錆び付いた一航戦 看板掲げて敵を引き付け、起死回生に全てを託す
これにより、日本の機動部隊はほぼ壊滅。
残っている正規空母は【瑞鶴】ただ1隻のみ、残りはすべて別艦種を空母へと改造したものでした。
そして同時に、「真珠湾攻撃」でともに戦った仲間も全て失ってしまいました。
「あ号作戦」の一環だった「マリアナ沖海戦」の大敗後、【瑞鶴】は再び装備の強化がなされています。
日本はVT信管の開発はできませんでしたが、代わりに新開発したのは12cm28連装噴進砲です。
いわゆるロケットランチャーで、残存艦の全ての戦闘用空母と【伊勢】【日向】に搭載されました(【大鷹】などの小型空母などには搭載されていません)。
ただ、射程距離たった1,500mの上、連射ができないという、対空砲としては致命的な欠陥があり、加えて発射後に煙が周辺を覆うため視界を塞いだり、噴射の炎で燃えてはいけませんから発射のたびに防火構造の待機所に避難する必要があるなど、威嚇にはなったでしょうが使い勝手がいい兵器とは言えませんでした。[3-P141][4-P111]
噴進砲だけでなく、機銃も増設されたことから人出もかき集める必要がありました。
単装機銃がどっと増えたのは、統制射撃ができずとも取り外しが可能な移動式であるため、柔軟性の高さが評価されたためです。
しかし補充された兵員の年齢は30代半ば過ぎばかりで、戦争の匂いをこれまで全く感じることなく、国内で国家のために尽くしていた男性諸君が新たに召集されたのです。[5-P41]
とにかく機銃を増設し、同時に可燃物をほぼ全て取り払う、常時出入りする倉庫は吃水線より上に上げ、不定期にしか使わない倉庫は閉鎖、軽質油タンクの後方半分を閉鎖し(例え72機搭載したとしても満載するほど燃料はいらない)、ガスを排気して完全密閉化する、そして使用する軽質油庫の周辺の空所にコンクリートを注入し、さらに外舷にもバルジを設置しその中にもコンクリートを注入する、軽質油管や電気系統には25mmDS鋼防弾板をつける、など。[2-P174][2-P422][5-P35]
塗料をはがした後は燃えにくい白いペンキを塗装しました。[5-P36]
バルジの厚みは600~800mmもあり、ここにセメントが入るのですから雑な600~800mm防御壁のようなものです。
このように戦訓は活かされて入るのですが、その戦訓を得る代償がいつも大きすぎるのが、日本の敗因の一つでもありました。
もはや挽回の余地のない日本は、「レイテ沖海戦」で現存する貴重な空母を囮に使うという無謀な作戦に打って出ます。
パイロットの訓練が時を惜しんで行われましたが、ここに来るまでの飛行時間が3桁に満たないパイロットすら含まれていて、若葉マークを付けた状態で戦場に現れたようなものです。
なのでやはり発着艦訓練に移ると事故が目立つようになり、希望の光は機動部隊からは一切見えません。
最後の戦いを前に【瑞鶴】は呉でさらに13号電探の増設を受けた可能性があります。
時期はともかく確実に装備が確認されているのは、艦橋後部のマストです。
『空母瑞鶴』には、それに加えて10月8日に呉に戻ってから左舷前部の起倒式マストに13号電探を増設したとあります。[5-P35]
ただこれ以外に2基目の13号電探に関する資料を見つけることができなかったので、現実がどうかは判断が難しいところです。
【瑞鶴】は甲板を迷彩色に塗装変更、小沢中将指揮の下、レイテ沖へ向かいます。
艦載機はとりあえず集められるだけ集めましたが、「台湾沖航空戦」で多くの航空機が持って行かれた上に撃墜されてしまったので、【瑞鶴】は定数72機に対して65機の搭載しかできませんでした。[5-P109]
【瑞鶴】直属の飛行隊というのは同年2月に消滅しており、第六〇一海軍航空隊が【瑞鶴】に搭乗するのですが、艦載機だというのに戦闘機乗りで着艦経験者はたったの18人しかいませんでした。[5-P98]
