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卯月【睦月型駆逐艦 四番艦】

2018年2月3日

起工日大正13年/1924年1月11日
進水日大正14年/1925年10月15日
竣工日大正15年/1926年9月14日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年12月12日
第九次多号作戦
建 造石川島造船所
基準排水量1,315t
垂線間長97.54m
全 幅9.16m
最大速度37.25ノット
馬 力38,500馬力
主 砲45口径12cm単装砲 4基4門
魚 雷61cm三連装魚雷発射管 2基6門
機 銃7.7mm単装機銃 2基2挺
缶・主機ロ号艦本式缶 4基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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夕月ととも、睦月型で最後まで戦い続けた卯月

【卯月】は竣工当初は「第二十五号駆逐艦」と呼ばれ、昭和3年/1928年8月1日に【卯月】と改称されます。
「支那事変(日中戦争)」では、【睦月】【如月】【弥生】とともに第三〇駆逐隊を編成。
しかし昭和15年/1940年12月25日、【卯月】【菊月】【夕月】のいる第二三駆逐隊へと編入(定数3)。
第三〇駆逐隊は新たに【望月】が加わります。

第二三駆逐隊は主に第二航空戦隊の護衛やトンボ釣りを行っていたのですが、やがて太平洋戦争が間近に控えると、航続距離の短い「睦月型」では対応が難しくなってきます。
そのため第二三駆逐隊は第四艦隊に異動となりました。
太平洋戦争勃発後は、第四艦隊は「グアム島攻略」を筆頭に、「ラバウル方面攻略、モレスビー攻略」などに参加し、着々と占領地を拡大していきました。

しかし5月4日の「ツラギ島攻略作戦」の最中、僚艦の【菊月】が撃沈されてしまいます。
これにともなって第二三駆逐隊はナウルとオーシャン諸島攻略にまわりますが、この作戦では【敷設艦 沖島】【米S級潜水艦 S-42】の雷撃を2本受けて、結構踏ん張ったもののやがて沈没。
さらに米空母が現れたことにより中止となり、【卯月、夕月】は佐世保に戻ることになりました。
【卯月、夕月】【沖島】沈没の際に【S-42】に対して爆雷で反撃を行っていますが、成果はありませんでした。

佐世保に戻ると同時に、第二三駆逐隊は解散。
【夕月】は第二九駆逐隊へ、【卯月】は久しぶりに第三〇駆逐隊所属となりました。
2隻とも整備があったため、実線復帰は約1ヶ月後となります。

7月10日に所属していた第六水雷戦隊が解隊され、4日だけ第二海上護衛隊に籍を置きますがすぐに第八艦隊に編入となりました。
第八艦隊となると作戦地域はニューギニア島などの外南洋ですから、一気に最前線に向かうことになりました。
22日は輸送中の空襲で早速至近弾を受け、過酷な日々の幕が開けました。

8月10日には「第一次ソロモン海戦」終結後に沈没した【加古】の乗員がたどり着いたシンバーリ島へ向かい、大発動艇とともに650人の救助活動を行いました。
ここからカビエンまで移動したようですが、カビエンからシンバーリ島まで直線距離にして127.5kmあります。
大発の航続距離は170海里なので約315kmですから、いくら帰りは重いとはいえ距離的には往復できます。
こう見ると大発の航続距離長い。

8月25日にはガダルカナル島への輸送を行いますが、ここで空襲を受けて損傷。
その後の任務にも支障が出るほどだったようで、【卯月】は本土まで戻って修理されることになりました。
この時艦尾の形状がガッツリ変わり、【一等輸送艦】のような形になって中発動艇が搭載・運用できるように改造されています。

復帰直前の12月1日に第三〇駆逐隊は解隊され、数ヶ月【卯月】は駆逐艦に所属せずに活動を再開しました。
復帰後の任務は【冲鷹】をトラック島まで輸送するというもので、これは【時雨】【朝雲】とともに無事達成。
その後はラバウルに進出し、さらにコロンバンガラ島へ向かう【南海丸】の護衛を任されました。

