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野分【陽炎型駆逐艦 十五番艦】その2
Nowaki【Kagero-class destroyer】

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許せ舞風、許せ香取 戦艦行軍に成す術なし

【野分】の修理は5ヶ月に及び、8月5日に【武蔵】【雲鷹】などを護衛してトラックに到着して本格的に戦列復帰を果たします。
ところがその翌日の6日、「ベラ湾夜戦」において隠密魚雷を受けた駆逐艦が3隻、一瞬で撃沈されてしまいます。
その被害者が【江風】、そして【嵐、萩風】でした。
第四駆逐隊がこの海戦で一挙半壊してしまったのです。
実は【野分】の復帰の直前に【舞風】も修理が完了していて、この【野分】の復帰をもって、【萩風】離脱後約1年ぶりに第四駆逐隊全艦復帰となった直後の悲劇でした。

その【野分】も、実はすぐに日本に帰ることになります。
【雲鷹】【鳥海】を護衛して【野分】【白露】が12日にトラックを出発、16日に日本に戻ってきました。
ですが27日に再び【雲鷹】【伊良湖】を護衛してトラック入りし、その後は船団護衛任務を行うことになりました。

9月15日、あの悲劇から約1ヶ月後に第四駆逐隊に新しい仲間がやってきました。
【山雲】です。
【山雲】は昭和16年大晦日に機雷に接触して第九駆逐隊から外れた後、ずっと駆逐隊に所属していなかったのですが、ここでようやく駆逐隊に編入されました。
ちなみに【山雲】【萩風】が被弾して日本に戻ってきた際に曳航してくれた艦で、第四駆逐隊と浅からぬ縁もあります。

激戦地へ向かうのではなく、ラバウルやトラックへ向けての輸送を重ねて行うことになった【野分】
しかしこの時すでにラバウルもトラックもアメリカの攻撃圏内に入っていました。
10月20日、丁四号輸送部隊の第三輸送部隊として上海からラバウルへ向かう【粟田丸、日枝丸】を護衛していた【野分、舞風】でしたが、22日に船団の中の【粟田丸】【米タンバー級潜水艦 グレイバック】が放った魚雷3~4本を受けてしまい沈没。
【野分】【舞風】が生存者を救助し、一行は進路をトラックへと変更しました。
この沈没での戦死者は1,300名を数える大被害でした。

いったんトラックで態勢を整え、第三輸送部隊には【山雲、日威丸、神威丸】が加わりました。
そして11月3日に再びラバウルへ向けて出発しますが、ここでも困難が待ち受けていました。
今度は【日枝丸】が雷撃を受けて損傷してしまったのです。
【日枝丸】の損傷は大きくなかったのですが、この後ラバウルは「ラバウル空襲」を受けてとても輸送できる状況ではなくなってしまいました。
そのため第三輸送部隊は今回もラバウル行きを諦めて、トラックに戻ってきました。

三度ラバウルへの輸送を始めたのは、【野分、舞風、山雲】【日枝丸】のみ。
大規模な空襲を受けたことで、駆逐艦3隻で輸送船3隻の護衛はできないという判断でしょう、3対1の編成でラバウルを目指しました。
そして今度こそ輸送に成功し、4隻は無事12日ラバウルに到着したのでした。
ただ残念なことに、この後【日枝丸】はトラックへ向かう途中で雷撃を受け沈没、また今回ラバウルに行かなかった【日威丸、神威丸】もそれぞれ11月中に沈没しており、第三輸送部隊の輸送船は全てこの世を去ってしまいました。

12月に【金剛】【榛名】らを護衛して【野分】は日本に戻りますが、年明けに再びトラックに戻り、そこから輸送船の護送を行いました。
しかし2月12日、トラックに帰ってくると10月から長らく鎮座していた巨大な洋上要塞【武蔵】の姿がありませんでした。
実は【武蔵】達はある虫の知らせにより一足先にトラックから脱出していたのです。
ところがこの虫の知らせははっきりと共有されることはなく、【野分】達は少なくとも彼らより遅く、敵の足音がトラック島に迫っていることを知ります。

