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瑞鶴【翔鶴型航空母艦 二番艦】その2
Zuikaku【Shokaku-class aircraft carrier Second】

記事内に広告が含まれています。
  1. 珊瑚海での姉大破 MI作戦出撃できず
  2. 死闘となった南太平洋海戦 容赦をするな死に怯むな
  3. 姉も失い意気消沈 太平洋戦争の趨勢決す
  4. 錆び付いた一航戦 看板掲げて敵を引き付け、乾坤一擲に全てを託す
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。


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死闘となった南太平洋海戦 容赦をするな死に怯むな

カウンターで大ダメージを受けた日本に怯んでいる暇はありませんが、人事や研究は「ミッドウェー海戦」の敗北もあってかなりゴタゴタしています。
特に誰の責任かを問うことにつながる調査は徹底してやらせず、もうこの時点で相当組織のダメな感じが浮き彫りになっています。

人事だと、【瑞鶴】にはあの源田実中佐が飛行長としてやってきます。
【赤城】にいる時は艦隊の航空参謀であり、飛行機乗りの羨望を集める源田実が飛行長という地位に落ちてきたわけです。
少し前まで直属の上官であった南雲忠一中将(艦隊司令長官)草鹿龍之介少将(参謀長)が、新編された第三艦隊の旗艦である【瑞鶴】に乗り込んでくるわけですから、ずいぶん距離が遠くなったものです(【翔鶴】の修理が終わると旗艦は【翔鶴】に変更)。

とはいえスーパースターでもある源田中佐が乗艦しているとあれば、艦内の士気は上がります。
しかし一方で「ミッドウェー海戦」生還者が2隻の空母に移るという事で、彼らはそのショックからなのか復讐心からなのか、少々粗暴で扱いに困ったようです。[6-P130]

加えてこれから初めて空母に乗る連中は、戦争経験組との練度差が大きすぎて、その穴埋めのために基礎的な訓練は省かざるを得ませんでした。[6-P140]
しかし急速錬成は言うまでもなく危険を伴い、それが艦載機運用であればなおさらです。
8月1日には発艦訓練時に【龍驤】【零式艦上戦闘機】がそのまま上昇できずに落下してしまい、パイロットが殉職しています。[6-P168]
着艦でなく発艦でこれですから、こうなると旧一、二航戦と旧五航戦の差なんて可愛いものです。

ハード面では、空母4隻の末路を目の当たりにしたことで海軍は防火への執念を見せるようになり、泡沫消火装置を筆頭に、可燃物の撤去や塗料はがしが進められました。
甲板は黒く染まり、あちこちに防火塗料が塗られ、家具類はみるみるうちに少なくなり、船というか機械の中に閉じ込められたような空間でした。

そんなことをしているうちに戦争は次の局面、すなわち「ガダルカナル島の戦い」に移行していました。
【瑞鶴、翔鶴】【隼鷹】を加えた3隻の空母は、8月24日の「第二次ソロモン海戦」で日本の空母の歴史を支えてきた【龍驤】を失い、一方でアメリカは【ヨークタウン級空母 エンタープライズ】が撤退させられています。
攻撃を繰り出したのは第一次攻撃隊で、【エンタープライズ】には3発の爆弾が命中していますが、その被害は現地ですべて修復されてしまいます。

敵を見つけることができなかった第二次攻撃隊のうち、第二艦爆隊(中隊長石丸豊大尉)は燃料枯渇ギリギリまで捜索をしたため、どうか出撃した時と同じ線上に【瑞鶴】が残っていることを願いながら必死に飛び続けます。
同時に、無線かモールス信号かはわからなかったのですが【瑞鶴】にも状況を報告すると、艦長の野元為輝大佐【翔鶴】と共に隊を離れて彼らを迎えに南下し始めました。
結果、着艦に失敗した機体もありましたが無事に第二艦爆隊は【瑞鶴】に帰還することができました。[3-P178]

