起工日 | 大正9年/1920年12月14日 |
進水日 | 大正10年/1921年5月28日 |
竣工日 | 大正10年/1921年8月24日 |
退役日 (除籍) | 昭和20年/1945年10月5日 |
建 造 | 三菱長崎造船所 |
基準排水量 | 1,251t |
垂線間長 | 97.54m |
全 幅 | 8.92m |
最大速度 | 39.0ノット |
馬 力 | 38,500馬力 |
主 砲 | 45口径12cm単装砲 3基3門 |
魚 雷 | 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門 |
機 銃 | 6.5mm単装機銃 1基1挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 4基 |
三菱パーソンス式ギアード・タービン 2基2軸 |
鳳翔とのコンビ 海鷹の救出 裏方の星、夕風
【夕風】は就役後は【汐風】【帆風】【太刀風】とともに第三駆逐隊を編成します。
しかし翌年、翌々年と1年ごとに編成替えがあり、大正13年/1924年12月より【汐風】【島風】【灘風】と【夕風】での第三駆逐隊に落ち着きます。
昭和3年/1928年10月11日、浦賀水道で行われていた演習の最中に【夕風】は【島風】と衝突してしまいます。
【夕風】は幸い軽微な損傷でしたが、【島風】は右舷艦首に大穴が開く大事故となってしまいました。
「日華事変」では華中の沿岸での作戦に参加。
空母の配備が進む中、【夕風】はよく【鳳翔】の随伴艦として航行するようになっていました。
いわゆる「トンボ釣り」要因として【鳳翔】に付き添い、訓練で着艦に失敗した航空機のパイロット救出に汗を流しました。
すでに駆逐艦の更新も進んでいて、「峯風型」は最前線に回ることはなく、このように裏方や予備役を過ごすことが増えてくるわけです。
そんな【夕風】も昭和15年/1940年には予備艦となります。
ついに【夕風】もお役御免となり、僅かな余生を過ごして解体か駆潜艇などになるのか、と思われました。
ところが時期奇しくも日米対立が一層顕著になったころで、動く船を潰す余裕は一気になくなってしまいました。
この影響で【夕風】は再び駆逐艦籍へ復帰し、【秋風】【羽風】【太刀風】とともに第三十四駆逐隊を編成し、【鳳翔】【龍驤】を基幹とする第三航空戦隊に配属されました。
役目は変わらず「トンボ釣り」でしたが、それでも空母随伴ということは戦場の中に飛び込んでいくわけですから非常に重要かつ危険な任務であります。
その後対米戦争を念頭に置いた改編が様々行われ、昭和16年/1941年4月10日に【龍驤】は第四航空戦隊新編により異動、代わりに【瑞鳳】が第三航空戦隊に編入されます。
駆逐隊のほうも【夕風】を除いた3隻が第一航空戦隊へ向かい、第三航空戦隊には【夕風】と【三日月】がつくことになりました。
日本としては一応の準備を整え、12月8日の「真珠湾攻撃」を皮切りに太平洋戦争が勃発。
これは前代未聞の航空母艦による艦船に対する奇襲攻撃で、まさに新時代の戦争の象徴的な作戦でした。
その空母に随伴している【夕風】ですが、遠路はるばるハワイまで進出できる足がそもそも【鳳翔】にはありません。
【夕風】は【鳳翔】とともに後方支援に回り、【長門】らと出撃していたのですが、小笠原諸島付近で引き返しています。
昭和17年/1942年4月1日には第三航空戦隊も解隊され、【夕風】と【鳳翔】は第一艦隊直属となりました。
【瑞鳳】も第二艦隊に異動となり、世界初の空母である小型の【鳳翔】1隻だけで第三航空戦隊を編成するほうが運用に支障が出るという判断でしょう。
しかし調子に乗った日本が強烈な往復ビンタを受けた「ミッドウェー海戦」で、大きな空母は【翔鶴】【瑞鶴】の2隻だけ、あとは【鳳翔、龍驤】と改装空母のみとなってしまいます。
【夕風】と【鳳翔】はこの戦いにも出撃していますが、第一艦隊所属ですからでかい戦艦が勢ぞろいしています。
そして彼らがこの戦いで何をしたか、いや全く何もしておらず、それは【鳳翔】も同じくでした。
ただし大敗北後に【鳳翔】から飛び立った【九六式艦上攻撃機】が漂流する【飛龍】を発見し、【谷風】がその報を受けて救助に向かったという功績を残しています。
7月14日、【夕風、鳳翔】は新編の第三艦隊附属となりますが、しかし附属したとはいえ【鳳翔】そのものが着艦練習艦となったため、【夕風】もその練習支援に就きますから、実質表舞台からは姿を消すこととなります。
昭和18年/1943年1月15日には第三艦隊に艦載機訓練専門の第五十航空戦隊が新設され、より一層練習艦とその補助の色が濃くなりました。
第五十航空戦隊は【夕風、鳳翔】の他に改装されて間もない【龍鳳】、そして艦載機の攻撃訓練の標的となる標的艦【摂津】も編入されます。
翌年1月1日、第五十航空戦隊は解隊されましたが新たに第十二航空艦隊の中で練成部隊であった第五十一航空戦隊に編入され、任務に大きな変化はありませんでした。
戦況は月日を追うごとに悪化していき、日の丸はまさに斜陽の一途。