16日、【野分】【舞風】らとともに第4215船団を編成し、脱出する民間人を乗せて本土への輸送を行うことになっていました。
ただ【赤城丸】の荷役が遅れたことから出発は翌日に延期されてしまいます。
これが後に数百の命を散らす原因になるとは知らずに。

17日早朝、第4215船団はトラックを出港します。
しかし間もなくしてトラックに無数の羽音が響き渡り、「トラック島空襲」が始まりました。
第一波こそ掻い潜りましたが、第一波で済むほど甘くないわけで、脱出してきた船団はもちろん逃すまいと攻撃の対象になってしまいます。
続く第二波からの空襲で、次々と爆弾が3隻に向けて投下されていきます。

この空襲で【赤城丸】は3発以上もの直撃弾を浴びてしまい、大炎上の末にに沈没。
さらに5発の被弾が記録されている【香取】も、大火災に巻き込まれていました。
そして盟友【舞風】もまた、大量の至近弾で痛めつけられた後に直撃弾1発が甲板を貫通して動けなくなってしまいます。
【舞風】の被弾はアメリカの報告ではもう数発あるようです。

1人【野分】だけが機銃と爆撃の嵐を掻い潜り、航行不能の【舞風】【野分】に助けを求めます。
第四駆逐隊司令の磯久研磨大佐【舞風】に乗艦していたため、救助だけでなく指揮維持のためにも【野分】【舞風】に近づかなければなりません。
ですが【野分】自身は幸運にも被弾はありませんでしたが、蟻地獄の中で這い回っていることには変わりありません。
どれだけ【舞風】に手を差し伸べようとしても、その先には鉄の怪鳥が立ち塞がるのです。

事態はさらに悪化します。
舐めプも余裕な状況になったことで、わざわざ【米アイオワ級戦艦 アイオワ、ニュージャージー】がノッシノッシと出向いてきたのです。
もちろんお付きの巡洋艦や駆逐艦もセットで。
レイモンド・スプルーアンス大将(昇格したばかり)の命令で空襲こそ収まりましたが、今度は旧来からの王道である砲撃戦に持ち込まれます。
【野分】は空襲が収まったので急いで【舞風】のもとに駆け寄りたいのですが、【舞風】の周辺には今度は砲弾が次々に撃ち込まれました。
また【野分】に対しても、戦艦と駆逐艦の追走が始まりました。

命中せずともかなり精度の高い砲撃が【舞風】に、そして未だに動き続ける【野分】に向けても放たれます。
駆逐艦が戦艦砲なんて受けたらそれだけで船が爆発しかねません。
【野分】を追いかける駆逐艦と、【舞風】の周辺に林立する水柱を前に、ついに【野分】は舳先を離脱の方向へと向けたのです。
魚雷すら放つ余裕もなく、【野分】は多くの友の命を前にして涙ながらに全速力で逃走しました。
【舞風】【香取】はこの後徹底的に蹂躙され、そしてトラックは壊滅しました。

8時間の死闘の末に弾は何から何まで撃ち尽くし、死に物狂いの動きで燃料はギリギリの状態で、【野分】はサイパンまで落ち延びます。
そこには【野分】よりも数日前にトラックを出発していた【山雲】の姿がありました。
ピンピンしていた【山雲】からしてみれば、やってきた僚艦が銃弾の穴だらけだったのでとても驚いたことでしょう。
それでもこの状態で【野分】は戦死者が僅か1名と、奇跡的な生還でした。

【野分】【山雲】【浅香丸】を護衛して横須賀に帰ります。
【野分】は通信手段がなかったため、現地では沈んだものだと思われていたようです。
あれだけの死線を突破しながらも、甚大な損傷がなかった【野分】は、日本に戻ってから1ヶ月もしないうちに次の任務に就きます。
今度は松輸送という、サイパンへ向かう船団の護衛でした。
【野分】が編成されたのは東松二号輸送です。

