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飛龍【航空母艦】
Hiryu【aircraft carrier】

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起工日 昭和11年/1936年7月8日
進水日 昭和12年/1937年11月16日
竣工日 昭和14年/1939年7月5日
退役日
(沈没)
昭和17年/1942年6月6日
(ミッドウェー海戦)
建 造 横須賀海軍工廠
基準排水量 17,300t
全 長 227.35m
垂線間幅 22.32m
最大速度 34.6ノット
航続距離 18ノット:7,670海里
馬 力 153,000馬力

装 備 一 覧

昭和14年/1939年(竣工時)
搭載数 艦上戦闘機/12機
艦上攻撃機/9機
艦上爆撃機/27機
艦上偵察機/9機
補用機/16機
格納庫・昇降機数 格納庫:3ヶ所
昇降機:2機
備砲・機銃 40口径12.7cm連装高角砲 6基12門
25mm三連装機銃 7基21挺
25mm連装機銃 5基10挺
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 8基
艦本式ギアード・タービン 4基4軸
飛行甲板 長216.9×幅27.0
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

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建造途中で大型化 妹から一人っ子の飛龍

「ワシントン海軍軍縮条約」によって、【赤城】【加賀】が戦艦から空母へと改造されてからおよそ7年。
日本には当時、上記の2隻の他に【鳳翔】【龍驤】の計4隻が在籍していました。
条約で決められた保有制限の81,000tからこの4隻の総基準排水量を差し引くと12,630t。
そのうちの【鳳翔】は艦齢が16年に迫っており、廃艦を予定していました。
その分の8,370tを上乗せすると、およそ21,000tまで空母を建造することができる状態でした。

【飛龍】は本来、「蒼龍型航空母艦」の二番艦として建造される予定でした。
しかし、【蒼龍】の建造中、「友鶴事件」「第四艦隊事件」が立て続けに発生し、これまでの艦構造の抜本的な見直しが急遽図られることになりました。
これにより【龍驤】の経験を活かした設計となっている【蒼龍】の設計にも大きくメスが入ることになり、建造のスケジュールが大幅に乱れます。
5門の15.5cm砲は全撤廃、全長が10m以上短縮、搭載数も(もともと無茶苦茶な)計画70機が57機へ減少し、構造物もかなり小型化が図られました。
これにより、中型で大型並みの空母という目論見は潰えたものの、【蒼龍】は中型空母の礎を築くことになります。

そして再設計と建造再開の間に、日本は「ロンドン海軍軍縮条約」の脱退を決断し、さらに「ワシントン海軍軍縮条約」の失効の時期とも重なったため、制約から一気に解放されます。
それに伴い、【飛龍】も日本が造りたいように造ることができるようになりました。
なので、【飛龍】「蒼龍型」ではなく、独立した新しい空母として計画・起工されます。

【飛龍】【蒼龍】で妥協された飛行甲板の延長と装甲強度の向上がなされています。
さらに重量減のために不十分な技術でも使わざるを得なかった電気溶接をやめて全箇所鋲打ちとし、【蒼龍】で下げすぎた乾舷を適切な高さまで再設定。
これにより凌波性を向上させ、また全体的な耐波性、船体強度を高めるために鋼板などを厚くするのではなく配置を改めることで対応しました。
最終的な重量は【蒼龍】より1,400トン増えてしまいましたが、それでも最高速度は【蒼龍】よりもちょっとだけ速く、航続距離も【蒼龍】より10海里減の18ノット=7,670海里程度で抑えることができています。

【飛龍】の特徴としては、【赤城】同様の艦橋の左舷配置です。
艦橋の位置が左舷になったのは、【赤城】と同じ理由で、バランス感の向上などがありますが、しかしこれもまた同じような現象が発生しています(気流の乱れ、圧迫感等)。
【赤城】の艦橋が左舷に設置されたのは、三段式甲板を撤去した改装工事のタイミング、つまり昭和13年/1938年8月末だったのですが、この時すでに【飛龍】は進水してから1年近く経過していたため、【赤城】運用で明らかになった不満を【飛龍】では活かすことができなかったのです。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

その点こそ不評でしたが、他は全体的に【蒼龍】のグレードアップ版であったため、非常に良好な形で竣工しました。
当時の世界の中型空母といえば、【米空母 ヨークタウン、レンジャー】【英空母 アークロイヤル】がいますが、【蒼龍、飛龍】もこの3隻と並んで甲乙つけがたい性能を誇っています。
このあたりの比較は見ていてとても楽しいので、ぜひ比べてみてください。
そして【飛龍】の建造は後の空母建造に大いに貢献し、「翔鶴型航空母艦」で確立し、「雲龍型航空母艦」で量産型空母(というかほぼ「飛龍型」)となっています。

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集 第一巻解説』潮書房

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

公試中の【飛龍】

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全機今ヨリ発進、敵空母ヲ撃滅セントス

山口多聞少将率いる第二航空戦隊の旗艦を【蒼龍】から引き継いだ【飛龍】(第二航空戦隊の旗艦はコロコロ変わります)は、【赤城、加賀、蒼龍】とともに第一航空艦隊を編制し、各地で大活躍を収めます。
開戦の号砲を鳴らした「真珠湾攻撃」では、当初航続距離の面から不参加になりそうだった【赤城、蒼龍、飛龍】山口少将が押し切り、軍規を超過する燃料を搭載することで参加にこぎつけています。
山口少将はこの「真珠湾攻撃」への参加者を決死隊とし、全員に日の丸鉢巻をさせていたことからも、いかに山口少将がこの作戦に覚悟を持っていたかが伺えます。

