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若月【秋月型駆逐艦 六番艦】その2
Wakatsuki【Akizuki-class destroyer】

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「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

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空は青、海も青、そこに浮かぶは血染めの鉄艦

しばらくリンガなどで訓練を行っていましたが、10月に入るとフィリピンの危機も間近に迫ってきました。
12日には横須賀から大分へ向かう途中で【冬月】が雷撃を受けて艦首を喪失し、貴重な仲間がドック入りとなってしまいます。
一方で【若月、涼月】は台湾への輸送を命じられました。
当時は「台湾沖航空戦」の真っ只中でしたが、大本営が報じた戦果は馬鹿馬鹿しいほど派手なもので、これを信じた連合艦隊は優勢な台湾に戦力をもっと送り込むぞと、台湾輸送を決定したのです。

しかし【若月】達はこの輸送に大反対。
「台湾沖航空戦」で発表された戦果は別として、近海でも有数の敵潜出没海域である豊後水道を夜間に通過するというのは暴挙でしかありませんでした。
つい先日も【冬月】が大破したばかりなのに、日本近海の潜水艦の動向を無視する命令だったわけです。
ですがこの手の命令は覆らないのが常であり、16日、【若月、涼月】は大分を出撃しました。

案の定、2隻の行く手には【米バラオ級潜水艦 ベスゴ】が現れます。
2隻は逆探で潜水艦が近くにいることは把握しており、之字運動で対応をしていたしたが、当時は天候が悪く高潮の中に潜む【ベスゴ】を見つけることは困難でした。
波を隠れ蓑に接近した【ベスゴ】が魚雷を6本発射し、うち2本が【涼月】に命中してしまいます。
1本は不発に終わったのですが、炸裂したもう1本はまたもや【涼月】の艦首を吹き飛ばし、懸念した通り駆逐艦の輸送作戦は中止に追いやられたのです。

再び艦首を失った【涼月】でしたが、自力航行ができるぐらいにはその場で処置や修理が行われ、2隻は山口県八島に乗員を下ろし、その後呉に帰っていきました。
そしてこの後「捷一号作戦」が立案、発動されたことにより、第六十一駆逐隊はかつての海を支配した第一機動部隊を護衛し、フィリピン海へ進出することになります。
今や牙の抜かれた虎である機動部隊は、その身を敵に捧げ、その隙に巨象たる栗田艦隊がレイテ島の連合軍を叩き潰すという、囮に使われるまでに地位を失墜させていました。
飛行機もなく、パイロットもいない空母は、存在を武器にするしかなかったのです。

20日、小沢艦隊は日本を出撃します。
【瑞鶴】を始めとした、稼働可能な現有空母、そして名ばかりの航空戦艦【伊勢】【日向】、それを護衛するのは防空駆逐艦の面々を中心に、対空兵装が比較的充実している【大淀】【五十鈴】などがその脇を締めました。
名前だけ見ると厳つい機動部隊ですが、空母の中身がほぼすっからかんなので彼女たちは防御に徹することしかできません。

それでも腐っても機動部隊、その存在があるだけで、敵機動部隊は小沢艦隊を狙って栗田艦隊の海路を開いてくれたわけです。
【伊勢】らが空母と離れて遊弋していたのを第38任務部隊が発見し、敵はまんまと囮に食いついてくれました。

25日、「エンガノ岬沖海戦」が始まりました。
空母が集中して狙われる中、【若月】らの高角砲と機銃は唸りを上げ続けます。
その対空兵装は数は決して見劣りしないのですが、しかし輪形陣を維持できないことと空母の直掩機が僅かなので、敵制空権内での戦いは分が悪すぎました。
1隻また1隻と空母から火の手が上がり、そしてそれを護衛する船にも危機が迫ってきました。
【秋月】は弾幕の隙間を縫って急降下してきた【SB2C】の爆撃を受けて航行不能のち沈没、【多摩】【TBF】の雷撃を受けて大破し、単艦で撤退を始めました。

残存艦も沈みはじめた空母から乗員を救助することに必死で、【若月】【初月】とともに【瑞鶴】の乗員救助を急ぎます。
空襲による妨害をかいくぐり、860名余りの乗員が2隻に救われ、船は満室となります。
小沢艦隊【千代田】がまだ漂流中だったため、【五十鈴】【槇】が曳航を試みるために合流を目指していたのですが、空襲を受けて損傷したことで撤退し、曳航は断念されました。

しかし【五十鈴】は日も暮れてきたことで空襲の危険性が減ったため、再び【千代田】救助のために反転します。
【槇】は燃料の残量に不安があったのでついていくことはできませんでしたが、【五十鈴】【瑞鶴】の乗員救助中の【若月】【初月】に協力を依頼しました。
ですが空襲で取り逃した船を巡洋艦で掃討するため、すでに第34任務部隊は巡洋艦と駆逐艦を抜擢して追撃をさせていました。