この出撃の前に、【野分】は第十一水雷戦隊の指揮下に入っています。
東松二号輸送の旗艦が第十一水雷戦隊旗艦の【龍田】だったことが要因でしょう。
そして東松二号輸送は輸送船12隻というかなりの規模のものでした。

しかし東松二号輸送でも【野分】は試練に直面します。
船団は八丈島沖で悪天候に見舞われ、隊列が維持できなくなってしまいました。
寄せ集めの船団だったことから連携不足であり、一度崩れると回復させることが難しく、そんな中オタオタする船団へ向けて6本の白い線がサーっと走ってきました。
言うまでもなく魚雷です。
放ったのは【米バラオ級潜水艦 サンドランス】
この魚雷が船団に襲いかりました。

放った6本の魚雷のうち1本が【国陽丸】に命中し、さらに1本が【龍田】にも命中します。
【国陽丸】の被害は酷く、被雷から1時間もしないうちに沈没。
一方【龍田】は持ちこたえていたのですが、浸水を食い止めることができずにじわじわと命が削られてしまいます。
結局【龍田】は12時間後に沈没してしまいました。
この時船団には航空支援もついていて、【野分】はこれと協力して【サンドランス】に膨大な爆雷攻撃を仕掛けましたが、残念ながら【サンドランス】はこれを耐えきっています。

【龍田】沈没によって旗艦は【野分】となり、一部の船は日本に戻りましたが東松二号輸送は輸送を継続することになります。
19日に船団はサイパンに到着、その後【野分】は復路でも旗艦となって4月1日に横須賀に戻っています。
到着の前日である3月31日には【満潮】が新たに第四駆逐隊に加わりました。

ただこのサイパンという場所、かつてのラバウルやトラック同様、今や危機的な状況でした。
敵の刃はすでにサイパンの喉元に突き付けられており、日本は反転攻勢をするために一大海戦を決意します。
【大和、武蔵】は当然のこと、「翔鶴型」、新造空母【大鳳】などがずらりとタウイタウイ泊地に集結し、「あ号作戦」決行の時を待っていました。

ところがタウイタウイはフィリピンの南西にあることから、潜水艦が通商破壊のためにもよく行動していた海域でした。
湾外に出ると餌食になってしまうから空母は閉じこもりっぱなしで訓練も難しく、その潜水艦を探しに行くと返り討ちにあったりと散々な有様。
4日連続で駆逐艦が沈められるなど、完全に主導権を握られてしまいます。

ビアク島攻略のための「第三次渾作戦」のメンバーにも選ばれていた【野分】ですが、結局アメリカがサイパンに上陸を始めてしまったことでこの作戦は中止となり、6月19日の「マリアナ沖海戦」へと戦況は移っていきます。
第四駆逐隊は【飛鷹】【隼鷹】【龍鳳】というた後方の空母護衛に就きましたが、主力の攻撃隊は敵の対空陣形に一網打尽にされ、一方空母群は【翔鶴】【大鳳】が潜水艦の雷撃が原因で沈没。
翌日には撤退するところに追い打ちをかけられ、【野分】達が護衛していた【飛鷹】が空襲を受けて炎上、航行不能となりました。
【長門】が曳航を試みるも曳航索が切れてしまい、消火ポンプも故障して火災を沈める術も失った【飛鷹】もここで沈没し、一挙に3隻の空母を失ってしまいました。

「マリアナ沖海戦」での大敗により、「サイパンの戦い」も当然日本の敗北となります。
マニラ、フィリピン、シンガポール、台湾、小笠原諸島、硫黄島、そして大日本帝国。
連合軍はいよいよ日本本土への直接攻撃を現実的なものにしたのです。

