起工日 | 昭和15年/1940年12月23日 |
進水日 | 昭和16年/1941年11月5日 |
竣工日 | 昭和17年/1942年3月14日 |
退役日 (沈没) | 昭和18年/1943年2月1日 |
ケ号作戦 | |
建 造 | 藤永田造船所 |
基準排水量 | 2,077t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 |
次発装填装置 | |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
世界で唯一、2隻の空母を沈めた駆逐艦 巻雲
【巻雲】は「夕雲型」の二番艦として昭和17年/1942年3月に竣工。
開戦前に竣工した「夕雲型」はネームシップの【夕雲】だけで、以後すべての「夕雲型」は「秋月型」と並行して戦争中に急いで建造されていきます。
しかし3月と言えば、まぁ大体日本の最高潮であり、ほとんどの「夕雲型」は日本のイケイケドンドン時代を知らないことにもなります。
三番艦の【風雲】も同月竣工したことで、【秋雲】【夕雲】【巻雲】【風雲】の4隻は第十駆逐隊を編成(【秋雲】だけ4月編入。)
また機動部隊を護衛する第十戦隊にも編入され、これからさらに太平洋を進む海軍の星である航空母艦のお供をすることになりました。
ただその星は、間もなく真っ赤な炎を噴き出して落下するわけですが。
4月18日、浮かれモードの日本に冷や水を浴びせた「ドーリットル空襲」が起こります。
本土にいた船は軒並み敵空母の追跡に駆り出され、第十駆逐隊もその一員でした。
ただ空襲を仕掛けた【米ヨークタウン級航空母艦 ホーネット】は福島県から1,200kmほどの距離で、しかも艦載機ではなく双発の【B-25】を発艦しており、艦載機の航続距離から逆算してもこんな遠い場所にいるとは思わないわけです。
なので追いかけても絶対追いつくわけがなく、追跡命令は撤回されています。
その忌まわしい【ホーネット】との戦いは2ヶ月後に発生しました。
もちろん日本凋落を象徴する戦いである「ミッドウェー海戦」です。
第十戦隊は空母の護衛に就き、【巻雲】は【蒼龍】のそばにいましたが、【飛龍】随伴の駆逐艦と、【夕雲】【風雲】の所定地が実ははっきりしていない様子。
【秋雲】は補給部隊にいたので、第十駆逐隊だと【巻雲】だけが【蒼龍】を護衛をしていることがわかっています。
その【蒼龍】は奇襲を受けた後真っ先に沈没し、【赤城】【加賀】が灼熱の鉄城と化す中【巻雲】(と【夕雲】?)は急いで救助活動に移らなければなりませんでした。
その後【浜風】と【磯風】も救助に加わりますが、【巻雲】はこの時ただ1隻無事である【飛龍】の護衛に向かうことになり、【蒼龍】の下から離れました。
【飛龍】の護衛には他に【夕雲、風雲】【谷風】の名が挙がっていたのですが、証言に違いがあって確実なことが言えません。
少なくとも【巻雲】と【風雲】が救援に参加した可能性が高い2隻です。
【飛龍】は単艦で反撃に転じ、【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】に致命傷を与えましたが、やがて【飛龍】も無数の爆撃によって大破炎上、海戦の勝敗は決しました。
【巻雲】と【風雲】(とりあえずこの2隻として話を進めます)は【飛龍】乗員の救助にあたりますが、また同時に【飛龍】の雷撃処分も決まりました。
艦長の加来止男大佐、第二航空戦隊司令官の山口多聞少将は【飛龍】に残ると伝え、偉大な指揮官は【飛龍】とともに海に沈むことになったのです。
【巻雲】は【飛龍】に向けて魚雷を2本発射し、うち1本が確実に命中しました。
あとは沈没の時を待つばかりではありますが、沈み切るのを待ち続けると夜が明けてまた空襲を受ける危険もあるので、2隻は【飛龍】の最期を見届けることなくその場を立ち去りました。
これがあとで【谷風】の一人旅につながるわけです。
撤退後の【巻雲】ですが、実は1つ汚点があります。