さらにこの航空戦への流用に伴って、「捷一号作戦」は「連合艦隊は機動部隊の出動に期待しない」とまで言い切る形で機動部隊の出撃すら考えられていませんでした。
ところが勝利している「台湾沖航空戦」の裏側で、連合軍は10月17日にレイテ島東側のスルアン島への上陸を開始。
そんな馬鹿なと慌てた連合艦隊は、もはや体をなしていない機動部隊を囮として遊撃部隊のレイテ島突入を支援するという苦肉の策を練り上げたのです。
小沢艦隊の空母メンバーは【瑞鶴】の他に【千歳、千代田、瑞鳳】。
【瑞鶴】以外の空母の艦載機は17ないし18機、格納庫はがらんどうとしています。[5-P109]
他護衛には航空戦艦から防空戦艦っぽい存在になった【伊勢、日向】、【大淀】と【五十鈴】【多摩】。
駆逐艦は「乙型」「丙型」のみで、ついに艦隊型駆逐艦は全くいない布陣となっています。
しかし護衛を担うのは本来は第二遊撃部隊、いわゆる志摩艦隊でした。
なぜ彼らはおらず、穴埋めに対潜任務中心の第三十一戦隊所属である【五十鈴】らが加わっているのでしょうか。
これも「台湾沖航空戦」が影響していて、志摩艦隊は幻の勝利を受けて「尻尾を巻いて逃げる敵を叩き潰せ」と命令を受けており、どうせ空母に出番はないのだからと空き時間のある志摩艦隊を出撃させていたのです。
志摩艦隊は危機を察して敵の懐に飛び込む前に引き返すことはできましたが、結局志摩艦隊は「レイテ沖海戦」では本分を果たせずに西村艦隊を追いかける形になりました。
19日からレイテ島への艦砲射撃が始まりました。
一刻の猶予もあるまい、19日に【大淀】に幹部が集まり最後の打ち合わせを行い、20日に小沢艦隊は慌ただしく日本を出撃。
【瑞鶴】の手綱を握るのは、15日に少将に昇進したばかりの貝塚艦長です。
艦載機をできるだけかき集めましたが、前述の通り満載には至っておらず、艦隊全体でも116機しか揃えられませんでした。
それに戦闘機は1人乗りですからまぁいいとしても、艦爆艦攻は複数人で操りますから、数が揃えばOKというわけでもありません。
さらには機体の残数から【彗星】乗りを【天山】に乗せたケースもあり、ほんとに無茶苦茶でした。[5-P100]
豊後水道での潜水艦の襲撃はなく、まずは一安心です。
ですが21日には対潜哨戒に出た【天山】が2機そのまま帰ってきませんでした。
最終的には敵に見つからないといけない役割ですが、日本近海で見つかってしまうと台湾沖や中国大陸から襲われて囮になる前に沈んでしまいます。
なので個々では無線を使うことはできませんでした。
22日には小沢艦隊の第一補給部隊、23日に第二補給部隊が奄美大島へ向けて出撃。
そしてここからはわざと敵に知られるように偽電を放ちながら、南西へと進軍を続けます。[5-P124]
22日は補給部隊からではなく大型艦から小型艦への補給が行われています。
しかしこの時マリアナ沖には台風21号が発生しており、艦隊は台風からは離れていたのですが、波は高く小型艦にとっては操艦に苦労する天候でした。
そしてこのうねりが影響し、【大淀】から【桐】と【桑】が予定通りの補給を受けることができませんでした。
特に【桐】は100t補給の予定がわずか30tと圧倒的に少なく、この後のトラブルもあってこの2隻は戦闘前に撤退する羽目となりました。
また【五十鈴】も200tの予定に対して75tの補給しか受けることができず、ギリギリの綱渡りとなっています。
小沢艦隊はその後も鳴り物を鳴らすかのように無意味な無電を放ったり、わざわざ煙突から煙をもくもく出したりして、小沢艦隊は引き続き南西へ進みます。[3-P140]
24日、南西方面艦隊から敵空母の発見が伝えられ、翌日【瑞鶴】から索敵のために発艦した【彗星】も敵艦隊発見の報告を上げてきました。
その距離僅かに180海里。[3-P137]