【若月】達が【千代田】に到着する前に、【重巡洋艦 ウィチタ】達は【千代田】を発見して砲撃を開始。
まな板の鯉の【千代田】は高角砲で反撃をしましたが射程外で一切届かず、そのまま沈没してしまいます。
そして【千代田】を沈めた後は、更に北進して残存艦の制圧に向かいました。
その先にはお誂え向きに【若月】達がいたわけです。

敵部隊が最初に発見したのは【初月】でした。
【初月】は敵巡洋艦からの砲撃を受けて反撃をするとともに、「敵水上艦艇ト交戦中」と打電。
【若月】【五十鈴】【瑞鶴】の救出を切り上げ、すぐさま戦闘準備に入りました。

しかし砲撃にはとんと向かない3隻ですし、そもそも高角砲が主砲である3隻とは敵と射程が全然違います。
全力で走っても敵の射程外に離脱できないですし(「秋月型」33ノット、【五十鈴】は人力操舵と損傷もあってそれ以下)、駆逐艦の足からも逃げられません。
【若月】達の勝ち目はないに等しい戦力差での鬼ごっこが始まりました。

3隻とも負けを覚悟していたと思いますが、突如【初月】が反転、敵に向かって艦首を向け、そして太刀を構えました。
【初月】が敵と斬り合っている間に、2隻は逃げろというのです。
友よ、ここでお別れだ。
【若月】【五十鈴】【初月】の大きな背中に後押しされ、全力で逃げて逃げて逃げまくりました。
【初月】は2時間も敵を翻弄し、そして沈没していきました。

【五十鈴】の燃料を心配しながら北上する2隻ですが、そこへ見知った顔が現れました。
それは【大淀、伊勢、日向、霜月】の4隻でした。
彼女らは【五十鈴】が送った敵と交戦中という通信を受けて反転してきたのです。[1-P451]

【五十鈴】はそのまま北上を続けましたが、【若月】【大淀】達とともに敵との戦いのために再び南下します。
ですがどれだけ進めど【初月】や敵艦隊の姿は見えず、会敵することはありませんでした。
実は【大淀】達が反転したのは、【五十鈴】から報告を受けてから2時間以上も後でした。[1-P448]
2時間というと【初月】が孤軍奮闘し敵を翻弄した時間とほとんど同じで、実際【大淀】達が反転した20分後には敵も撤退しており、追いつくわけがなかったのです。

機動部隊の最期となった「エンガノ岬沖海戦」でしたが、その多大な犠牲を払ってでもレイテへの攻撃を何よりも優先した「捷一号作戦」は失敗に終わりました。
連合艦隊の総力をつぎ込んだ戦いが終わり、フィリピンを巡る戦いは輸送戦へと移っていきます。

【若月】は知りませんが、かつて「ガダルカナル島の戦い」では駆逐艦が何度も往復して敵制空権のど真ん中に飛び込んで輸送をすることが頻繁に行われていました。
今回はその時のように駆逐艦だけということではないのですが、【若月】達はまた敵制空権のど真ん中に飛び込むという、死と隣り合わせの任務につかされることになります。

地獄の「多号作戦」です。

本土に戻ることもなく、奄美大島で【伊勢】【霜月】から砲弾を譲り受けた【若月】は、11月1日にマニラへ到着しました。[1-P464]
到着したときにはすでに「多号作戦」は始まっていて、タイミング的には第二次輸送部隊が揚陸を開始していたところでした。
この第二次輸送までは、船の被害は別として揚陸実績としては上々でした。
しかし日本の出方を把握した連合軍は、オルモック周辺の警戒強化と合わせて拠点であるマニラへの空襲も激化させてきます。

【若月】は第四次輸送部隊に加わり、6日出撃の予定で準備をしていました。
しかし5日、大規模なマニラ空襲により多数の在泊艦に被害が及びました。
【那智】は沈没し、【曙】【沖波】が損傷、またこの影響で輸送スケジュールにも狂いが生じます。
本来なら番号通り第三次輸送部隊が先行するはずでしたが、影響が比較的少なかった第四次輸送部隊が先にオルモックへ向かうことになりました。
それでも出撃は2日遅れて8日となっています。

3隻の輸送船はいずれも第二次輸送部隊に参加した【高津丸、香椎丸、金華丸】
これを駆逐艦6隻、海防艦4隻で守るという布陣です。
第四次輸送部隊は悪天候の助けも受けて、到着寸前で空襲を受けたものの翌日には脱落者を出さずにオルモック湾に到着しました。