【巻雲】では捕虜のフランク・W・オフラハティ予備少尉(パイロット)とブルーノ・P・ガイド一等機関兵曹(機銃手)の2名(他ジョン・C・ラフ少尉の名もあり)が殺されています。
【嵐】でも1名のパイロットが殺されているのですが、こちらは救助の翌日の殺害に対して、【巻雲】の2名は15日と、かなりの尋問、もしかすると拷問もあったかもしれません。
2名は重りをつけられ、生きたまま海に落とされたと言われていて、この殺害の責任者は航海長だった平山茂男中尉だと記録されていますが、彼が指示をしたのか、結果報告だけ受けたのかはわかりません。
いずれにしても、【嵐】と合わせてこれは紛れもない戦争犯罪であることを我々は理解しなければなりません。
次の戦いの舞台はソロモン諸島となります。
第一航空艦隊改め第三艦隊はトラックへ向かうことになっていましたが、戦況が改善されないところで敵機動部隊も現れたことで、【翔鶴】【瑞鶴】らはそのままソロモン諸島へ向かうことになりました。
不沈空母となった航空基地のおかげで制空権が奪われていたので、それに対抗するために空母が向かい、そしてそれを迎え撃つために敵空母も現れるというのは、当然と言えば当然でした。
もちろん第十駆逐隊も機動部隊に随伴し、8月24日に「第二次ソロモン海戦」が起こったのです。
【龍驤】が突撃する陣形だったことで【龍驤】は沈没してしまい、その後の反撃で【エンタープライズ】を中破させることはできましたが、それ以上の戦果や進展を得ることができませんでした。
飛行場の奪還はそう難しいことではないと考えていた日本ですが、この海戦をもっていよいよ泥沼の消耗戦が始まるのです。
「第二次ソロモン海戦」をきっかけに、日本は駆逐艦による少量ピストン輸送となる鼠輸送を強いられます。
ありとあらゆる駆逐艦が物資をどっかり積んでガダルカナル島などの島々に物を運ぶというこの輸送は、最強駆逐艦であった「甲型駆逐艦」も容赦なく割り当てられています。
とにかく数をこなす必要があるので、どれだけ空襲の危険があろうとも、月明かりがまぶしい時期以外はしょっちゅう派遣されました。
一方でいい加減ヘンダーソン飛行場を取り返さなければジリ貧になるのはわかりきっていたので、日本は再び陸海の連携によって飛行場への突撃作戦を模索していました。
が、陸は陸でジャングルの中を少量物資でヘロヘロになりながら進まなければならないし、敵側はちゃんと輸送船などで量も大きさも十分補給ができますから、こっちもこっちでめちゃめちゃ不利な状況でした。
だもんで陸海の連携はそう簡単にいかず、さらに情報の誤りなどもあって、ようやく10月25日に機動部隊は南下を開始。
もちろんアメリカ側も日本の動きは察知していて、ここから索敵合戦が始まります。
そして翌16日早朝、お互いの偵察機が敵機動部隊を発見し、いよいよ「南太平洋海戦」が始まりました。
【巻雲】ら第十駆逐隊はこの作戦では前衛部隊におり、空母ではなくその前を進む【比叡】【霧島】らの護衛として出撃しています。
そのため空母同士の戦いは【翔鶴】大破【瑞鳳】中破に対して【ホーネット】大破【エンタープライズ】中破と簡潔にしておきますが、前衛部隊では【筑摩】が徹底的に傷つけられます。
前衛部隊は空母への攻撃を受け止めるために配置されていたので、変な話いじめられるのは承知の上なのですが、この陣形の先頭にいた【筑摩】が徹底的に攻撃を受けてしまいます。
【筑摩】は直撃弾も至近弾も多数浴び、傾斜浸水速度低下とボロボロになってしまいます。
それでも20ノットそこそこの速度が出せたので、【筑摩】は【谷風】【浦風】とともにとっとと撤退を開始。
【翔鶴】の大破もダメージコントロールのおかげで耐えることができましたし、【筑摩】も魚雷投棄が間に合ったために発射管への直撃弾でも生き残ることができ、「ミッドウェー海戦」の反省は活かされた海戦だと言えるでしょう。
海戦としては五分五分な結果でしたが、日本はこの作戦で得たかった結果を得ることはできなかったため、戦略的敗北と言っていいでしょう。
ただ五分五分の結果を日本勝利に終わらせるための重要なカギとして、大破した【ホーネット】の存在がありました。