しかし艦載機の被害は甚大でした。
第一次攻撃隊の被害は凄まじく、特に【九九式艦爆】は9機中8機が返ってこなかったのです。
第二次攻撃隊は敵を発見できず、さらに直掩機に対して突然対空射撃を始めてしまうお粗末さ(しかも複数の分隊長が揃って命令)もあり、単に負けただけではない大きな穴を見せつけられた海戦でした。[6-P313]

一度トラックに引っ込んだ【瑞鶴】ですが、「ガダルカナル島の戦い」で陸軍が一向に成果を出していないことに焦りを感じた日本は、陸軍の総攻撃に合わせて再び機動部隊を出撃させることが決まります。
しかし貧相な装備でヘンダーソン飛行場に飛び込むしかない無謀な作戦だったので予定はしょっちゅう変更され、【瑞鶴】達もなかなか戦地に侵入することができません。
25日はヘンダーソン飛行場への爆撃に成功し、敵艦の脱出を防ぐために水雷戦隊も出動。
一方で26日未明には【瑞鶴】が完全に虚を突かれて【PBY】の爆撃を受けますが、幸いこれは命中していません。
情報戦で後れを取っている中、日の出後に雌雄を決する「南太平洋海戦」が始まりました。

早朝に発艦した索敵機は、敵の位置を誤って伝えるというミスがあったもののちゃんと空母を発見します。
それを受けて【翔鶴、瑞鶴】は午前5時30分から第一次攻撃隊の発艦を開始。
この後も【翔鶴】は敵の攻撃を受ける前に第二次攻撃隊も発艦させて、かつ第一次の攻撃の傷が癒える前に止めを刺さねばと、とにかく発艦準備を急がせました。
ところが司令部のない【瑞鶴】は背景のわからない命令だけを受けても切迫感に欠け、【翔鶴】と同じ速度での第二次攻撃隊発艦準備ができませんでした。

さらにこの時点で【瑞鶴】にはまだ21号対空電探は搭載されておらず、電探を持つ【翔鶴】の情報が頼りでした。
なので【翔鶴】が電探で敵を発見し、発艦急げと【瑞鶴】に催促をしてきても、事情がよく分からない【瑞鶴】は冷静に準備をすますことができたと野元艦長は述べています。[2-P59]

艦長はこんな調子ではありましたが、風上に向かって移動していた【瑞鶴】【翔鶴】とは20,000mも離れていたことが、【瑞鶴】にとっては幸運となりました。
【翔鶴】の電探が捉えたのは間違いなく敵機の群れだったのですが、その攻撃は先に目に入った【翔鶴】に集中してしまい、【翔鶴】からしてみれば援護や分散がなく被害が集中してしまう結果となってしまいます。

【翔鶴】がいなくなってしまったので、攻撃の中心は【瑞鶴】になります。
第二次攻撃隊の戦果は芳しくなく、大きな犠牲を払って放った魚雷は【米ポートランド級重巡洋艦 ポートランド】に3本命中したのにすべて不発などいいとこなしでした。[6-P596]
【瑞鶴】の甲板には被弾した帰還機がまだ残っているので、第三次攻撃隊発艦や他空母所属の艦載機の着艦の邪魔だという事から、中破以上の機体はどんどん捨てていきます。
第三次攻撃隊は護衛含めてたった13機でした。
貴重な機体は容赦なく捨てられ、そして先ほど飛び立った機体は戻ってこない。
帰ってきたとしてもコックピットは血まみれで、希望もあったものではない。

しかし第三次攻撃隊の爆撃は【ホーネット】の止めとなりました。
直撃弾1発、至近弾5発により【ホーネット】の傾斜は20度に達し、ついにアメリカも自沈処分という決断を下すに至ったのです。
ちなみに第三次攻撃隊は全機無事に帰還しています。

母艦は無事だった【瑞鶴】ではありますが、機体と搭乗員はかなりの被害を負っています。
この「第二次ソロモン海戦」「南太平洋海戦」で、日本は稼働する米空母すべてにダメージを与え航行不能、及び撃沈させ、これ以上ない結果をもたらしています。

この海戦でのダメージは日本も相当なもので、この戦いを境に、日本は目に見えて劣勢に立たされていきます。
航空機の増産は一向に進まず、新機体も待てど暮らせど現れず、育成に時間のかかる凄腕パイロットは誕生せず、開戦前の財産は昭和17年/1942年末の段階で多くを喪失していたのです。

