
起工日 | 昭和16年/1941年4月11日 |
進水日 | 昭和16年/1941年12月27日 |
竣工日 | 昭和17年/1942年8月18日 |
退役日 (沈没) | 昭和18年/1943年11月25日 セント・ジョージ岬沖海戦 |
建 造 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 | 2,077t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 次発装填装置 |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
戦果乏しく、輸送で名を残した巻波
【巻波】の竣工は昭和17年/1942年8月18日で、「ガダルカナル島の戦い」の幕開けとなる連合軍のガダルカナル島上陸から11日後のことでした。
奇襲を受けた日本は上陸の翌日に「第一次ソロモン海戦」を起こし、ここから半年に及ぶソロモン海域での激戦が繰り広げられます。
【巻波】は8月31日に【長波】とともに第三一駆逐隊を編成します。
9月6日に【金剛・榛名】を護衛しながらトラック島へ向かうと、【巻波】も主戦場に出て行くことになります。
10月にはヘンダーソン飛行場の砲撃にも参加、11月には輸送中を襲われて発生した「ルンガ沖夜戦」にも巻き込まれました。
しかし「ルンガ沖夜戦」では圧倒的勝利を収めたものの【巻波】からは魚雷発射記録がなく、戦果はないものとされています。
当時の輸送は、物資を詰め込んだドラム缶を数珠つなぎにして沿岸付近でドラム缶を海上に投げ捨て、海上の大発動艇などがそのロープを回収して陸上から引き上げるという手法が取られており、【巻波】はその後もドラム缶での輸送を任されました。
年が明けて昭和18年/1943年、事態はガダルカナル島の攻防からガダルカナル島からの撤退へと移り変わり、日本は各島に残る兵士たちの救出作戦を決行。
「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」です。
3回行われたこの作戦で、【巻波】は第一次撤退作戦での旗艦を任されます。
勇んで行われた撤退作戦でしたが、夕方に空襲に襲われた結果至近弾を受けて大破。
旗艦は【白雪】へと移され、【巻波】は【文月】に曳航されてショートランドへ向かいました。
応急処置を行ったあと、【巻波】はトラックでの修理を経て舞鶴へ帰投、半年もの間修理をすることになります。
修理が終わったのは9月14日。
10月には再び輸送任務で戦列に復帰し、ラバウルやカビエンなどを行き来する日々でした。
11月、米軍の次の上陸目標がブカ島であると読んだ日本は、ラバウルからブカ島への輸送を行います。
【巻波】も参加したこの輸送任務、一度目は妨害もなく、二度目の25日も順調に物資や兵員を送り届けることができました。
しかしその帰り道、5隻からなる米駆逐艦隊が日本の駆逐艦隊に襲いかかります。
闇夜の中でレーダーを駆使した正確な先制攻撃をもろに受けた帝国海軍は一気に混乱し、【巻波】は魚雷と砲撃を浴びせられて沈没。
5隻いた駆逐艦は【卯月・天霧】の2隻だけとなり、対して米軍の被害はゼロ。
一方的に敗北したこの「セント・ジョージ岬沖海戦」は、米軍は夜戦でも米軍に利があることを確信した海戦の1つでもありました。