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秋雲【陽炎型駆逐艦 十九番艦】その2

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貴重な海戦最中のスケッチ 輸送特化の甲型駆逐艦

「陽炎型」最終艦であった【秋雲】は、竣工後に駆逐隊に所属することはなく第五航空戦隊直属となりました。
似た経歴で、第七駆逐隊から離れた【朧】もそこにはいました。
しかしその【朧】は機動部隊最大の見せ場となった「真珠湾攻撃」に参加することはできず、【秋雲】は航続距離が長かったことからこれに随伴することになりました。
なので【秋雲】「夕雲型」とされていた時は、「夕雲型」唯一の「真珠湾攻撃」経験者だったわけです。

「真珠湾攻撃」から帰ってくると、艦長の有本輝美智中佐【陽炎】艦長に異動となり、変わって相馬正平中佐が艦長となります。
まだ艦長になって日も浅いのになぜ異動となったかというと、【陽炎】艦長の横井稔中佐が脳溢血で倒れてしまったので急遽艦長を立てなくてはならなくなってしまったからです。

【秋雲】はその後も五航戦の一員としてラバウルの占領やビスマルク諸島の空襲などで空母とともに転戦。
空襲による制圧力は絶大で、その後の陸軍の高速進軍によって日本は続々と占領地を増やしていきます。
シンガポールなどの要衝も陥落させ、半年も経たずに日本はイギリスの東洋艦隊を東南アジアから排除する寸前までこぎつけます。

そして4月5日から、やはり機動部隊の力でインド洋のイギリス艦隊を攻撃する「セイロン沖海戦」が始まります。
この海戦はイギリスの主要基地であったコロンボとトリンコマリーはともに現スリランカのセイロン島にあり、ここを破壊すればイギリスの前線は大きく後退することになるので、艦船の破壊は当然ながら、基地の無力化も重要でした。
機動部隊はこの2拠点に大規模な空襲を実施。
暗号の解読により多くの艦船には逃げられてしまいましたが、【英空母 ハーミーズ】を撃沈するなど東洋艦隊は完敗。
この戦いの結果、イギリスは太平洋戦争への影響力をしばらく失ってしまいます。

この「セイロン沖海戦」は日本にとっても大きな区切りの1つであり、このあと大本営は次なる方針を策定、海軍は編成の再編を始めました。
【秋雲】【朧】も4月10日に五航戦から除籍され、【朧】は何故か横須賀鎮守府警備駆逐艦となり、【秋雲】は第十駆逐隊に加わることになりました。
この第十駆逐隊は【夕雲】【巻雲】【風雲】で3月に編成されたもので、ここに4月15日に【秋雲】が入って4隻体制となります。
こう見ると直感的に「夕雲型」と思ってしまうのもわかりますが。

続いて第十駆逐隊は第十戦隊にも配属されます。
第十戦隊は機動部隊を護衛するために新編された戦隊で、航続距離の長い「甲型」が任されるのも当然でした。
そしてこの第十戦隊は、当然「ミッドウェー海戦」に挑んだ機動部隊とともに、あの大災厄も経験しています。

6月5日に発生した「ミッドウェー海戦」ですが、実は【秋雲】だけこの大海戦からは少し距離をとっています。
補給部隊は前日未明に本隊から分離され、この補給部隊に【秋雲】も加わったのです。

つい数ヶ月前まで広大な太平洋を我が物顔で航海していた日本の機動部隊が、無残な有様どころか4隻一挙沈没という、事前にこの予想をしたら非国民だと謗られるに違いない結果に終わった「ミッドウェー海戦」。
その帰り道、【秋雲】は一部の駆逐艦が増援することになったアリューシャン列島へ向かうことになりました。
並行して行われていた「AL作戦」は、まずはアッツ島、キスカ島の占領は完了しましたが、この「MI作戦」の結果を受けてアメリカ側がその勢いのまま反撃されることを恐れたのです。
しかし想定されたほどの反撃はなく、北方部隊は帰還。
一方で7月5日には4隻の駆逐艦が突然沈没、大破されられるなど、決して穏やかな海ではありませんでした。

7月14日に第一航空艦隊が解隊されて第三艦隊が新編されます。
第一航空艦隊は大体がこの第三艦隊所属となります。
なので第十戦隊も第三艦隊の一員です。

8月16日、第三艦隊は日本を出発してトラックに向かいます。
すでに「ガダルカナル島の戦い」が始まっており、この移動は当然「ガダルカナル島の戦い」に向けてのものです。
しかしトラックに向かっていた途中で敵機動部隊の出現を補足し、第三艦隊は進路東から南へ変更。
この【翔鶴】【瑞鶴】を中心とした機動部隊で制空権を奪い返す腹積もりでした。