「真珠湾攻撃」で多数の艦船を撃破撃沈させた【飛龍】は、大歓喜の声を上げながら本土への凱旋帰国をする予定でしたが、一方で歓喜の声どころか悲痛な叫びを上げている戦場がありました。
「ウェーク島の戦い」です。
楽勝かと思われていた同島の制圧ですが、予想外の抵抗によって【疾風】【如月】の2隻が沈められるという事態に陥り、さらに未だに攻勢をかけきれていない状況が続いていました。
初陣の華々しい戦果に泥を塗る訳には行かず、第二航空戦隊はこの戦いに参戦することになります。

12月21~23日の波状攻撃によってようやくアメリカも降伏。
この後も勝利が続き、日本はどんどん南進していきます。

4月9日の「セイロン沖海戦」では日本の空母建造に大きな影響をもたらした【英空母 ハーミーズ】を撃沈し、第二航空戦隊の活躍は留まることを知りません。
しかしこの「セイロン沖海戦」後、艦長の加来止男大佐は艦上攻撃機の魚雷⇔爆弾の換装に要する時間を計算する実験を行っています。
結果はいずれも爆弾→魚雷よりも魚雷→爆弾のほうが30分~1時間遅く、この結果は第一航空艦隊司令長官だった南雲忠一中将に報告されています。
果たしてこの報告が海軍のさらなる快進撃を支えるものになったのかどうかは、言わずともいいでしょう。

6月8日、「ミッドウェー海戦」勃発。
米軍飛来までの流れは省略しますが、徹底した準備を積み重ねたアメリカの総攻撃により、日本は完全に後手に回ります。
偵察による報告を受けて爆弾を搭載していた艦上攻撃機は再び魚雷へ換装をすることになり、ここで失われたのが先の加来艦長が示した所要時間の差です。
果たしてここで魚雷が搭載されていたままなら、爆弾のまま出撃していたならという空想にふけるのもいいですが、この場合、まず迎撃体制が整っていない時点で少なくとも日本軍の被害に大きな違いはなかったでしょう。

【加賀】【蒼龍】が相次いで被弾炎上、まもなく【赤城】からも火の手が上がり、戦場でまともに航行できるのは【飛龍】ただ1隻となりました。
3隻と距離をとり、乗艦していた山口少将は、

「飛龍を除く三艦は被害を受け、とくに蒼龍は激しく炎上中である。帝国の栄光のため戦いを続けるのは、一に飛龍にかかっている」

と宣言し、この苦難を乗り切るのは【飛龍】の奮闘が全てであることを乗員に伝えています。
反撃に出た【飛龍】は艦爆隊隊長の小林道雄大尉、艦攻隊隊長の友永丈市大尉の指揮により、【ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】を標的とし、二度に渡る攻撃で遂に【ヨークタウン】を航行不能まで追い込みます。

【飛龍】の攻撃隊が【ヨークタウン】に襲い掛かる

最終的には【潜水艦 伊168号】【ヨークタウン】とそれの護衛・復旧に携わっていた【シムス級駆逐艦 ハムマン】を撃沈する戦果をあげています。
しかし小林友永両大尉はともに撃墜され戦死。
【飛龍】艦載機の損耗も激しく、この時点で他3隻の空母所属の艦載機を含めて【零戦】10機、【九九式艦上爆撃機】5機、【九七式艦上攻撃機】4機しか残っていませんでした。
護衛艦として【榛名】【霧島】【利根】【筑摩】【長良】がつき、再攻撃は夕暮れ時に行われることになります。

アメリカはその時を待ってはくれませんでした。
偵察ですでに【飛龍】の位置を把握していたアメリカは、【ヨークタウン級空母 エンタープライズ、ホーネット】から爆撃機を飛ばします。
唯一健在だった【飛龍】を襲い、ついに【飛龍】は航行不能寸前に陥りました。
この攻撃にもかかわらず機関は無事だったものの、その事実を知ることができなかった加来艦長は退艦命令を下します。

孤軍奮闘の末、炎上する【飛龍】

最後は【巻雲】の魚雷によって雷撃処分され、加来艦長山口少将とともに【飛龍】に残りました。
山口少将山本五十六連合艦隊司令長官の後継者とも言われており、またその実力はアメリカも認めていました。
人を失うことの恐ろしさもまた、この海戦によって日本に突きつけられるのです。

数時間後、【鳳翔】から飛び立った【九六式艦上攻撃機】が未だに浮かんでいる【飛龍】を発見。
これを受け、日本は急遽【谷風】に人員救助と確実な雷撃処分を命じます。
しかし未だしつこく警戒を続けていたアメリカの艦載機によって行く手を阻まれ、被害こそ受けなかったものの、【谷風】が報告を受けた地点に到達したときにはすでに【飛龍】の姿はありませんでした。

世界から畏怖された大日本帝国海軍の第一航空艦隊。
一夜にして永遠の眠りにつき、ここからアメリカと【翔鶴】【瑞鶴】率いる新生第一航空艦隊との戦いが幕を開けるのです。

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