明日の戦地での活躍を目指して日々訓練に励んでいた【夕風】と【鳳翔】ですが、「レイテ沖海戦」で日本は艦載機と航空母艦を事実上失います。
航空部隊は陸上から離陸するしか手段を失い、【鳳翔】の役目はついに終わりを迎えました。
それでも昭和20年/1945年4月20日まで【鳳翔】は練習艦としてあり続け、この日をもって予備艦へと格下げになり、呉に留め置かれることになりました。
昭和19年/1944年9月10日時点の兵装 |
主 砲 | 45口径12cm単装砲 2基2門 |
魚 雷 | 53.3cm連装魚雷発射管 1基2門 |
機 銃 | 25mm連装機銃 4基8挺 |
25mm単装機銃 4基4挺 | |
電 探 | 13号対空電探 1基 |
出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年
【夕風】は長年の相棒を失いますが、老兵でも使い方次第でまだまだ役立てなければなりません。
すでに日本は海と空からの特攻を実施しており、【夕風】は【海鷹】とともにその特攻の標的艦として別府で活動することになりました。
終戦まで残り1ヶ月を切った7月24日、別府はアメリカによる空襲に晒されました。
この空襲では【夕風、海鷹】ともに被害はなかったのですが、別府は18日にも空襲を受けていて、さらに【海鷹】はその時に投下された機雷に接触しています。
更なる被害を恐れた2隻は空襲を乗り切ると山口へと非難することになりました。
しかし別府港を出た直後に残念ながら【海鷹】が再び触雷。
今度は運悪く艦尾で機雷が爆発し、機関も舵も一瞬でお釈迦になってしまいました。
このままでは【海鷹】は次の空襲で破壊されるのは明白です。
幸い時間は夜も近い夕刻16時半だったため、次の空襲は夜明けだと考えるとなんとかそれまでに【海鷹】を岸まで運ぶ手段を考えます。
そしてその手段とは、【夕風】が曳航することだけでした。
【海鷹】は空母の中では一際小柄な13,000tでしたが、それでもこの排水量の艦船を曳航できる船すら日本にはごく僅かでした。
そしてその僅かな船も別府や山口にはおらず、呉は同じように機雷で海上封鎖されており、【利根】ら動ける艦を派遣することもできません。
排水量1,200tの、旧式の駆逐艦が、基準排水量13,800tを有する【海鷹】を曳航する。
【夕風】一世一代の大仕事が始まりました。
【夕風】は28mmワイヤーを1番砲へ巻きつけ、22時にようやく曳航が始まります。
速度はたった2ノット。
時速にしておよそ3.7kmです、徒歩レベルです。
曳航中にワイヤーが巻かれている1番砲基部で油漏れが発生します。
さらに夜間にも予想外の空襲があり、この曳航作業は緊張が走り続けていました。
空襲で被弾すれば浸水によってもっと重くなりますし、【夕風】自身が被弾すれば元も子もありません。
しかし慌てると1番砲が壊れてしまい、引っ掛けるものがより後ろの2番砲以降になれば、曳航はより困難になります。
翌朝午前8時、曳航は最終段階を迎えます。
ワイヤーを切り離した後の惰性と押し込みで座礁させるところまで【海鷹】を曳航し、【夕風】はギリギリの距離でワイヤーを切り離します。
しかし突然13,800tもの重さから解放された【夕風】は岸へ向かって突進。
当然予想できたことですが、実際にどれほどの勢いで突っ込むかは想像するほかにありません。
ワイヤーを切り離してすぐさま舵を切った【夕風】は、間一髪で砂浜に突っ込むことは避けることができました。
見るとスクリューが海底の泥を巻き上げており、本当にスレスレの距離での離脱でした。
座礁の危機は去りましたが、【夕風】には最後の仕事が残っています。
まだ岸に横付けできていない【海鷹】を、こちらはちゃんと座礁させなければなりません。
ここからは【夕風】は自分の艦首で【海鷹】を押すことになりますから、艦首を守るためにガチガチに防舷材を取り付け、地道に艦首艦尾を押して押して、ついに【海鷹】は無事に浅瀬にたどり着いたのです。
これは、帝国海軍唯一の駆逐艦による空母曳航例でした。
この難局を乗り切った【夕風】と【海鷹】でしたが、しかし当初の目的であった山口への避難は当然叶っておりません。
そして28日には再び空襲を受け、【海鷹】は3発の被弾により浸水、大破。
それでも海上で同様の被害を受ければ沈没必須、犠牲者も多かったことを考えると、【夕風】の仕事は大変あっぱれなものでした。
終戦を別府で迎えた【夕風】ですが、他の「峯風型」に比べるとまだまだ元気だったこともあり、ここからも大いに活躍します。
特別輸送艦として19回に及ぶ復員輸送に従事。
艦のサイズが小さいため1回で運べる人数は少ないものの、約8,300人を外地から日本へ送り届けました。
輸送を終えた後、【夕風】は賠償艦としてイギリスへ引き渡されます。
最後まで元気だった【夕風】は、シンガポールへ向かう10隻の船の中で唯一予定より1日早く到着。
現地で解体された【夕風】は、およそ戦争とはどのようなものか、恐らく自身が戦争末期に受けた数回の空襲でしか知らない稀有な存在でした。