっとの傾斜でも発着艦に支障をきたすため、重油タンクの液層を加えることで、できるだけ浸水が発生しないような構造を目指したのです。
空層と液層と並べることで、点の衝撃が面の衝撃に変わります。
これで隔壁に伝わる衝撃が分散されるのですが、この場合、液層の空間が狭すぎると逆に衝撃がほとんど減衰することなく広範囲に広がってしまい逆効果になります。
90cm以上の液層空間があれば被害が3割は軽減するという計算であり、この組み合わせで炸薬量300kg(400kg?)の魚雷を食い止める設計でした。[1-P45][12-P59]
ただしアメリカの魚雷はHBX爆薬が使われているため、単純な炸薬量以上の破壊力(一例 303kgの炸薬量に対して408~544kg相当の破壊力)があり、実際はこれで十分かと言われるとそうでもありませんでした。[6-P91]
水雷防御だと他に艦底の防御も重要ですが、これは機関付近こそ上記の通り空層と液層の組み合わせとなっておりますが、艦底や非バイタルパートはそうとは限りません。
舷側の非バイタルパートは二層構造と普通の防御で、艦底は三重底となっております。
これらの防御に関連する【大鳳】の重量ですが、船体が12,359t、甲鈑4,866t、防御材3,805tとなっており、予備浮力は「翔鶴型」よりも圧倒的に多い70,522tでした(「翔鶴型」は46,690t)。[6-P88]
出典:『太平洋戦争における軍艦の防禦』山本善之
艦橋・煙突
【大鳳】は日本で初めて艦橋を大型にした、いわゆるアイランド型艦橋の空母になります。
艦橋が大きくなるとそれだけ重心は高くなります。
日本には「友鶴事件」と「第四艦隊事件」という苦い記憶が染み付いています。
そのため重心が高い構造はとにかく忌避され続け、ここにきて初めての大型化でした。
すでに「ロンドン海軍軍縮条約」から脱退していることから、無理な設計をすることはもうありません。
予算という障壁はありますが、最も適した構造と、それに必要な排水量を用意すればいいのです。
空母の役割は日を追うごとに増しており、艦橋が小さいと施設が圧迫されて任務に支障をきたすようになってきました。
加えて【大鳳】は装甲空母でありますから、より他艦との連携が必要になります。
他の空母がやられた場合の着艦先としての臨時の役割(本来の役割ではありません)も【大鳳】は担えるので、連携が取れないと何の意味もありません。
そのため、【大鳳】には21号対空電探が艦橋の前後に1基ずつ搭載されていて、旗艦や連携拠点として情報を集約させるために多くの最新装備を保有しています。
電探は他に13号対空電探も煙突真後ろの信号檣に1基設置されていたという意見と、いやなかったという意見があります。
羅針艦橋は25mmDS鋼、操舵室は40mmCNC鋼で覆われていて、それぞれ断片防御と対15cm砲の役割を果たしています。[8-P11]
艦橋の配置に関してはこれまでの空母建造で良し悪しを経験しています。
左舷艦橋はNG、極度の前方配置はNG、です。
これに則り【大鳳】の艦橋は、煙突との兼ね合いもあって従来の空母よりも後方(中央よりちょっと前)に艦橋が設置されました。
実はこの煙突の位置は、左舷中央、つまり【赤城】【飛龍】と同じ位置で想定されていた時期があります。
これは「翔鶴型」も同じで、左舷艦橋に大きな問題があると明確になったのは昭和13年/1938年末のころ。
当時は「翔鶴型」の建造も始まっていましたが、これはまずいという事から急いで右舷艦橋に差し替えられました。
この頃には【大鳳】の設計も始まっていたため、煙突を弯曲させることができない【大鳳】はなおさら左舷艦橋にしたくなる船でしたから、【赤城】で問題が発覚しないうちは【大鳳】も左舷艦橋になるのは当然でした。
先に書いてしまいましたが、これまでの空母のような弯曲煙突は、【大鳳】では採用が難しい理由がありました。
それは装甲空母ゆえに低重心を徹底することから、他の空母よりも甲板の高さが低く、傾斜時に煙突が海面に接近しやすいのです。
煙突から海水が逆流すると機関が一気に壊れてしまいます。
甲板は低すぎても特に発艦時の心理的不安が強い(甲板から離れた時にちょっとだけ飛行機が下がるので、その下がる分の高さは絶対に確保しないといけない)ので、水面から12mは必要だと判断されていました。
なので【大鳳】は公試12.4mの満載12.0mと、【飛龍】と同じでギリギリの高さで設計されています。[6-P73][6-P87]
