フィリピンを巡る無謀な作戦 屍を超えろ多号作戦
第十八駆逐隊は第一水雷戦隊に所属していて、10月15日に「台湾沖航空戦」のちょっとは報告疑えよってほどの妄想全開戦果の大本営発表を受けて、残存艦を仕留めるために【那智】や【足柄】ら志摩艦隊の一員として出撃。
御存知の通り敵の被害なんてあってないようなものですから、のたうち回っている敵がいるわけがなく、逆に動きが緩慢だったことから袋叩きにされずに済んだまであります。
結局敵機動部隊はピンピンしていることが分かったことで、志摩艦隊は奄美に移動し、そこからついに「レイテ沖海戦」へと突入するわけです。
志摩艦隊は全体の中でも役割が決まるのが遅く、結局西村艦隊と一緒にスリガオ海峡を突破することが決定します。
ですが全体の連携がちぐはぐだったことで西村艦隊は志摩艦隊の到着を待たずに海峡に突入。
敵が無傷でスリガオ海峡の通過を許してくれるわけもなく、西村艦隊は瞬時にほぼ全滅。
志摩艦隊が到着した時には【時雨】だけが健在で、【最上】が低速撤退中、他は沈没か身動きがほとんどとれない状態でした。
そんな中で【那智】は【最上】と衝突、【阿武隈】も被雷して志摩艦隊は西村艦隊以上に何もできずに撤退し、コロンへと逃げ帰りました。
なお、【阿武隈】の被雷、そして沈没により第一水雷戦隊の旗艦は以後【霞】が担うことになります。
コロンへの退避後、「捷一号作戦」と並行して行われていたオルモックへの輸送作戦に従事していた【鬼怒】と【浦波】が空襲を受けたという報告があり、救援のために【不知火】が出撃。
ところが到着したころにはすでに2隻の姿はなく、【不知火】は近くのセミララ島で座礁していた【早霜】の救援に向かいました。
ですが【早霜】の来るなという信号を無視した【不知火】は空襲の新たな餌食となってしまい、ここで【不知火】も沈没してしまいました。
ついに第十八駆逐隊も【霞】1隻のみとなってしまいます。
「捷一号作戦」が失敗した今、レイテ島への輸送が最後の手段でした。
【鬼怒、浦波】が失われたもののこの輸送は成功しており、日本は「多号作戦」を組んでこの輸送に駆逐艦と輸送艦を集中させます。
もちろん【霞】もこの作戦に参加しました。
最初に参加した10月31日出撃の第二次多号作戦は、全9回の多号作戦の中でも護衛艦の数が2番目に多く、また揚陸率も一番高い輸送でした。
さらに陸軍の直掩機も飛んでいたことから、もっとも輸送らしい輸送ができたと言えるでしょう。
【霞】は第二次多号作戦では旗艦となっています。
ただ、全ての輸送艦と一緒に行動したわけではなく、みなオルモックへの揚陸を行ったのですが【第131号輸送艦】と【第6号、9号、10号輸送艦】がそれぞれ別々に出発、到着しています。
またこの作戦は輸送艦は輸送艦のみ、輸送船には【霞】ら護衛がついての輸送となっています。
被害としては【能登丸】が沈没してしまいましたが、それでも他の作戦と比較しても沈没1隻は素晴らしいです(帰投中に【第9号輸送艦】が損傷)。
しかもこの時【霞】は、他艦は引き揚げさせる一方で、司令部がある自身が戦場に残って【能登丸】の生存者救助に当たっており、この辺りは一水戦司令官の木村昌福少将らしいと言えます。
成功理由としては護衛が空海共に備わっていたことに加え、輸送船4隻が全て高速船だったことも挙げられています。
1回の輸送が終わっても全く休まる暇はなく、11月5日にはマニラが大規模な空襲を受けて、これまで幾度となく作戦を共にした【那智】が無残な姿になって沈没してしまい、また【曙】も大破してしまいます。
燃え盛る炎に怯えながらも【霞】は救助のために【曙】に横付けし、また消火活動を支援してなんとか【曙】はこの時は一命をとりとめます。
第四次多号作戦は数字上では4ですが、11月5日のマニラ空襲の影響を受けて第三次輸送部隊の出発が延期となったため、11月8日に先に出撃。
この時も輸送船3隻に対して護衛10隻とがっちり守られていますが、直掩機は「四式戦闘機 疾風」8機だけ。
しかも悪天候の中途中で7機がはぐれてしまい、護衛は吉良勝秋曹長が操る1機だけとなってしまいます。