しかし25日の夕方、【南海丸】に一本の魚雷が迫ってきました。
発射したのは【米サーゴ級潜水艦 シードラゴン】で、この魚雷は見事【南海丸】に命中。
この時【南海丸】は沈みはしなかったのですが、魚雷の回避行動中に護衛していた【卯月】に接触してしまい、艦首が左舷部を抉り取って【卯月】は航行不能となってしまいました。
機関部付近の損傷だったため【卯月】は身動きが取れなくなり、至急ラバウルより【有明】【谷風】【浦風】【長波】が救援に駆け付けます。

【卯月】【有明】に曳航され、【南海丸】と共にラバウルへと引き返します。
ところが翌26日には「B-24」の爆撃があり、この爆撃で曳航していた【有明】が至近弾6発という猛攻を受けてしまいます。
【卯月】の被害は少なかったようですが、【有明】は火災・浸水・舵故障という一大事に陥りました。
幸い艦内の懸命の努力で全て復旧し、自力航行も可能でしたが、この被害で曳船は【浦風】に変更となりました。

ラバウルに到着しホッと一息、かと思いきや、昭和18年/1943年1月5日にラバウルは空襲に晒されます。
【卯月】はこの空襲で不発弾一発を前甲板に受けたほか、至近弾もあってさらに損傷し、本土への帰投が急がれました。
まず16日に【太刀風】を曳航して【涼風】と共にトラック島へ向かい、その後【明石】による修理を受けた後、6月20日にトラック島を出撃。
途中サイパンで艦首を失った【秋月】を曳航する【新光丸】を、【漣】と共に護衛して佐世保へと向かいました。
つまり被害を受けてから本土に戻るまでで半年も使っていることになります。
3月31日には【望月】【三日月】と新たな第三〇駆逐隊が編成されますが、【三日月】が7月29日に沈没してしまったため、第三〇駆逐隊は3隻が揃うことはありませんでした。

三度佐世保で修理を行った【卯月】は、恐らくこのタイミングであっていると思いますが、疎かになっている対空兵装を強化されました。
12cm単装砲
2基と魚雷発射管1基を撤去、代わりに25mm連装機銃25mm三連装機銃をそれぞれ2基、さらには25mm単装機銃を6基搭載しています。

【卯月】がトラック島に戻ってきたのは10月19日。
その後空襲を受けながらもラバウルに到着し、23日には早速陸戦隊輸送の為に【望月】とともにニューブリテン島へ向かいました。
しかしニューブリテン島ジャキノットに到着して揚陸を始めたときに、足が止まるのを待っていたかのように、およそ50機の航空機に襲われます。
揚陸を行えるはずもなく、2隻は急いで離脱を始めますが、この空襲で【望月】が被弾、最終的には沈没してしまいました。
夜間の空襲だったからか、しつこい攻撃は無かったようで【望月】は戦死者10名と被害は少なめと言っていいでしょう。
【卯月】【望月】の乗員を救助した後、ラバウルへと引き揚げていきました。

11月1日、連合軍がブーゲンビル島のタロキナに上陸したという報告を受け、すぐさま逆上陸部隊の派遣が決定します。
その輸送に【卯月】も参加していましたが、水上艦同士が衝突した「ブーゲンビル島沖海戦」の敗北を受けてこの輸送も同じく断念されました。
ですが以降のタロキナ、ブカ、ガロベへの輸送は次々と成功させており、25日の「セント・ジョージ岬沖海戦」も揚陸後の遭遇だったため輸送としては成功です。
この戦いで【卯月】は一発の不発弾を受けましたが逃げ切っています。
ただし戦闘としては夜間のレーダー射撃で【夕霧】【大波】【巻波】の3隻が沈没するという大惨敗を喫しています。

30日、【卯月】とともに「睦月型」を最後まで牽引した【夕月】が第三〇駆逐隊に加わりました。
その後パラオやトラックを目的地とする護衛をこなし、【長波】を曳航する【長良】を護衛しながら昭和19年/1944年1月25日に佐世保へ帰ってきました。