昭和19年/1944年8月20日時点の兵裁
主 砲50口径12.7cm連装砲 2基4門
魚 雷61cm四連装魚雷発射管 2基8門
機 銃25mm三連装機銃 4基12挺
25mm連装機銃 1基2挺
25mm単装機銃 12基12挺
13mm単装機銃 2基2挺
単装機銃取付座 1基
電 探22号対水上電探 1基
13号対空電探 1基

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年

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四駆壊滅 再編後も共にレイテで死を迎える

10月、戦いの舞台はフィリピンにまで押し戻されました。
「台湾沖航空戦」により貴重な航空戦力がさらにすりつぶされ、そして20日には連合軍がレイテ島への上陸を開始。
前後して日本も各所から部隊がします。
第四駆逐隊は「マリアナ沖海戦」後に【朝雲】が加わっていて、この4隻はともに最短ながらも最も危険なルートであるスリガオ海峡を突破する西村艦隊に所属していました。
お荷物戦艦だった【扶桑】【山城】を筆頭に、【最上】と第四駆逐隊がフィリピンの群島をかき分けて進む西村艦隊
一方でルソン島の南を経由して、少し大回りしながらもレイチを目指す第一遊撃部隊、通称栗田艦隊がこのレイテ突入の本隊でした。

実は本来はスリガオルートというのは想定されていませんでした。
艦隊がブルネイに到着した時には予定されていた油槽船がおらず、補給に大きな問題が出てしまいます。
ここで栗田健男中将は危うさを感じて、独断で【雄鳳丸】【八紘丸】をシンガポールからブルネイまで呼びつけていました。
この時にこの2隻を護衛するために、ブルネイから【野分】【満潮】が派遣されています。

21日に【雄鳳丸】【八紘丸】が到着したことで急遽補給を行いましたが、この混乱と、突入までの時間がすでに当初の計画よりも数日遅れていることから、急遽航行距離の短縮の結果、超危険なスリガオ海峡を突破することになったのです。
こうなると西村艦隊には航続距離の短い船が集まるわけですが、しかし1隻、【野分】だけが「陽炎型」で他の駆逐艦と比べても長距離の航行が可能でした。
一方で栗田艦隊には【時雨】だけが短いため、この関係で第四駆逐隊から【野分】だけが栗田艦隊に移り、代わりに西村艦隊【時雨】が編入されたというわけです。

第四駆逐隊から1人離れることになり、【金剛、榛名】がいる第二部隊の一員となった【野分】
【野分】は、3隻編成だった第二駆逐隊から1隻第二部隊に回ってきた【清霜】と臨時で第三隊を組むことになりました。

まず栗田艦隊は道中でも最大の難所ともいえるであろうパラワン水道に入っていきました。
これもまた、ここを回避するとレイテ到着がさらに遅れるからという苦肉のルートでした。
潜水艦が確実に待ち伏せしていた海域で、艦隊は最大の厳重警戒体制で地雷原を通過していきます。

しかし日本の警戒なんてアメリカからしたら屁のつっぱりでしかなく、【米ガトー級潜水艦 ダーター、デイス】がぐんぐん接近して見事に【愛宕、摩耶】を撃沈、【高雄】を再起不能に陥れます。
もともと不安いっぱいだったこの作戦で早速出鼻をくじかれたわけですが、その後の「シブヤン海海戦」では際限なくやってくる航空機から爆撃と雷撃で翻弄されます。
その中でも一際【武蔵】への攻撃は苛烈を極め、あれだけの巨体と頑丈さを併せ持つ世界最大の戦艦がついに1隻沈没してしまいました。
実用性随一の「高雄型」と、攻撃力圧倒的1位の【武蔵】
海軍戦力の宝を失ってもなお、栗田艦隊は進むしかありません。
そして25日、島の隙間を抜けてサマール沖に到着した栗田艦隊の前には、大きな大きな人参がぶら下がっていたのです。

