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沖波【夕雲型駆逐艦 十四番艦】

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起工日 昭和17年/1942年8月5日
進水日 昭和18年/1943年7月18日
竣工日 昭和18年/1943年12月10日
実質退役日
(大破着底)
昭和19年/1944年11月13日
マニラ空襲
建 造 舞鶴海軍工廠
基準排水量 2,077t
垂線間長 111.00m
全 幅 10.80m
最大速度 35.0ノット
航続距離 18ノット:5,000海里
馬 力 52,000馬力
主 砲 50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 2基8門
次発装填装置
機 銃 25mm連装機銃 2基4挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 3基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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ハーダーの襲撃から逃れるも、マニラで多くの仲間とともに散る

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

【沖波】が竣工したのは、太平洋戦争開戦からほぼ2年後の昭和18年/1943年12月10日。
この時期に竣工した「夕雲型」には22号対水上電探が搭載されており、第十一水雷戦隊での訓練ではこの電探の能力を発揮するものも組まれていました。
2月10日に【岸波・朝霜】とともに、【長波】1隻となってしまった第三十一駆逐隊に編入されます。

2月26日、【沖波】【岸波・朝霜】とともに【輸送船 安芸丸・東山丸・崎戸丸】を護衛する松輸送を担当し、グアムへ向けて出発しました。
しかし途中で【米タンバー級潜水艦 トラウト】が船団を遮り、この魚雷によって【崎戸丸】が沈没してしまいます。
逃してなるものかと【朝霜】【トラウト】を追跡、見事これを打ち破り、【トラウト】を撃沈させています。

グアムに到着すると、【沖波】の任務には輸送・護衛任務に対潜哨戒も加わります。
やがて当時行われていた「ビアク島の戦い」の支援のため、「渾作戦」が発動されますが不発に終わり、日本は【大和】を中心に敵輸送部隊の撃退し、機動部隊をおびき出すことにしました。
6月10日、【沖波】【大和】ら攻撃部隊の護衛に就き、タウイタウイを出発します。

しかし出発直後、潜望鏡を確認。
【沖波】はこの潜水艦の撃退に向かいます。
この潜水艦の正体は【米ガトー級潜水艦 ハーダー】、この1週間で【水無月・早波・谷風】を撃沈させている、日本にとって今最も沈めてしまいたい存在の1つでした。
【ハーダー】【沖波】の接近に気づき、【沖波】へ向けて3発の魚雷を発射。
やがて2つの爆発音が響き渡り、また新たな犠牲が出てしまったのかと思われましたが、【沖波】に被害は全くなく、【沖波】は反撃に出ます。
しかし爆雷を投下したものの、【ハーダー】に命中することはなく、結局【ハーダー】を追い払うにとどまってしまいました。

6月12日にバチャンに到着した艦隊は、作戦決行の時を待ちます。
しかしそこへ飛び込んできた急報は「作戦中止」というものでした。
聞けばサイパン島がアメリカに砲撃されたらしく、戦況が急展開したのです。
サイパン島陥落阻止のために艦隊はとんぼ返りを余儀なくされ、至急小沢艦隊へ合流することになりました。
この数日後、「マリアナ沖海戦」が勃発することになります。

昭和19年/1944年8月20日時点の兵装
主 砲 50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 2基8門
機 銃 25mm三連装機銃 4基12挺
25mm連装機銃 1基2挺
25mm単装機銃 12基12挺
電 探 22号対水上電探 1基
13号対空電探 1基

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年

大敗を喫した「マリアナ沖海戦」後、【沖波】は柱島泊地へ一時帰投し、7月9日に【岸波・朝霜】と、そして修理から復帰した【長波】ともに第四艦隊を護衛してリンガ泊地へ向かいます。
その後はしばらく任務もなく、現地での訓練が続きました。

10月になると、「捷一号作戦」が実施されることになり、【沖波】栗田艦隊に所属して史上最大の海戦に向かうことになりました。
「レイテ沖海戦」【沖波】は目を開けていられないほどの空襲にさらされ、至近弾も一発被弾。
近くでは【鈴谷】が至近弾によって魚雷発射管が爆発、大破し沈没が迫っていました。
【沖波】は傷ついた体をおして【鈴谷】に近づき、400人以上の乗員を救助しました。
しかしこの救助作業中にも戦況は動き続けており、【沖波】のために他の艦が歩みを止めることなどできませんでした。
【沖波】は艦隊から遠く離され、自身の損傷や助けた乗員のことも考え、マニラへの帰投を決断します。

翌10月26日には空襲を受けて舵が損傷してしまいますが、これを切り抜けて28日にマニラへと戻りました。
そこは悪夢の海戦から逃げ帰った傷だらけの艦で溢れていました。

至近弾を受けたとはいえ航行に支障があるわけではない【沖波】は、休む間もなく次の仕事が与えられます。
「多号作戦」の第二輸送部隊に加わった【沖波】は、マニラを発って無事レイテ島へ到着します。
輸送船から物資が揚陸されている間、【沖波】【霞】とともに周囲の警戒にあたっていましたが、そこへ米軍の攻撃機が空襲を仕掛けてきます。
【輸送船 能登丸】がこの空襲によって沈没し、【沖波】たち他の艦はなんとかレイテ島から離脱しています。

しかしマニラもすでに安全な土地ではなく、そして多くの艦がマニラに逃げ延びていることもまた米軍には周知の事実でした。
11月13日、マニラを大空襲が襲います。
多くの船が停泊しており、逃げようにも他の艦との衝突の危険もあるため自由に逃げることができません。
次々と被弾、沈没、着底していく仲間たちを見ながら、【沖波】もまたこの惨事から逃れることができずに大破着底。
もう二度と【沖波】が航行することはありませんでした。

駆逐艦
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※1 当HPは全て敬称略としております(氏をつけるとテンポが悪いので)。

※2 各項に表記している参考文献は当方が把握しているものに限ります。
参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
勝手ながら今は各項の参考文献、引用文献をすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。