どういうわけか敵に見つかることなくここまで至り、しかも逆に先に敵を見つけてしまったのです。
ちょうど同じころ、ようやくアメリカも小沢艦隊の出撃を知ります。
しかしそれは小沢艦隊の意図的な発信が気付かれたわけではなく、21日に補給部隊の出撃や行動を記した機密電報の解読が完了した結果、24日に敵艦隊の親玉であるウィリアム・ハルゼー・ジュニア大将の耳に届いたのです。[5-P133]
つまり小沢艦隊が自身を見つけてもらうために必死に行っていた欺瞞行為は、全く敵には届かなかったことになります。
さて、何故か先制できる機会に恵まれた小沢艦隊でしたが、こんな貧弱な部隊で、しかも囮ですから、チャンスは1度しかありません。
こちらが蜂の巣をつつきに行くのですから、その後は確実に敵に見つかります(もう見つかってますが)。
即断した小沢艦隊からはなけなしの艦載機が次々と発艦していきましたが、実際に攻撃に迎えたのは総搭載数の半数近い56機だけ。
突貫訓練しか受けていないパイロットの腕は未熟であり、紹介済みではありますが、ここに至る前に索敵や対潜哨戒に出た機体の未帰還であったり、この出撃の時も発艦の失敗や故障が頻発しており、これが今の全戦力でした。
今回発艦した艦載機にも、空母に戻らすルソン島に向かえと言っています。
しかしこちらが先に見つけたとは言いますが、すでに太平洋戦争で奇襲はできないに等しいです。
第38任務部隊の【米エセックス級航空母艦 エセックス】はレーダーで攻撃隊の襲来を察知し、【F6F】がこれを迎え撃ちます。
今の日本機で【F6F】と対等以上に渡り合いながら爆弾を命中させる事は至難の業で、第38任務部隊はこれを一掃。
被害は至近弾程度しかなく、無理矢理戦果を絞り出すとすれば、先に陸上の第六基地航空部隊の【彗星】が【米インディペンデンス級航空母艦 プリンストン】に爆弾を命中させており、その消火活動を妨害したぐらいでしょうか。[5-P165]
16時41分にはついに敵機が現れましたが、元よりそれが狙い、見つかった以上は敵との距離を取って、向こうが追いかける形を作って時間稼ぎをしないといけませんから(栗田艦隊も反転していたので、このまま突っ込んでも囮になれない)、小沢艦隊は第38任務部隊攻撃後は前衛部隊と分離し、西進、やがて北上していました。
上空に現れた【SB2C】は、1機だけにもかかわらず果敢に攻撃を仕掛けてきました。
【瑞鶴】に向けて急降下爆撃を行った【SB2C】ですが、爆弾は投下できず、【瑞鶴】は被害を受けずに済みました。
この時初めて12cm28連装噴進砲を発射する機会を得、2回発射を行いましたが、発射時の噴煙が凄まじいために他の機銃の邪魔になることから使い勝手はやはり悪かったようです。[5-P170]
【SB2C】が去った1時間後の18時過ぎから、夜になるため直衛の戦闘機の着艦が始まりました。
しかしその直衛の戦闘機ですら、着艦に失敗して海中に墜落し、【桐】と【杉】が回収に回った後、【桐】の燃料不足からこの2隻は先に撤退を始めています。
そして25日の朝を迎えます。
機動部隊に残る【零戦】はわずかに十数機。
稼働する残りの艦載機は全てクラークフィールドへ避難しましたが、この時もまた機体の不具合などで空母に戻ったり着水してしまったりと、トラブルは相変わらず絶えませんでした。
7時頃から続々と敵機発見の報告が入り、29分には自身の電探でもこれを捉え、小沢艦隊は第四警戒陣形に移行します。[5-P206]
戦闘機が上がります、対空戦闘準備が始まります、戦闘旗が掲げられます。
聞けば【大和】達は敵空母と遭遇してこれを撃沈したというではないか。
我らの任務は決して無駄ではない、これが最後の戦いだ、正真正銘最後の戦いだ。
そしていよいよ8時過ぎ、「エンガノ岬沖海戦」が勃発します。
三式弾が炸裂して、空に火焔が広がります。
噴進砲からロケット砲が発射されて、突っ込んでくる敵機の行く手を塞ぎます。