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姉も失い意気消沈 太平洋戦争の趨勢決す

日本に戻っていた【瑞鶴】は、11月にようやく姉に続いて21号電探を装備。
12月31日の大晦日、【瑞鶴】はこの巨体にもかかわらず輸送任務を受けることになります。
12月12日に【龍鳳】【米ガトー級潜水艦 ドラム】の魚雷を受けて中破してしまい、輸送任務ができなくなってしまったのでお鉢が回ってきたのです。
1月4日に護衛の駆逐艦とともにトラック島に到着し、7日には【陸奥】らと呉へ帰投。
しかし14日に到着して18日には再びトラック島へとんぼ返り。
ガダルカナル島からの撤退が決定し、その支援のための出撃でした。

昭和18年/1943年に入ると、船の活動もめっきり鳴りを潜めます。
原因は燃料の不足です。
いくら強大な艦船を充実させようとも、全ては石油がなければ動かせません。
5月頃にはたった30万トンしか日本に燃料がなかったようで、こんな量だと機動部隊が伴う作戦だと半分以上簡単に使ってしまいます。
こんな状況でも【瑞鶴】はその少ない燃料を使って働いてもらうしかありません、なにせ【翔鶴】【瑞鶴】しか主力級の空母はいないのです。
空襲が激化しているソロモン諸島の支援のために【瑞鶴】はトラック島へ向かいます。

昭和18年/1943年11月、「ろ号作戦」
アメリカがブーゲンビル島に上陸し、いよいよ日本の重要基地であるラバウルの目と鼻の先までアメリカが迫ってきました。
ラバウルの崩壊はなんとしても阻止しなければなりません、日本は基地航空隊と【翔鶴、瑞鶴】の航空隊を総結集させ、一気呵成にブーゲンビル島を叩き潰す作戦に打って出たのです。
ただしこの時空母自身は行動を起こしていません。

結果は惨敗。
すでにアメリカの戦闘機は【F4F】に加えてガチガチに硬い【F6F】も配備されていて、未だに【零戦】を飛ばしている日本の戦闘機では格落ちもいいところです。
数の劣勢も相まって出撃の7割が被害を負い、半数の命を捨てたこの作戦は、空母としての役割を果たすことができなくなります。

恐れをなした連合艦隊は一航戦をトラックに引き揚げさせます。
日本がこの時すがっていたのが、新艦【大鳳】です。
すでに建造は半ばを過ぎていましたが、絶対国防圏死守のためにはこの装甲空母が是が非でも必要でした。
そして【大鳳】は、工事を大幅に繰り上げて昭和19年/1944年3月7日に竣工します。
すぐに一航戦に加わり、厳しい訓練が始まりました。
【大鳳】の艦長には【瑞鶴】の艦長から異動となった菊池朝三大佐が就任し、【瑞鶴】には代わって貝塚武男大佐が1943年12月18日から就いています。

5月には連合艦隊が「あ号作戦」のために続々とタウイタウイ泊地に集まってきました。
西カロリンに敵を誘い出してここで一大決戦を挑み、空母と戦艦で敵を粉砕するという勇ましい作戦でしたが、まずタウイタウイにいる時点から主導権はアメリカに握られていました。
周辺に潜水艦が暗躍していて、迂闊に外に出ようものなら真っ先に狙われてしまうのです。
結局潜水艦を恐れて空母の訓練は著しく制限され、それだけではなく駆逐艦が4隻も沈められて、ここにいるだけで日本はどんどん弱くなっていきました。

挙句アメリカは西カロリンではなくマリアナ諸島に現れ、日本は最初から最後までアメリカの動きに翻弄されて6月19日の「マリアナ沖海戦」に突入しました。
日本は一航戦の3隻に加えて【瑞鳳】【飛鷹】【隼鷹、龍鳳】【千歳】【千代田】という、機動部隊の総力が揃っていました。
そして機動部隊を率いる小沢治三郎中将は、この戦いでアウトレンジ戦法という、長航続距離を活かして敵艦載機が攻撃できない距離から航空機を飛ばす方法を採用し、「ミッドウェー海戦」と同じ轍を踏まないように対策をとっていました。
もう戦力に余裕がない日本は、先手を取り、敵機の攻撃範囲外から艦載機を差し向けて空母を守る方法しかありませんでした。