ですが出迎えてくれるはずの大勢の【大発動艇】が、そこには数えるほどしか残っていませんでした。
往路の被害を食い止めてくれた悪天候が、オルモックの【大発】を飲み込んでしまったのです。
さらには先ごろの空襲で機銃掃射を受けたために、輸送船が搭載していた【大発】も機銃痕のせいで水が入り込んでしまい、使えない状態でした。
せっかく無事に到着したのに、揚陸手段を奪われた第四次輸送部隊は、残された5隻の【大発】で何度もピストン輸送をする方法と、あとは海防艦をいっぱいいっぱいまで砂浜に寄せて、そこから人で運ぶという方法を採らざるを得ませんでした。

こんな手段しかなかったので大型物資の揚陸はまぁ無理で、歩ける人間はともかく、後は人が運べる弾薬とか食料とかを揚陸するのが関の山でした。
翌朝になっても輸送船の中にはでっかい火器類がそのまま残っていて、結局空襲の恐れもあることからこれらの揚陸は断念。
兵士たちはほとんど丸腰の状態で、ここから敵と戦わされる羽目になります。
第四次輸送部隊はオルモックから撤退を開始しました。

引き揚げていく【若月】達でしたが、すでに2回の輸送が目の前で行われていたわけですから敵も黙って見過ごしてはくれません。
【B-29】【若月】達の前に現れて、次々に爆弾を投下していきました。
この爆撃で【高津丸、香椎丸】【第11号海防艦】が沈没し、また救助を他の仲間に任せて撤退を急いだものの、さらに爆撃を受けて【金華丸】小破、【秋霜】は甲板を貫通した爆弾が艦首を破壊してしまいます。
これまでにない被害を出した「多号作戦」は、この輸送の先行きに大きな不安を抱えながらマニラへの道を急ぎました。

ですが一部の船はマニラへ逃げることも許されず、再び地獄門をくぐることを求められます。
第三次輸送部隊が、予定よりも早くマニラを出撃していて、途中で第四次輸送部隊と所属艦を入れ替える段取りとなっていたのです。
輸送の成功率を上げるには戦力の増強は当然で、第三次輸送部隊には【島風】【浜波】がいる一方、【初春】【竹】などちょっと性能が落ちる船もいました。

そこで【初春、竹】は第四次輸送部隊と合流後にマニラへ引き返し、逆に第四次輸送部隊からは【若月、長波】【朝霜】が第三次輸送部隊に合流することとなりました。
【大発】もない上に、さっきまで爆撃を受けていた海域にまた戻るわけですから、この輸送の困難さは第四次の比ではないだろうということを、【若月】達は覚悟していたと思います。

11日未明、【若月】達は魚雷艇の襲撃にあいますがこれを排除しています。
もう敵に見つかっているのに、第三次輸送部隊は日中にオルモック湾に堂々現れて揚陸を進めようっていうのですから、もう生死は運頼みでした。
そして運は【若月】達に味方をしませんでした。

夜が明けると、第38任務部隊は艦載機が大挙してオルモック湾上空を取り囲みました。
第38任務部隊は、本来はブルネイを出撃していた【大和】達を攻撃するために出撃していました。
ところがこれを発見することができなかった第38任務部隊は、狙いを【若月】達に変更して次々に襲いかってきたのです。

まず輸送船4隻が真っ先に狙われ、抵抗するすべもなく次々に炎上していきます。
輸送船の輸送さえ妨害すれば、後はやりたい放題です。
350機近い艦載機が四方八方から爆撃雷撃を仕掛け、【若月】達は右だ左だと高角砲と機銃を振り回します。
あっちを撃ちこっちを撃ち、舵を切ってはまた切って、駆逐艦達はビチビチと海の上を跳ね回るしかありません。
そしてそれはいつまでも続くものではないのです。

ドン、ドン、と砲撃を絶え間なく続ける【若月】でしたが、ついに艦前部、後部に1発ずつ直撃弾を浴びます。
この被弾が致命傷となり、【若月】は真っ黒な煙を濛々と吐き出して大炎上。
そのままついに回復することなく、沈没してしまいました。

他にも【長波】【島風】が身体をすり潰すまで走り続けましたが力及ばず、【浜波】は3発の被弾もあって航行不能となりましたが、【朝霜】が隙を見て救助を行い269名の救助に成功。
結局第三次輸送部隊で助かったのは【朝霜】だけで、他の全ての船がここで沈んでいます。
【若月】は290名という大量の戦死者を出し、彼女の死によって第六十一駆逐隊は解隊を余儀なくされたのです。

沈没寸前の若月

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参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1]空母瑞鶴 日米機動部隊最後の戦い 著:神野正美 光人社