高角砲と機銃の唸りが耳を貫きますが、それを上回る叫び声と敵のプロペラ音、機銃音が空から目の前に迫ってきます。
僅かな戦闘機が敵機に向けて突撃しますが、敵の数は膨大ですからたとえ撃墜しようともそれがどうしたというレベルです。
相対するアメリカ軍は空母11隻、戦艦6隻をはじめとして総勢53隻で機動部隊を殲滅しようとしているのですから、もはや練度がどうこうの話ではありません。
それに【瑞鶴】はアメリカ軍からすると、「真珠湾攻撃」を行った最後の1隻。
対日戦争の標語でもあった「リメンバー パールハーバー」の象徴をここで必ず沈めてやると、目が血走るのも無理はありません。
戦闘開始から1時間ですでに多くの被害が出ており、【秋月】は沈没、【千歳】もこの後に沈没。
【瑞鳳】と【多摩】が損傷し、陣形はあっけなく崩壊しました。
そして【瑞鶴】も、爆弾と魚雷を1発ずつ受け、左舷飛行甲板と機械室が損傷、浸水。
また不発の魚雷1本が左舷にさらに1発命中している可能性があります。[5-P239]
特に被雷の被害は甚大で、左舷の4番発動機付近の被雷は機関関連の設備をことごとく破壊し、スクリューも損傷したことで左舷二軸が使用不可となります。
傾斜も最大で29.5度に達しますが、これは右舷の注水により傾斜は6度まで回復します。
ですが甲板の損傷により着艦は不可能になり、機械室も一部操作不能、浸水量は2,000tを超え、速度も22~24ノットにまで低下します。[3-P141][5-P231][5-P240]
休み休み使わないといけない噴進砲は別として、高角砲と機銃は吠えっぱなしです。
すでに一部の機銃や高角砲は使用不能であったり高射装置の故障などで統制射撃ができません。
敵機が火を噴くか、こちらが血を噴くか。
人に対して12.7mm機銃や20mm機銃が命中したら原形は留まりません。
腕は吹き飛び、顔はなく、そして悲しむ暇もない。
撃て、撃て、ひたすら撃て、死ぬまで撃て、片っ端から撃ちまくれ。
第一波の攻撃が終わり、【瑞鶴】は傾斜の他に舵の故障、そして受信はできるものの送信距離は著しく短くなってしまい、旗艦運用が困難になったことから司令部は【大淀】に移ることになりました。
しかし短艇を降ろしているところに第二波がやってきてしまい、すぐさま皆戦闘配置に戻ります。
この第二波は規模が小さく【瑞鶴】の被害もなかったのですが、陣形が乱れて半ば孤立状態だった【千代田】が被弾し、こちらもやがて漂流してしまいます。
第二波を乗り越えて、今度こそ司令部は【大淀】に移りました。
束の間とは言え2隻はほとんど停止状態になるため、どうか今だけは来てくれるなと皆祈る思いだったに違いありません。
ただこの間、着艦できずに困っていた艦載機が数機(【零戦】と【彗星】?)、燃料切れもあって次々に着水してきました。
少なくとも短艇に救い上げられた1人と、【初月】が救出した8名の生還が確認できていますが、ここでまた敵機が現れたため、全員の救助を行うことはできず何名かはそのまま戦死してしまいます。[5-P266][5-P280]
この司令部移乗に関しては乗員もその思いを隠していません。
なにせ今回の戦いは囮であって死ぬ戦い、みなこの戦いであの世に行くのだと覚悟をして乗り込みました。
ところが艦隊を指揮する立場の人間はその想いだけでは生死を決断できません。
艦隊は生きているのですから、小沢以下司令部が指揮を執り続けるために【大淀】に移ったのは当然と言えます。
しかしそんな事情を知らない【瑞鶴】乗組員は、司令部が【大淀】に移ることは逃げているようにしか見えません。
「俺達を見殺しにするのか」「それが長官のやることか」
無遠慮な罵声を背に受けて、小沢司令長官は【大淀】の中に消えていきました。[5-P269]
司令部が【大淀】に移乗したのがおよそ11時頃。