この検討の中には夜間発着をする上では障害物はできるだけ小さくしたいという相反する要求がありましたが、船そのものの生存性、「友鶴事件」の悪夢を考えるとこっちの要求は折れてもらうしかありませんでした。[8-P10]
右舷に大きな艦橋と煙突が必要となった【大鳳】に対して、日本はここにきてまた新しい煙突の姿を描きます。
それは艦橋との一体化に加え、外側に傾斜させるという構造でした。
艤装大体図の時ではまだ【大鳳】の煙突は傾斜のない垂直煙突であり、頭を叩いて伸ばして柔らかくし、実験で答えを導いた全く新しい構造です。[6-P86][10-P411]
艦橋と煙突が一体化するというのは、空母以外ならフランスの「リシュリュー級戦艦」が近いデザインです。
もちろん艦種が違うので見た目は全く異なりますし、「リシュリュー級」は後檣なので艦橋ではないのですが、やりたいことはどちらも同じです。
限られたスペースを有効に使う、そして排煙の巻き込みを防ぐために排煙口を傾ける。
【大鳳】の場合は、羅針艦橋の真後ろに巨大な煙突を備え、できるだけ飛行甲板から距離を取って排煙をするように配慮されました。
右舷に重量が偏る関係で、飛行甲板は完全なまっすぐではなく、後端で2m左舷側に寄せて重量バランスを取っています。[4-P435][8-P74]
さらにそこから工夫されたのが煙突の傾斜です。
飛行甲板から排煙口は少しでも遠ざけたいので、1/100模型を使ってどのような形が最も着艦に影響しないか、風洞実験が繰り返されました。
そしてその結果、高さは飛行甲板から17m、傾斜角度は約26度が一番よろしいということが風洞実験で明らかになっています。[3-P17][6-P74][8-P10]
出典:『軍艦開発物語』福田烈 他
【大鳳】の写真は非常に限られていて、かつ傾斜もパッと見ではわかりません。
なので同デザインを採用している【隼鷹】の写真と合わせて見ていただきましょう。
ちなみに「飛鷹型」は【大鳳】よりも前に空母に衣替えをして竣工する予定だったため、こちらが先に傾斜煙突が採用されています。
一方で過去の空母の構造を踏襲している部分もあります。
煙突の内部は超高温になりますから、弯曲煙突組と同じように海水噴霧装置が備わっていて、これで排煙の温度を下げるようにしています。
温度対策は同じく超高温の煙路にも施されていて、煙路の外側には何もない空間を設けて熱の漏洩を防いでいます。
これだと万が一煙路が破壊されて煙が放出されても、その煙や熱が直接艦内に溢れることはありません。[1-P50][6-P91]
もちろんそれだけではなく、煙路管やその避熱空間も破壊されないように防御は強化されています。[6-P91]
構造・格納庫
装甲空母を建造する上で避けられないのは、先ほども書きましたが装甲がめちゃくちゃ重くなることです。
なので甲板の高さが低くなりましたが、その分もちろん内部構造も圧縮されるので、これまでの三層構造を維持することはできません。
そのためなんとか空間を作るための工夫が別の個所で行われています。
低い空母で、かつ飛行甲板が前に付き出すような構造だと、艦首が波にぶつかったときに飛行甲板も波にさらされます。
同じく飛行甲板が低い【蒼龍】【飛龍】は飛行甲板が艦首より短いためこのような心配はないのですが、【大鳳】の場合は策を講じなければなりません。
そこで、これも「イラストリアス級」のマネになるのですが、艦首と飛行甲板をくっつけてしまうエンクローズド・バウという設計が取り入れられました。
エンクローズド・バウは低い空母には打ってつけで、まず上記の波の問題は甲板と船とのすき間がなくなり、甲板が屋根のような役割を果たすので波を落としてくれます(大波に上から被られたときはさすがに別問題)。
そして隙間がなくなるという事は、スペースが確保できるという事で、格納庫を広くしても他の施設を置く場所が手に入るのです。
飛行甲板そのものの長さも伸ばすことができる上、この形状だと気流も乱れないため、空母が選ばない理由はない艦首形状でした。
これで【大鳳】の飛行甲板は日本の空母で最も長くなります。
エンクローズド・バウば最初から検討されていた構造ではなく、初期の【大鳳】は「翔鶴型」と同じ形状の予定でした。
トップヘビーになる船の復原性をどうやって維持するか議論が進む中でエンクローズド・バウの可能性が現れたのは、1939年以降のことです。
エンクローズド・バウばかりが注目される【大鳳】ですが、艦首には「翔鶴型」同様に小さめのバルバス・バウも備えています。