ですが吉良曹長は現れた【P-38】に対して有利な低空での戦闘に持ち込み、なんと10数機相手に2機を撃墜した上に離脱に成功しています。
とはいえこれは道中の護衛であり、オルモック湾での護衛はこれでなくなってしまいました。
嵐の中を押し進む輸送部隊ですが、オルモック湾手前で空襲を受けます。
機銃掃射を受けたものの被害は多くありませんでしたが、9日の日没後に到着すると、揚陸の頼みの綱であった大発動艇がさっぱり見当たりません。
実は前日の台風で多数の【大発】が損壊したり砂に埋もれたり、さらに第二次輸送の経験から、オルモック湾の警戒を強めたアメリカ軍の空襲で【大発】が破壊されていたのです。
無事な【大発】はたった5隻でした。
さらにオルモックが見えるエリアはアメリカ陸軍の火砲の射程にも入っていたことから、止む無く少し東側のイビルに揚陸地点を変更。
念のため【高津丸】が【大発】を6隻搭載してきたのですが、これも道中の空襲で破壊されてしまい、揚陸作業は困難を極めました。
少数の【大発】に物資が細々と搭載されて往復される一方で、挙句の果てには海防艦を浅瀬ギリギリまで突っ込み、そこから運んだりと苦肉の策で揚陸が続きます。
実は出撃前に木村少将は陸軍に対して【大発】不足の場合の対応を考えておくように要求していました。
それが蓋を開けてみればこのザマで、さらにセブ島の大発部隊もちょっとしか応援に駆けつけていなかったため、この後物資不足に悩むのも仕方のないことでした。
魚雷艇が邪魔をしてくるので護衛艦はそれを追い払い、その間にできる限り輸送は続けられましたが、しかし50隻以上はいるはずだった【大発】が1/10になっているのに輸送が順調に進むわけがありません。
夜通しの揚陸でもやはり重量のある武器や物資の揚陸はほとんど進まず、やがて日が昇り始めます。
このままでは空襲を受けるのは確実です。
こんな有様でしたから上陸した第二十六師団は小銃一丁だけを携えてレイテ島に上陸します。
中国大陸からわざわざレイテまで連れてきた部隊がこの扱いは哀れとしか言いようがありません。
この船団の輸送とは別に、後発で第二次同様に【第6号、9号、10号輸送艦】がオルモックに到着をして第一師団(第二次輸送時の師団)の残員1,000人を揚陸しています。
この3隻が果たしていつ頃オルモックを発ったのかはわからないのですが、本隊より早くマニラに戻っているようです。
輸送を切り上げて急ぎマニラへと帰投を始める第四次輸送部隊でしたが、すでに日は高く、オルモック湾の出口付近で行きと同様に再び空襲を受けます。
【B-25】と【P-38】が船団上空を飛び回り、木村少将にとって悪夢である反跳爆撃が輸送船に向けて繰り広げられました。
この爆撃で【高津丸】が3発、【香椎丸】が5発も直撃弾を受けて炎上し、さらに揚陸できなかった弾薬に引火したことで【香椎丸】は大爆発を起こしました。
やがてこの2隻は沈没してしまいます。
この他に【第11号海防艦】も2発の被弾の末航行不能となり、流されて座礁。
空襲が終わった後に【第13号海防艦】によって砲撃処分されています。
その【第13号海防艦】も被弾しており、また【秋霜】は1番砲塔付近の被弾によって艦首を切断するほどの被害を負います。
それでも沈没は食い止められ、【潮】に護衛されながら前進で撤退を続けました。
【潮、秋霜】と【若月】や海防艦は、損傷するも唯一無事だった【金華丸】を護衛しながらマニラへと急ぎます。
一方【霞】【長波】【朝霜】は脱出の前に沈没した船の救助にあたってから後を追いました。
マニラへ向かう途中、出発が遅れていた第三次輸送部隊と遭遇します。
延期が決まった時、第三次輸送部隊は第四次が戻るまで待ってからの出発と予定されていたのですが、悪天候だったことから空襲を避けるために今のうちに出撃することになったのです。
そして合流の際、南西方面艦隊の命令によって【長波、朝霜、若月】がマニラに戻らず第三次に合流し、逆にここまで第三次を護衛してきた【初春】【竹】が第四次に回ってマニラにとんぼ返りすることになりました。