栗田艦隊の前に現れたのは、貧弱な護衛空母とそれを守る駆逐艦、通称タフィ3と呼ばれる部隊でした。
しかし栗田艦隊は空母許すまじという思いに溢れすぎて、この小さな空母たちをこれまで我が軍を蹂躙し続けた悪魔の正規空母群と勘違い。
その艦首、主砲は全て彼奴らの首を狩らんと動き出し、「サマール沖海戦」が始まりました。
この作戦前、もし眼前に敵主力部隊が現れたらこちらの攻撃を優先してよいかという問いに対して連合艦隊の承諾があったため、栗田艦隊は幻惑のハルゼー部隊に突撃してしまいました。

相手が正規空母だと判断したため、戦艦では到底追いつけませんから、戦艦たちの主砲は早くも唸りを上げます。
逆に足はあるものの砲撃も魚雷も射程からから遠く離れる駆逐艦の攻撃の機会は暫く先で、まずは巡洋艦が先頭を突っ走る形になりました。

一方でタフィ3は超絶劣勢なわけですから死に物狂いです。
小さな甲板から出せるだけ艦載機を飛ばし、また勇猛果敢に駆逐艦たちが栗田艦隊の前に立ちふさがりました。

砲撃力は圧倒的に勝っているとは言っても、こちらに航空支援はありません。
護衛空母からの空襲は決して見過ごせるものではなく、【鈴谷】は至近弾を起因とする誘爆で沈み、また【筑摩】も艦尾の被雷により落伍し、こちらも空襲の果てに沈んでしまいます。
日本側は【米カサブランカ級護衛空母 ガンビア・ベイ】【米フレッチャー級駆逐艦 ホーエル、ジョンストン】【米サミュエル・B・ロバーツ級護衛駆逐艦 サミュエル・B・ロバーツ】を仕留めはしましたが、敵が正規空母でもなんでもないのにこちらは先の2隻以外にも沈没損傷艦多数であり、「サマール沖海戦」においても日本は全く勝てませんでした。
栗田艦隊は落伍、航行不能となった【筑摩】の救助に【雪風】を向かわせましたが、途中で撤回し【野分】にこの役目を引き継ぎます。

【野分】は痛々しい姿となった【筑摩】に近づき、生存者の救助にあたりますが、当時の乗員の数は不明なものの、救助できた人数は100名を多少上回る程度で、正規の乗員と言われる869名と比較するとかなりの少なさです。
【野分】は救助を終えると【筑摩】を雷撃処分し、ここまで来て何故か反転撤退してしまった本隊との合流を目指して北上します。
ところがこの【筑摩】の生存者救助は、結果だけ見れば【野分】の乗員をもそっくりそのまま地獄に引きずり込んでしまうのです。

単艦撤退する【野分】がサマール島突端のサンベルナルジノ海峡に差し掛かったところで、小沢艦隊が誘引していた第38任務部隊の第2郡の高速戦艦部隊に発見されてしまいます。
この第2郡の顔は【ニュージャージー】【アイオワ】
あの「トラック島空襲」で我が友【舞風】を亡き者にした奴らです。

【野分】はまたしても現れた高速戦艦を前にもちろん速度を上げて逃走を始めましたが、そもそもここまでかなり無茶して走り続けてきましたし、さらにはレーダーと巡洋艦の射程からはそんなすぐには離脱できません。
3隻の「クリーブランド級軽巡洋艦」からの砲撃は正確かつ速射性に優れ、【野分】は瞬く間に被弾、その後は駆逐艦からの砲撃も加わって【野分】の機関はついに停止してしまいます。

最後は【米フレッチャー級駆逐艦 オーエン】もしくは【ミラー】の魚雷を受け、【野分】は沈没。
この攻撃で【野分】の乗員は【筑摩】救助者ろとも一人残らず戦死してしまい、【野分】の最期はアメリカ側の記録でのみ知ることができます。
第四駆逐隊は【野分】が25日に沈み、また残る3隻も「スリガオ海峡海戦」で非業の死を遂げました。

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