前々からそうでしたが、輸送が一にも二にも大事となったこの時期は駆逐艦一隻の有無が戦略に大きく影響していました。
【卯月】は1ヶ月ほどでスピード修理が行われ、復帰してすぐに松輸送と呼ばれるマリアナやサイパンへの集中輸送の護衛をすることになりました。
佐世保を出た【卯月】は12日に東松2号船団と合流し、サイパンを目指して航行を続けました。
この船団は輸送船12隻が参加、旗艦【龍田】【卯月】を含めた4隻の駆逐艦、他にも補助艇、さらに航空支援も受けるという結構しっかりした船団でした。

ですが悪天候による波のうねりを隠れ蓑に、【米バラオ級潜水艦 サンドランス】に雷撃を許し【龍田】【国陽丸】が沈没してしまいます。
【卯月】【平戸】と共にねちっこく爆雷攻撃を行っては周辺を警戒し、また爆雷を投下するといった行動を繰り返しましたが、【サンドランス】に被害を与えることはできませんでした。
しかし船団はその後被害を受けることなくサイパンに無事到着、また復路も被害なしで切り抜けました。

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ

3月30日には第一海上護衛船団の旗艦(20日に第二海上護衛隊所属)となり、東松3号船団の復路の護衛に参加して横須賀へ帰投。
4月30日にはマリアナやサイパンなどへ向かう東松6号船団の護衛として再び横須賀を出発し、この輸送も完遂しています。
ただし航路で機帆船との衝突があり、相手を沈没させてしまっています。

6月18日からの「マリアナ沖海戦」も当然輸送船護衛として参加した【卯月】でしたが、海戦そのものが踏んだり蹴ったりのいいとこなしで、さらに逃げているところを後ろから襲われて【玄洋丸】【清洋丸】が沈没。
【卯月】【玄洋丸】の乗員を救助した後、最後は砲撃によって【玄洋丸】を自沈処分しています。

この「マリアナ沖海戦」の敗北とサイパン陥落によって、松輸送の努力もすべて水の泡。
2月のトラック島の空襲もあり、日本は遂に絶体絶命の危機に瀕してしまいます。
これまでトラックやラバウル、ニューギニア島などを走り回っていた【卯月】も、なじみの薄いフィリピンや台湾へと活躍の場を改めるほかありませんでした。

8月20日には第三〇駆逐隊に【皐月】【夕凪】が加わりました。
しかし【夕凪】は25日に【米バラオ級潜水艦 ピクーダ】の雷撃によって護衛していた【光徳丸】と共に沈没し、また【皐月】も9月21日にマニラで空襲に合って沈没してしまいます。
【皐月】【卯月】【夕月】【秋風】が護衛し、当日出発したマタ27船団を追いかける寸前の出来事でした。
【卯月】にとっては助かったわけですが、せっかく僚艦になった2隻をたった1ヶ月で失ってしまったのです。

昭和19年/1944年8月31日時点の兵装
主 砲45口径12cm単装砲 2基2門
魚 雷61cm三連装魚雷発射管 1基2門
機 銃25mm三連装機銃 2基6挺
25mm連装機銃 2基4挺
25mm単装機銃 6基6挺
単装機銃取付座 2基
電 探13号対空電探 1基
爆 雷八一式爆雷投射機 2基

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年

日本が枯渇に喘ぎ、「レイテ沖海戦」も大失敗に終わった中、輸送を続けていた【卯月、夕月】は、12月に入りマニラに進出。
瀕死状態でもフィリピン防衛の為にレイテ島オルモックを中心に輸送を続けていた日本でしたが、引き際を見失っており無謀な輸送がなお続けられていました。
数々の艦船がマニラ⇔オルモックの航路で沈没しており、場所によっては船の残骸が見えるほどでした。
そんな危険な任務に、【卯月、夕月】も駆り出されてしまったのです。

