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浦風【陽炎型駆逐艦 十一番艦】その2
Urakaze【Kagero-class destroyer】

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一瞬にして沈没 金剛の影に消えた浦風

その後トラックへ向かった【浦風】は、15日?に【天津風】とともに【瑞鳳】を護衛してウェワクへの輸送を実施。
そのウェワクには前月に【米ガトー級潜水艦 ワフー】の雷撃を受けて大破した【春雨】が残されていたので、【天津風】【春雨】を曳航し、【浦風】【春雨】を応急修理した【救難船兼曳船 雄島】が護衛する形でラバウルに戻りました。
ですが航海中に悪天候で曳航索が切れてしまったり、浸水が激しくなったことから被害部分の艦首を切断したりと大変な状態で、曳航については【浦風】が後を引き継いで何とか帰還に成功しています。

その後機関故障を起こした【熊野】を本土に送り届け、【浦風】はウェワクやハンザへの輸送を実施。
実は前年末に第十七駆逐隊と【舞風】は外南洋部隊の東部ニューギニア方面護衛隊を編成しており、この輸送はその一環となります。
輸送先がニューギニアでも北側だったので、ラエなどへの輸送に比べれば格段に安全でした。
数度にわたって輸送を行った【浦風】でしたが、7月には外南洋部隊から外れることになり、8月に本土帰投して整備に入ります。

復帰した【浦風】は10月30日に【磯風】との子隊で第十四戦隊所属となります。
11月3日にカビエンへ向かう丁4号輸送作戦を実施し、【那珂】の指揮で【浦風】らが護衛する第二輸送隊はカビエンに向かっていました。
ところが道中で空襲を受けたことで【那珂】は中破、輸送船の【清澄丸】も被弾により浸水を起こして航行不能となりました。
【那珂】はそれでも航行は十分可能だったことから、【清澄丸】を曳航する【五十鈴】【磯風】とともに護衛。
【浦風】【護国丸】はカビエンに向かわずにそのまま最終目的地だったラバウルに直行しました。

ですが到着翌日の5日、ラバウルは爆弾の雨が降り注ぐことになります。
ちょうど日本はこの時ラバウルに戦力を一気につぎ込んで海上戦を行おうと画策をしていたのですが、タイミングが最悪で、集まったところに大規模空襲が行われたために各艦が大小さまざまな被害を負ってしまいます。
【浦風】は被害なく切り抜けることができたのですが、巡洋艦は軒並み看過できないダメージで、特に【摩耶】はほかの船がトラックまで逃げ帰る中取り残されるほどでした。
【浦風】は無事だったこととブーゲンビル島への逆上陸部隊の輸送もあったためにラバウルに残り、同日に輸送隊は出撃。
幸いこちらの輸送には空襲はなく無事に成功しています。

しかしラバウルの悲劇は1回だけに止まりませんでした。
11日には再び大量の航空機がラバウル上空を覆いつくし、破壊の限りを尽くしたのです。
この空襲で【浦波】は小破しているのですが被害は大したことありません。
しかし【涼波】沈没や【長波】航行不能、【阿賀野】は魚雷が艦尾に命中して、艦尾とともに4本中内側2本のスクリューと舵を失います。
この2回の空襲でラバウルはもはや再起不能に陥り、日本も残存艦はいったんトラックまで引き揚げることを命令。
【浦風】【阿賀野】を護衛しつつ、ロープで艦尾を引っ張るなど操舵の補助をしながら北上しました。
一応スクリュー2本が残っているので、これらの回転数の調整で【阿賀野】単独でもそこそこの操舵はできる状態でした。

そんなフラフラしている巡洋艦を見つけたのが、【米ガトー級潜水艦 スキャンプ】です。
【スキャンプ】は手負いの【阿賀野】を射程に収めて魚雷を発射。
【阿賀野】は魚雷を発見して何とか回避しようとしますが、1本が右舷艦橋付近に命中。
この被害で前部缶室が浸水し、機関も動かなくなり、ここまで頑張ったのについに身動き一つとれなくなりました。

この後【米ガトー級潜水艦 アルバコア】が確実に沈めるためにやってきたのですが、現場に新たに表れたのは敵だけではありません。
【摩耶】【長鯨】を護衛していたうち【能代】【藤波】【早波】が救援にやってきてくれたのです。
【アルバコア】はこれらの増援部隊から爆雷攻撃を受けて哨戒網を突破できず、引き返していきました。
窮地を脱した【阿賀野】は、【能代】【阿賀野】を引っ張り、【浦風】が後ろで舵の代わりを行うという形でトラックへの旅を再開しました。
途中【能代】の曳航索が切れてしまいますが、トラックから応援に来てくれた【長良】がその後を継いで引っ張ってくれました。