そして13時頃から第三波が【瑞鶴】に襲い掛かってきました。
航行できる空母は【瑞鶴】と【瑞鳳】のみで、今は直掩機もない丸腰です。
そして暗い雲(雲量5程度)が空を覆い、敵機の視認性はさらに落ちました。[5-P296]
こんな状態で目視照準による反撃の効果は皆無です。
銃撃が再び甲板を襲い、至近弾による水柱の林立、雷跡迫る中【瑞鶴】は重い身体を精一杯振り回すしかありません。
機銃も酷使により銃身が熱で変形したり、傾斜によって旋回俯仰ができなくなったり、どんどん【瑞鶴】の戦闘力は落ちていきます。
熾烈な攻撃で【瑞鶴】は左舷に魚雷4本、右舷に魚雷2本、命中弾5~7発の被害を受けましたが、事前の不燃対策が功を奏したのでしょう、火災の被害は浸水に比べるとマシなものでした。
浸水は雷撃だけでなく爆撃や至近弾の破片によっても引き起こされます。
無数の攻撃を受けた【瑞鶴】が浸水の魔の手から逃れることはできません。
13時21分、傾斜14度。
13時23分、傾斜20度。
左舷側の浸水が酷く、傾斜速度の早さに驚かされます。[5-P312]
すでに左舷高角砲は波に洗われるまでになっていました。
電源は落ち、電話不通で統制不能、舵故障、機関全滅により航行不能、ここに【瑞鶴】の生涯は終焉を迎えようとしていました。
もはや防水消火も不可能。
13時27分、総員発着甲板に上がれ。
貝塚艦長の命令により、続々と甲板に人が集まります。
甲板は悲惨な有様で、遺体や身体の一部が散乱していましたが、傾斜とともにドボンドボンと落ちていきます。
片や落ちないように踏ん張る生存者も、五体満足では決してありません。
手を失い足を失い、大やけどで包帯ぐるぐる巻きの人も大勢います。
傾く甲板は今、生死の境となっています。
敵機はまだ近くにありましたが、彼らは無粋な真似をしませんでした。[5-P346]
貝塚艦長は総員退艦を命令し、風にたなびく軍艦旗が降ろされます。
そしてこの太平洋戦争で奮戦した【瑞鶴】を讃え、万歳三唱ののち、皆次々に海へ飛び込んでいきました。
脱出したからには【瑞鶴】からは少しでも離れなければなりません。
すでに【瑞鶴】は後部甲板が沈み始めていて、近くにいると巻き込まれてしまいます。
やがて【瑞鶴】は艦首をもたげ、鎮魂の鐘の音のようなゴーンという凄まじい音が果てのない太平洋に響き渡り、そして静かに沈んでいきました。[5-P350]
菊の御紋が夕陽を浴びてキラキラと輝き、その姿は誠に美しいものでしたが、同時にまだ甲板に残っていた者たちがたくさん海に投げ飛ばされていくのが目撃されています。
飛び込まないと助からないとはわかっていても、飛び込めない者もいるのです。
14時14分、【瑞鶴】沈没。
生存者は【初月】【若月】、そして【霜月】に救助されますが、まだ戦いは終わりません。
沈没の時に手出しをしなかった敵機ですが、反撃を恐れる必要がなくなったことから、漂流者への機銃掃射が行われてここでも戦死者が出てしまっています。
そして【初月】に救われた者たちも、この後再び孤高の戦場に足を踏み入れ、【瑞鶴】の後を追うことになるのです。
瑞鶴の写真を見る
参考資料(把握しているものに限る)
Wikipedia
[1]海軍技術研究所 著:中川靖造 講談社
[2]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[3]翔鶴型空母 帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦「翔鶴」「瑞鶴」のすべて 歴史群像太平洋戦史シリーズ13 学習研究社
[4]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[5]空母瑞鶴 日米機動部隊最後の戦い 著:神野正美 光人社
[6]空母瑞鶴の南太平洋海戦 軍艦瑞鶴の生涯【戦雲編】 著:森史朗 潮書房光人社