広告

翔鶴【翔鶴型航空母艦 一番艦】その1
Shokaku【Shokaku-class aircraft carrier First】

記事内に広告が含まれています。
  1. 帝国海軍最大馬力 バランス重視で最高級ではなかった翔鶴型
    1. 飛行甲板・航空機関連設備
    2. 艦橋
    3. 防御
    4. 艦載機・兵装
    5. その他
  2. 初の空母戦で命を削る 対米戦争の分岐点
  3. 血の気の多い野武士艦長 餓島の苦戦を示す一戦
  4. 攻撃、攻撃、攻撃あるのみ! 死闘の南太平洋
  5. 絶対国防の一大決戦 火炎地獄の末路
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。


広告

初の空母戦で命を削る 対米戦争の分岐点

進水前の【翔鶴】前での記念撮影

条約解放後とあって造船業界は活気づきましたが、これまで冬の時代を過ごしてきたのでまず人材が全然足りませんでした。
そこを埋めるのが徴用工で集められた素人達ですから、数はそろっても技術は一からです。
「翔鶴型」の建造だけでなく他の船の建造や改装も続々と飛び込んできますから、この調整で頭が狂ってしまいそうでした。

過酷な日程の中で進水日を迎えた【翔鶴】ですが、昭和14年/1939年6月1日はあいにくの曇り。
慎重に慎重を重ね、用心に用心を重ねたセッティングを行っていましたが、進水台検査が終わっていよいよ進水だというところで、天候が急激に悪化しました。
久々の大型艦の進水とあって、溢れんばかりの見学者が式を見守っていたのですが、16時から始まった進水式は、皆雨の中で全身びしょ濡れになってしまいます。
今後の日本の行く末を暗示したのか、【翔鶴】の行く末を暗示したのか、荒天の中なんとか無事に【翔鶴】は進水しました。

戦艦クラスの【赤城、加賀】と比べても遜色なく、加えて高さを極力下げた「翔鶴型」もまた、日本の艦船の特徴とも言えるスマートさを備えていました。
加えて艦首の乾舷は高く設定されていて、逆八の字のフレアが見せる威厳、恐ろしさも、戦艦クラスでした。

そして【翔鶴】は太平洋戦争開戦間近の8月8日に竣工します。
間近というのは、まさに【翔鶴、瑞鶴】の竣工こそが対米戦争の開戦時期へ影響したと言われているからです。
実は【翔鶴】【瑞鶴】も器材納期の遅れから工事の進捗は良くなかったのですが、風雲急を告げる情勢になったことから同年春にいきなり工期短縮を迫られ、死に物狂いでこれに応えたわけです。[5-P263]

また当時日本には【赤城、加賀】と言った巨大な空母はいたものの、特に【加賀】の鈍足は目に余るものでした。
なので【赤城、加賀】クラスの搭載量を持つ高速空母は喉から手が出るほど欲しく、「翔鶴型」の登場によって優速機動部隊の編成が可能になったのです。
そして中型以上に【龍驤】を加えた7隻が登場したことでアメリカと空母の数で並び、アメリカと戦争をする上で数の面の不利を払拭できたのです。[7-P15]

しかし一航戦【赤城、加賀】、二航戦【蒼龍、飛龍】に比べるとパイロットの練度がまだ低く、五航戦は「真珠湾攻撃」では艦艇攻撃ではなく基地攻撃に従事します。
ただこれは一、二航戦の乗員の練度が極端に高すぎただけであり、決して五航戦の乗員の力不足だったわけではありません。
特に「真珠湾攻撃」はこのためだけの特殊訓練が必要な地形だったため、艦船攻撃は熟達者にしか行えないスーパーミッションでした。

とは言うものの、「翔鶴型」2隻もわずか3~4ヶ月で慣熟訓練と編隊飛行訓練、そして陸上爆撃を想定した訓練を重ねて行う必要があります。
むしろこの短期間で「翔鶴型」パイロットとしての腕を磨き上げ、立派に陸上攻撃をやり遂げていることこそが当時のパイロットの技量の高さを物語っています。

「真珠湾攻撃」では【九九式艦上爆撃機】1機の未帰還がありましたが、【瑞鶴】はゼロでしたから五航戦の大きな犠牲はこの1機だけ。
一航戦の犠牲が大きいことと比較すると、やはり急降下爆撃や肉薄雷撃を実施しない陸上爆撃のハードルが若干低いのは否めないでしょう。