大破しながらも自力で撤退できた【翔鶴】と違い、【ホーネット】は航行不能状態で【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ノーザンプトン】での曳航が試みられましたが失敗。
さらにそこに日本の追撃もあって被雷した【ホーネット】は、もはや復帰不可能だと判断されて自沈処分されることが決定しました。
ところがこの「ヨークタウン級」というのはすこぶる頑丈で、ネームシップの【ヨークタウン】が「珊瑚海海戦」後に包帯ぐるぐる巻きの状態でも「ミッドウェー海戦」に登場し、さらには2度の波状攻撃すべて受け止めるという頑強っぷりを遺憾なく発揮しています。
その姉妹艦である【ホーネット】もまた、自国の船であってもさすがにしぶとすぎると辟易するほど、なかなか【ホーネット】は沈んでくれませんでした。
撤退するまでに魚雷9本、駆逐艦の5インチ砲430発が撃ち込まれました。
駆逐艦砲はともかくとして、いくらMk12の炸薬量が220kg程度とはいえ、海戦で受けた被害に加えて9発魚雷を受けても沈まないのはさすがに考えにくく、実際は不発が多かったようです。
命中しなかった魚雷は進路がグネグネ曲がってまっすぐ進まないという問題もあり、戦争のために急いで投入したMk12の欠陥具合にアメリカはこの後もしばらく悩むことになります。
結局アメリカは【ホーネット】を沈め切ることができず、日本の誘導機にも発見されたことで撤退しました。
そして【ホーネット】の下には、その誘導機に連れられて日本の前進部隊(第二艦隊)がやってきました。
この前進部隊に含まれる正確な船の数や全容はわかりませんでしたが、【巻雲】【秋雲】【愛宕】【高雄】【妙高】【陽炎】【巻波】は確実にいたようです。
前進部隊からも【ホーネット】の自沈処分を試みた砲撃音が聞こえていたと言います。
前進部隊の前には憎き【ホーネット】の痛ましい姿がありました。
【巻雲】は「ミッドウェー海戦」で味方空母の悲惨な死を目の当たりにしていますので、その記憶がよぎった者も多かったことでしょう。
目の前の【ホーネット】は、全てを焼き尽くしても沈むことができなかった【赤城】を髣髴とさせるものでした。
この姿が見えない連合艦隊からは、「事情許さば、拿捕曳航されたし」との意向が示されます(命令ではなさそうです)。
ただ現場にいる者からしたら絶対無理やんと一目でわかる【ホーネット】の惨状でした。
艦首には【ノーザンプトン】が引っ張ろうとした証である曳航索が切れてだらんと垂れ下がっていました。
傾斜も酷く、浸水もあるでしょうから、曳航索を結ぶことができてもむちゃくちゃパワーが必要だったに違いありません(【ホーネット】の基準排水量は19,800t)。
そしてそもそもこんな大炎上中の【ホーネット】に近づけないということで、【ホーネット】を日本の空母にしてしまおうという淡い希望は叶うことはありませんでした。
余談ですが、空母の曳航というのは「ミッドウェー海戦」後に幹部の間でも議論されたことでした。
特に【赤城】は曳航する手段さえあれば連れて帰ることができると考えられていましたが、その手段がないので涙を呑んで沈めた経緯があります。
なのでその後日本は戦艦を使って空母の曳航実験をやってみたのです。
これは当時の第一航空艦隊航空乙参謀吉岡忠一少佐の証言ですが、
「【赤城】だって4万t近い重さでしょう。全長だって260mもある。これを太い鋼索で曳航することになるんだから、取りあえずそれに耐えるだけの頑丈な曳航索を準備しなきゃいかん。空いている戦艦や重巡群を動員してやってみたが、なかなかうまくゆかない。、まず、それだけの太い鋼索がなかった。それで、いつのまにか立ち消えになってしまいました」[1-P648]
とのことで、【ホーネット】は【赤城】よりもかなり軽いですが、まずパワーではなく索の問題が解決していなかったのです。
日本も【ホーネット】を浸水撃沈させるために、まずは【秋雲】が12.7cm砲での攻撃を行います。