トラックに到着した【浦波】にはすぐに次の仕事が待っていました。
空襲で大破した【摩耶】や、【瑞鳳】【雲鷹】【冲鷹】を本土まで護衛することになり、第七駆逐隊の【潮】【漣】【曙】とともに30日にトラックを出発します。
しかしこの一行を暗闇の中じっと見つめる存在がありました。
【米サーゴ級潜水艦 セイルフィッシュ】です。
12月3日、敵一行を発見した【セイルフィッシュ】は日付が変わってすぐに魚雷を発射します。
この魚雷は1本が【冲鷹】の前部に命中し、【冲鷹】は航行不能に陥ります。
この時は天気が悪く、互いの位置もはっきりとわかっていない状況で、船団は救助のための【浦風】が残って他はそのまま先を急ぎました。

その後【漣】も乗員の救助にあたりましたが、【冲鷹】はさらに1本、そしてもう1本の計3発が命中したとされています。
少なくとも2本までは確実で、3本目の魚雷の発射の前後で【漣】が爆雷で反撃したという記録もあります。
しかし【セイルフィッシュ】を仕留めることはできず、1,200人以上の戦死者が出てしまいました。

呉に戻ってきた【浦風】は、その後再びトラックに進出します。
少し経って2月1日にはトラックに残っている船がリンガへ移動する際の護衛を行いました。
このリンガへの移動はトラック島が大規模な空襲を受けるという予測をもとに実施され、他の日にも脱出している艦が複数います。
3月29日にはパラオがトラックの二の舞になるということでこれまた脱出艦の護衛をすることになりました。
護衛対象はあの不沈艦【武蔵】でした。
ただ【武蔵】【米ガトー級潜水艦 タニー】の魚雷を受けてしまい、航行に全く支障はなかった一方でとんでもない浸水を引き起こしながら日本に帰っていきました。
【浦風】【磯風】【タニー】を発見して爆雷を投下しましたが、【タニー】は逃げおおせています。

3月31日、ここまで編成から全くイレギュラーなく初期メンバーを維持してきた第十七駆逐隊に変化が訪れます。
【雪風】が新たに編入され、異例の5隻編成となったのです。
【雪風】のいた第十六駆逐隊は【時津風】【初風】がすでに亡く、また【浦風】とも一時期任務をともにした【天津風】【米ガトー級潜水艦 レッドフィン】の雷撃を受けて半身を失う大損害を受けたことで稼働艦が1隻だけになってしまったのです。

この【雪風】加入は第十七駆逐隊には一部歓迎されない声もありました。
【雪風】は確かに武運確かな船ですが、僚艦が次々と沈んでいるから、味方殺しだとも言われていたのです。
その不幸が第十七駆逐隊にも降りかからないことを願うばかりでした。

5月に入ると主力艦はタウイタウイ泊地に集結します。
マリアナ付近でアメリカ艦隊に決戦を挑もうという「あ号作戦」の準備のために、ここには【大和】はもちろん、新造の装甲空母【大鳳】もおり、まさに海軍の総力が集まっていました。

しかしタウイタウイに集結していたのは水上艦だけではありません。
敵の潜水艦もフィリピン周辺には点在していて、タウイタウイは島周辺だけでなくそこに至る航路でも潜水艦に怯えなければなりませんでした。
そして哨戒のために沖合に出てくる船に次々と襲い掛かってきたのです。
この餌食になった1隻に、第十七駆逐隊の【谷風】も含まれていました。

6月9日に【谷風】【米ガトー級潜水艦 ハーダー】の放った魚雷が2本命中し、とんでもない大爆発を起こして轟沈。
ついに第十七駆逐隊は喪失艦を出してしまいました。
【浦風】はこの【谷風】と、その2日に前に沈んでいる【早波】の乗員救助を行っています。

この日を最後として、これで4日連続駆逐艦がフィリピンのセレベス海で撃沈させられており、うち3隻がタウイタウイに睨みを利かせていた【ハーダー】の仕業という、やられたい放題でした。
この悪い流れは全く立ち切れず、誘引するはずが引きずり出された「マリアナ沖海戦」でも日本は大敗します。
第十七駆逐隊は各艦バラバラに配置され、【浦風】【翔鶴】の護衛として参加していました。
しかし【翔鶴】【米ガトー級潜水艦 カヴァラ】が放った魚雷をきっかけにガソリン爆発を起こして沈没。
この敗北は空母もパイロットも飛行機も全部失い、そして戦艦はここにきてなお仕事がないという、取り返しのつかないものとなりました。

「マリアナ沖海戦」で機動部隊は張りぼてとなり、日本は戦争の主役である航空機を扱う空母の役割を失ってしまいました。
ついにその機動部隊で敵機動部隊をごっそり誘い出し、その隙にレイテ島に突撃して一気に艦砲射撃を行うという、「捷一号作戦」が発動され、【浦風】はその主軸となる栗田艦隊の下で出撃します。

昭和19年/1944年6月30日時点の兵装
主 砲50口径12.7cm連装砲 2基4門
魚 雷61cm四連装魚雷発射管 2基8門
機 銃25mm三連装機銃 4基12挺
25mm連装機銃 1基2挺
25mm単装機銃 8基8挺
単装機銃取付座 6基
電 探22号対水上電探 1基
13号対空電探 1基