12月はこの後「第二次ウェーク島攻略作戦」に参加しており、翌月からもラバウルやニューギニアへの空襲を実施。
4月5日、9日の「セイロン沖海戦」では一、五航戦による空襲で【英空母 ハーミーズ】などを撃沈するなど活躍を続けました。
「セイロン沖海戦」は作戦がばれていたので沈めた船の数は僅かなのですが、インド洋のイギリス拠点を潰したことで西に余分な戦力を割かずに済むようになりました。
そして対アメリカ戦争がより鮮明となる「珊瑚海海戦」が勃発します。

「珊瑚海海戦」は、イギリスの脅威が薄らいだことから、今度は米豪遮断の重要性が増してきたことが開戦要因の1つとなります。
ニューギニア南東はオーストラリアに近く、ポートモレスビーを攻略して敵の侵入経路を塞ぐ必要がありました。
この方針は1月末から決まっていましたが、航空基地とアメリカ機動部隊が邪魔をするので、この脅威を排除するために空母の派遣が決定。
最初は搭載数が最も多い【加賀】が参加予定だったのですが、戦力不足だったことと、五航戦の練度上昇を兼ねて【翔鶴、瑞鶴】が派遣されることになりました。

これだけでもアメリカを侮っているのがわかりますが、【翔鶴】は54機、【瑞鶴】は63機といずれも搭載機数が定数以下でした。
つまり結構重要な作戦に補充をせずにこの2隻を派遣しているのです。[7-P16]
ちなみに作戦の管轄下にある第四艦隊は能力も高い第二航空戦隊【蒼龍、飛龍】の派遣を求めていましたから、現場と監督者の意思疎通は不足していたと思われます。

この作戦に参加しているもう1隻の空母【祥鳳】(第四艦隊所属)は、MO攻略部隊として輸送船団を護衛しています。

しかし5月7日、MO攻略部隊は【レキシントン級空母 レキシントン、ヨークタウン級空母 ヨークタウン】の両空母の艦載機に発見されて爆撃の雨を受けてしまいます。
攻撃は【祥鳳】に集中し、オーバーキルの被害を受けて【祥鳳】は沈没してしまいました。

その現れた機動部隊を探していた【翔鶴】達でしたが、彼女も偵察によって空母を発見していました。
ところがその正体は空母でもなんでもなく、【シムス級駆逐艦 シムス】【油槽船 ネオショー】でした(その後の偵察で本物の空母も見つけている)。
この2隻を沈めることはできたのですが、この索敵と撃沈にほとんどの時間を奪われ、本命の空母2隻を野放しにした結果【祥鳳】を救うことはできませんでした。
また攻撃を行った攻撃隊も艦爆艦攻2機ずつ(艦攻は索敵のために出撃したもの)を失っており、痛い損失を被ってしまいます。

しかし油槽船と空母の見間違いとは一体どういうことか。
艦種識別能力の欠如は訓練の段階から優先度の低い項目として力が入っておらず、さらに当日は索敵機の正規偵察員が体調不良で登場できず、補欠の若い者が担当したのが原因だと言われています。
ただ【ネオショー】側は甲板に帆布を展開して真っ平の飛行甲板に見えるように偽装していたと報告されています。

【祥鳳】の敵討ちのために再び敵空母の捜索が始まりますが、第六戦隊【青葉】の水上偵察機が空母発見を報告。
しかし時刻は夕方に差し掛かっていて、薄暮攻撃となることから帰還に問題があることから出撃を躊躇する動きもありました。
ですが原忠一五航戦司令官(当時少将)は薄暮攻撃を決断し、夜間着艦経験者のみを選んで27機の攻撃隊が【レキシントン】らに向けて飛び立っていきました。

命を賭けた出撃ではありましたが、【レキシントン】のレーダーが彼らの奇襲を許しませんでした。
迫り来る危機を察知した【レキシントン】【ヨークタウン】【F4F】を発艦して急いで迎撃態勢を整えます。

当時敵空母側の天候は良くなく、雲間から迫ってきた【F4F】に不意を突かれてしまい、艦攻は2隻合わせて15機出撃の内半分の8機、そして艦爆も12機中1機を喪失。
もちろん誰も攻撃すら行えず、覚悟の薄暮攻撃は完全に失敗に終わってしまいます。
そして運悪く、帰投する際に重しになる魚雷を投棄した後に空母を発見してしまい、結局苦々しい思いをしながら彼らを見逃しました。

この際、攻撃を中止して空母に帰還する予定だった【翔鶴】の飛行隊長高橋赫一少佐が先導する【九九式艦爆】【瑞鶴】所属機含む)が、信号を送って着艦しようとしていた空母の正体が実は【レキシントン、ヨークタウン】だったという珍事が起こっています。
この時アメリカ側も日没から日本の艦爆隊を追撃せずに【F4F】を帰還させたのですが、アメリカ側も着艦寸前まで日本の艦載機だとは気づかなかったのです。
高橋少佐は着艦指導燈の点灯がないことに疑問を感じていたようですが(アメリカ空母に着艦指導燈はない)、それだけで違う空母だと決断できず、ギリギリで違うことに気付いて急いで速度を上げて逃げ出しました。
残念ながら撤退のために足を引っ張る爆弾はすでに投棄しており攻撃はできませんでした。
そしてこの時逃げ切れなかった艦爆が1機撃墜されてしまいました。