そして24日、「第二次ソロモン海戦」が始まりました。
この戦闘は分隊とも言える【龍驤】がまず集中攻撃を受けてしまい沈没。
その後【翔鶴、瑞鶴】の艦載機が【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】に攻撃を仕掛けたものの、【エンタープライズ】はこれを耐え切って戦場から逃げられてしまいます。
結果「第二次ソロモン海戦」は日本の敗北に終わり、またこの後のヘンダーソン飛行場からの空襲で輸送中の【睦月】【金龍丸】が沈んだこともあって、制空権は完全に連合軍の手に落ちてしまいました。
ここから日本は暗い夜道をこそこそ突っ走る鼠輸送で抵抗するという苦渋の手段を取らざるを得なくなりました。

第十戦隊の【秋雲】もこの例外ではありません。
駆逐艦はあちこちへ雑用係のように走り回る羽目になり、【秋雲】もガダルカナル島への鼠輸送を早速3回実施しています。
ですが本職が第十戦隊ということで、他の駆逐艦よりはその機会が少なかったのも事実です。
なにせ空母は非常に大事で、また同時にこの空母の活躍なくしては、脱鼠輸送も「ガダルカナル島の戦い」の勝利も見えてこないからです。

とはいえ安易に空母を動かすわけにはいきません。
機動部隊の出撃は陸軍のヘンダーソン飛行場奪還作戦と並行して行い、敵に二正面作戦をさせることが最大限の成果につながるからです。
なので機動部隊は陸軍の侵攻具合に合わせて行動をしなければならないのですが、これが陸軍の戦闘環境が最悪だったので、なかなかうまく進みません。
作戦の延期が続き、そしてようやく10月24日、機動部隊は待機を解除しガダルカナルへ向けて南下を始めました。

26日早朝、お互いの索敵により艦載機が発艦を開始。
「南太平洋海戦」が勃発しました。
【翔鶴、瑞鶴】VS【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ、ホーネット】という、双方の当時最新の空母同士の対決となったこの海戦は死力を尽くしたものとなりました。
日本は多数の犠牲を払いながらも【ホーネット】を航行不能に陥れ、【エンタープライズ】も中破。
アメリカも【翔鶴】を大破させたほか【筑摩】【瑞鳳】に被害を及ぼしました。

この戦いで日本は【瑞鶴】【隼鷹】が無事な状態で、アメリカは【ホーネット】航行不能、復帰即実戦となった【エンタープライズ】を再びドックに押し返すなど、航空戦力としての比較では日本の勝利と言えます。
しかしアメリカはこの犠牲を対価としてヘンダーソン飛行場への攻撃を阻止し、日本はまたもや陸海協同のヘンダーソン飛行場奪還作戦に失敗しました。

この海戦でアメリカは【ホーネット】が度重なる雷撃を受けて航行不能、総員退艦となっていました。
ところが【ホーネット】【赤城】のようにめちゃくちゃ頑丈で、大きく傾斜していたものの全く沈みそうにありませんでした。
アメリカは【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ノーザンプトン】での曳航を諦めた後、日本の鹵獲を避けるために【米シムス級駆逐艦 マスティン、アンダーソン】の魚雷による自沈処分を試みましたが、合計9本の魚雷が命中してもまだ【ホーネット】は沈みません(この頃のアメリカの魚雷は不発率が高い)。
その後駆逐艦は遠慮の欠片もない砲撃で【ホーネット】を殴り続けますが、【ホーネット】はそれでも生き続けました。

その砲撃音を聞くものがありました。
誘導機に連れられてやってきた、日本の前進部隊(第二艦隊)です。
以下のエピソードは【秋雲】【巻雲】の2隻に集中するのですが、実は2隻だけが現れたのではなく、旗艦【愛宕】をはじめ前進部隊の一部がここまで迫ってきています。
【マスティン】【アンダーソン】も誘導機に発見され、このまま留まると自身の身も危険に晒されるために自沈処分を諦めて撤退。
【ホーネット】はボロボロではありながらも依然として浮かび続けていました。

連合艦隊は「事情許さば、拿捕曳航されたし」と、この【ホーネット】の曳航を求めます(どこかのタイミングで【ホーネット】乗員の救助を行い、この空母が【ホーネット】であるとの情報を得ています)。
4隻の空母を失っている日本にとって、空母が手に入るなんて願ったり叶ったりですから、そりゃもらえるもんはもらっておきたいでしょう。
しかし【ノーザンプトン】の曳航が失敗したことを物語るように、艦首からは何本かの曳航索が垂れ下がっていました。
火災は弱まっていますが爛れた甲板、被雷や至近弾、駆逐艦の砲撃による破孔や浸水の数、14度傾斜して漂う【ホーネット】の姿は凄惨極まりないものでした。