大きなフレアとバルバス・バウ、エンクローズド・バウの組み合わせは船の高速性能と安定性に大きく貢献しました。
出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ
艦載機搭載数は時期や資料によってずいぶん異なり、下は50、上は70機の搭載が可能だとあります。(「翔鶴型」は72機)。
「あ号作戦」時の搭載数は50機ちょいです。
またこれは他の空母も同様ですが、戦時体制下では飛行甲板繋止の艦載機も追加で搭載する予定であり、【大鳳】の場合は12機の甲板繋止を想定していました。
最初に紹介している要目では【烈風】【流星、彩雲】の名があるものの、もちろん実際はどれも搭載されていません。
格納庫の総面積は約6,840㎡であり、「翔鶴型」の約7,000㎡より少々狭い程度と、だいぶ頑張ったと思います。[9]
格納庫の天井、すなわち飛行甲板の裏側に10mmDS鋼が張られていることは述べましたが、側面も25mmDS鋼が張られており、【大鳳】の格納庫はガッチリ密閉型でした。
ただこのままだと爆圧の逃げ道がないため、上部格納庫には1.5×0.7mの大きさの穴が開いており、それが25mmDS鋼の蓋で塞がれていました。
中で爆発など発生した場合は、衝撃が蓋を押しのけて外に分散されるという方式です。[8-P74][12-P59]
しかしこの設計だと相当な衝撃があって初めて蓋が開くわけですから、【大鳳】沈没の原因となったガソリン充満の換気の際は効果を発揮しませんでした。
あとこの穴の数がどこにも書いていない、ちょっと大きいとはいえよもや両舷1つずつという事はないでしょう。
その他
対空砲については「秋月型」で有名な65口径10cm連装高角砲を搭載。
日本海軍の傑作と言われる長10cm砲は重量の関係から6基12門が限界でしたが、速射性の高さを買われて「秋月型」以外で搭載している数少ない船の1つです。
ただ【大鳳】の長10cm砲にはシールドはありません。
九四式高射装置も両現1基ずつ設置されています。
機銃は25mm三連装機銃が17基と、計画時の8基から14基へ、さらに17基へと設計中からどんどん増強されています。[8-P112]
機銃は艦橋がある左舷が8基、右舷8基、そして艦尾に2基配置されました。
搭載できる燃料や兵器については数字の差が非常に大きいのでここでは燃料だけ少し扱いますが、燃料以外は「翔鶴型」に比べて多いかと言われるとさほど変わらないものが多いようです。
建造中の計画では航空燃料が1,000tでしたが、この量だと新艦載機に対して少ないという点、さらには開戦後に【大鳳】に搭載する燃料と爆弾の量は4~6回分の出撃分として考えられていたものを2回出撃分に減じ、戦闘機は9回、偵察機は10回の出撃が可能な量に改正されています。[7-P100]
燃料だけに絞れば「翔鶴型」の倍以上なのですが、このように【大鳳】を中継運用を行う使い方は、「できる」けど「やるつもりはなかった」ことがわかります。
ですが【大鳳】沈没後、「【烈風】とか搭載してないのに何でこんなに積んだんだ」と沈没の原因になったガソリンの積みすぎが指摘されています。
半分の500tでも53機搭載の場合だと7回も出撃できるので、中継運用させないのに満載したのは、危険なエリアを広く抱えて出撃したことになります。
大鳳の写真を見る
参考資料(把握しているものに限る)
Wikipedia
艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki
真実一路
[1]軍艦開発物語 著:福田烈 他 光人社
[2]海軍技術研究所 著:中川靖造 講談社
[3]軍艦開発物語2 著:福田啓二 他 光人社
[4]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[5]空母信濃の生涯 著:豊田穣 集英社
[6]空母大鳳・信濃 造艦技術の粋を結集した重防御大型空母の威容 歴史群像太平洋戦史シリーズ22 学習研究社
[7]日本の航空母艦パーフェクトガイド 歴史群像太平洋戦史シリーズ特別編集 学習研究社
[8]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[9]近代~現代艦艇要目集
[10]日本空母物語 福井静夫著作集第7巻 編:阿部安雄 戸高一成 光人社
[11]艨艟を訪ねて
[12]船体の強度と安全 著:山本善之 日本船舶海洋工学会 電子出版