大きな犠牲を払ったものの、敵の所在をはっきり掴んだ日本は、残った戦力で翌日こそ息の根を止めてやると気合を入れなおしたことでしょう。
とはいえ夜のうちにもちろん船は移動するわけで、翌日夜明けから再び両者の索敵合戦が始まります。
そして両者とも現地時間の8時半ごろに互いの機動部隊を発見。
機動部隊殲滅のために艦載機を発艦させます。
道中で一部の攻撃隊がすれ違ったようですが、そこでの戦闘はなく、一心不乱に敵空母に向けて突っ込んでいきました。

まずは我が方の攻撃に注目しましょう。
輪形陣を敷き、かつレーダーで前日同様敵の接近を確認していた【レキシントン】達でしたが、日本はそれに臆することなく魚雷爆弾をぶつけるために突っ込みます。
【F4F】だけでなく【SBD】までも迎撃に参加し、【零式艦上戦闘機】がそれを抑え込み、その網を突破した僅かな機体が敵空母に向けて攻撃を行いました。
【翔鶴】所属の艦載機は左右から【レキシントン】を挟み込み、魚雷を2本、爆弾2発、至近弾5発を浴びせることに成功。
雷撃は左舷側の3つの缶室を浸水させ、またガソリンタンクが破損して中のガソリンが気化し始めました。

一方【ヨークタウン】ですが、こちらは主に【瑞鶴】の攻撃隊が攻撃を行っています。
【ヨークタウン】へは爆弾1発が命中し、他に至近弾が3発あります。
この命中1発により重油が漏れ出し、さらに3つの缶室が損傷しましたが、実際この被害はどうとでもなる程度で、やがて24ノットの速度ではあるものの通常運転が可能となります。
問題は流出した重油であり、これによって燃料不足になることから海域に長居をすることができなくなり、離脱を余儀なくされました。

さて【レキシントン】ですが、ガソリンの気化と言えば【大鳳】を見ればわかるようにマッチ一本でも爆発する恐ろしい状態です。
そして何よりも、初期改装空母である【レキシントン】の格納庫は密閉型だったのです。
換気が行き届かなかった【レキシントン】は、浸水も火災も食い止めたのですが、攻撃を受けてから1時間半後に突然連続爆発が発生します。
消火がうまくいかずに苦悩している中で2時間後、3時間後にまた大爆発が発生し、これが【レキシントン】を死に至らしめるものとなりました。

巡洋戦艦を改装した【レキシントン】は、翌月の【赤城】の末路と同じように、これだけ燃え盛っているのに沈む気配はありません。
上側は確かにもう手の施しようがないのですが、浸水は食い止めているため放置してもやがて自然鎮火し、その後も浮かび続ける可能性は高そうでした。
しかしそれは困ります、例え丸焼きでも修理できる状態であれば、敵が見つければ拿捕するのは確実です(【ヨークタウン級航空母艦 ホーネット】は実際曳航にチャレンジしています)。

20時前、【レキシントン】は乗員の脱出が完了した後、泣く泣く【米ポーター級駆逐艦 フェルプス】の魚雷によって自沈処分されました。

空母1隻撃沈、1隻中破(日本は【レキシントン】【サラトガ】と誤認)の戦果を挙げた攻撃隊ですが、撃墜、未帰還、使用不可投棄を含めて30数機を喪失。
そして犠牲はもちろん彼らだけでなく【翔鶴】にも迫っています。

日本の攻撃隊とすれ違った【レキシントン、ヨークタウン】の攻撃隊ですが、まずは【ヨークタウン】の攻撃隊が到来します。
日本側の天候は悪く、また陣形も不安定で協力して戦える態勢ではありませんでした。
加えて【瑞鶴】がスコールの中に逃げ込んでいったので、2隻の空母の攻撃隊は【翔鶴】1隻に殺到することになります。

こちらも戦闘機同士が戦う中を【SBD】が突破して、2発の450kgが【翔鶴】の飛行甲板を容易く貫きました。
1発は艦首左舷に命中し、主錨は吹っ飛んで前部エレベーターは停止。
さらに深部にある軽質油庫で炸裂したことでガソリンが燃え始め、大火災が【翔鶴】の艦首を包み始めました。
続いてもう1発が艦後部右舷側に命中し、飛行甲板の下に収容されている短艇が燃え始めます。
破壊の断片が飛行甲板にも降り注ぎ、船の操艦に影響はないものの人的被害は大きな攻撃となりました。