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年

この「レイテ沖海戦」では栗田艦隊「シブヤン海海戦」で不沈艦と言われた【武蔵】を失い、いよいよ戦争は終わりに近づいていることを実感します。
それでも空襲をかいくぐりながら栗田艦隊はレイテ島を目指します。
ここに来るまでに多くの仲間が海に消えていきました。
しかしその屍を乗り越えて、栗田艦隊はついにサマール島東にまで到達、あとは南下してレイテ島を強襲するだけです。
ところがその進路の先に、これまでさんざん煮え湯を飲まされ続けた敵機動部隊が現れたものですから、栗田艦隊は一斉にこれを砲撃します。
「サマール沖海戦」の勃発です。

ただ敵側の機動部隊は大型どころが輸送メインの護衛空母を含んだタフィ3と言われる一群で、【エンタープライズ】とか【エセックス】のような、全力で敵をつぶすための空母とは似ても似つかぬ艦隊でした。
それでも栗田艦隊はタフィ3に次々と砲撃を行い、タフィ3は煙幕やら艦載機の攻撃やらで必死に栗田艦隊を追い払おうとします。
悲しいことに栗田艦隊は、圧倒的な戦力差でもこのタフィ3からの空襲や駆逐艦の攻撃によって次々に被害を重ねます。
こちら側も敵を撃沈してはいますが、栗田艦隊はこの「サマール沖海戦」【鳥海】をはじめ重巡3隻が沈没するなど、戦艦4隻がいても勝利することはできませんでした。

「サマール沖海戦」後に栗田艦隊は引き返してしまったので、レイテ島を目前にして作戦は何も得ることなく終了。
空母を護衛してきた第十戦隊もこの作戦では空母の護衛すら行っておらず(第三十一戦隊が第五艦隊の代わりに随伴)、もはや不要であり、11月15日に第十七駆逐隊は第二水雷戦隊に編入されます。
優秀な船ばかりの第十七駆逐隊でしたが、華の二水戦に配属されたのはこれが初めてです。
ただその輝かしい看板も今や錆びだらけです。

ブルネイにいた、もはや敗残兵といってもいい生存艦は日本に戻ることになりました。
16日にブルネイを出港、第十七駆逐隊は先頭の【金剛】の両隣に2隻ずつ並んで護衛していました。
しかし21日に日付が変わったころ、ギラリと光る潜望鏡が艦隊を捉えます。
【米バラオ級潜水艦 シーライオン】でした。

【シーライオン】は之字運動をしながらもそこそこの速さで進む艦隊を追いかけながら攻撃のチャンスをうかがいます。
そして2時間以上が経過した2時56分、まずは先頭にいた【金剛】へ向けて艦首魚雷を6本発射、続いて前から3番目にいた【長門】へ向けて艦尾魚雷3本を発射しました。
艦隊の側面からグングン突っ込んでくる白蛇、そしてそのうちの2本が【金剛】に直撃しました。

しかし被雷後の【金剛】は対処も適切で、問題なく航行ができると思われました。
が、見えないところでかなりの無茶をここまでしてきた【金剛】は、「サマール沖海戦」での損傷に加え、30年という長い艦齢からくる老朽化に船体は呻きを上げ、ついに爆発し、沈み始めてしまいます。
【シーライオン】は最初の魚雷の被害が低調だと判断して次の攻撃チャンスをうかがっていたところでしたが、その最中に大爆発を目にします。
【磯風、浜風】は急いで【金剛】の乗員を救助し、偉大な高速戦艦の最期を看取ります。
【雪風】は二次被害を受けないために先を急いでいた【大和、長門】を護衛していたため、離れた位置で警戒をしていました。

【浦風】がいません。

なんと【浦風】は、【長門】へ向けて発射された3本のうちの1本が直撃し、轟沈してしまったのです。
【金剛】の被害ばかりに気を取られていましたが、【浦風】は轟沈どころか神隠しのように静かに消失し、【浦風】が沈没したことは誰かに言われるまで気づかないほどでした。
【雪風】【浦風】の轟沈を目の当たりにするのですが、まさに轟沈だったため救助に回る時間もなく、やむなく【大和、長門】の護衛に回ったと言われています。

この【浦風】轟沈ですが、場合によっては【雪風】が犠牲になっていた可能性があります。
出港前、ブルネイは空襲されていて、【雪風】では水兵長1人の戦死者が出てしまい、水葬が行われたことで出港準備が遅れました。
もし彼が戦死していなければ、旗艦は【浦風】から【雪風】に変わるはずだったので、旗艦配置として【雪風】【金剛】の右舷に位置していた可能性が高いのです。

【金剛】は被雷直後は避難することはなかったのですが、被雷から沈没まで2時間以上あり、その沈没後に【磯風】【浜風】【金剛】の生存者の救助を行っています。
つまりこの2時間の間【浦風】の沈没の事実はほぼ共有されていなかったか、それほどあっという間の出来事で、助けに行っても時間の無駄だと傍から判断できるほどの規模の轟沈だったかのいずれかでしょう。

【浦風】の救助が始まったのは【金剛】生存者の救助が終わってからのようですが、【浦風】が沈没したであろう場所には人っ子一人おらず、わずかな浮遊物が漂っているだけでした。
第十七駆逐隊2隻目の犠牲者は、こうして異国の海で跡形もなく消え去りました。

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