傾斜しつつも沈まない【ホーネット】

推定できない量の浸水と、灼熱の【ホーネット】と曳航索をつなぐ作業が命がけなのでく、欲しい気持ちはわかるけどやっぱり曳航は無理でした。
結局日本もアメリカ同様、【ホーネット】を沈めることにします。
まずは喫水線付近に【秋雲】が12.7cm砲を撃ち込み、浸水を進行させて沈めようとしますが、これがまぁ全然効果がありません。
砲撃が無理ならと爆雷で浸水を進める方法が検討されましたが、爆雷の衝撃範囲は狭いので、傾斜が大きい【ホーネット】の懐深くに入り込まないといけません。
よしんば爆雷での自沈が成功したとしても、爆発した瞬間に【ホーネット】が沈み始めると自分も巻き込まれるかもしれません。
さすがに危険だということでこの案は却下され、やはり最終手段として魚雷での処分となりました。

命に従い、【秋雲】【巻雲】【ホーネット】に2本ずつ魚雷を発射します。
3発の命中が確認され、その後【ホーネット】の傾斜が強まったのが確認できたので、効果はありました。

ゆっくりと沈み始めた宿敵【ホーネット】の姿を見て、相馬艦長はこの光景を写真に収めて軍令部に渡そうかと考えます。
しかし辺りは真っ暗闇で、カメラで【ホーネット】の姿をしっかりとらえることは無理した。
ならばせめて絵で記録できないか、ということで、中島斎(いつき)信号員が絵が得意だということから彼が急遽スケッチをすることになりました。

彼の描いたスケッチは戦後出版された『栄光の駆逐艦 秋雲』の中に掲載されていて、かなり正確に描かれているのがよくわかります(私はこの写真を写した写真しか見たことない)。
体感なので正確な所要時間はわかりませんが、本人の手記によると10~15分とのことなので、少し長く見ても20分ぐらいで描きあげたのだろうと思われます、早い。

ただ双眼鏡を覗きながら筆を走らせますが、被写体が暗闇の中にある濃灰色の空母では細部を見通すことはできません。
相馬艦長「描けそうか?」と声をかけてきたとき、彼は「影になる部分があって細部が見えません」と答えます。
すると相馬艦長は、「探照灯で照らせば見えるだろ」と言い出しました。
恐らく周囲の人は驚いたはずです、深夜に探照灯なんて、目印にしかならないからです。

相馬艦長はずいぶん肝が据わってる人物のようで、この一連の動きはニコニコしながら「どうだ、明るくなったろう」とお札を燃やしている成金おじさんの風刺画を思い出してしまいます。
中島信号員も艦長の命令なので拒否することもできず、こうなると後は自分の筆の早さだけが頼りなので、一生懸命描くしかありませんでした。
そして「探照灯照射はじめ」の命令とともに、一閁の光が放たれました。

これに驚愕したのは【秋雲】乗員だけではありません、隣りにいた【巻雲】の艦橋も絶対バタバタしたでしょう。
慌てて「如何せしや」と発光信号を【秋雲】に向けて発し、気でも狂ったかのような行動の意図を問いただします。
しかし相馬艦長は飄々と【ホーネット】の現状を写生するため照射している」と返答。
もしここで【巻雲】が探照灯を目印にやってきた潜水艦に沈められでもしたら、絶対【秋雲】に呪いがかかると思います。

相馬艦長以外の面々が冷や汗をダラダラ流す中、中島信号員の指示に従って探照灯は描く方向に移動しながら点灯消灯を繰り返します。
そして最終チェックのために【ホーネット】のお尻から頭まで探照灯を一周させ、修正を行ってスケッチは終結。
同時に周囲の肝試しも終わりを告げました。
その後【ホーネット】は火災も傾斜もさらに強まり、ようやく【ホーネット】は沈み始めました。

幸運にも潜水艦などの襲来もなく、【秋雲】達は中島信号員のスケッチを手に撤退。
空母撃沈の成果は多大ではありましたが、前述のとおり戦略的敗北となった「南太平洋海戦」
このため翌月の「第三次ソロモン海戦」に事が至りますが、【秋雲】はトラック帰投後に推進器の異常が確認されたことから、「南太平洋海戦」損傷艦とともに本土帰還が決定されます。
なので【秋雲】「第三次ソロモン海戦」に参加することはありませんでした。

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