珊瑚海海戦で大損害を負った【翔鶴】

機関に影響がなかったことから、雷撃はすべて回避(アメリカは3本命中と沈没確実を報告)。
【レキシントン】同様に火災と煙は凄まじいものの、足回りに影響はなく、【翔鶴】はまだ逃げることができました。

【ヨークタウン】攻撃隊の攻撃を耐え抜いた【翔鶴】でしたが、45分後に今度は【レキシントン】の攻撃隊がやってきます。
しかし【レキシントン】の攻撃隊は悪天候に阻まれて相当な数が引き返していて、これが【翔鶴】にとってはかなりラッキーでした。
何しろ【レキシントン】【SBD】の攻撃は咄嗟の出来事で対処ができなかったからです。

不意を突かれた【翔鶴】は4機の急降下爆撃に直面。
うち1発が艦橋後部の信号マスト付近に命中し、その炎が格納庫に入り込んで艦内で火災が広がっていきました。
また高射装置や射撃装置が破壊され、外観の被害はより大きく感じられました。

それでもやはり機関に影響はないため、【翔鶴】はフルスロットルで北上します。
雷撃による被害は今回もないのですが、この攻撃でも「魚雷5本命中、沈没確実」とアメリカは報告しており、実際不発なのかどうかはわかりません。
スコールの中で【翔鶴】の奮闘を眺めるだけになってしまった【瑞鶴】でしたが、【瑞鶴】からは黒煙に半分ぐらい隠れている【翔鶴】の姿を見て、こちらも「翔鶴沈没」と報告するほどでした。

敵味方に殺された【翔鶴】でしたが、【翔鶴】は護衛の【夕暮】【潮】を置いていく勢いで撤退。
その速度は味方も驚くほどで、証言や状況から見ても30ノットは確実に突破していました。
駆逐艦が随伴に苦労したのは、当時の波が荒かったことや、そこそこ年季が入ったり改修を受けて最大速度が落ちていることが理由です。

やがて【翔鶴】もスコールに紛れることができて鎮火にも成功し、最終的に【翔鶴】【夕暮】だけを従えてトラックまで逃げることができました。
ただ【翔鶴】はこの時【米タンバー級潜水艦 トライトン】に発見されていました。
【翔鶴】が高速で航行できたからよかったものの、足を引きずっていたら【トライトン】の19ノットでも間違いなく追いつき、雷撃を受けていたでしょう。

なお第四艦隊は【翔鶴】の撤退を受けてMO機動部隊の撤退を決断するのですが、連合艦隊は「お前は動けるんだから逃げるな」と撤退を許さず、【瑞鶴】だけが再び敵を追い求めて南下。
しかし補給が必要だったために【東邦丸】からの給油に時間を取られ、その間に【ヨークタウン】も撤退したことから空振りに終わっています。

空襲を受ける【翔鶴】をアメリカ軍機より撮影

最終的に

【瑞鶴】被害なし
【翔鶴】大破
【レキシントン】沈没
【ヨークタウン】

と、一応戦術的勝利を収めた日本。
しかし前日に【祥鳳】を失ったり、ポートモレスビーの攻略も中断せざるを得ず、完全に痛み分けの海戦となりました。

「ミッドウェー海戦」の大敗北ばかりが注目されますが、このポートモレスビー攻略の延期、すなわち「MO作戦」の中断中止は太平洋戦争においても非常に重要な局面です。
このせいで日本は長い「ニューギニア島の戦い」で大量の犠牲を払い続け、オーストラリア軍が太平洋戦争でも存在感を発揮し、兵力の数で劣るのに二正面作戦を強いられることになりました。
そして1ヶ月後、日本はこの戦いから特に運用面ではほとんど何も学ばずに奈落の底に落ちていくのです。

1
2
3
4
5

翔鶴の写真を見る

参考資料

Wikipedia
近代~現代艦艇要目集
[1]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[2]艦船ノート 著:牧野茂 出版共同社
[3]翔鶴型空母 帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦「翔鶴」「瑞鶴」のすべて 歴史群像太平洋戦史シリーズ13 学習研究社
[4]日本の航空母艦パーフェクトガイド 歴史群像太平洋戦史シリーズ特別編集 学習研究社
[5]日本空母物語 福井静夫著作集第7巻 編:阿部安雄 戸高一成 光人社
[6]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[7]極秘 日本海軍艦艇図面全集 第五巻解説 潮書房
[8]空母瑞鶴の南太平洋海戦 軍艦瑞鶴の生涯【戦雲編】 著:森史朗 潮書房光人社