午前8時、機動部隊から128機の第一次攻撃隊が続々と発艦されます。
しかしそこから約30分後、前衛部隊からある通信が飛んできました。
「航空機見ゆ、敵味方不明」「艦上機約100機」
そして次には攻撃隊から「味方水上部隊より攻撃を受く」という通信があり、ここでなんと味方の誤射が発生してしまったのです。

突然の事態に【瑞鶴】の通信室は一気に緊張が走ります。
よもやこの一大決戦で同士討ちがあろうとは、こんな不吉なことはない。
下からの対空射撃により、少なくとも3機が火を噴いて落下し、また1機は被弾後に【瑞鶴】に戻ってきたようです。[1-P99][5-P25]

しかしこの誤射は、前衛部隊の早とちりではなく、攻撃隊の飛行経路に問題があったと言われています。
今回のような誤射が起こりうるため、基本的には味方の上を航空機は飛ばないように決まっています。
特に無線封止中だと、機体とも他の艦とも連絡が取れず、現場判断しかできません。
前衛部隊は上空に現れた機体に対して威嚇射撃を行っています。
つまり「こっちはおたくが敵か味方かわかってない」という合図なわけです。
それに対して攻撃隊は何も行動に変化がなかったため、急いで対空射撃を行った結果というわけです。

対してアメリカですが、日本の機動部隊の発見には至っていませんでしたが、暗号解読やレーダーで万全の迎撃態勢を敷いていました。
弾幕どころか布を投げられたかのような防空放火によって次々と日本の航空機を撃ち落とします。
アメリカは秘密兵器VT信管(近接信管)を開発していました。
これにより、電波や磁気に反応して爆発するVT信管は能動的に至近弾でダメージを与えることができるようになったのです(全高角砲弾のうち近接信管弾はまだ2割程度しか配備されていなかったようです)。

今の日本の艦載機を操るパイロットは、数えるほどしかベテランがいません。
それがかつてない防空態勢をとったアメリカ空母に向かっていくのですから、まともな戦果を挙げられるわけがありません。
大した苦労も恐怖も感じないまま敵はドボンドボンと海に落ちていきます。
アメリカはこの光景を「マリアナの七面鳥撃ち」と称し、かつて連合軍を恐れさせた海鷲の面影は一片たりとも感じることができませんでした。

攻める側がこの有様でしたが、受ける側もまた悲惨でした。
日本側は【ガトー級潜水艦 カヴァラ】によって【翔鶴】を、【ガトー級潜水艦 アルバコア】によって【大鳳】を相次いで失ったのです。
タウイタウイで散々潜水艦の怖さを思い知らされたのに、またもや敵のいいようにやられてしまったのです。
【カヴァラ】【翔鶴】までわずか1kmの距離まで接近していました。
装甲空母【大鳳】の装甲は、何の役にも立つことなく沈んでいきました。

姉も失い一航戦は【瑞鶴】1隻になってしまいます。
【大鳳】沈没後、旗艦は【羽黒】が引き継いでいましたが、20日の正午ごろに旗艦は【瑞鶴】にバトンタッチ。
【瑞鶴】にやってきた小沢中将は泰然自若としていましたが、殴られた船は沈み、殴りに行った飛行機も沈みと、一体この戦いは何だったのか、一大決戦だったはずの「マリアナ沖海戦」はただただ今の日本はクソ弱いという事を象徴する戦でした。

日本にとってはもう終わった戦いかもしれませんが、アメリカはまだ艦載機で日本の艦隊を見つけていませんから索敵は続行します。
アメリカが【瑞鶴】達を発見したのは20日の15時40分ごろで、よくここまで見つからなかったとは思いますが、見つかってしまうともう大変です、敵の攻撃を凌ぎ切れる体力はこちらにありません。[3-P132]
この数時間前、機動部隊では敵の接近を察知して逃げ始めたのですが、「敵が来るぞ」とは他の部隊に知らせずいきなり逃げ出したもんだから、特に低速の補給部隊が置いてけぼりにされてしまいます。