しかし相変わらず駆逐艦砲では何の効果もなく、吃水線付近に24発の砲弾を浴びても【ホーネット】は鎮座したままです。
爆雷で艦底の浸水を増すことも考えられましたが、いつどうなるかわからない【ホーネット】にギリギリまで近づくことになるこの手段は危険だったので、結局ちょっともったいないけど魚雷で沈めることになりました。
さすがにアメリカの2倍の炸薬量を持つ九三式魚雷だと一撃の威力は大きく、【巻雲】と【秋雲】から放たれた魚雷4本中3本の命中で、ようやく【ホーネット】は傾斜を強めます(一発は下を潜り抜けたよう)。[1-P653]
【巻雲】艦長の藤田勇中佐は「この駆逐艦魚雷を3本も打ち込んでやっと沈めたのには、なさけなき限りなりし」と述懐しています。
その【ホーネット】の最期の姿を見続ける一行ですが、いきなり【ホーネット】に向かってすぐそばから探照灯が照射されました。
探照灯照射を命令したある人物を除いて、その場にいた全員が驚愕したことでしょう。
その命令を下したのは相馬正平中佐、【秋雲】の艦長です。
この時相馬艦長は沈没する【ホーネット】の姿が撮影できないのなら絵で残しておけと命令していたのですが、暗くて細部がわからないから描けないという報告に対して「じゃあ明るくしたるわ」と探照灯を放ったわけです。
炎と違って探照灯は一種の光線のため、地平線に向かって放てば火の明かりよりも遥かに遠くまで光が届きます。
もしその光を潜水艦などにキャッチされて、攻撃を許したらどうするつもりなんだ!
この場に限ったことではなく、夜間航行というのはできるだけ光を抑えて隠密行動をとるのが基本なので、わざわざ所在を明らかにする行動にびっくりするのは当然です。
【巻雲】は慌てて「如何せしや」と発光信号を送りますが、【秋雲】からは「我【ホーネット】の現状を写生するために照射中」との淡々とした返事。
危険を冒して照射してまですることかよと周囲のアタフタは収まりませんが、結局照射したり消したりを繰り返しながら30分ほどで写生は終結。
漫画なら絶対背景に白字ででっかく「はぁ~~~」って書かれてる。
【ホーネット】はその後さらに傾斜が強まり、ついに沈没しました。
なおこの【ホーネット】撃沈により、【巻雲】は【飛龍】と合わせて、経緯はともかく2隻の空母撃沈に深い部分で貢献しているという唯一無二の実績を得ています(【飛龍】沈没の直接の原因が【巻雲】魚雷だと断言はできません)。
その後トラックに戻った面々ですが、【秋雲】は推進器に異常が確認されたので、「南太平洋海戦」で損傷した他の艦とともに本土帰還が決まります。
【巻雲】は【秋雲】から魚雷と弾薬を譲り受け、再びガダルカナルをめぐる攻防戦に突入。
ラバウルからショートランドから、輸送に邁進します。
11月13日、「第三次ソロモン海戦」が始まり、ヘンダーソン飛行場をめぐる最後の海戦が繰り広げられました。
この時【巻雲】ら第十駆逐隊は第七戦隊と行動をともにしており、ど真ん中での戦闘ではなくヘンダーソン飛行場への艦砲射撃を命じられていました。
13日早朝にショートランドを出撃した第七戦隊は、14日未明にヘンダーソン飛行場への艦砲射撃を開始。
航空機の破壊には成功しましたが、これまで同様飛行場そのものの破壊は難しく、夜が明けると反撃の空襲が第七戦隊を襲いました。
この第七戦隊は撤退時に第八艦隊の【鳥海】や【衣笠】と合流して空襲に対応するというものだったのですが、数が多くとも航空支援がなければ非力であることは今更言うまでもありません。
この空襲で【衣笠】に魚雷と直撃弾が数発命中し、【衣笠】はやがて沈没。
【鳥海】なども被害を受け、【巻雲】は【夕雲】とともに【衣笠】生存者の救助にあたりました。
しかしこの戦いは絶対に落とせない大一番になるということで、彼女らに休息はありませんでした。
ショートランドに戻るや否やすぐさま補給を受けて再びガダルカナルへ向けてします。
ガダルカナルには第二水雷戦隊と輸送船団が向かっていて、これを追いかけたものです。
ですがこの船団に追いつく前に船団はガダルカナルに突入。