【長波、朝霜】は救助した者たちを【霞】に移し、今しがた脱出した地獄の門を再びくぐるために反転しました。
【霞】は我々同様航空護衛の少ない中オルモックに突入していく第三次の背中を見つめながらマニラに向かいます。
第二次より第三次のほうが空襲は酷かったことを考えると、彼らの輸送も同等かそれ以上のものになるのは必定。
そしてその通り、第三次の艦船は【朝霜】を除いてすべて沈没するという、「多号作戦」でも断トツの被害を生み出す結果となってしまいました。
帰投後木村少将が「艦隊司令部は毛が三本足りない」とひとりごちたのを、通信参謀だった星野清三郎少佐が聞いています。
よほど憤懣やるかたない気持ちだったのでしょう。
(猿は利口で人間にきわめて近い動物だが、人間に知恵が及ばないのは毛が三本足りないからだ、という意味の諺から)
【霞】はこの作戦をもって「多号作戦」と別れを告げますが、作戦はなおも続行されました。
マニラ帰投後も13日には再び大空襲が遅い、数々の艦船が破壊されていきます。
【霞】が全弾ほぼ撃ち尽くしたこの六波に及ぶ空襲でしたが、【霞】は沈没せずに戦い抜きました。
しかし周辺はここが海上とは思えないほど広範囲で火災が発生しており、消火をする気も失せるほどの猛火に覆われました。
先日沈没から救うことができた【曙】ですが、残念ながら彼女もこの空襲で着底してしまっています。
すでに数度の空襲を受けているマニラにこれ以上留まることは死を意味するため、空襲が去った13日夜に動ける【霞、朝霜、潮、初霜、竹】はブルネイまで避難しました。
遠くなっていくマニラの炎は、この地に置いていかれる怨嗟のように感じました。
15日、復活した第十八駆逐隊は再び解隊され、【霞】は【潮、曙】とともに第七駆逐隊を編成しますが、【潮】は修理が必要、【曙】は前述の通り沈没してしまったので実質【霞】1隻だけとなります。
また20日には一水戦も解隊となり、残された第二水雷戦隊の旗艦に【霞】がつくことになりました。
かつては水雷屋の憧れの的であった二水戦も今や錆びた看板でしかありません。
その二水戦は一水戦の司令官を務めていた木村少将が率いることになり、そして【霞】も同じく一水戦旗艦から二水戦旗艦の座へと移ることになりました。
残存戦力だけで見れば旗艦は【矢矧】が相応しいのですが、この時【矢矧】は本土にいたため主戦場に近いリンガの兵力から旗艦を選ぶ必要がありました。
しかし【榛名】がリンガへ向かう途中に浅瀬で座礁してしまったことで、【霞】は旗艦を一時【潮】に預けて【初霜】とともに救援に向かいます。
【榛名】はもともと速度が落ちていたのですがこの座礁で最大18ノットまでに低下してしまい、たとえ次の作戦があったとしても担える能力ではなくなってしまったので、本土まで回航されることになります。
【霞】と【初霜】は【榛名】を台湾まで護衛し、その後カムラン湾へと向かいました。
護衛中に【米ガトー級潜水艦 カヴァラ】が魚雷を放っていますが、幸い命中することはなく脱することができました。
その後シンガポールから日本に移動中、雷撃を受けてサンジャックまで逃げ延びていた【妙高】を曳航するために【霞】は【初霜】とともに【日栄丸】の護衛から離脱。
18日に合流後曳航にチャレンジしますが、さすがに【霞】だけで【妙高】を引っ張るのは難しい作業であり、危険海域をノロノロと南下するしかありません。
しかも真夜中になると天候も悪くなり、この影響もあって曳航索が切断されてしまい、挙句の果てには【妙高】の艦尾も脱落してしまいます。
これは駄目だと駆逐艦による曳航は断念され、シンガポールからやってきた【羽黒】がその後を継いで曳航を再開。
【羽黒】は【千振】を護衛に連れてきていたので、3隻で重巡2隻を守りながらシンガポールを目指しました。
しかし【霞】はその途上で二水戦からの招集を受けます。
【妙高】の曳航を支援している最中の20日、南西方面艦隊の命令により【霞】は「礼号作戦」に参加するためにカムランに戻ることになったのです。
「礼号作戦」、それはミンドロ島に上陸しているアメリカ軍に対して艦砲射撃を行うという内容でした。