この時間だと帰還時は夜になっていますが、アメリカは強行して216機の艦載機を差し向けました。
そして2時間後の17時30分ごろに【瑞鶴】達を捕まえ、対空戦が始まります。

【瑞鶴】には【米エセックス級航空母艦 ヨークタウン、ホーネット】と、いずれも新旧一航戦が屠った空母の名を冠する空母がリベンジを果たすために猛然と向かってきました。
幸運艦【瑞鶴】もこの群れの攻撃をすべて回避することはできませんでしたが、それでも直撃弾1発で凌いでるのはさすがです。
他に至近弾6発があり、これによる浸水や、直撃弾が甲板や格納庫での火災を引き起こしましたが、これも消火することができて【瑞鶴】の被害はさほど大きいものではありませんでした。[3-P132]
とはいえ被弾が艦橋の真後ろだったことから、爆弾の断片が艦橋内に飛び込んで、士官が何人か死傷しています。

マリアナ沖海戦で攻撃を受ける【瑞鶴】

被害が大きかったのは二航戦のほうでした。
【隼鷹】は2発の直撃弾と6発の至近弾を受け、特に直撃弾は1発が煙突に命中して完全に破壊してしまいました。
それでも【隼鷹】は無事だったのですが、無事で済まなかったのが【飛鷹】です。

【飛鷹】は直撃弾1発に加えて魚雷1本を受け、機関が故障して航行不能となります。
それでも沈まなかった【飛鷹】ですが、【長門】による曳航準備中に突然爆発し、これが原因で沈んでしまいました。

この戦いの寸前に日本は再び敵機動部隊を発見しており、わずかに残った【天山】を生かすために空襲前に上空へ避難させていました。
空襲が終わったところで一矢報いようと考える【瑞鶴】ですが、こんな時間ならもちろんこちらも薄暮攻撃、いや、ほぼ夜間攻撃となります。
しかし【天山】が戻ってくると、索敵用の空六号電探を搭載した【天山】も、それを外して魚雷を搭載しろと参謀から指示があったのです。

電探を搭載した【天山】は重量の関係から魚雷を搭載できないので、この行動そのものはわかるのですが、全機が電探を外したらどうやって敵を探すのか。
それに薄暮攻撃は、帰還時には夜ですから無事な帰還が難しいのでそうそうやりません。
その帰還の助けにもなる電探を全機外すというのですから、全く向こう見ずな命令でした。[1-P227]

結局【天山】は7機が出撃し、3機未帰還、4機は不時着で機体は全部喪失。
少なくとも不時着のうち3機は【朝雲】【満潮】によって救助されています。[5-P30]
もちろん戦果はなく、無駄に人命と機体を捨てるものとなりました。

昭和19年/1944年7月10日時点の兵装
搭載数零式艦上戦闘機/28機※[3]
爆装零戦/16機※[3]
彗星/11機※[3]
天山/14機※[3]
高角砲40口径12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm三連装機銃 20基60挺
25mm単装機銃 26基26挺
25mm単装機銃橇式 10基10挺
(のち12cm28連装噴進砲8基増備)
電 探21号対空電探 2基
13号対空電探 1基
その他[4-P32]零式水中聴音機 1基から2基に増加

出典:[海軍艦艇史]3 航空母艦 水上機母艦 水雷・潜水母艦 著:福井静夫 KKベストセラーズ 1982年
※「捷一号作戦」時

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参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1]海軍技術研究所 著:中川靖造 講談社
[2]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[3]翔鶴型空母 帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦「翔鶴」「瑞鶴」のすべて 歴史群像太平洋戦史シリーズ13 学習研究社
[4]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[5]空母瑞鶴 日米機動部隊最後の戦い 著:神野正美 光人社
[6]空母瑞鶴の南太平洋海戦 軍艦瑞鶴の生涯【戦雲編】 著:森史朗 潮書房光人社

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