12月9日、【卯月】【夕月】【桐】【第17号駆潜艇、第37号駆潜艇】とともに第九次輸送部隊としてマニラを出発します。
輸送船、輸送艦それぞれ3隻ずつが物資と兵員を搭載していますが、【第9号輸送艦】だけはセブ島への輸送だったため途中までの参加となります。
しかし10日には「B-24」に発見され、近いうちに空襲が来ることは確実となります。

11日11時ごろ、ついに最初の空襲が始まりました。
ただこの戦いは船団を狙ったのではなく直掩機を狙ったものだったようで、艦船への被害は大したことがありませんでした。
とはいえ護衛がこれでかなり減ってしまいましたから、未来はより暗いものとなってしまいます。

敵機が去った後、セブ島に向かう【第9号輸送艦】が単艦離脱。
【第9号輸送艦】はこの輸送を完了させてマニラへ帰投しています。
これで【第9号輸送艦】は6度も参加した「多号作戦」を全て乗り切る偉業を達成しました。

15時ごろには二回目の空襲が本隊を襲いました。
残り少ない護衛は蹴散らされてしまい(この時はいなかったかもしれません、資料曖昧)、これでじっくり船団を食い散らかすことができます。
水平爆撃と反跳爆撃、機銃掃射とあらゆる方向から攻撃され、さらに爆弾もロケット弾が含まれるためでかい一発を避ければいいというわけでもありません。
この空襲で【たすまにあ丸】【美濃丸】が炎上、沈没。
【空知丸】と輸送艦は無事でしたが、【卯月】は艦長が足に重傷を負ってしまいました。

【たすまにあ丸】【美濃丸】から脱出した人たちを急いで救出する一方で、この苦難を突破してもなお司令部は味方を地獄に送り込みたいらしく、なんと当初計画では回避していたオルモックを目的地にするように作戦を変更してきたのです。
そもそもオルモックは第八次輸送部隊が輸送中に敵船団が上陸していることが確認されたため、ここは断念して第八次はサン・イシドロへ、第九次はパロンポンに変更されたという経緯があります。
それなのに司令部から根拠なく「オルモックは維持しているからオルモックに向かえ」という命令が出たのです。

この命令を知ってかしらでか、救助活動も終えた【空知丸】がパロンポンに向かい始めました。
指揮系統の下位にあたる輸送船、しかも陸軍の徴用船ですから、陸軍の判断として予定通りパロンポンを目指すことにしたのかもしれません。
船団はここで二手に分かれ、足の遅い【空知丸】をパロンポンへ、まだ速度の出る輸送艦をオルモックへ輸送することにしました。
【卯月】【第17号、第37号駆潜艇】とともに【空知丸】を護衛してパロンポンへ向かいました。

夜に4隻はパロンポンに到着。
【空知丸】は迅速に揚陸を開始し、【卯月】も沈没した輸送船に乗っていた兵士たちを揚陸させます。
このあたりが色んな表記があって確信が持てないのですが、【卯月】はこの揚陸から警戒、そして揚陸完了後にオルモックに向かった艦を援護するためにオルモックに向かったのですが、そのどこかで【米魚雷艇 PT490】の奇襲を受けてしまいました。

魚雷艇は見つければ怖い相手ではないですが、ある程度の距離まで接近されると恐ろしい存在です。
とにかく小さい上に速いですから、対処ができないのです。
戦艦が駆逐艦を恐れるのと同じ理由です。
なので戦艦にはかつて大量の副砲や速射砲が搭載されていました。

闇夜に紛れて突っ込んできた魚雷艇の魚雷が2本、【卯月】の艦橋直下付近に命中。
駆逐艦ほどのサイズの船が近距離に2本の魚雷を受けると身体が持つはずがありません。
あっという間に命中部分がボキッと折れ、【卯月】は轟沈してしまいました。

さらに翌日もマニラへ逃走中のオルモック組が空襲を受け、【夕月】も沈没。
12月12日、13日の2日間で、「睦月型」の歴史も幕を閉じました。

2022年02月12日 加筆修正