多くの輸送船が被害を出しながらもある程度の揚陸を達成しましたが、結局「第三次ソロモン海戦」は敗北し、その後は陸軍による飛行場制圧も失敗。
【巻雲】達も合流することなくショートランドへ帰っていきました。
この「第三次ソロモン海戦」の敗北は「ガダルカナル島の戦い」の敗北を決定的のものとし、日本はガダルカナルからの撤退と並行してニューギニア防衛の強化に踏み切ります。
第十駆逐隊もこちらの方面への輸送に回されますが、29日には【B-17】の爆撃で【巻雲】は至近弾を浴びます。
事態が逼迫していたため【巻雲】は応急修理のみ受けてすぐに戦列に復帰。
12月10日にはラバウルからショートランドへ向かう【かもゐ丸、伏見丸、地洋丸】を護衛していましたが、途中で現れた【米ガトー級潜水艦 ワフー】の襲撃にあってしまい【かもゐ丸】が魚雷3本を受けて沈没。
【巻雲】が反撃の爆撃を投下したものの、【ワフー】には大きな被害もなく逃げられてしまいました。
年の瀬の28日に【巻雲】は日本へ帰ってきました。
そしてこの時すでにガダルカナルからの撤退、すなわち「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」の実施がほぼ確実視されていたため、【秋雲】含めた第十駆逐隊はこの作戦に参加することになりました。
昭和18年/1943年1月17日、第十駆逐隊は日本を出撃。
第十駆逐隊は外南洋部隊増援部隊に配属され、前代未聞の大撤収作戦に向けて準備が進められました。
2月1日、ショートランドを出撃した駆逐艦の数は総数20隻に及びます(31日にも出撃したのですが、作戦が延期されたので引き返しています)。
「ケ号作戦」の第一次撤退作戦が始まりました。
第十駆逐隊はエスペランス岬へ向かう部隊として参加しています。
しかしガダルカナルへ向かう道のりで、やはり制空権の網に囚われてしまいます。
空襲により旗艦であった【巻波】が直撃弾と至近弾を浴びて航行不能、戦死者36名という大きな被害を出してしまいました。
この影響で曳航する【文月】とともに2隻が離脱、またエスペランス隊だった【巻雲】【夕雲】は輸送隊から警戒隊へと変更されます。
旗艦任務は【白雪】が引き受けることになりました。
この空襲によりアメリカ側も日本のガダルカナルへの大増援(撤退とは気付いていません)を警戒し、急遽周辺への機雷敷設を行い、また魚雷艇の配備を進めました。
夜になるとエスペランス隊がガダルカナル付近に到着し、ここで魚雷艇との戦いが始まります。
この作戦には駆逐艦のほかに直掩機もありましたので、駆逐艦の砲撃に加えて上空からの爆撃により魚雷艇の脅威を退けられました。
あとは急遽沿岸に集まっている兵士達を船に乗せて帰るだけです。
が、突如【巻雲】から大きな爆撃音と水柱が発生します。
【巻雲】が敷設された機雷に接触し、艦尾に大きな損傷を負ってしまったのです。
艦尾の触雷となると推進器や舵は助かりません、【巻雲】は何もできなくなってしまいました。
【夕雲】が救援に駆け付け、横抱き曳航による撤退を試みますが、カミンボ付近まで来たところで【巻雲】の浸水が激しさを増し、また曳航しながらも海に引きずり込まれるために船に歪みも生じてきました。
浸水が食い止められない上、このまま【夕雲】で引っ張り続けると【巻雲】が分断されるのは目に見えています。
やむを得ず、【巻雲】はここで雷撃処分されることになってしまいました。
【巻雲】の生存者は【夕雲】へ移ります。
乗組員がいなくなった【巻雲】から、【夕雲】も離れていきました。
そして姉から妹へ、手向けの魚雷が放たれます。
一直線に【巻雲】へ向かって走るその魚雷は、次の瞬間炸裂し、【巻雲】をアイアンボトムサウンドの海深くへ沈めていきました。
【巻雲】は「ケ号作戦」唯一の喪失艦ではありますが、彼女の犠牲のもとに、この作戦では予想を大幅に上回る人員の救出に成功しています。
参考資料
Wikipedia
近代~現代艦艇要目集
[1]空母瑞鶴の南太平洋海戦 軍艦瑞鶴の生涯【戦雲編】 著:森史朗 潮書房光人社